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連関資料 :: 政治

資料:476件

  • 地方分権化改革の政治分析
  • はじめに 国から地方への補助金の削減、交付税の見直し、税源移譲を一体で進める税財政改革という三位一体の改革。地方分権を進め、国と地方の財政再建を図る狙いの下で、1年目の004 年度は全国の自治体に対して補助金約1兆円、交付税など約3兆円を削る一方、税源移譲は約6500 億円しか行われなかった。そのため、「負担を押しつけるだけ」などと地方から不満が続出し、2004 年5月に閣議決定された「骨太の方・第4弾」では、2006 年度までに3兆円規模の税源を移譲する方針が盛り込まれた。 小泉首相が3兆円の税源移譲の大枠を示して以降、参院選前のめくらましだという意見があった一方で、地方分権化改革の議論は加速度的に進んできた。同時に、改革を巡って、地方公共団体のコスト削減を最大の目的とする財務省と、地方公共団体が自立的な行政サービスを行うことができることを最大の目的とする総務相の間の対立が大きく報じられ、どのような政治的な決着が図られるのかが非常に注目を集めた。 今回のテーマである地方分権化改革において注目されるのは、それに関係する各アクターが、大枠での目的は同じであるにも拘わらず、全く異なる思惑の下で地方分権化改革を推進しようとした点にある。それぞれのアクターにとって譲れない主張が存在するため、目的は同じであるにも拘わらず、三方一両損でなければ改革が進められないのだ。そのため、トップダウン的な改革が求められ、抜本的な改革には首相のイニシアティブが必要となったと言える。 私は、全く異なる思惑を彼らがどう一致させていったのかという点に興味をそそられ、このレポートを書くに至った。そこで今回のレポートでは、複雑なアクターの対立の中で、アクターたちが「三位一体の改革」を生み出した構造的な背景を追うとともに、2004 年7月の参院選を挟んだ2004 年の1 年間の間に小泉首相やその他のアクターがどのように利害を一致させていったのかを描き出したいと考えている。
  • レポート 政治学 地方分権 アクターの対立 道州制 政策過程分析
  • 550 販売中 2006/10/23
  • 閲覧(2,970)
  • 日本史1(鎌倉幕府と執権政治について)
  • 『鎌倉幕府と執権政治について』 鎌倉幕府の確立を成し遂げた源頼朝は、正治元年(一一九九年)1月に突然死去した。頼朝の嫡子だった頼家が後を継ぐものの、頼家の専制がひどく、また頼家が若年であったこともあり、政務を任せることに不安を抱いた有力御家人が「十三人の合議制」を築いた。「十三人の合議制」とは頼家に代わって裁判と政務を執行する政治体制である。この合議制の中心にいたのが頼家の外戚にあたる北条氏である。しかし、将軍位を争う血なまぐさい権力闘争の根は絶たれることはなかった。有力御家人らによる権力闘争が現実のものとなり、正治二年(一二〇○年)に北条時政・義時父子は有力御家人であった梶原景時を討伐し、建仁三年(一二○三年)には頼家の外戚に当たる比企能員を殺害した。ここに北条氏の台頭が始まったと言えるだろう。 建仁三年(一二○三年)北条時政は頼家を伊豆の修善寺に幽閉する。そして、元久元年(一二○四年)に頼家の弟にあたる実朝が次の三代目将軍に就くと頼家は時政によって殺害された。時政は将軍の実朝を補佐して「執権」という地位に就き、政治の実権を握ることになる。ここに「執権」制が成立することになる。 翌年の元久二年(一二○五年)に時政は娘婿の平賀朝雅を将軍にしようと試みるが、時政の子の義時と北条政子はこの動きに反発し、有力御家人と連携して時政を引退させると共に、平賀朝雅を抹殺した。この事件で「執権」は時政から義時へと移る。 北条義時は北条氏権力の確立に努めたが、侍所別当の和田義盛が対抗勢力として現れた。政所別当の義時は建保元年(一二一三年)に和田義盛を破り、侍所別当の地位を手にして幕府内における地位を高めることに成功する。 一方、このころ朝廷では後鳥羽上皇が和歌などの芸能を通じて将軍の源実朝と深く結びつき、間接的な幕政の介入を目指していた。また武芸にも深い関心を持っていた後鳥羽は武士団を統率し、かつての後白河のような国政の主導権を発揮しようとしていた。 そのような中、武力紛争の絶えない幕府の状況は、承久元年(一二一九年)頼家の遺児の公暁が将軍の源実朝を鶴岡八幡宮にて殺害するという最悪の事態に陥る。表面的には源家の家督争いだが、その背景には義時の謀略も想定される。幕府は摂関家出身の藤原頼経を将軍に迎え、公武の融和をはかるも後鳥羽は幕府打倒の意思を固める。これが承久三年(一二二一年)の承久の乱へと続く。これは幕府側の勝利に終わり、幕府軍を率いた北条泰時・時房は六波羅に常駐し、六波羅探題が成立する。これにより幕府側の京・西国支配体制が築かれて、国政の主導は完全に幕府へと移行した。 義時の後に「執権」となった北条泰時は、義時や政子といった幕府創業世代の死去による世代交代期の混乱を防ぐために叔父の時房を「執権」の補佐役である連署にあて、有力御家人の最高合議機関である評定衆をおき、集団指導体制を確立する。 承久の乱後、急増した訴訟問題などに対して、貞永元年(一二三二年)に泰時を中心として、理非に基づく合議採決の基準を定めた御成敗式目と呼ばれる武家法が制定される。これは武家による最初の本格的成文法で、以後永く模範とされる。泰時の「執権」期の幕府の体制は、将軍専制政治より執権政治という新たな段階へ移行したと評価することができる。 仁治元年(一二四〇年)に連署時房が、仁治三年(一二四二年)には「執権」泰時が相次いで没し、次の「執権」の北条経時は病弱であったために、北条時頼に「執権」を譲った。この様な状況下、「執権」北条氏に対抗する勢力が将軍頼経周辺に形成されはじめる。当初権力基盤の弱
  • 日本史 鎌倉幕府 執権政治 佛大
  • 770 販売中 2007/11/17
  • 閲覧(8,081)
  • 国際政治秩序の循環性・周期性
  • 現代人は、「歴史は進歩し続ける」という妄想を持ちたがる。しかし実際には「History repeats itself」であり、国際秩序は一定のサイクルの元に循環してきた面を持っている。具体的事例を挙げながら、それについて論じていこうと思う。  歴史において、イデオロギーとナショナリズムは交互に現れている。1776年アメリカ独立宣言、1789年フランス革命から始まった時代は、イデオロギー中心の、二つの概念が対抗するものであった。フランス革命に代表されるリベラリズムというイデオロギーと、メッテルニヒの正統主義に代表される絶対君主制というイデオロギーである。リベラリズムは、ウィーン会議後、メッテルニヒに指導された保守反動の風潮が強まる中でも抑えがたく、1820年代、フランス7月革命を経て、1848年リベラリズムはついにウィーン体制に反発する諸民族の運動として爆発した。この1848年革命で示されたのは、のちにナショナリズムと呼ばれるようになる民族運動が、人々を政治的に動かす力であることである。ナショナリズムの思想は、ナポレオン時代にその萌芽を見ることが出来る。ナポレオンはブルジョワジーと農民を基礎にしたナショナリズムを固め,ヨーロッパ征服戦争によってナショナリズムを高揚させた。そして1848年、イデオロギーの対立の時代は終わりを迎え、ナショナリズムの時代に入っていく。
  • レポート 国際関係学 国際政治 国際秩序 ナショナリズム イデオロギー 進歩史観
  • 550 販売中 2006/07/16
  • 閲覧(2,679)
  • 「グローバル化」のもとでの国家・政治の役割と意義
  •  近年のコミュニケーションや交通手段の飛躍的発達は、国境を越えた、人々の経済活動や文化交流などを盛んにしている。インターネットの普及によって、さまざまな情報は瞬時に世界に伝達され、各家庭に届き、新たな事態を引き起こす。国家はもはやこのような活動や情報の流れを押しとどめることはできない。「国境を越え、人簿と野に津上生活が地球的規模で展開される、ヒト・モノ・カネ。情報の往来の上に成り立つ」グローバル化という形をとって急激に変化する世界にあって、どのような組織、統治機構や政府、政治が仏ようとされるのか、新しいガバナンスの形が問われている。
  • レポート 政治学 グローバル化 夜警国家 積極国家 小さな政府 地球的問題群
  • 550 販売中 2006/01/10
  • 閲覧(4,446)
  • 教育学の方法論と教育政治学
  • 教育学について  他の学問分野(例えば心理学)と比較してみると、教育学の大きな特徴として、方法論の欠如があげられる。教育政治学を例にとってみると、教育政治学とは、政治学の研究手法を用いて教育現象を政治的側面から分析していくこと、ということになろうが、これは教育学独自の手法ではなく、政治学の研究手法を教育現象に援用しただけのことである。  このように、教育学は方法論がないためにどういうことになるのかというと、研究手法の比較的明確な学問分野(心理学、政治学、社会学、哲学など)の手法を援用、もしくは踏み台にして教育を論じていくことになる。いくら教育学といえども、ある研究手法を用いずに、あるいは踏み台にせずに教育を研究し、論じることはできないということである。何の研究手法も用いずに、あるいは何も踏み台にせずして研究をしても、混沌状態から抜け出せないので結局何をしたのかわからなくなってしまう。
  • レポート 教育学 教育学研究 教育政治学 研究の方法論
  • 550 販売中 2006/01/13
  • 閲覧(2,556)
  • 現代国際社会と政治レポート  『文明の衝突』
  • 現代国際社会と政治期末レポート 「文明の衝突」を読んで ☆ハンチントンの主張 「文明のアイデンティティーが冷戦後の統合や分裂あるいは衝突のパターンをかたちづくる」(p21) 「長期間支配的だった西欧文明から、非西欧文明へと、力は移行しつつある。国際政治は多極化し、かつ多文明化したのである」(p32)
  • 国際関係論 文明の衝突 政治経済
  • 1,650 販売中 2008/03/21
  • 閲覧(2,697)
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