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連関資料 :: 文化

資料:498件

  • アジア文化
  • アジアに学ぶ視点について述べ、これからの我が国の国際協力のあり方について論じなさい。 ⑴アジアに学ぶ視点 ①世界の流れ 今、世界において「グローバリゼーション」と「地域化」という大きな二つの流れがあり、その典型ともいえるのが欧州連合(EU)の誕生であろう。過去の歴史を見る限り、ヨーロッパの歴史は友好関係を維持してきたとは言い難いが、現在ヨーロッパは共同の利益を追求するために相互協力関係を結び新しいシステム作りに積極的に取り組んでいる。 ②日本人のアジアに対する意識 ではアジア、特に我が国日本においてはどうだろうか。一昔前の日本の政府や多くの私自身を含めた国民の関心は、留学や旅行する割合を見れば顕著に分かるように、欧米諸国に向けられ、「アジアに学ぶ視点を持つ」と言われてもピンと来ないのが本音ではないか。 我が国では、戦後の日本が「脱亜入欧」を軸に突き進み、その結果、主に経済や科学技術においてアジアの国々では唯一欧米先進国に追いつき、「経済大国」となり、「ジャパン・パッシング(Japan Bashing)」さえ生じた時期があったという背景から、人間性よりも生産性・効率性を重視し、その結果、ストレス社会や、家庭問題、非行、環境問題、過労死、自殺等の諸問題を生むに至った。 ➂アジアに学ぶ視点 これらは経済大国の宿命なのかも知れないが、我々日本人は、アジアの文化・歴史・伝統的価値観から問題解決のヒントを何か得られると、この教科書やいくつかの文献を読み率直に感じた。 まず、制度に頼り過ぎない家庭福祉、もっと簡単に言えばいわゆる「家庭・地域の力」「マンパワー」のたくましさ、底力である。その背景には「相互扶助」の精神が脈々と生きづいている。また、「政府が何かをしてくれる」という「受身」の姿勢でなく、家族や周りの住民が「自分が出来ることをまずやってみる。」という肩肘のはらない、自然な形で、「困っている身近な人達」に対する手助けを「全員参加」でしている点である。 日本でも、形を変えた「家庭・地域福祉」が、今の時代に沿った福祉ニーズに適切な援助サービスを提供する為に、ソーシャルワーカーが中心となって始まっている。ソーシャルワーカーの仕事の中で、個人への支援だけでなく、利用者のアドボケイター(代弁者)となって、個人やその家族が置かれている不利な環境を改善するために、コミュニティや社会に働きかけるアドボカシー(代弁)をする事は、社会福祉援助活動の重要な一分野と位置づけられている。これは、すべての個人が、人間としての基本的ニーズを充足してこそ社会福祉援助活動の意義があるとともに、社会で暮らすすべての個人が福祉社会の主体として役割を担っていかなくてはならず、ノーマライゼーションの考えをさらに社会に浸透させることが必要である、という理念で、社会福祉援助活動により、過去の施設中心的な福祉政策から在宅福祉・地域福祉中心の福祉政策へと転換が少しずつなされている。 先に述べたように、アジアではこういった活動がその国々の国柄、地域性に基づいて昔から成されているのであるから、多くの知恵が与えられるのではないか。 ⑵今後、我が国の国際協力の在り方 ①アジアからみた日本 今後の我が国の国際協力のあり方であるが、第一に我が国が他の国々、特にアジア諸国からどのように見られているか知っておくことは重要である。 2000年に行われたアジア6カ国(韓国、中国、タイ、マレーシア、インドネシア、インド)対象の世論調査で、「過去の問題」への日本の対応を聞いたところ、タイ、マレーシア、インドネシアでは「過去に捉
  • アジアに学ぶ視点 我が国の国際協力 東京福祉大 レポート
  • 550 販売中 2008/01/07
  • 閲覧(2,796)
  • スポーツ文化
  • 私たちの班では、去年、今年と何かと注目を浴びている、プロ野球の経営状態について、新規参入の企業などの状況や目論見なども含め、様々な視点から考えてみた。日本にある大きなスポーツのリーグは、現在プロ野球とJリーグに二極化されている。この一方である、プロ野球が変わろうとしているならば、それは、これからの日本のリーグ運営のあり方が大きく左右されてくるといえるであろう。  今現在、または今までのプロ野球リーグの在り方を考えてみると、巨人の一人勝ちの構造が見えてくる。巨人以外のチームは、収入規模も巨人の1/3〜1/4程度で、巨人との試合だけ球場が満員になることもしばしばある。それゆえ、巨人の発言権はもちろん強く、テレビ放映でいえば視聴率も高く、放送権料などの問題から、さらに巨人の力が強くなるなどのスパイラルが存在していたのだ。しかし、昨今、野球人気の衰えや、他球技の人気などから、野球自体の注目度が下がってきているのもまた、一つの問題である。そんな中、昨年は、近鉄とオリックスの合併や、ダイエーの球団維持の困難など、特にパ・リーグのチームが次々と球団経営を放棄するような行動にでた。先ほどにも述べた放映権料の恩恵を受けられない(パ・リーグは通常巨人とは対戦することがないため)パ・リーグのチームは余計に経営に余裕がなかったのである。見かねた球団のオーナー達は、一リーグ制へと移行を考えさらにはプレーオフ制度などの新しい制度を導入したりした。プレーオフ制はともかく、1リーグ制移行の話には現球団の選手団が猛烈に反対し、ストまでが行われたのだった。そこに、今度は、楽天とライブドアという双方新興のIT系の企業が、合併で空いてしまうパ・リーグ一つの穴に新球団を設立しようと争う、という話まで加わった。
  • レポート スポーツ スポーツ文化 新規参入 放送権料 球団経営
  • 550 販売中 2005/07/26
  • 閲覧(3,617)
  • 世界の食文化
  • 食は、食べる喜び、食べさせる喜び、見る喜び、などを通じて、人と人との心の交流の場となると思います。そしてこのことは、日本だけでなく世界中で言えると思います。 全ての国の食文化はそれぞれ特徴があり、私はこのことにとても興味を持っています。なぜなら、食文化から違った分野に発展させることができるからです。つまり自分が知ろうと思えば、個々の食文化の特色をより深く理解するために、文化人類学や生活経済学なども学ぶこともできるのです。 世界の食文化を見ることで、自分自身が虜となる国の食文化に出会えます。また、西洋文化の流入や影響などによりアジアの料理は日々新しく形を変えていると思います。変容していく食文化を通し、 価値あるものを探求、継承していく事で、国境を越えた理解と共感の輪を広げることは良いことだと思いました。
  • レポート 農学 世界 アジア
  • 550 販売中 2005/06/29
  • 閲覧(7,145)
  • 文化理解
  • 『EU統合はそこに暮らす人々、ひいては世界の人々の幸福にどのような貢献を果たすと考えられるか。またそれが持つジレンマとは何か。最も基本的な目的と具体的な発現状況を要約して述べよ。』  EU統合の最も重要な目的は「不戦共同体」を作り、ヨーロッパに平和を実現することである。出発は1950年5月9日に発表されたシューマン・プランであり、そこからECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)が生まれ、そこから、ヨーロッパに不戦共同体か拡大した。ヨーロッパの歴史は長い戦争の歴史であった。そのヨーロッパにおいて恒久の平和が実現したことが、最も大きな成果である。  第二に重要なことは、ルールによる問題の解決である。強制力のある司法的な解決も用意されている。過去においては、問題や紛争を軍事的手段で解決しようとしたが、EUの中では非軍事的手段、とりわけ立法化されたルールによる解決を定着させたことは、依然として戦争が絶えない他の地域の模範となる。  EUは20言語も公用語に採用し、他文化で多元的なヨーロッパに向かいつつある。構成国も当初の6から、27カ国へと拡大し、さらに今後も増えようとしている。  EUの発展は国
  • 異文化理解(西欧) レポート
  • 550 販売中 2008/12/07
  • 閲覧(1,739)
  • インドの食文化について
  • 1.はじめに 多様性の国インド。多様性は、現在260もの言語が存在するということだけでなく、ベジタリアン、ノン・ベジタリアンなど、食事にも見られます。また、インドは暑い国だという認識がありますが、北部と南部ではまったく気候が異なります。言語、気候、食習慣、どれをとっても日本とは異なって多様なのですが、統一のみを求めて排除する精神よりも、むしろ豊かかも知れません。その意味において、インドを学習することは、異文化を知り、尊重する意識を高めることにつながるのではないかと思い、インドの食文化について調べることにしました。 2.北インドと南インドの食文化と気候の違い  日本では作物の栽培期は大きく夏と冬の2つに区分され、一年間の農作が行われています。インドでも、北インドのように夏と冬との区別がはっきりした地方では、夏作と冬作の区別があります。こうした気候は大麦、小麦の麦類、豆類、野菜類を豊かに育て、インドに多いベジタリアンの栄養源となってきました。これに対して、南インドは、夏と冬の温度差がほとんどなく、ベンガル湾に面した都市・マドラスを例にとれば、1年の平均温度が28.6℃、湿度は71%、年間月平均降雨量は110mm程度です。5〜6月の夏場には、最高気温40〜45℃にもなります。高温多湿の地の例にもれず、南インドもまた米の多作地帯です。細長いパサパサとしたタイプをはじめとして、米の種類もたくさんあります。豆(ダール)も、春雨の原料としても有名なムング豆、平たくて丸いレンズのような形をしているレンズ豆、豆の真ん中あたりにくちばし状の突起があるひよこ豆(ガルバンゾ)などの栽培が盛んです。また、忘れてはならないのがココナッツ。アラビア海側南端のケラーラ州が産出地として有名です。 北インド料理 カシミール地方のマトン・カレーのように肉を使用した料理が多くあります。味は比較的マイルドです。
  • レポート インド カレー 食文化 多様性の国 米の種類
  • 550 販売中 2005/07/31
  • 閲覧(9,390)
  • 纏足の文化
  •  纏足は10世紀頃妓女の間で流行し、やがて上流階級の間に、南宋以降には民間に広まり、明清時代に最も盛んになった。その広まりの原因は、もともと漢民族が足に対して特別な感受性を持っていたことや、宋の時代に始まった、厳粛主義化された新儒教の影響があげられる。これによって女性の劣等性や男女の厳格な分離が強化され、女性に貞操を強調するものになり、纏足という女性を囲いの中に閉じ込める文化を賞賛することになったのである。これ以来、極端に小さく、先の尖った足が美女であるためになくてはならない属性にまでなった。明清代のなかでも清代は纏足の最盛期である。1664年に康煕帝によって出された満州族婦人の纏足を禁止する纏足禁止令があったので、満州の女性は足を縛ることはしなかったが、つま先が細くなった靴を履いた、漢族の女性の纏足の歩き方をまねた。このように禁止されていたにもかかわらず、纏足は女性にとって魅力的なものに映った。この頃になると纏足は美人の条件だけでなく、結婚の条件にもなっている。  では、ひどく身体的苦痛を伴うと言われている纏足の「見せる」部分、魅力とは何だったのであろうか。  まず、足というのは男性器の象徴、靴は女性器の象徴とされてきた。つまり「足」という部分がもともとエロティックなシンボルであったことがわかる。また、漢民族は足に対して特別な思い入れがあったことから、細く、小さく弱弱しい女性の纏足はまさに肉体的な性的魅力であった。  中国の纏足は文化人類学的には一種の身体変工である。身体変工とは人体の特定部分に対して長期的もしくは永続的に変形させる習俗であるが、この動機・目的には、神話的裏づけを持つもの、呪力をもつためなどさまざまある。この中国で行われた纏足では、美の理想に近づくため、性的魅力を持つためである。
  • レポート 史学 中国 纏足 オリエンタリズム
  • 550 販売中 2006/02/09
  • 閲覧(5,127)
  • アジアの歴史と文化
  • 「アジアの歴史と文化」 20世紀初め、日中戦争後の中国は国が衰退しており国家の建て直しをする必要があった。そこで中国がモデルとした国が当時のソビエト連邦(以下ソ連とする)であった。中国はロシアの採る社会主義を最も優れている政治体系だとし、自国に社会主義を取り入れることで豊かで強い国家の実現を目指したのである。 やがてソ連式の社会主義にも行き詰まりが見え始めた。そこで登場したのが建国の父と呼ばれる毛沢東による新たな社会主義思想である。しかしこれは毛沢東が自ら批判した従来の社会主義を強化しただけのものにすぎなかった。生産活動の手段は相変わらず国有化されたままであり、利益も分配されていた。政治の決定
  • レポート 国際関係学 中国経済 大躍進運動 毛沢東 改革解放時代
  • 550 販売中 2007/02/13
  • 閲覧(1,903)
  • 渤海文化について
  •  渤海国とは、高句麗が唐に滅ぼされた後に、北朝鮮から支那東北部、ロシア沿海地方にかけて存在した広大な国家で、二百数十年間続いた。唐の影響を持ちながらも高句麗の文化を受け継ぎ、独特の渤海文化を興しその繁栄ぶりは北朝鮮の歴史のなかでも光輝くものであった。  渤海は満洲と韓半島を同時に領土にした国々だ。 満洲や韓半島で起きたどの国も持つことができなかった特徴である。  高句麗は早くから周辺多くの国や族属と多様な関係を結んだ。4~6世紀には中国王朝の権威を認めながらも遊牧民であるキタイ族、 大興の中領山脈に居住した族属、 そして本来狩猟族だった水路などを従えるとか影響力を行使して大勢力圏を形成した.。こういうわけで高句麗は満洲とその周辺の多様な文化を包容しながら韓半島の国とはよほど他の面貌を持つようになった.。特に文化や身分制運営は新羅に比べてずっと開放的で柔軟だった。  このような面貌は渤海でもそのまま現われる.。渤海は旺歪など多様な族属を従えたし唐、 新羅、 日本、キタイなどと多様な関係を結んだ。最近にはシベリアを通じて遠く中央アジアと交通したことで明かされている。 高句麗文化の開放性と国際性がそのまま渤海につながったのだ。このような文化基盤とアイデンティティを持ったから中国大陸の先進文化を収容しながらも伝統的な支配理念や政治制度を土台で国家体制を整備することができたのだ。 特に追慕王が ‘天帝の息子であり河伯の外孫’という建国説話を土台で高句麗が天下で一番神聖で周辺国を服属させることは当たり前だという独自的天下官を確立したことはこれをよく見せてくれる。
  • レポート 史学 渤海 日本 歴史
  • 550 販売中 2005/11/22
  • 閲覧(2,091)
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