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連関資料 :: 教育

資料:11,673件

  • 道徳教育の歴史的変換
  •  欧米における道徳教育の歴史的変換を古代・近代・現代の各年代を代表する思想とともに考察する。  道徳教育の本質が、理性的な人間を作り上げ、人格の完成を目指すものであるから、教育の本質と関わるものである。このことは西洋の教育哲学的思想家たちが「教育とは何か」について論じた過程において、道徳教育が深く関わっていることを表している。  まず、古代の道徳教育思想であるが、西洋における道徳教育の起源は紀元前5世紀頃、「徳の教師」と自称するソフィストたちの哲学的思想に求められる。中でもソクラテスとプロタゴラスの思想は道徳教育の本質に関わるものである。  ソクラテスは、道徳教育の本質に関わる問題である「道徳は教えられるか」という疑問に「徳の教師はいない」という結論を出している。というのも、人間は言葉によって教授され、正義について明確に持つことはできるが、それは必ずしも正義を行うこととは一致しない。徳や正義の知見は、教授しようとする瞬間に既にその本質から逸脱しており、実践的な知見を「学ぶため」というよりも「感得する」には、知見をともなったところの行為によってのみ化せられるものである。ゆえに、「徳の教師はいない」のであって、この矛盾性が道徳教育の最も根本的な問題であることが明確にされている。  それに対してプロタゴラスは、「徳は教えられない」という立場にある。つまり、現実の世の中を見たときに存在する懲罰・法などの存在事実に着目し、実際に徳というものはそれらの外的圧力によって他律的に教授され、徳を身に付けていっているという点からの立場である。  ソクラテスの弟子であるプラトンは、前述の両者の立場を折衷した道徳教育の立場である。発達段階的立場に立って、子どもが理性的になるまでは、プロタゴラス的立場、理性的になればソクラテス的立場をとっている。
  • レポート 教育学 道徳教育 歴史的変換 各年代の思想
  • 550 販売中 2006/02/10
  • 閲覧(3,069)
  • 日本型国際理解教育について
  •  第二次世界大戦が終了し、国際連合の発足とともに人類は世界平和を目指して動き始める。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となったという反省に基づき、教育も「国際理解」と「国際協力」を中心に考えられるようになった。特に「国際理解」については、人権尊重と他国・他民族・多文化の理解が重視され、より力が入れられてきたのだが、1974年、第18回ユネスコ総会において発表された「国際理解、国際協力および国際平和のための教育並びに人権および基本的自由のための教育勧告(国際教育勧告)」によって大きな進展をみせる。  この「国際教育勧告」は、ユネスコにおけるそれまでの国際理解教育に関する多様な概念をその時点で総括したもので、なぜ今までの「国際教育」と大きく異なっていたといえるのか。それには次のような理由がある。 (1) 国際理解・国際協力・国際平和の三概念に、人権・基本的自由の二概念(貧困・飢餓、環境問題、人口、人権侵害等)を加え、これらは根本的に不可分であるというユネスコの立場を象徴したこと。 (2) こうした世界的課題の解決、さらには国際理解を阻害する要因(新植民地主義、ファシズム、人種差別等)の解決とその克服に向けて、参加、行動することを強く呼びかけたこと。 (3) 「国際教育」の基軸を国家から人間に移し、世界的公民の育成を志向したこと。  この新しい「国際理解教育」は、日本国憲法と教育基本法の精神を大切にした教育関係者の間で大きく期待され、人権尊重を中心とした数々の実践を重ねていった。
  • レポート 教育学 国際教育 地球的課題 異文化理解
  • 550 販売中 2006/02/15
  • 閲覧(2,397)
  • 学校選択制度と学校教育について
  •  岩見沢市の教育委員会から通学審議会への諮問内容で注目すべき点がいくつかある。 実施内容 (1)「就学する学校の指定について」?学校選択による指定:現行の通学区域による指定校以外の学校を希望する場合は、希望する学校の受け入れ可能な生徒数の範囲内で就学を認めることが出来ることとする。  この内容に関して言うならば、公立単位での中学受験戦争がさけられないことになる。やはり、生徒の制限は重要ではあるが、これでは始めに述べていた、「子どもたちの個性や地域の特性を活かした特色ある教育を進めており・・・」の一文とやや矛盾が起きている。地域の特色、生徒の個性を重視するのならば定員を設けるのはおかしい。また、学校自体を特色のあるものへという意思の基に作るのであれば、これもまた定員の話はおかしいものとなる。しかしその一方人数の不均等や中学の私立化を進めているようなものである。答申の内容でも「希望受け入れ可能数をこえた場合の決定方法については、現段階では抽選がのぞましい・・・」とあるが、文章の前文に「子ども一人ひとりが自らの能力を伸ばし生き生きと学校生活を送り、自己実現が図られる・・・」とある点からしても、学校選択の幅を広げないことには実現しない。  しかし講義の内容であがった問題点でもあるように、都心部と僻地の選択幅の格差や、移動の問題、学校存続の危機感などの点も考えなくてはならない。  そこで現在アメリカなど多くの国で実施されているホームスクール制度というものを検証してみたい。
  • レポート 教育学 ホームスクーラー ラリー・シャイラー 地域教育
  • 550 販売中 2006/02/22
  • 閲覧(1,472)
  • 「教師たちの挑戦」からみる日本の教育
  •  この本の筆者佐藤学氏は東京大学大学院教育学研究科教授であり、教育学博士でもある。「行動する研究者」として、全国各地の幼稚園、小学校、中学校、高校、養護学校を訪問し、教師と協同して教室と学校を内面から改革する挑戦を行ってきた。教室においては「活動的で協同的で反省的な学び」の実現、校内においては教師同士が育ち合う「同僚性」の構築、学校と地域の連携においては保護者が授業の創造に参加する「学習参加」の実践を推進している。  私は高校時代から英語への関心が高く、英語の教師になりたいと考えるようになった。しかし、教師になりたいと考え出したのは英語に興味があったからだけではなく、従来の日本の英語教育を始め、教育自体に疑問を抱いたからでもある。文法を重視するあまり、実践的なトレーニングが不十分な日本の英語教育への不安は、留学をしたことによってより高まった。そして目的意識が希薄化している教育自体へも嫌気が差した。このような点を含め、私は日本の教育を変えてゆきたいと考えるようになったのだ。教師という夢よりも、教育を変えたいという思いの方が先だったようにも感ずる。教育を変えたいと一言で言っても、具体的にはどのような方法があるのか分からなかった私はあらゆる人に話を聞く機会を自ら作った。その中で、ある大学生の友人がこう言った。「自分も教師になりたいと思ったが、自らの無能を恥じて諦めた。教育を変えたいと思っても結局は文部省や教育委員会なのだ。」と。勿論私自身も「教育の改革」と聞いて思い浮かぶのは、文部省や教育委員会であった。果たして改革や変化というものは文部省や教育委員会を媒介としなくては成しえないものなのであろうか。  その考えを一変させてくれたのがこの本であった。著者の掲げている「内面からの改革」と言う言葉は私に衝撃を与えた。まさにこれが私の考えていたことなのではないかと考えた。
  • レポート 教育学 教育論 教育改革 学校
  • 550 販売中 2006/03/03
  • 閲覧(1,829)
  • ペスタロッチーの教育学(直観の原理など)について
  • ●有機的・発生的教育方法  ペスタロッチーはルソーと同様、子どもには将来発展する素質が備わっており、それが子どもの内から発展するように助成することが教育と考えていた。  ペスタロッチー以前の古い教育観(子どもは生まれながらには未だ動物的であり、この動物的衝動を根絶することが教育)に反対し、子どもの本性は白紙ではなく、将来成長する能力を内的に有していると述べている。  教育者は子どもの内的本性が自ら実現していくのを援助することに専念し、内的本性に備わっていないものを外部から注入することは教育にふさわしくない、としており、子どもの能力を自然に即した形で伸ばしていくことが重要であり、この教育観を「有機的・発生的」とした。子どもの内的本性をペスタロッチーは「直観」とした。これについては次項で述べる。 
  • レポート 教育学 ペスタロッチー 直観の原理
  • 550 販売中 2006/03/04
  • 閲覧(5,781)
  • ジョン・ロックにおける子どもの教育
  •  ジョン・ロックの提唱した教育論、すなわち紳士教育とは一体どのようなものであろうか。  まず、『紳士が健全な身体と道徳と知識を持っている者』であることを押さえなければならない。そしてそれを最終目標としたのが紳士教育である。ロックは紳士が『理性、宗教、良きしつけを基礎として育成されるものとした』。そしてそれは『日々の道徳教育機関である家庭によって達成しうる』と説いた。すなわち、ロックは家庭教育こそ教育の原点であると考えたのである。
  • レポート 教育学 教育 心裡 小学 歴史
  • 550 販売中 2006/03/10
  • 閲覧(2,417)
  • 道徳教育の歴史的変遷について
  • ●古代欧米の道徳教育  西洋の道徳教育思想の起源は、紀元前5世紀に求めることができる。「徳の教師」と自称する「知識人(ソフィスト)」達が、青年たちにすぐれた市民になるための徳を授けようとした。プロタゴラスとソクラテスの「徳は教えられるか」についての論争(ソクラテスは:徳を教える方法は無い プロタゴラス:徳は教えられる)は道徳教育の本質について考える手がかりを与えた。  プロタゴラスの主張した道徳教育は三段階で行われ、第一は家庭での躾、第二は教師の元での学習を通じての教育、第三は社会の中で国家に強制される、というものであった。これに対して、ソクラテスは子供ではなく青年を対象とし、永遠不滅の徳の理論を求めることを目標に問答法を用いて道徳教育を進めようとした。  ソクラテスの弟子プラトンは、子供の道徳的成長を発達段階的にとらえ、子供が理性的になるまではプロタゴラス的立場を、理性的になればソクラテス的立場を取ることで、両者の方法を調和させた。プラトンは人間の精神を理性・気概・欲望の三つに分け、それぞれ知恵・勇気・節制の徳を対応させた。  プラトンに対しアリストテレスの教育学は、理想主義に対する現実主義の立場であった。外的強制により生成される「習慣」が善き人になるための下地であると定義した。
  • レポート 教育学 プロタゴラス ソクラテス プラトン ペスタロッチー デューイ
  • 550 販売中 2006/03/14
  • 閲覧(4,046)
  • 教育原論 最終試験対策
  • S0101 教育原論 *教科書で大切な所を抜粋しただけなので、自分で編集してください。 1 コメニウスの教授学や一斉授業について述べ、現在の学校教育における意義を考察せよ。 2 ソクラテス的対話(産婆術)について述べ、ソクラテスの教育学的意義について考察せよ。 3 公教育成立の歴史的変遷について述べ、現在における学校教育の課題を考察せよ。 4 ハヴィガーストの発達課題についてのべよ。 5 ルソー教育思想の特徴(消極教育や自然主義など)について述べ、その意義や問題点を考察せよ。 6 ポール・ラングランの生涯教育論の意義。
  • 子ども 宗教 教師 学校 発達 道徳 人間 学校教育 学習 授業 最終試験 教育原論
  • 1,100 販売中 2008/10/10
  • 閲覧(2,937)
  • 社内通知書(通信教育
  • 平成  年  月  日 総務部  ○○○○ 通信教育受講の案内 標題の件、当社は目標管理の一環として○○○○○○が提供する講座の受講を社員のみなさんに奨励するとともに、一定の条件で受講料の補助や報奨金を出します。 申し込み方法や受講要件は下記のとおりです。自己啓発のためにも多数の社員が受講されることを期待しています。 記 1. 受講の要件  平成○年○月○日現在、正社員であること  ○○○○○○が提供する通信教育であること 2. 通信教育申込方法  添付のパンフレットから興味のある講座がある場合、所定の申込書を人事課で受け取り記入して人事課に提出してください。 3. 受講料の補助  「受講
  • 通知書 告知書
  • 全体公開 2008/10/13
  • 閲覧(1,836)
  • 教科教育法英語1①
  • 音声学的教授法を唱えた学者を列挙し、箇条書きにまとまとめると共に、パーマー、クラッシェン、リトルウッドの教授法を論述しなさい。 【ヴィルヘルム・フィーエトル】(ドイツ) 文法・訳読式教授法に取って代わる口と耳から入る直接教授法を提唱 外国語の習得は、翻訳によらず、自国語で考えず、当該外国語の発音・連語・構文の模倣によるべきであるとした 外国語の教師は音声学の素養を必要とし、語彙は脈絡のある文から成るテキストを使い、会話によって習得すべきであるとした 【ポール・パシー】(フランス) ヴィルヘルム・フィーエトルの直接教授法に賛同 フランスの学校で外国語教育に直接教授法を用い、発音の教授に音声学的教授法を採用 【ヘンリー・スウィート】(イギリス) 言語を学ぶということは、①言語習得の諸困難を克服することに他ならない、②各言語にはそれぞれ特有の諸困難がある、と説いた その言語が他の言語との関係に於いて生ずる「外的諸困難」ではなく、その言語が本来持っている「内的諸困難」の一つに不合理性を挙げ、「内的諸困難」の不合理性の例に、英語の叙想法過去の用法を挙げて論述した 【オットー・イェスペルセン】(デ
  • 教科教育法英語 佛教大学 レポート 音声学的教授法 パーマー クラッシェン リトルウッド 教授法
  • 550 販売中 2008/10/20
  • 閲覧(1,854)
  • 教育空間と都市空間に対する一考
  • 学校空間の閉鎖性と開放性〜その二律背反性と両義性 近代的な学校は画一的で閉鎖的であるとする論は多く見られるが、日本の学校建築の画一化はどのようにして起こったのだろうか。1895年に文部省が定めた「学校建築図説明及び設計大要」が現在の建築様式にも影響を強く反映しているようだ。4間×5間の教室、片側北廊下という基準は、戦後の文部省が考える教室設計にも引き継がれ、ほぼ同じサイズの7メートル×9メートルの教室及び片側北廊下という標準設計が定められた。これは「規格化されたものではなく、むしろ鉄筋コンクリート造校舎の試案」という形式で提案されたのにも関わらず、この後の学校建築はこれに基づいて定型化されることとなった。 (中略) 都市空間と教育学 教育学は伝統的に都市の人間形成力、教育力には慎重な態度を示してきたといえるようだが、本節では私なりに都市という空間の特色と教育への関わり方を論じたいと思う。まずは都市が教育を行う場として適切かどうか、あるいは都市が教育力を持つのかという教育学中心的な接近を保留して、現代の都市空間の性質を考える。旧来の学校空間が閉鎖性と同時に間隙を縫って開放性をも持ち合わせているということを前節で少し述べたが、同じように都市空間も両義的なものではなかろうか。原広司氏は大都市のような空間は「場所と意味の捨象、自然との切断、理想化、測定可能性、容器性、現象の対象化と操作可能性」によって特徴づけられるような「均質空間」であるとしている。この見解によれば、曖昧で不透明な空間は除去されて、高層ビルという容器の中で効率化され結果が予測可能な活動を単調に行っている仮面的な現代人の姿が想起されるが、果たしてそうであろうか。合理的で事務的な仕事が増大し、計画的に事が進行している中で、人々は別の顔を持って非合理性や激しい感情や無秩序を求めているのである。ここまでは学校空間が閉鎖的な構造を持ちながらも、その間隙を縫って子どもたちが非合理的な遊びや悪戯に興じる様相と同様であろ
  • レポート 教育学 教育空間 閉鎖 都市
  • 550 販売中 2005/10/13
  • 閲覧(3,315)
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