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連関資料 :: 政治

資料:488件

  • 竹村和子『愛について・アイデンティティと欲望の政治学』
  • 竹村和子『愛について・アイデンティティと欲望の政治学』  これはアイについての物語かも知れない。「私」という意味の「アイ」であり、「アイデンティティ」の頭文字としてのアイ。すなわち、「私」について語ることが、「愛」について語ることではある。  『愛について』は、「愛」の不可能性かつ「私」の不可能性の物語である。「アイ」のくるおしさに満ちた書。。。  愛においてわたしは、わたしがもっていないものを与える。なぜならあなたが欲望しているわたしは、あなたの欲望のなかにのみ存在しているから。だからわたしの愛は、いつもわたし自身の愛から疎外されている。 (p.109)  ラカンによれば、「欲望はつねに《他者》の欲望である」。言語の網の目の中にいる「私」は、自ら言語を所有することによって、「愛」の主体となることも、言語を否定することによって、「愛」を所有することもできない。しかしながら、それは「私」の「愛」が「あなた」に向かって開かれていることを意味しない。「愛」は常に不可能なまま、「わたし」と「あなた」の間を反復し続ける。  それゆえ、「愛」は永遠に経験されることはないだろう。経験されることのないまま、無限の反復運動を続ける。しかしながら、私たちはそれを「愛」と名づける。名づけることによって、「愛」に実体を与えようとする。「ファルス」(男根)の名の下に。ファルスが特権化されるとしたら、それは「愛」に生殖の流れを表象させるからである。「正しい愛」は、社会通念や法によって正当化されているから正しいのでなく、愛の困難さを知ることから免れているから、正しい。  しかしながら、「正しくない愛」によって、愛が経験されるわけではない。制度上の差別化によって、法は、「私」という場に、「私」特有の形態をとって現れる。これによって「愛」が経験されることはないのである。  筆者のおこなうものは、異性「愛」が社会的に構築されたものであるとして、糾察することではない。なぜなら、異性愛は、そもそも不可能だからである。それゆえ、筆者は同性愛を特権化することもない。同性愛もまた、不可能だからである。ただ、その不可能性と対峙すること、それが唯一残された、倫理的態度である。  おおよそ、異性愛主義の批判は、異性愛主義に対し同性愛主義を対置し、異性愛主義が異性愛を特権化するのと同様に、同性愛を特権化してきた。そのような批判は、一見異性愛主義を相対化しているように見えて、異性愛主義者が自らを特権化するのと同様に、同性愛主義の特権を問うことに失敗している。なぜならかれらもまた「私」を問わないからである。  「私」を問わない批判は、その不可能な「私」に気づくことなく「私」を表象する。そして、「私」は「アイ」の名の下に、「私」を支配する。 *           *           *  であるからこそ、筆者は「私」の政治である、アイデンティティの政治(ポリティクス)について問う。アイデンティティの政治とは、いわゆる多数派に対して、いわゆる少数派が独自のアイデンティティを主張し、自らを名づけることである。筆者によれば、「区別でなく差別化されてきたセクシュアリティ、あるいはクローゼットの中に隠さざるを得なかったセクシュアリティを、みずからの『真正さ』として主張し、『普通の生活』を要求する」ものである。  しかし、「これまで否定的なしるしがつけられていた名づけをちかって、その名づけを換骨奪胎するために行う『アイデンティティの政治』も、その名づけが既存の抑圧的な〈言語〉による定義にとどまっているかぎり、そ
  • 全体公開 2007/12/21
  • 閲覧(5,789)
  • 政治的無関心の三形態についての分析
  • 政治的無関心の三形態についての分析 はじめに  私は政治に関心をもっているが、なかでも今最も興味があるのは政治的無関心である。政治的無関心とは様々なタイプに分類できるが、中でも  屈折的無関心:本当は政治に参加したいという欲求を持っているが、自分が参加しても大した影響は及ぼせないと考えて政治に距離を置いている状態。  伝統型無関心:政治的な情報・知識を持っておらず、政治は自分と無縁なものと考えるタイプ。 現代型無関心:政治を他人事のようにとらえ、政治に関連したいという気持ちをなくしているタイプ。非行動的で傍観者的な態度。    などがあげられる。国民はどのような政治的無関心に陥っているのか。本調査で分析する。また、上記のように類型はいろいろあるが、本調査ではそこまで調べられないため割愛する。  そして、政治的無関心に陥っている人はどのような環境の人が多く、どのような行動を起こす傾向があるのか。本調査で分析していきたい。  なお、金沢調査のデータは2007年7月29日の参議院議員選挙の約1ヶ月後の8月27日から1週間後の9月3日までの間に本選挙の意識調査を金沢市の有権者を対象に実施した。 金沢調査の概要 母集団 金沢市選挙人名簿 金沢市の有権者36万人から無作為に抽出した1500人を対象 回収方法 「郵送」 回収率 サンプル数:1500人 回収票数:771人 有効回収率:51.4% 1.本調査で求める事柄 (1)なぜ政治的無関心は起こるのか。 (2)政治的無関心に陥っている人はそれぞれに際立った際は見られるか。またそこから映し出される日本の政治的無関心の問題点は何か。 2.分析 (1)‐1 概要  まず政治的無関心の概要を知るためにQ8の棄権理由を使用する。 [表1] 棄権した人の棄権理由 棄権した人 パーセント 用事 35 11.9% 病気 21 7.1% 面倒 15 5.1% 無関心 28 9.5% 情報不足 25 8.5% 選挙のしくみ不明 5 1.7% 投票しても結果同じ 23 7.8% 無風 10 3.4% 無期待 53 18.0% 変わらない 62 21.1% その他 17 5.8% 294 100% 政治的無関心である屈折的無関心、伝統的無関心、現代型無関心は上の表でおのおの  ①屈折的無関心:「投票しても結果同じ」「無風」「無期待」「変わらない」の4つ        回答数148(多重回答可) 全体の回答% 50.3% ②伝統的無関心:「情報不足」「選挙のしくみ不明」の2つ        回答数30(多重回答可) 全体の回答% 10.2% ③現代型無関心:「面倒」「無関心」の2つ        回答数43(多重回答可) 全体の回答% 14.6% に分けられる。これからの分析・考察はQ8の棄権理由でどこに回答したかで政治的無関心の3つの形態に分けたものを使う。なお、用事、病気、その他は政治的無関心に関連がないため省くとする。 (1)-2こるのか  まず、屈折的無関心は何によるものなのか。説明変数に屈折的無関心、被説明変数にQ18年齢を掛け合わせてみる。そしてカイ2乗検定・クラマーのV係数を用いる。 [表2]屈折的無関心と年齢のクロス集計表 年齢     20-29歳 30-39歳 40-49歳 50-59歳 60-69歳 70-79歳 80歳以上 NA 合計 屈折的 無関心 度数 11 20 20 24 7 6 3 1 92 % 20.0% 22.0% 19.8% 13.4% 4.4% 4.6% 5
  • 政治学 政治 政治的無関心 屈折的無関心 伝統的無関心 現代型無関心 レポート 調査 SPSS 社会学 投票 選挙 参議院 投票行動
  • 550 販売中 2008/02/04
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  • 現代国際社会と政治レポート  『文明の衝突』
  • 現代国際社会と政治期末レポート 「文明の衝突」を読んで ☆ハンチントンの主張 「文明のアイデンティティーが冷戦後の統合や分裂あるいは衝突のパターンをかたちづくる」(p21) 「長期間支配的だった西欧文明から、非西欧文明へと、力は移行しつつある。国際政治は多極化し、かつ多文明化したのである」(p32)
  • 国際関係論 文明の衝突 政治経済
  • 1,650 販売中 2008/03/21
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