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連関資料 :: 人間が人間であることとは

資料:345件

  • 人間の尊厳」について
  • 「人間の尊厳」という考え方は、生命倫理のどのような問題において役に立つのだろうか。人間の尊厳に含まれるいくつかの条件を守るという名目によって尊厳死・安楽死が認められる場合があるので、これらの倫理問題を考える際にこの考え方は有効であると私は考える。その有効性について、本レポートでは説明していきたい。 近年の医療は、人工呼吸器や心拍蘇生装置、栄養補給などといった延命技術の進歩により、人為的に生を延長することが可能となってきた。これらの技術によって私たちはさまざまな病気を克服してきたが、今なお不治の病も存在しており、一方で患者は、高度な延命技術によって治る見込みのないまま、時には苦痛に喘ぎながら命を長らえるという事態も起きている。  すでに私たちは、末期医療においては「自然な死」を望むことはほとんど不可能といってよい状況となっている。そのような状況下において、尊厳死や安楽死といった考え方が生じてくる。 まず、尊厳死は「一個の人格としての尊厳を保って死を迎える、あるいは迎えさせること」と定義される。本来、 病死 を含む 自然死 であれば人間は尊厳を保ったまま死にゆくことができるはずであるが、 医療 の発達によって 延命 技術 が進歩したため死を迎える段階でただ「生かされている」だけの状態となってしまうことが多くなった。 こうした状態で死に臨むことを望まない立場から、「尊厳死」の 概念 が発生し広まることとなった。そのため、「尊厳死を実現するにはどのようにすればよいか・するべきか」が問題となる。ことに「死」以外に人間らしさを保つ方途がないと判断される場合に、意図的に死をもたらすことが「安楽死」と呼ばれる。 次に、安楽死は「助かる見込みのない病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で人為的にしなせること」と定義される。安楽死は、行為の様態に関する区分では積極的安楽死(死なせること)・消極的安楽死(死ぬに任せること)に、決定のプロセスに関する区分では自発的安楽死(患者本人の意思による場合)・非自発的安楽死(患者本人に対応能力がない場合。典型的には新生児で重度の障害がある場合の安楽死が問題になるときには、この部類に含まれる。)・反自発的安楽死(患者本人に対応能力があるにもかかわらず、意思を問わずに、あるいは意思に反して決定される場合)に分類される。以上、組み合わせると、理屈としては6通りの区分が可能である。このうち、自発的消極的安楽死が尊厳死にあたる。  現在日本では、尊厳死は尊厳死協会の「リビング・ウィル」に署名することで受け入れてもらえることもある。一方、安楽死は塩化カリウムや筋弛緩剤などを使って積極的に死期を早める方法とされており、現在尊厳死を認めている国でもこのような行為は認められていない。 しかし、日本で起きた最初の安楽死事件(山内事件)の判決(名古屋高裁)で、安楽死に違法性を問わない6つの要件が提示された。 ①病者が現代医学の知識と技術から見て不治の病に冒され、しかもその死が目前に迫っていること ②病者の苦痛がはなはだしく、何人も見るにしのびないこと ③もっぱら病者の死苦緩和の目的でなされること(他に代替手段がない) ④病者の意識が明瞭であって、意思を表明できる場合には本人の真摯な委託、または承諾があること ⑤医師の手によることを原則とすること ⑥その方法が、倫理的に妥当なものとして容認できること  この要件を全部満たす場合に安楽死が認められるとされた。山内事件の判決では①と③の要件は認められるものの、⑤と⑥が欠けているとされ認められなかった。1
  • 日本 倫理 安楽死 医療 問題 人間 判例 大学 技術 評価 尊厳死 レポート
  • 550 販売中 2008/01/04
  • 閲覧(16,901)
  • 人間の観念
  •  生得観念という考えがある。私たちは生まれながらにして観念を得て、それを携えて生まれてくる、というものである。しかしながら、ロックによると、そのような観念など存在しない。彼の主張によれば、人間の精神は本来、タブラ、ラサ、つまり滑らかな板なのである。 では、人間の精神はどのようにして様々な観念を持つようになるのであろうか。今回のレポートではこのことについて考えて見たい。  悟性はすべての観念を経験から汲んでいる。またあらゆる認識は経験を拠り所としている。ところで、経験には二種類ある。一つは、外的対象の知覚、肉体の感覚器官によって起こるもので、感覚(sensation)と呼ばれる。もう一つは、我々の心の内面的な働きの知覚で、反省(reflexion)と呼ばれる。感覚と反省とが精神(悟性)にすべての観念を与えるのであって、それらは言わば、精神(悟性)という暗室に、観念という光が入り込む窓である。感覚によって捉えられる対象すなわち外的対象は感覚的諸性質に関する観念を与え、反省によって捉えられる対象すなわち心的生活は自分自身の心の働きに関する観念を与える。  感覚と反省からすべての観念を導き出し説明するのが、ロックの哲学の課題である。そのためにロックは、観念(表象)を単純観念と複合観念とに分けている。単純観念は、鏡に物の像が映るように、受動的な精神(心)に外部から押し付けられる観念である。この単純観念には、たとえば: ?ひとつの感覚を通して来るもの:視覚を通じてくる色の観念とか、聴覚を通じてくる音の観念とか、触覚による固さや広がり(不可入性)の観念。 ?いくつかの感官を通じて来るもの:触覚と視覚とによって同時に意識される空間および運動の観念。 ?反省によって得られるもの:思考や意志の観念。 ?感覚と反省とから同時に来るもの:力、統一等々の概念。
  • レポート 哲学 ロック タブラ・ラサ 生得観念
  • 550 販売中 2005/11/11
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  • 人間理解とは
  • 福祉心理学の枠組みのひとつである人間理解が、「心理学的視点」からはどのようにおこなわれているか 人間の心理活動とは  人間は、認知する事で生活を営んでいる。例えば、車の運転を例に考えてみたい。まず、車そのものが何であるかを理解する必要がある。車が何であるか、理解していくためには、過去の記憶をたどり、物体を見た場合に、それが車である事を、記憶から想起させ認知する必要がある。そして、その車にのり、どこに行くかなど目的地などを考えたり、目的を考えたりする場合にも、空間的な認識をしたりするために、記憶から過去の情報を想起させる必要がある。実際に車を動かす場面においては、どう操作させるか、どのように動かすかを、手続き記憶として、貯蔵されているものを想起させ、車を運転しているわけである。 動機と欲求 認知することで生活を営んでいると言う事は先に述べたが、次に、何故車を運転するかについて考えてみたい。車を運転すると言う行為を起こす場合、何かしらの目的がある事は言うまでもない。この目的は動機によって生じている。例えば、「車を運転して、お店に行きアイスを買いたい」などの、精神的な満足を得たりする事柄があ
  • 人間 認知 欲求 動機
  • 550 販売中 2017/03/23
  • 閲覧(2,761)
  • 人間の成長
  •  最近、「ゆとり教育」という言葉をよく耳にする。学習指導要領の変更に伴い、義務教育における学習の量が大幅に削減された。また完全週休二日制も導入され、学校に通う時間も削減された。これらには反対の声も多い。補習授業が行われたり、塾に行き勉強したりする機会も増えている。こうしないと進学することができないのだ。私立学校との格差が広がってしまうのだ。同じ小学校ないし、中学校を出ていても学習量が大幅に異なってしまう。なにも受験のためだけに勉強するわけではないが、格差の広がりすぎはあまり好ましくないと思う。私は比較文化論の授業を通して教育の意味について考えさせられた。そこで教育について考えて生きたい。  そもそも日本の教育とはどのようなものなのか。格差の広がりが好ましくないといったが、それは日本人のこれまでの教育の観点から述べることができる。「日本人は他人と同じ」とよく言われる。戦時中や戦争直後の日本の教育は一貫教育ですべての子供に対して同じ教育をしてきた。
  • レポート 哲学 ゆとり教育 人間の成長 義務教育
  • 550 販売中 2006/01/13
  • 閲覧(2,020)
  • 人間学 『遊びと人間』 ロジェ・カイヨワ レジュメ
  • 『遊びと人間』 ロジェ・カイヨワ 第3章~第5章(p82~124)                 3,遊びの社会性  遊びは個人的娯楽ではない   技の遊び+競争の要素(競争者、観客)→技を競う遊び   腕くらべ=遊びの楽しみの本質  競争は規則の整備によって際立った競争形態になる(エスキモーの拳
  • 人類学 遊びと人間 レジュメ
  • 550 販売中 2008/03/21
  • 閲覧(3,143)
  • 人間人間の看護 トラベルビー 看護観
  • 冒頭 私は患者さんと関わる中で、客観的情報だけでなく、コミュニケーションを通して患者さんに今必要なことはなにか、どのような方法で行えば、必要なことを患者さんが望む方法でストレスなく行えるかを考えながら関わっている。なぜなら、客観的な情報だけで援助方法を決定したり、患者さんに提供してしまうと、ストレスにつながってしまったり信頼関係が崩れてしまうことがあるためである。 1577字
  • 看護 理論家 レポート
  • 990 販売中 2017/10/02
  • 閲覧(17,081)
  • 人間と家庭のかかわり
  •  この世に生を受けた人間は、多くの場合、家庭の中に迎えられる。  そして、その中で多大な愛情を受けて育てられ、成長していく。  家庭の大きな役割は、人間が外の世界(学校・会社など)から帰ってくる際に、緊張や疲労から解放させ、深い安らぎの憩いと睡眠の時間を提供し、明日からの生活への原動力を沸かせることである。しかし、それが可能となるには、家庭の中に十分な愛が無ければならないのである。では、「愛のある家庭」とは一体何なのだろうか。  それは、家庭の基盤となる夫婦の関係にかかわることである。  夫婦とは、人生をともに歩む共同者(パートナー)であり、1人では足りないところを2人で補い支えあう補完的な面だけでなく、一人では気づかなかった新しい自己を発見したりする創造的な面を持ち合わせることで、人間的成熟、豊かさが生じてくる。豊かな夫婦関係を築いていくためには、お互いに、深いかかわりを願って、積極的に心を開く誠実さを持ち合わせて無くてはならない。ただし、心を開き、お互いに支えあい、夫婦というひとつの形になるということは、各々のアイデンティティを失うことではない。相互のアイデンティティを基本的に認め合うことが重要で、そのためには心理的・社会的に成熟している必要がある。もし、過度の自己中心性や他社依存性が一方にでもあれば、この関係は成立しないであろう。  心を開き、相互に認め合うためには対話という行為が必要である。この対話は2種類存在する。  1つは精神的対話である。先週の内容と重なるが、これは普段の会話とは違い、自分が相手に受け入れられ大切にされているという深い確信の元に成立する。相手に対して自己を隠さず、相互に実存的に裸の状態で自分自身について語り、また相手自身を聴くことである。
  • レポート 哲学 家族 家庭 成長
  • 550 販売中 2006/01/17
  • 閲覧(2,167)
  • 人間の自己意識
  • 自己意識とは、自己の自己に対する関係であり、この自己意識は、自己の自己の自己の自己の・・・意識というふうに無限に再帰する、円還したシステムである。たとえば日記をつける。自己の自己との対話である。ここで私たちは自己の錯綜した関係にもがくことがある。実際にそうした経験をしたことのあるものも多いと思う。自分が自分を偽って、言語に表れた自己と、そこにはあらわれない自己との分裂、分裂をなおそうとする自己と、さらにそこから逃れようとする自己、無限の関係は永遠と錯綜してゆく。これが自己意識の実体なのではないか。 ローマの雄弁家キケロは人間を「文化的動物」として定義したが、もともと「文化」を示す欧米語の語源となったラテン語の cultura は「耕作」や「土地の世話」を意味する言葉であり、また人間をさす「ホモ(homo)」は「大地(humus)」という語根をもっている。 そして、アダム(人間)はアダマー(地)から来ている。従って、文化はこの大地(人間)を耕すことであり、自己とその環境の開発を意味していると捉えることができる。   結論としては、人間は、生物として、自己とその環境の開発という課題を自己の本質的宿命として負わなければならない存在に他ならないのである。そして、洞窟壁画時代からの自己意識と人間のあり方というのは、今なお現在進行的なものであり、そして未来においても永遠に続いていくものであろう。
  • レポート 哲学 人間 自己意識 自意識
  • 550 販売中 2005/07/30
  • 閲覧(2,926)
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