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連関資料 :: 政治

資料:476件

  • 政治思想後期自由レポート
  •  政治思想史レポート ルソーの「新しさ」~完全なる近代化について考える~                       「ルソー」という名前は中学、高校の頃から社会や倫理の授業でたびたびきいており、親しみのあるものだった。大学の政治思想史での講義では政治思想家としての彼の側面をみてきたわけだが、彼には教育思想家という側面もある。今回はこのレポートを足がかりに教育思想家としての彼についてとりあげたい。 ルソーの教育思想や近代性などといったものといったものについて考えるときに、一般的によくいわれるものとして、子どもの自由な身体活動や感覚的経験の重視、言葉や書物中心の教育への批判、残酷な体罰や強制的教育への批判、子ども期固有の幸福な時間への配慮などがあげられる。今回はルソーの教育思想を、「ルネサンス的近代性」と「19世紀後半以降の近代性」の狭間に立つ過渡期的な思想として、その「新しさ」がどのような点だったのであるかについて、考えてみたい。  最初に、ルソーそのものをとらえるために、ルソー以前の、エラスムスやロックらによるルネサンス的教育というのがどのようなものだったかというところから確認していきたい。簡単にいえば、ルネサンス以来の近代的教育は、礼儀作法と古典語の教育を重視したものであった。礼儀作法の教えというのは、「人との交際において、どのようにふるまえば人々から好意と尊敬をもって受け入れられるか」というものであった。このことに関するふるまいのルールは、シビリテ(civilite)とよばれた。 次に古典語の教育とは、純粋な古典ラテン語を教養ある人々の生きた社交の言葉として、その価値を再確認するものであった。この場合も、人と人との交わりにおいて、教養のある人だと思われるための言語教育だったのであり、その根底においてはやはり礼儀作法が意識されていた。  ルソーがルネサンス期の近代性を批判したのは、まさにこの礼儀作法と古典語の教育の点についてであった。彼はこのような教育について、「何一つ美徳を身につけないで、あらゆる美徳の外観を身につけた」ものであるだと指摘したのだった。エラスムスやロックらにとって、外観とは、人々の内面を表す記号を意味するものであったのだが、ルソーにとっては、外観とは相互の不信と疑惑の温床であった。礼儀作法が行き渡れば全ての人間が同じ外観をもつようになる。そうなってくると人々はさらに記号を差異化して、ますます複雑な作法を積み重ねる。外観はもはや人々の内面を表す記号ではなく、内面を覆い隠すヴェールとなり、人々は互いにそのヴェールの下を疑心暗鬼で探りあうのだ、ということである。このルソーの主張の頃から、社会的規範の力点が、外観や行為から、内面の良心や感情へと移行するようになる。  では、このような内面的道徳をどのような教育によって実現しうるのか。このことについてルソーは、『エミール』の中で、自分の自然の欲求に忠実でありながら、かつ、社会的義務を果たすことできる一貫した人間(たぐいまれなる人間)をつくる技術の問題として語ることになる。ロックらとルソーの考えの違いは、子どもという存在の位置づけ方にあった。ロックらにとっては、子どもはすでに社会的存在であり、他者との相互的関係性の中にある。子どもは他者から好意を持たれる喜びを知っているが、どのようなふるまいが他者からの好意をもたらすのかを知らないため、それを教えるためには、相互行為の実地訓練と、大人による理性的な説得が必要であると考えた。一方、ルソーにとって子どもとは前社会的な存在であり、肉体的な快・不
  • ルソー 政治思想 ルネサンス ロック エミール
  • 550 販売中 2007/11/30
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  • ポピュリズム政治を支える「共犯」関係
  •  ポピュリズムとは大衆迎合主義であり、大衆に直接訴えかける政治のことである。まさに今の日本の政治を考えるとまさにポピュリズムと言える。つい最近選挙がありましたが、選挙では候補者は選挙活動として大衆に直接訴えかけ、自分をアピールする。そしてメディアでもその様子を放送し候補者についてコメンテーターたちがいろいろと意見を述べていたりする。この選挙活動の時が一番私たち市民と政治家が直接関わり合う時であるように思う。普段は政治家の行為はメディアを通して私たちは知ることができる。テレビ、新聞、ラジオなどで情報が得られるがその際、私たちはインパクトの強い出来事を期待してしまう。そして政策を分かりやすく提示してほしいと思う。政治家にとって市民の支持は重要である。そこで市民に分かるように何か行動を起こす。ここで誰にでも分かりやすくするために、善悪二元論が用いられる。善か悪か、良いか悪いか、これならとても分かりやすい。実際には善か悪かどちらかと言う単純な世界ではないのだが、人はどうしても物事を単純かしたほうが分かりやすい。なのでこういうどちらかという考えにとらわれてしまう。自分を善にすれば自然と敵は悪となるのだ。これはとても都合のいいものなのだと思う。
  • レポート 社会学 ポピュリズム メディア 善悪二元論
  • 550 販売中 2005/12/03
  • 閲覧(2,124)
  • 政治学 保守政党のビジョン
  • 政治学 「保守政党のビジョン」論評  1 石田博英の視点 ― 要約的に ― 石田博英は保守党の漸進的な近代化をおこなうために、その具体的目標として、派閥解消、政治資金の公明化、選挙制度の検討の三つをあげた。そしてその方策を論文の後半で、組織問題を含めて提示している。 しかし、この論文で注目すべき点は、
  • 日本 経済 企業 社会 政治 労働 問題 分析 思想 政策
  • 550 販売中 2008/03/21
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