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連関資料 :: 文化

資料:500件

  • 私の異文化体験
  •  日常生活の中で、自分と異なるグループ(異なる性別、年齢、民族等)に属する人々と接する機会は多々あるが、私の場合国内から外に出る機会はほぼ無いと言えるので、先にあげた「民族」間の異文化を感じる機会は今まであまり無い。中学や高校・大学で多くの留学生が同じ環境にいる事は確かであったが、直接的な接点を持つ友人がいるわけではなく、民族に関しては同じカテゴリーである「日本人(しかも関東人)」としか関わりが無かった。  そんな生活の中で、まず最初の「異文化体験」は関西人の友人が出来た事であった。ちょっとした事から意気投合し、一緒に過ごす時間が次第に増えると、同じ国内でも東と西でこんなにも物の捉え方が違うものかと驚かされた。出身だけでなく、性別も年齢も違った事がまた一つ原因でもあるのかもしれないが、彼から見た「東」は「冷たくて真面目一徹・お互いに本性は見せない」世界らしかった。  生まれて今まで関東で過ごしてきた私は特にそんな事を感じる事も無く、大袈裟だ位に捉えていたが、彼とのやりとりの中で次第に私も「東と西」の違いに気付き始めた。  彼が一つとしてあげた「本性は見せない関東人」に対して、どうやら関西の人は「お互いをぶつけ合って理解を深める」ようだった。知らぬが仏・うそも方便と言った考え方はあまり無い様で、生活の中で感じた多くのことを「言葉」にして発信していた。それが、「余計なお節介・無遠慮」と捉えるか「腹を割って誰とでも話せる・相手の為に言える人間」と解釈するかの違いが、東と西の違いである様だ。  もちろんどちらも決して悪気は無くて、生活環境の中で身に付いた言動なのだろう、と冷静に分析しなければ互いにカチンときても当然であるほど、これはカルチャーショックであった。
  • レポート 国際関係学 異文化 コミュニーケーション 関西人 東京人 関東
  • 550 販売中 2005/12/01
  • 閲覧(11,381)
  • 化政文化の歌舞伎
  • 序文  文化・文政年間以降の江戸時代は、最も歌舞伎がブームとなった時代である。「和事」「荒事」の演出様式が誕生した元禄歌舞伎から時を経て、作品の傾向も変化していく。  この時代を象徴した作者には、四代目鶴屋南北(一七五五〜一八二九)、河竹黙阿弥(一八一九〜一八九三)がいる。彼らの作品を紹介しながらこの時代の歌舞伎の特徴を述べて みることにする。 南北  黙阿弥より先に生まれた南北は、四十六歳の時に脚本家として脚光を浴びるのだが、傑作の多い彼の作品の中で、今日でも特に有名なのが『東海道四谷怪談』(一八二五)である。  塩冶浪人伊右衛門が私欲に走り、邪魔になった妻お岩を殺して死骸を川に流したが、その亡霊に悩まされて自滅する、というご存知幽霊物の話である。夏のお化け屋敷には、今でもお岩を真似た幽霊があるほど知られた話であるが、ただ幽霊を用いた話が暑い夏に涼しさを与えたから大ヒットとなっただけではなかったのである。  初演は文政八年(一八二五)、この時時代物として大御所の『忠臣蔵』の作品と『東海道四谷怪談』は話を同時進行で交互に上演され、武士の仇討ちとお岩の仇討ちを、南北は計算して対比している。『忠臣蔵』(一七四八)は『東海道四谷怪談』より七十七年も前に書かれた作品である。同じ江戸時代の作品とはいえ、書かれた時代背景はずいぶん変化しており、忠義の為の仇とお岩のそれが違うという部分を南北は印象つける為に、伊右衛門に「今自分親の敵もあんまり古風だ。よしにしやれョ」という台詞が幕府崩壊寸前ですでに武士道は古く、なんの役にも立たないという時代であると訴えているのである。場当たり主義の伊右衛門に当時の人間を諷刺し、武家出身で古風なお岩を世間が嘲笑しお岩の顔が崩れていく様を社会の現象として鋭く描いている。『忠臣蔵』のパロディという形としてより強調されている。
  • レポート 芸術学 南北 黙阿弥 四谷怪談 幽霊 白波五人男
  • 550 販売中 2005/11/18
  • 閲覧(6,779)
  • 北海道の生活文化の展望
  • 北海道の生活文化の展望 北海道の生活文化が形成されるまで  北海道の歴史を振り返ると、さまざまな異なる文化が接触し、あるいは国策によって導入され、生活文化が形成されてきたことに気づく。このような異文化の接触と摂取が北海道の生活文化の歴史の特色であるといえる。  第一に、先住民族(アイヌ民族)の存在がある。蝦夷地・北海道におけるアイヌ民族と和人との文化的接触が古くから見られたが、アイヌ民族が和人の影響を強く受けたのに反し、和人がアイヌ文化を摂取することは少なかった。それはアイヌ文化を原始的・未開で、低いものと見なす誤った先入観・偏見にとらわれていたことと、主食が異なっていたことによるものと思われる。その後、一貫してアイヌ文化を和風化(同化)しようという政策が進められ、アイヌ文化が破壊された。また、異民族・異文化に対する差別や偏見は、アイヌ民族にとどまらず、昭和の戦時体制の下で北海道に連行され、強制労働に従事させられた朝鮮人労働者に対しても見られた。 北海道の文化の将来を考える際には、まず、このような異民族に対する偏見や差別を反省することが求められる。文化の質の違いに優劣をつけることは、国
  • 環境 歴史 文化 国際 差別 政策 課題 民族 労働 北海道 生活 偏見
  • 550 販売中 2008/08/28
  • 閲覧(3,121)
  • 文化交流論(歴史)
  •  人類史上において、情報伝達、コミュケーションの発達には目覚しいものがある。  400万年前、人類はアフリカから世界中に広がり、紀元前7000頃から農業が始まり、紀元前3000頃から都市革命によって文明が形成され始める。紀元前3000頃になるとメソポタミアの川口地域に青銅器を用いてシュメール人が文明をきづきはじめた。  文字の歴史は、粘土がつくり出した都市「メソポタミア」からは粘土に書かれた楔形文字、石才の豊かなエジプトでは石に碑文刻まれただけではなく、パピルスから作られた筆記の材料に神聖文字や民衆文字が記されている。メソポタミア、エジプトの両文明の影響を受けて紀元前20世紀頃から栄えていたクレタ文明、トロヤ文明が衰えると、クレタ人の変わりに地中海の商業覇権を握ったのはフェニキア人だった。彼らはメソポタミア、エジプトの先進文明を地中海各地に伝えたが、エジプトの象形文字から工夫して作り出したアルファベットを用いて、22の子音からなる便利な文字を作った。その後アルファベットに母音が加えられてギリシャ文字となり、ローマに伝えられて西ヨーロッパ諸文字のもととなった。ギリシャ文字も後に東ヨーロッパに伝えられてスラブ諸文字のもとになっている。フェニキア人がつくり出した新しい文字は、その便利さから世界中に広まった。  彼らは、海岸の石英の白砂を原料とするガラス、ミュレックスという小さな貝から作られる染料を用いた染色などの工業も発展させ、山からレバノン杉という良質の木を切り出して船を作り、オリエントと地中海諸地域を結ぶ海外交渉に乗り出した。アルファベットは文字数が少なくて覚えやすく、交渉に利用するのに便利だったため、広い地域に広がったといわれる。
  • レポート 史学 文字 新聞 印刷 コミュニケーション
  • 550 販売中 2006/01/09
  • 閲覧(3,472)
  • 日英文化比較
  • イギリス文化と日本文化を比較するにあたって、いくつかに分けて意見を述べていこうと思います。 ・ 階級制度について  イギリス文化と日本文化の相違点の1つとして挙げられるのが階級制度です。今日、イギリスには階級社会があり、大まかに分けて上流階級、中産階級、労働者階級となっている。日本にも、明治時代に四民平等が制定されるまでは士農工商の身分制度などが歴史上でいくつかあったが、現在は存在していない。この点がイギリス文化と日本文化の明らかな違いではないかと思う。  日本では明治時代に表面上では身分制度が消えたが、実際には華族制度が設けられていた。私はこの制度が今日のイギリスの階級に似ているという風な印象を受けました。  では、階級制度はあったほうが良いかどうかと考えると、私はあまり無いほうが良いという考えです。その理由として、イギリスでは階級制度がある所為か仕事場などで上下の関係があまり良いという点が挙げられます。そのため、日本と比べればはるかにストライキなどのトラブルの発生率が高いのである。  現在の日本には華族制度も第2次世界大戦後にアメリカの政策により廃止されたので身分制度は一切存在しないが、それでもやはり多少上下の差を感じることがある。それなのに、イギリスと比べて上下関係のトラブルが少ないのは明確に身分制度を廃止しているからではないかと思う。よって、私は階級制度は無いほうがいいと思います。 ・ 宗教の考え方について  イギリス文化と日本文化でまったく正反対のものとして、宗教に関する考え方が挙げられます。基本的に無宗教だと言われている日本人に対し、イギリス人は多くが国教の受洗を受けている。イギリスの国教とは英国教会のことで、この宗教は当時国王であったヘンリー8世がキャサリン王妃との間で男子の王位継承者を得られなかったため、離婚しようとしたがローマカトリック教会は認めてくれなかったため、自国の教会をローマ教皇の支配から切り離して出来た宗教である。
  • レポート イギリス 日本 文化
  • 550 販売中 2006/01/08
  • 閲覧(7,257)
  • 渤海文化の特色
  •  渤海は、高句麗滅亡後に遺民が建てた国で、今から1300年前の698年、今の中国東北部とロシアと北朝鮮にまたがる地域に成立した古代王朝国家である。この国は以後200年余の間、日本と同じように唐から政治、文化、仏教を取り入れ、平和な文化国家として栄え続けた。 日本で言えば、ちょうど奈良時代から平安時代前期に当たる時代である。  外交で言えば、唐に対しても何度となく使者を送り、それに付随して留学生を唐へ送り文化を吸収させ、持ち帰らせた。この事より渤海の上層部は儒教的な教養を元に国政に当たったと思われる。  また、日本海をへだてた隣国である日本に友好を求めて727年から919年までの約200年間に公式の使節だけでも34回も派遣してきた。この派遣は、平均すると5.6年に1回の割合となる。渤海からの遣日使は形式的に日本への朝貢とされていたため日本側は渤海側の使者を大いに歓待をしており、この財政的負担がふくらんだために後期では12年に1回と回数の制限も行われている。日本も、親善使節や渤海使を送って行く送使として15回も使節を派遣して親善を深めた。この交流の歴史はあまり知られていないが、日本古代において長く、濃密に展開された国際交流であった。  渤海が日本との交流を求めた当初の理由は、新羅に対する軍事同盟の形成だった。しかし交流が緊密化するにつれ、その目的は儀礼的・商業的な意味合いが強くなっていった交易中心に変わってゆく。
  • レポート 史学 渤海 日本 韓国の歴史
  • 550 販売中 2005/11/22
  • 閲覧(2,065)
  • 比較文化研究レポート
  •  最初にタネンの「THAT’S NOT WHAT I MEANT!」を要約し、それをふまえ自分で調査したデータを書くことにする。相手に意思を伝える場合、messageやmetamessageが使われる。会話にははっきりdirect(clear)に伝える方法と、礼儀正しくindirect(polite)に伝える方法がある。Politeの示し方として、タネンは ?押し付けないこと、?選択肢を与えること、?相手に友好的に接しいい感情を与えること をあげている。中でも??はnegative politenessを示し、相手の意思を尊重することを重視している。(=indipendence)また、?はpositive politenessを示し、他人の領域にどんどん踏み込んでいこうとするものである。(=involvement)そしてindipendenceとinvolvementの両方を満たそうとするとdouble bindが生ずると言っている。会話のシグナルはどのような話し方をするかにより示され、involvementとindipendenceの調整も必要となってくる。今日多くの人々はindirectnessを誠実とみなしている。その原因として会話の基礎であり、metamessageを含んでいるからである。Indirectressの利点としてself-defenseとrapportをあげている。言い方の種類として、ironyやsarcasm、figure of speechがある。Ironyは例えばジョークも含まれており、同じ価値観を共有していることを証明することにより、親密性が高まるという信頼のmetamessageに基づいている。会話をなかなかdirectにできない理由は、正直に応答しても無限の側面を持ち、時には他人を傷つけ、また異なる会話スタイルを持った人に違う解釈を与えるといった欠点を持つからである。そのためindirectnessが好まれるが、時に言葉少なで意図を伝えようとするため、必然的に誤解の可能性が生じてくる。それは会話の前提をうまく共有できず困惑したり、非難したりしてしまう危険性のことである。
  • レポート 語学 文化 比較 会話
  • 550 販売中 2006/01/28
  • 閲覧(2,865)
  • ハワイにおける日本人文化の流入
  • ハワイは、アメリカでもっとも日系人が集中して居住している州だ。本土では、アジア系全体でも数%に満たないのに対し、ハワイでは、総人口の約四分の一が日系人なのである。 アメリカ本土では、今でも、アジア系に対して特定の固定観念がある。中国系も日系もみんないっしょくたにして、「アジア人とは、これこれこんなひとだ」というステレオタイプができあがっている。それは、アジア系人口の少なさのため、本土の一般的な白人たちがアジア系と接触する機会がすくないことに由来している。 しかし、ここハワイでは違う。アジア系に対する単純なステレオタイプは後退し、それぞれの民族グループのなかにも、いろいろなタイプがいることがはっきりと見えるのだ。 日系人といっても千差万別である。 ハワイはグローバル化を目指す現代社会のよい見本になる、成功をしている「異種混淆文化」である。 日系人とはなにか。日本人の血が入った外国人である。ではどのようにしてハワイに日系人が増えたのであろうか。それには次のような経緯がある。
  • レポート 国際関係学 異種混淆文化 ステレオタイプ 文化相対主義
  • 550 販売中 2005/07/13
  • 閲覧(3,436)
  • 朝鮮と日本の文化の比較
  • 私はこの講義の感想文で、よく日本の文化と朝鮮の文化を比較照する。それは日本の文化は、大和政のときに朝鮮半島から渡ってきた渡人によってもたらせられたものであるという知識があり、二つの文化には同じ点が見られるのではないかという考えがあるからである。しかし際のところ似た点も確かに見つかるのだが、相違点の方が多く見つかっている。これから、朝鮮と日本の文化の違いを講義で取り上げた中から私が興味を持ったものでレポトしていく。 ①天文台と占星台 まず、「慶州の瞻星台(チョムソンデ)」と日本最古の天文台の「占星台」を比較する。瞻星台は現存する世界最古の天文台であり、647年に建立される(建立時代には諸ある)高さは9.1メトルの石造建築物であり、新羅時代の天測の中心であったことは言うまでもない。また私はこの建造物が占星に使われていたとも推測する。なぜならこのころ陰陽五行が朝鮮にわっており、天の運行を見て、地の作物等の生産計を立てていたのと、王が天命を伺うための手段であり、その占儀は一大家行事であった。天そのものを見るのではなく、むしろ占うために天を見ていたと思われる。
  • 朝鮮 文化 日本 天文台 占星台 仏国寺 石窟庵 李朝活字 法隆寺 駿河版銅活字
  • 550 販売中 2007/12/17
  • 閲覧(3,306)
  • メディアと若者の文化
  • メディアと若者の文化史       ~メディアが作った、ブランドの有名性~                        今日の社会で、「ブランド」という言葉は日常的に使われています。「有名なもの」=「ブランド」という固定観念までできてしまっているほどです。しかし、「ブランドとは何か」と聞かれて明確な答えを出すことができるでしょうか。決して、「ブランド=高級品」という図式だけでは全ては語れないと思います。若者がブランド品に惹かれる理由は、本当にその品質のみなのでしょうか。そこにはブランドネームの知名度や、宣伝、口コミ、ブームの力などが絡んでくるのではないでしょうか。それならば、若者を魅了する「ブランド」の力は一体どこから生まれるものなのでしょうか。 私は、若者がブランドに魅了される理由の一つとして「ブランドの持つコンセプトを身に付けることによって、自己のアイデンティティ形成の助けにしているのではないか」ということを考えてみました。高価なブランド品を求めることや、独自の価値をもつブランドへの興味は、自己のアイデンティティの表現として捉えることができます。若者たちは、自己の位置付けのために
  • メディア 文化
  • 550 販売中 2008/01/08
  • 閲覧(2,178)
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