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連関資料 :: 政治

資料:476件

  • 国際政治学3
  •  第二次世界大戦の敗戦は、当然ながら、戦後の日本外交の枠組みに大きな影響を与えた。戦前のいわゆる「アジア主義」的な思想は、戦後は欧米先進国、特にアメリカとの協調の重視に転換したし、またいわゆる「吉田ドクトリン」と呼ばれる経済中心主義と国際的な不介入主義は戦後の日本外交の基本的な指針といわれてきた。  「アジア」に対するアイデンティティの変化から考察する。「アジア主義」と「脱亜入欧」の両者どちらに重点を置くかということは、日本の近代化の課程における大きな課題であった。「アジア主義」の思想は太平洋戦争中に「大東亜共栄圏」の名の下で国際的孤立の頂点を極めた。しかし、これは結果として敗戦につながったこともあり、戦後に欧米協調路線に移り変わったことは当然であったといえる。  次に戦後賠償がどういった結果を構築していったのかを考察する。日本の賠償・準賠償は、日本政府から相手国政府への直接的な資金の提供ではなく、日本政府の負担による財やサービスの提供であり、それを具体的に受注したのが日本の企業であった。すなわち日本企業は日本の賠償によって成長したといえる。これは意図したものとは言えず、実際に金銭で日本が賠償を行える体力は無く、「サービスや物」というスタンスによる偶発的な結果が、賠償がマイナスだけでなくプラスに働いたといえる。さて、賠償・準賠償の多くは、1950年代に交渉が妥結したが、韓国との間でなされた「請求権」とその「補償」をめぐる交渉が残っていた。この交渉が妥結した背景としては、?アメリカがベトナム戦争により勧告への経済援助を減らし始めたこと?国際情勢が移り行く中クーデターで成立した朴政権が韓国の経済建設のために日本を利用したいということが挙げられる。しかし、裏にはアメリカが動いていたことも事実である。
  • レポート 国際関係学 国際政治 外交 日本
  • 550 販売中 2005/11/29
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  • 国際政治学4
  •  本章は、沖縄問題の二つの大きなうねりを取り上げ、米軍基地と沖縄の関係と政治課題について論じる。まず米軍に土地接収に対抗して発生した1950年代の「島ぐるみ」闘争における沖縄社会の大衆役割の検討を通じて、軍事と経済との関係に整合性をつける政治のありさまをみる。そして、1995年から98年にかけて、冷戦後の「へいわの配当」を目指して日本政府との新たな関係を模索した大田沖縄知事の県政を取り上げ、中央と地方政治の変容を観ていく。こうした検討により、日米関係の中に位置する沖縄の特徴の把握や、沖縄問題への理解を深める。  まず、沖縄が基地の島となったところから考える。米国はなぜ沖縄の「施政権」を必要としたのであろうか。それは、占領してから27年にわたる米国の沖縄統治は沖縄の軍事的使用を「完全」に確保するために他ならない。もし日本の施政権が沖縄に及ぶのであれば、日本政府の協力あるいは日本政府との協議を経ることなく、米軍は沖縄の基地を自由に使うことが出来なくなるとアメリカ政府は判断したからである。当時(戦後まもないころ)、米国にとって日本は対等な相手として見られておらず「敗戦国日本」として捉えられていたのである。軍国主義への回帰に懸念を抱き民主化を推進しつつも、日本の再軍備をも求めるマッカーサーは、一大複合の米軍基地が沖縄に存在する限りにおいて、日本との早期講和が可能と考えていたのである。つまり、沖縄の米軍基地の存在を前提として日本の戦後が出発したと言い換えられる。  米国統治下における戦後沖縄の政治を語るときには3つの要因が政治の変動を規定してきたといわれる。?沖縄の軍事的価値。これは米国の極東の安全保障において、沖縄の基地が米国にとって必要不可欠であったことである。?日本政府の安全保障政策。
  • レポート 国際関係学 国際政治 沖縄 外交
  • 550 販売中 2005/11/29
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  • 国際政治学5
  •  本章は日本のテロ対策の特徴を戦略文化という視点から考察してきた。ブースによる戦略文化の定義とは「戦略文化という概念は、力の行使あるいはその脅しに関して、一国がもつ伝統、価値、態度、行動パターン、慣習、シンボル、実績、そして環境に適応し問題を解決する特有の方法に言及するもの」である。  戦略文化論がその対象としてきたものは核戦略だけではない。たとえば『国家安全保障の文化』では、化学兵器のタブーや人道的介入規範、毛沢東やソ連の政策などの多岐に渡る事例が取り上げられている。いずれも規範とアイデンティティが分析のキーワードになっている。  テロは政治的行為とみなされるとするが、日本のテロ認識をかなえるうえで最も重要なことは、政治的なテロリズムすなわち右・左翼のテロ行為に対して、現代日本はその実行者や組織を国民の総意として、テロリストとみなして徹底的に非難、断罪することは無かった。この点こそが、日本のテロ対策が原則を欠き、組織と直接対決せず、被害管理に集中する理由の根底にあるだろう。  日本の場合、テロの脅威が大きくないという合理的な理由付けだけではなく、戦後の平和規範や人権規範(?平和規範・・・平和に絶対的な目標価値を置き、手段も日本人が平和的と考える手段を行使すべきことを要請する。
  • レポート 国際関係学 国際政治 日本 テロ
  • 550 販売中 2005/11/29
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  • 国際政治学7
  •  ここでは、過去半世紀における日中関係の敬意を概観し、それを踏まえた上で、日中関係の今後を展望する。  まず、日中関係を考察する。日中戦争の時は停戦し抗日にあたっていた国民党と共産党の争いが再び勃発。戦いを経て共産党が勝利し、内戦に敗れた国民党は台湾に逃げ、1949年に毛沢東を主席とした中華人民共和国が成立。  冷戦にあってアメリカ側にあった日本と中国との関係は民間レベルから改善されていく1952年に三人の日本人が旧ソ連経由で中国を訪問し、中国国際貿易促進委員会と「第一次民間貿易協定」を結んだことによって両国の人的・経済的交流が開始された。  その後も民間の交流は拡大されていったが、1957年に反ソ連、反共産主義で親米家だった岸信介の内閣が成立すると、「中共非難」や「長崎国旗事件」など日中関係を揺るがす問題が起こる。このような問題などを受け、中国の陳毅副総理は岸首相の中国敵視政策や言動をきびしく非難し、「あくまで中国を敵視し続けるならば、必ず自業自得の憂き目を見るだろう」という談話を発表。これによって中国の貿易関係機関は一斉に日本側との契約を破棄する事態となり、数年間積み重ねられてきた中国との交流は基本的に中断されることとなる。  1959年からは石橋湛山や松村謙三などによって日中関係は徐々に回復。岸内閣が総辞職し、池田勇人内閣が1960年に成立すると、日中の友好商社の増加や、船による物資の取引が増えたことによって日中間の相互理解が深まり、日中国交正常化の声が高まる。しかし、1964年に岸(元)首相の実弟である佐藤内閣が成立すると、事態は一変。アメリカの助言に従った中国関係に転進し、「中京(中国や共産主義の国)に対しては政経分離の政策をとる」などと公言するなど、中国敵視の政策へと移り変わる。
  • レポート 国際関係学 国際政治 日本 中国
  • 550 販売中 2005/11/29
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  • 日本におけるメディアと政治の問題
  •  日本では、政治とメディアとは、非常に深いかかわりを持っているといえるだろう。メディアがある政党に注目し、よく取り上げていた影響で、その政党の支持率が上がることは、一例として挙げられる。これは、読売ジャイアンツの人気があるのと、同じ効果であるといえるだろう。ジャイアンツ戦はよくテレビ中継される。このことは、テレビ中継されることが少ないほかの球団と比べ、ファンを獲得しやすい状況を作り出している。ジャイアンツへの支持率が高く、人気があるのはこのためだといえる。人間は、目にする回数が多ければ多いほど、その事柄が、記憶に残るようにできている。したがって、メディアに取り上げられることの多い政治家は、高い支持率を得ることが多いのである。その例として挙げられるのが、田中真紀子元外務大臣や小泉純一郎首相の例である。  特に、小泉純一郎が首相になる背景には、メディアの力が大きく働いていたように思う。小泉純一郎政権を作り出したのは、メディアの力であるといっても、過言ではないだろう。わたしは当初から、彼がなぜ人気があるのか、なぜあんなにも高い支持率を得られるのか、不思議だった。彼にそこまでのカリスマ性があるとも思えなかったし、特別、政治能力の高い人物のようにも感じなかった。事実、彼は現在に至るまで、公約をほとんど実現できていないのである。それなのに、今なお、彼を支持する人は少なくない。他の政権時と比べたら非常に高いといえる支持率を、今現在も維持しているのである。次の首相として、適任者がいないことも理由として挙げられるだろうが、公約を十分に実現できていない首相にこれだけの支持率が集まる理由はもっとほかのところにあるのではないだろうか。
  • レポート 社会学 政治 メディア メディア・ポピュリズム
  • 550 販売中 2005/12/03
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  • 公務員の政治活動の制限について
  •    公務員の政治活動の制限について  国民が広い意味で政治に参加することを国民参政といい、この国民参政の権利をさんせいけんという。 しかし、国民が主権者であるとはいえ、それは国民自らがすべての政治をおこなうべきことではないし、また、事実上不可能であるから、特定の者に政治をおこなわせることになるが、その者がおこなう「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」である。このようにして公務に従事するものは、国民の意思に基礎づけられていなければならない。このことを具体化したのが、憲法の「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」という規定である。憲法にいう公務員とは、国または地方公共団
  • レポート 法学 公務員 憲法 国家公務員 地方公務員
  • 550 販売中 2007/05/09
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  • 法人の能力と政治献金
  • 1.A銀行の代表取締役Y₁、Y₂は定款に記載がないにもかかわらず、B政党に対して、一億円もの政治献金を行った。その行為はA銀行の権利能力の範囲内か。もし範囲外とすると、取締役₁、Y₂は義務違反となり、個人的に責任を負わなければならないが、本問ではどうかを論ずる。その上で、もし仮に定款記載の目的の範囲内だとしても、公的資金を受けながら、政治献金することに問題がないかを検討し、ひいては代表取締役Y₁、Y₂の責任を検討する。 2.会社の政治献金 (1)判例:八幡製鉄所事件(最大判昭和45年6月24日)  ?事件は、定款に会社の目的として「政治献金」の記載のない会社の代表取締役Y₁、Y₂が自民党に350万円余りの政治献金を行ったことに対して、株主が当該献金行為は定款の目的外の行為であり、会社には献金をする権利能力がなく、定款違反および取締役の忠実義務違反にあたるとして、会社の被った損害の賠償を求め株主代表訴訟を提起したものである。  最高裁は、会社は定款に定められた目的の範囲内において権利能力を有するとしながらも、その目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではなく、その目的を遂行する上で直接又は間接に必要な行為ならば、全てこれ(目的の範囲内の行為)に内包されるものと解するべきであると述べ、かかる社会的作用に属する活動は、相当の価値と効果を認めることもでき、間接的であっても目的遂行の上に必要なものであるとし、会社に対し期待ないし要請される限り、会社に政治献金の寄付をなす能力がないとは言えないと判断した。
  • レポート 法学 八幡製鉄所事件 政治献金 定款 権利能力
  • 550 販売中 2005/07/14
  • 閲覧(2,752)
  • 主要国の政治システムについて
  • <主要国政治システム概論>  現代民主主義国家を支える基本的な政治原理は、立憲主義、法治主義、権力分立制などである。  立憲主義(constitutionalism)とは、国家の根本組織法である憲法に従って統治がなされることを意味する。  法治主義とは<法の支配>を原則とし、統治者も被統治者も等しく法により規制され、法の枠内における行動が容認され正当化されることをいう。国家の政治組織も法により規定されていることはいうまでもなく、かかる<法の支配>が確立されている国家を法治国家という。  権力分立制とは、政府の権力を複数の独立した機関に分割し、その相互間に抑制と均衡(checks and Balances)の原則を働かせ政治権力の集中と暴走を防止しようとする政治原理である。通常、立法(Legislature),行政(Executive),司法(Judiciary)の三権に政治権力を分散させることから三権分立主義といわれ、立法権は議会(国会)に、行政権は内閣あるいは大統領に、司法権は裁判所におのおの帰属する。もっとも現実の政治において三権はおのおの完全に独立したものではなく、深く絡み合いほかの存在を認め尊重しながら各部門の職務を遂行する。またこの三権分立主義が政治権力の乱用を防ぎ、個人の権利と自由を制度的に保障するために唱えられたことからも明らかなように、これが単に制度として規定されているだけでなく実際にどの程度機能しているかが、その国の民主主義の度合いをはかる尺度にもなる。  次に民主主義国家に採用されている統治形態を、立法府である議会と行政府の関係から大別した、議院内閣制と大統領制についてふれる。  議院内閣制は内閣が議会の信任に基づき存立する制度である。よって議院内閣制は、立法府と行政府とがお互いに抑制と均衡を保ちながらも両者が密接な連関を有し融合されていることに特徴がある。
  • レポート 政治学 法治国家 日本の政治システム 中国の政治システム
  • 550 販売中 2006/01/07
  • 閲覧(4,132)
  • 近代日本の政治の歴史
  • 憲法発布後10年 藩閥勢力‐「超然主義」「超然内閣」 政党ではなく藩閥が一致協力して天皇にかわって国政の責に任ずる 初期議会期 「超然内閣」vs「民党」 憲法第67条 議会の予算審議権の制限の問題 政府vs衆議院 明治24/5/6 第一次松方内閣 民党「政費節減・民力休養」に対抗し積極政策 第二次伊藤内閣 1893/2 「和協の詔勅」 日清戦争後、政府、政党との提携を求め始める(政党と政府の利害の一致?) 1896(明26)/4 自由党総理板垣退助の内務大臣就任 明治29 第二次松方内閣 進歩党と提携、党首大隈重信外相主任 保守系官僚グループの反発(元老山県有朋) 1900(明33)/9 伊藤系官僚グループと自由党(憲政党)が合同、立憲政友会 進歩党(憲政本党)は野党 第二次松方内閣、地租増徴案に反発 進歩党は同内閣と提携を断絶→総辞職 1898(明31)/1/12 第三次伊藤内閣 増税案→自由党離れる 自由党、進歩党合同、憲政党に(6月)(衆議院の3分の2近く) 増税案不可能に、伊藤内閣総辞職 6/30 第一次大隈内閣 日本初の政党内閣 酒税大幅増徴(軍拡の代償) 憲政党、憲政党(旧自由党)、憲政本党(旧進歩党)に分裂、政党内閣崩壊 11/8 第二次山県内閣(保守系官僚グループ) 地租増徴案 憲政党‐賛成、伊藤系官僚に好印象 憲政本党‐反対 1900(明33)/8 伊藤系官僚グループと憲政党が合同、立憲政友会 10/19 第四次伊藤内閣 過半数政党は政友会 陸海軍大臣、外相以外は政友会員 首相、内、蔵、法相は伊藤系官僚からの入党者
  • レポート 政治学 日本政治 戦前 超然内閣
  • 550 販売中 2006/01/11
  • 閲覧(3,850)
  • マスメディアが政治に与える影響
  • ■テーマ設定の動機  マスメディアは新聞やテレビなどの形で存在しており、近年急速に普及したインターネットもマスメディアの一つということができる。私自身政治に関する情報を見聞きするのはすべてといっていいくらいマスメディアを介してのものである。もはやそれは当たり前になりすぎていることではあるが、元々は別のものであるはずである。そこで今回はその「マスメディア」が政治に与える影響についてスポットをあててみることにする。 ■現代における「マスメディア」の位置  まず、現代において「マスメディア」がどのような位置に存在しているかについて考える。  そもそもマスメディアが存在しなかった時代には政治権力と大衆は隔絶されており、両者相互を通じ合わせる媒介はほとんど存在しなかった。独裁制をとっていたならなおさらである。しかしその後マスメディアや普通選挙制の確立などにより両者は除々に密接に関係するようになってきた。現代においては大衆の自主性を尊重する民主政治では大衆に十分な情報を提供するために使用される。(また独裁体制下においても大衆動員のためにマスメディアは必要不可欠なものになっている。)  これは民衆の「知る権利」に応えるためでもあり、具体的には政策や国家のPR活動、また経済面、国際面などのニュース報道の形となってあらわれている。  またマスメディアは権力側からだけでなく大衆側から発せられるものもある。それは主に世論調査、投書、社会面ニュースなどのものである。そもそも政治権力が大衆より先走ったり立ち遅れたりしていては正しい政策を打ち出すことはできないのである。相互が密接に関係しているといわしめたるゆえんである。  このような意味でマスメディアは現代の政治そのものを成り立たせているといえる。マスコミの媒介なしには政治そのものが存在しえなくなるといっても全く過言ではないのである。
  • レポート マスメディア 政治学 情報 マスコミ センセーショナル 扇動 煽動 加熱報道 やらせ 報道 癒着
  • 550 販売中 2006/01/13
  • 閲覧(20,514)
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