連関資料 :: 人間が人間であることとは

資料:338件

  • フランクロイドライトと帝国ホテルを巡る人間関係
  • フランク・ロイド・ライト  1867年アメリカのウィスコンシン州で生まれた。彼が育ったスプリング・グリーンは大自然に囲まれた場所であった。彼独特のアメリカの自然と調和した一連の住宅建築[プレイリースタイル(草原様式)]はここでの経験からきたものである。生涯にわたり800以上の建築を手がけた、アメリカを代表する建築家であり、代表作にグッゲンハイム美術館、ジョンソン・ワックス本社ビルなどがある。  また、浮世絵のバイヤーなどでも知られ、日本とのつながりも深い。 01. フランク・ロイド・ライトと日本  まずライトが日本に対する憧れというものを持ったのが、1893年シカゴにて行われた「コロンビア万国博覧会」での日本館-鳳凰殿-である。そして、浮世絵のバイヤーであり、また鑑定家としても一目おかれているが、いつ浮世絵と出会ったかについては、いまだに謎に包まれている。  その後、1905年3月から5月の間、ライトは日本を訪問している。そして、日本から帰った時にライト夫妻(妻:ママー・チェニー)はたくさんの浮世絵と日本住宅の詳細な模型を持ち帰ったようである。表向きは「浮世絵を追って」のことだったようであるが、数多くの建築を視察したことも事実である。その証拠にその後のライトの多くの建築は、日本の伝統建築に影響され、酷似したものが多い。下に一例を示す。 左/日光東照宮の権現造りの平面形,1634年 右/S・C・ジョンソン管理棟の平面, ウィスコンシン州ラシーン,1936年  浮世絵の収集仲間の一人にフレデリック・グッキンがいる。1908年には、彼とライトの企画により、シカゴ美術館での浮世絵の展覧会が行われている。また、彼が浮世絵収集以外に、ライトを帝国ホテルの委員会に紹介した事実はあまり知られていない。
  • レポート 建築学 フランクロイドライト 遠藤新 林愛作 帝国ホテル デザイン
  • 770 販売中 2006/01/02
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  • 人間と自然--緑の21世紀を求めるように
  • 経済――エコノミーは、人間の共同生活の基礎をなす財・サービスの生産・分配・消費の行為・過程、並びにそれを通じて形成された人と人の社会関係の総体である。文中子(礼楽)に、「経済」は、国を治め人民を救うことで、いわゆる「経国済民」という解釈であった。豊かさや便利さを追い求めた20世紀の経済活動やライフスタイルは、地球規模での環境悪化問題から、身近なごみ問題まで、多くの課題を残した。概括的に言えば、地球温暖化のみならず、オゾン層の破壊、酸性雨、熱帯林の減少、砂漠化・土壌浸食、野生生物の種の絶滅、海洋国際河川の汚染、化学物質・有害廃棄物の越境移動など、多岐に渡る。このように、「環境」の範囲は、地方⇒国家⇒国際⇒グローバルという空間軸や、過去⇒現在⇒未来という時間軸で広がっていく。近代におけて様々な環境破壊行為は、結局、生活レベルを低下させ、赤の他人にもマイナス影響を与えてしまい、加害者であると同時に、被害者でもあった。
  • レポート 経済学 環境悪化 資源消費 循環型社会 自然保護 リサイクル
  • 550 販売中 2005/06/30
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  • ロックにおける人間悟性の批判的考察について
  • ロックは人間の観念の由来と観念(感覚)の性質についてという問題を解明しようとした。が、その前に留意しておくべきなのは、ロックの哲学の意義は「経験主義」を明確に打ち出したということである。実体と観念を説明するに当たり、デカルトなどが神を利用しつつも合理主義的に生得観念を、またそこからの論証を用いたのに対し、あくまで経験に基づくものとした。しかし彼は経験によって形成される認識の限界を見出すのである。  ロックによると観念とは「心のうちで知られるもの“That is that I called IDEA”」意識の直接の対象である。観念はその由来により、生得観念と習得観念とに分けられる。生得観念とは人間が先天的に持っているものであり、習得観念とは人間が後天的に会得したもの、いわゆる「経験」である。経験は感覚によるもの(外的経験)と反省によるもの(内的経験)がある。外的経験は人間の意識とは独立の作用であり、内的経験は人間の意識自体の活動である。ロックは生得観念を否定し、人は生まれつき「タブラ・ラサ」であるとした。ロックは「タブラ・ラサ」とは「削られた白板」「空白の板」などといった意味で、人間の心は最初の観念が経験として刻み付けられるまでは、その上には何も記されてはおらず、その後、感覚と反省という作用によりはじめて書き込まれるものである、と主張している。
  • レポート 哲学 ロック タブラ・ラサ 第二性質
  • 550 販売中 2006/07/07
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  • 人間の発達と学習 第1分冊
  • 人間の発達と学習 第一分冊 略題(自我の発達) 子供の自我(自己)の発達を踏まえた指導のあり方について考察せよ -------------------------------------------------- 能動的に行動する様子で一番初めに考え付く事は、母親に対する独占意欲であると私は考える幼児期の子供にとって一番の理解者であり、一番の身近な存在として子どもは捉え、何かあると常に自分(幼児)中心の考え方が広がる事については言うまでもない。今まで、母親の存在が幼児に対して割いてきた時間の割合を考えれば必然的に割り出される状態である事に違いはない。  さて、子供の他に積極的に働きかける影響を考えたい。まずコミュニケーション能力の発達が挙げられる。子供同士、大人との関わりの中で子供は、コミュニケーションの中から社会性を学び、自分の周りで起きている事柄を認知できるようになっていく。これは積極的に働きかけ、その変化を捉え、自分に取り込んでいく場合では、自らの考え方を押し付けることなく、方向性を与え導く事によって教育は行われていく。  イメージの発達、言葉の発達が進むことになるが、イメージや
  • コミュニケーション 発達 社会 学校 道徳 家族 幼児 児童 子供 学習 人間の発達と学習 レポート 玉川 第1分冊
  • 1,100 販売中 2009/07/03
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  • 多様な人間関係:男と女を読んで
  • なぜ、男がズボンをはいて女がスカートをはいているのか。なぜ、男女の社会的役割は男性が外で働き女性は家事をして子供を育てるのというのが一般的なのか。日本の教育を受けて育ってきたなかで、このようなことを考えたことなど一度もなかったし、また、これがあたり前で普通のことだと思っていた。 日本のように男が外に出て女が内にこもるという文化は、男は強くて女は弱いという考え方から生まれたのだろう。たしかに身体的に見ると女の体は男の体よりも、背が低く筋肉も少なく全体的に華奢なつくりになっている。骨も細いのかもしれない。だから、女は男より弱いのだ。きっとそんな簡単な理由でずっと昔から日本では男尊女卑が存在し続けているのだろう。だから今日のように多くの女性が外で仕事をもち、男性と変わらず仕事をこなしているのに、社会では不平等に扱われ、既婚の女性は家庭でも家事育児をこなすことを前提に夫から許可をもらい働いていることが多いのではないか。しかし、男女平等を唱えても、この問題は簡単に解決できるものではないだろう。なぜなら日本の文化の一部なのだから。 女性を否定的なものとみなしている文化は日本だけでなく多いようだ。男性は猛獣などといった目にみえる敵と戦う。女性は幽霊や妖怪など人々にとって恐ろしく不可解な存在と関連していると思われている。きっと、まだ医学や科学、生物学なんかがない時代に女性の体に起こる生理現象を理解できずに女性を神秘的なものだとみなしたのではないだろうか。神秘的でそれらと関連しているだけではなくそのものとして扱われることさえあるのだ。 見えないものからの恐怖を和らげるために、また原因不明な現実や自然現象への恐怖を紛らわすために目に見えるものを悪としたのだろう。このような文化では、男性は外に出て女性は内にいる。 まったく逆もあるようだ。 女性が積極的に漁業や交易を行っている民族がある。そこの男性は依存心が強く繊細で非実戦的なのに対し、女性は積極的能動的実践的であるようだ。
  • レポート 社会学 文化人類学 男と女 人間関係
  • 550 販売中 2005/06/19
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