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道徳教育 の研究レポート
「道徳教育の研究」
第5章 社会変動と道徳教育
道徳教育を考えるとき、道徳が論じられている社会を抜きにしてそれを語ることはできない。人間は生まれ育った社会における文化の中で、その文化固有の価値観を学び身につける。この点からみれば道徳を学ぶということは、一定の社会に生まれ育つ個人が、その社会の文化を習得していく過程すなわち文化化と考えられる。道徳の問題が論じられる場合には、その道徳が成立している社会・文化的背景によって道徳の問題が規定されていることをまず忘れてはならない。
今日のような社会間の交流や文化間の接触が頻繁な時代においては、社会や文化自体が日々変貌している。また、子どもたちを取り巻く社会、文化的環境も変化している。私たち大人は子どもたちの道徳の問題を論じる前に、子どもたちを取り巻く社会の変化や文化の変容を考察する必要がある。
子どもが生まれた家庭環境およびそれを構成する家族は、子どもが接する最初の集団でありかつ子どもにとっては強制集団である。子どもたちにとってこの家庭の環境は、子どものその後の発達に重大な影響を及ぼす。子どもが成長する過程で、大きな影響力をもっているのはまさにその家庭であるが、この家庭を支える家族に関して、しま変化が生じている。その変化とは、ひとつには社会環境の変化にともない家族のあり方が激変している。また家族特有の病理現象も生まれている。反対に、積極的に家庭をとらえ直そうとしたり、子育ての原理に関しても新しく創造しようという動きもみられる。いわば、現代の家族はカオスの状況の下にあるのだ。そのカオスを土台として子どもたちは成育しているのである。そこで現代家族として大事なことは私たち一人一人が、自ら「家族」のあり方や家族の運営の仕方、ひいては家族における子どもの育て方を模索し、一つ一つの家族が自らの「家族」の理念を構築する必要があるということである。
子どもたちを養育する家族は、戦後様々な形で様変わりしてきた。家族の変容は、それが独立した要因ではなく相互に関連しあっており、変化する家族の中で養育される子どもたちの生活環境にも影響を及ぼすものである。ここで子どもたちの家庭内での教育にとって重要な役割を果たしてきた母親に焦点を絞って、その変化を探っていく。今日のような専業主婦と呼ばれる形態が誕生するのは第二次世界大戦後の高度経済成長期である。その後、生活水準の向上を背景に、日本の家族は消費型家族へと突き進んでいく。この消費型家族では、家族の中心は「消費」を行う妻や子どもたちであり、生産や労働にかかわる夫は家族の中心ではなくなった。つまり父権は失墜したのである。同時に専業主婦という存在自体にも、変化が生じている。家事から解放された主婦は近年の経済状況や雇用状況の変化により、また自己実現のため、育児から手が離れると社会で再び働くようになった。
また家族が生活する場においても、変化はみられる。子どもたちが生活する空間は、「消費」社会という人工的な空間になった。人工的な空間は道徳性の発達に必要な現実の世界における心の痛みといった原体験を生じてこない。子どもたちの道徳性の発達には人間関係で学ぶ豊かな感受性が必要であり、原体験はこの感受性の育成には欠かすことができない。この感受性を育成することが現代の家族に求められているのである。
戦後の家族形態の変容と共に、今日家族内での様々な病理現象が顕在化している。家庭における病理現象が社会現象として顕在化するのは、1980年戦後であると思われる。その発端は、家庭内暴力であった。さらに近年
道徳教育の研究
道徳教育をまなぶ
遠藤克弥
田部井潤
550 販売中 2007/12/13
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幼児教育 の常識を問う
幼児教育の常識を問う
幼児教育の常識を問う!…ルソーの実像は、理想とは掛け離れていた!
岡山県津山市立東小学校 小林幸雄
向山実践の特長
向山氏ほど、数々の実践を世に問い続けた実践家はいない。その集大成として、『プロ教師の教え方・向山全集』(明治図書・第1期全15巻)がいよいよ10月に刊行される。私もその編集の手伝いをさせていただいた一人である。
昨年の7月末、五反田のホテルの一室に、向山氏がこれまで書き溜めてきた山のような原稿が搬入された。テーブルの上に置くと、原稿の山が今にも崩れそうな感じだった。その圧倒的な原稿の量に、その圧倒的なエネルギーの前に声がなかった。それは、まさに歴史に残るひとこまであった。
さて、教育界の歴史に残る編集を進めながら、私の脳裏には、向山氏の問題提起の大きさ、奥の深さに改めて驚かされた。まだ、私が目にしたことのなかったような原稿、私が見落としていたような原稿があちこちから目に飛び込んでくるのである。編集の作業を中断し、ついつい読み耽ってしまった。
ところで、向山実践には、これまでの実践家にはない大きな特長がある。その特長こそが、向山実践の偉大な所以で
子ども
問題
授業
運動
指導
文字
基準
全体公開 2007/12/14
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教育 社会学問題
教育社会学
1 イギリス・アメリカ・中国からひとつを選び、日本の教育改革と比較し、それぞれの特徴を整理せよ。 5月午前
中国では1990年代の改革として、学生数の増加、教育における市場原理の導入、素質教育の実施を行った。
科学技術と教育によって国の振興をはかるため、まず学生数を多く増加した。中等教育・高等教育共に大きく学生数が増え、非識字率も低下した。しかし、就学率の面でみれば日本と比べてもまだ低いと言える。また、日本の戦後の教育で大学進学率などが向上したことと類似しているとも言える。
次に教育における市場原理の導入について述べたい。
佛教大学
通信
科目最終試験
教育社会学
問題と解答
550 販売中 2008/01/21
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ペスタロッチーの教育 学についての考察。
ペスタロッチーの教育学(直観の原理など)について考察せよ
ペスタロッチーは子どもをどのように捉えていたのかというと、将来発展する素質が備わっていると考えていた。そして、その素質が子どもの内から発展するように助成するのが教育と考えていた。つまり、子どもは生まれながらにして、真への認識、美の感情、善の力を有していると考え、これらの内的本性を子どもが自ら実現していくのを援助するのが教育であり、逆に内的本性に備わっていないものを、外部から押し付けることは教育とは言わないと考えている。この考え方から、子どもはすでに将来成長する能力を内的に有していると考え、子どもの内的素質を重視するという点で有機的で、自発的成長を促すという点で発生的なものとして教育を捉えている。
このような基本的な教育方法の重要な柱として「直観の原理」がる。直観は全ての認識の基礎となるので教育方法は直観的である必要がある。そして、その直観はまだ曖昧な素材であり、概念的には不明瞭であるので、それを分離・結合して、秩序を与え、明瞭な概念にすることが求められる。よって、直観を原理とした教育方法は段階的なものとなる。
この直観をペスタロッチーは三つの梱包的要素から成り立っていると述べ、その三要素の基礎的部分を学習することが重要である。その三要素は数、形、語の三つで、あらゆる事物はこの三要素を有しているためこれらから始め、根源的要素まで遡って単純化して、その要素から勝つ実性を有する合自然的な教育を実行する。このように、ペスタロッチーは、思惟能力を発達させるのに役立つ基礎的な要素を語、数、形に求め、これらを教授の三つの基本点としたことを「直観のABC」と呼ぶ。
これら三つの要素をそれぞれ見ていくと、まず語の教授は、発音教授、単語教授・名称教授、言語教授の段階があり、これらを単純化された要素から順々に教育を行っていく。まずは言語の要素である音を子どもに習得させる必要があるため、発音教授が行われ、聞いた音を繰り返すことができるようになれば次に者の名前を教える単語教授・名称教授を行う。この段階まで準備できると、次第次第に長い文章を表現できるように教育する段階へ進み、言語教授において直観が明晰な概念まで高まっているといえる。
形の教授も同様に曖昧な直観から明確な概念への移行を行うことがなされなければならない。まずは輪郭によって異なる事物を識別し、その中に含まれていることを心にうつし出すようにさせ、それを正確に表現できるようにしている。
数の教授では目標は事物の数を数えることが可能になり、子どもがどれだけ多くの対象が目の前にあるのかを明確に学習することになる。まず数の概念を直観できるようにし、単純化された数の概念から徐々に複雑な計算へ、明確な概念へ進むことを目標とする。
ペスタロッチーはこれらの根源的要素に単純化して徐々に複雑な概念へと教授していく方法は技術教育においても同様であるとしてる。例えば、複雑な技能・動作を必要とする作業であっても、「打つ」「運ぶ」「投げる」「押す」「引く」「まわす」などの基本的動作に分解して単純化することが、複雑な技能習熟につながるとしている。また、このような技能の陶冶は実生活に即して行われるべきだと主張している。単に知識を得るために学ぶのではなく、知識を自分の体験として行動することが必要となり、技能の陶冶を単なる身体の熟達に止めず、技術、実際的知識をもその目的としている。ペスタロッチーは「技術力の合自然的な形成に対する本質的な刺激は、身体の面から見れば、自ら自己を発展しよ
レポート
教育学
直観の原理
ペスタロッチー
ロック
労作教育
550 販売中 2007/11/05
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学校教育 課程論
『教育課程とは何かについて、その基準と編成原理、今日的課題についてまとめなさい。』
教員の仕事は、大きくいって、各教科や特別活動などの学習指導、生徒理解を基礎とし人間形成を支援するための生徒指導、学校教育を円滑に運営するために学校教職員が分担して受け持つ仕事の校務分掌、の3つが挙げられる。こうした学習指導・生徒指導・校務分掌を手際よく実現し、児童生徒の人間形成に努めるためには、それ相応の計画が練られなければならない。この計画のことを教育課程(=カリキュラム)というのである。そして、教育課程を編成するための一般的な基準や方針が学習指導要領に記載されている。教育課程の編成は以下の原則を前提とされる。
① 法令及び学習指導要領の示すところに従うこと。
② 児童・生徒の人間としての調和の取れた育成を目指すこと。
③ 地域や学校の実態を考慮すること。
④ 児童・生徒の心身の発達段階や特性などを十分考慮すること。
こうした教育課程の編成は社会構造の変化とともに変遷している。日本における最初の教育改革は、明治維新後、学生発布によって国民が教育を受ける機会を保障されたことである。第2次世界大戦敗戦後、民主主義を日本に定着させる必要性を自覚した文部省は、戦前からの教育課程の改革に着手した。昭和21年11月に日本国憲法が発布され、その下で昭和22年3月に教育基本法が制定された。教育基本法と学校教育法の公布と並行して、昭和22年3月に最初の学習指導要領が制定された。しかし、この学習指導要領は「試案」と定義され、この学習指導要領によって画一的な教育が意図されたのではなく、あくまでも手引書としての扱いであった。このなかで、特徴的な点は、小学校の教育課程が9教科となり、民主主義的な社会形成のための良識や性格を一人一人が身につけるために、「修身科」が廃止され「社会科」が新設されたこと、「家庭科」と「自由研究」も新設されたことである。「家庭科」に関しては、男女共学の理念の下、男子にも課せられた。
昭和26年に学習指導要領は改正される。特色は、小学校教育課程で、9教科から「学習の技能を発達させるに必要な教科(国語・算数)」、「社会や自然についての問題解決の経験を発展させる強化(社会科・理科)」、「創造的要素を発達させる教科(音楽・図工・家庭)」、「健康の保持増進を助ける教科(体育)」の4つの領域に再編した点である。
しかし、これらの経験学習的なカリキュラムは、児童生徒の基礎学力の低下、青少年の非行などが問題となり、批判されるようになった。そこで、系統学習的要素を取り入れる試みがなされるようになった。道徳教育の徹底、基礎学力の充実、科学技術教育の向上、職業的陶冶の強化が求められ、昭和33年の学習指導要領の改訂が行われた。小学校教育課程は、各教科(国語・社会・算数・理科・音楽・図工・家庭・体育)、道徳、特別教育活動、学校行事等の4領域とし、基礎学力の向上が図られた。また、「道徳」が特設されたことも特色である。この改訂では、学習指導要領の法的拘束力が強化された。また、国語・算数・理科の強化のため、授業時間を増加し、基礎学力の向上が目指された。
1960年代、経済成長を担う人材育成を教育に求める声が高まり、能力主義の徹底化が主張された。それを受けて、昭和43年から学習指導要領が改訂され、教育内容の現代化が図られた。特に算数・数学・理科においてこの傾向が見られた。教育内容の現代化とは、科学技術の進展による知識量の膨大化のため、教育内容を必要性に即して選び出すことを意味する。一方で能力主義
日本
子ども
生徒指導
指導
政策
問題
人間
家庭
授業
民主主義
550 販売中 2007/11/09
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教育 方法学1
従来の知識伝達を意識した授業の設計と評価に対して主体的な学習を基本とする授業について設計と評価の特徴を比較し、その比較の視点毎にまとめて授業設計ならびに評価についての留意点を述べよ。
教育における授業は、学力の育成を目指すものである。したがって、目指す学力によってその設計方法や評価などが大きく異なる。2002年度実施の新教育課程では、次の4つの学力をバランスよく育てることが目指されている。つまり、①基礎的な学力A(「読み・書き・計算」といった将来の社会生活の基礎となるもの)②基礎的な学力B(学習指導要領で明示される各教科等で目指される学力)③発展的な学力(複数教科間の関連付けによって図られる、学習指導要領を超えた学力)④実践的な学力(教科の枠を超えて現実の社会課題や自らの生き方に関わる課題を発見し、解決しようとする際に身に付く学力)である。
①・②は、「不易な学力」であり、「伝統的な学力」であるといえる。つまり、「祖先の文化的・社会的遺産」のうちで、重要なものを次世代に伝えようとするものであり、主に、「課題習得型学習」によって育成される学力である。
一方、③・④は「流行の学力」であり、「生きる力(自ら学び、自ら考える力)」に深く関わる学力である。つまり、「新しい社会や文化を創造する人物」を育てることが目指される。これは主に「課題発見型学習」によって育成される。今後の学校教育は、この両者をバランス良く、適切にカリキュラムの中に位置付けなければならない。
このようにな学力観に至るまでに、様々な教育諸問題や社会問題とともに論じられてきたが、「教育」は「教える意義」と「主体的な学習者としての意義」の2つの意義を持つということこそが最も重要であり、この2つの意義を関連付け、お互いに高めあうことが今後ますます大切である。
従来の知識伝達を重視した授業の設計は、まさに「課題習得型」の授業展開であって、課題作りは教師によるもの、正解は唯一の正解があることが多く、テキストを中心とした教師側からの授業の設計であった。それはつまり、①どのような学習者に、②どのような教育目標を達成するためには、③どのような教科内容を、④どのような教授方法で、⑤どのように展開すればよいか【西之園1981】という教授命題に沿って授業を設計すればよかった。しかしながら、現代のような価値観が多様化し、変化の急激な時代においては、主体的な学習を設計していくことが大切であり、以下のような命題がある(MACETOモデルによる)。つまり、①学習をどのように意味付けて(学習目標、解決すべき課題など)、②どのような活動を計画すれば、③どのような成果を期待できるか、そのためには④どのような内容を、⑤どのような環境で、⑥どのような用具を用いて学習すればよいか、という構成になる(成果に先立って行動がある)。学習成果を重視する場合には、②と③の順序が逆になる。いずれの場合においても、出発点は学習の意味付けである。そこから学習活動または、学習成果を重視するアプローチとがある。従来までの知識伝達を重視した授業設計では、「教える内容」が重視されてきたが、主体的学習を実現するためには、「学べる内容」、「学ぶべき内容」が重要になる。
以上の述べたことは、「総合的な学習の時間」などで取り組まれているが、主体的学習を実現するような全く新しい授業開発を行うためには、操作できる柔軟なイメージとして(形態知)図式を表し、アナロジーを基に授業開発を行うことが重要である。従来に指導中心の授業では、教える内容と教育目標が出発点
環境
子ども
文化
授業
問題
課題
比較
指導
目標
550 販売中 2007/11/09
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教育 社会学共有
『学歴社会とは何かを明らかにし、高学歴化が進行すると教育はどのように変化するのかについて学力の視点から述べよ。』
最後に私論展開をしています。
ちなみにその立場は学歴社会は完全に黒なのではなく、是正と運用の仕方しだいというものです。
学歴社会とは、「社会における社会的・職業的地位などの配分の基準として学歴が重きを占める社会」を意味する言葉である。わかりやすく砕いて言うのであれば「どのような学歴を所有しているかによって、就職先や出世、賃金、世間の見る目などに格差が生じる社会」と言えよう。
日本では学歴社会をあまりいいイメージをもって語られることはない。その人間が内面に持つ「本来の資質」を考慮せずに、うわべの「勉強が出来るかどうか」だけ でその人間を評価する理不尽かつ非人間的な社会として認識されているからである。本論文では、まず学歴社会の形成過程を説明し、なぜ学歴が求められるかを論じる。そしてその後、高学歴社会がもたらすものについて考察し、最後に私論を展開する。
【学歴社会の形成・企業のニーズとしての学歴】
学歴社会成立の第一歩は明治時代のスタートとともに見ることができる。旧来の士農工商の封建制度の下において、士族であらば藩学で、町人や農民であらば寺子屋でといった形で、実用性を重視するために教育は親の身
教育社会学
A判定
学歴社会とは何かを明らかにし
佛教大学
550 販売中 2008/11/01
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学校教育 職入門
『現代の「教師に求められる資質とは何か」についてまとめなさい。』
「教育者としての使命感、人間の成長・発達についての深い理解、幼児・児童・生徒に対する教育的愛情、教科等に関する専門的知識、広く豊かな教養、そしてこれらを基盤とした実践的指導力」これは、いつの時代にも教師に求められる資質である。
しかし、学級崩壊やいじめ問題などで荒れる子供たちを前に、現代の教師は、変わりゆく時代、変わりゆく子供たちに沿った資質・能力を身につけねばならない。
では、現代の教師に求められる資質とは何なのであろうか。中央教育審議会の答申を受け、教育職員養成審議会は、1997年第1答申「新たな時代に向けた教員養成の改善方策について」を発表した。その中で述べられている、今後特に教員に求められる3つの具体的な資質能力をみていきたい。
①地球的視野に立って行動するための資質能力
自国と他国の違いを知ることが、国際意識を持つ第一歩である。違いを知るには、まず我が国の歴史や文化を知らねばならない。こうして自国を知り、誇りを持ったうえで、諸外国の歴史や文化を知る必要がある。
日本であたり前のことが、外国では失礼にあたることも
レポート
学校教育職入門
教師に求められる資質
A判定
550 販売中 2008/11/05
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国語科教育 法
『「やまなし」の教材研究を行うとともに、事例(p.142-170)の児童の発言を考察しなさい。』
●第1節● 教材について
「やまなし」は、宮沢賢治独自の造語や擬音語、擬態語が随所にちりばめられた独創的な作品である。
造語の一つ「クラムボン」は、その聞きなれない言葉で読み手に大きなインパクトをあたえ、それと同時に疑問・興味を抱かせる。「クラムボン」については、研究者の間でも意見が分かれ、アメンボ説や、かにのはく泡説、光説など様々だ。しかし、そもそも正しい答えなどなく、その解釈は読み手に委ねられている。
そういった点から「よく分からない」となりがちな教材ともいえるが、一つ一つの言葉や、登場する生き物の気持ちの解釈の仕方は無限にあり、児童の想像力を育むことのできる教材である。
この作品は、語り手の「小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。」から始まり、「私の幻灯は、これで終わりです。」で、締めくくられている。「幻灯」といえば、写真のフィルムに光を当て、スクリーンに映し出す静止した映像である。しかし、賢治の描き出す世界は、色や光、音などが、みごとに表現されており、命を吹き込まれたかのよう
レポート
やまなし
国語科教育法
550 販売中 2008/11/05
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教育 社会学2
『学力低下とは何かを明らかにし、社会階層のような社会的不平等と学歴がどのような関わりをもつのかについて述べよ。』
現在、学力低下問題はセンセーショナルに論じられている。このような議論は以前から存在し、大学レジャーランド論、青年総休暇村論、高等保育園論などが、学力低下と絡めて論じられてきた。しかし、教育が大衆化されるためには、学力の低下は必然的な結果であった。これまで大学に進学できなかった層が、大学生になることで学力の低下が起こっていたのである。
しかし、今日展開されている議論は、過去の議論とは明らかに質が異なっている。小堀圭一郎はインセンティブ・ディバイド(意欲格差社会)を指摘している。新しい世代の学力が前の世代の学力に及ばない、縮小再生産の過程が始まったのでないかと懸念される。その根本にあるのは、「学ぶ」、「勉強する」ということに対する価値付けの低下である。学力の低下は表面的な現象であり、この学ぶことへの価値づけの低下が問題なのである。一部の大学では学生に学習する習慣がないという、学歴低下以前の問題も起き始めている。
さまざまな学力低下の議論が交わされるなか、それを実証するとされるデ
レポート
教育社会学
A判定
学力低下
社会階層
550 販売中 2008/11/10
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算数科教育 法
『算数科教育の歴史(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)について述べ、それらの教育内容を自分の視点で考察せよ。上記を踏まえ、2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴について述べ、その教育内容を自分の視点で考察せよ。』
明治時代、欧米で使用されていた教科書を翻訳し、それを用いて教育を行なうという形が主流であった。教育内容は、数、加減乗除、分数など、数と計算が主流を占めるものの、幾何の内容もユークリッド幾何学の内容を基底にし、それを小学生用にアレンジしたものを用いて、小学校高学年の段階で行なわれていた。数計算では、珠算を使用せずに筆算を基本とする洋算が中心となっており、江戸時代の算数教育とは大きく方向変換した時期である。しかし、次第に珠算も併用されようになり、珠算用の教科書も発行されるようになった。一方、ペスタロッチの直観主義が取り入れられなど、当時の先進的な教育理論が教科書に反映される時期でもあった。
その後、明治時代中後期には、黒表紙教科書と呼ばれる国定教科書が導入され、厳格な教え主義のもと、数と計算を中心に構築されるようになった。そのため
佛教大学
レポート
算数科教育法
黒表紙教科書
550 販売中 2008/11/10
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教育 相談の研究テスト
非行をしている子どもの心理と、学校や家庭における指導の在り方を述べなさい。
中学生の少年非行を中心に考えていく。子どもたちをとりまく環境が大きく変わってきている大きな要因として、家庭の団らんがなくなったり、親子の会話がない、親が放任している。さらにそれらのレベルを超えて、物理的に家族そのものが崩壊していることもある。例えば教師が家に行っても、いつも親が留守で連絡が取れない。子どもすらも親がどこにいるのかを知らない。親の離婚・再婚というなかで、子どもの存在はまったく考慮されず、むしろ再度の結婚では子どもの存在が邪魔で、家族の形態や役割がまったく機能しておらず、崩壊しているのである。非行の問題は、家族機能の崩壊の影響が大きいが、実際に非行へと誘われていくきっかけはまわりの友人の影響力が大きい。家のなかに居場所がなく、自分の気持ちを理解し、受けとめてもらえない子どもたちは、その思いを友人関係のなかで満たそうとする。友人関係の中にさえ自分の居場所を見つけられず、イライラを募らせている者がいると、彼らが集まって一つの集団を作り上げる。似たもの同士が集まる集団のなかで、特に先輩が喫煙、万引きなどの非行行為をやっていると、容易にその影響を受け、自分もその行動をまねて実行するようになる。また携帯電話で友達とすぐ連絡が取れることや、学校や社会から疎外され、仲間を求めている若者がかなりいるという社会環境的な誘因も大きく影響し、非行少年たちは、すぐに集団化し、そのグループに自分たちの居場所を見いだしていく。
学校において、喫煙・暴力・万引き等の反社会的行動が明らかになると、まずその生徒に対し指導を行う。保護者へ連絡をし、暴力であれば相手の生徒に、万引きであればお店に謝罪に行くと言うことが考えられる。自分がやったことの罪の重さ、責任という者を感じ、学校においてもそのような自覚、反省を促していくような指導が行われる。自分の行ったことの罪の重さやまわりに与えた悲しみなどを十分に自覚できると、非行も一過性で終わることが考えられる。しかし、問題となるのは、いくら注意し、指導を行っても非行が繰り返される場合である。非行を繰り返す生徒たちは、これまで何度となく力で押さえつけられ、力(権威)の前に屈服させられ、屈辱を味わってきたのである。非行の生徒にかかわる場合、力や権力に対し非常に敏感であることを頭に置き、相手を力ずくでしたがわせようとしたり、見下したりする発言は控えるべきであると思われる。非行少年とのつながり・関係をつくる際は、まず彼らは非常に「希薄な人間関係」しかつくれないということを充分理解し、相手を信頼するようになるにはかなりの時間を試みが必要であり、徐々にしか進まないこと理解した上でかかわることが大切である。家族との連携としては、まず子どものこれまでの生活や家での様子、家庭の状況などを聴く必要がある。非行少年をかえた家庭とは常日頃から定期的な親との連絡、連携が必要であり、問題行動がある、なしにかかわりなく、家庭を訪問し親の話を聴き、少しずつ信頼関係を形成していくことが大切だと思われる。カウンセリングでは、基本的に決まった場所で、決まった時間、定期的に会うことが原則であり、それを超えて合うことには限界があるということをまず明確にしておく。教師としての限界もあることを明確にし、できる範囲のなかで安定した関係をつくっていくことが、連携をつくっていく上で、重要な視点になるだろう。
教師カウンセラーとスクールカウンセラーそれぞれの長所(メリット)と限界について考察しなさい。
教師
佛教大学
通信
科目最終試験
教育相談の研究
6設題全部
90点合格
800字以上
550 販売中 2008/04/10
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新しくなった ハッピーキャンパスの特徴
写真のアップロード
ハッピーキャンパスに写真の アップロード機能ができます。 アップロード可能なファイルは:doc .ppt .xls .pdf .txt .gif .jpg .png .zip
一括アップロード
一度にたくさんの資料のアップロードが可能です。 資料1件につき100MBまで、資料件数に制限はありません。
管理ツールで資料管理
資料の中から管理したい資料を数件選択し、タグの追加などの作業が可能です。
資料の情報を統計で確認
統計では販売収入、閲覧、ダウンロード、コメント、アップロードの日別の推移、アクセス元内訳などの確認ができます。
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