資料:11,685件
理科教育 法2
『科学者が自然を探求する方法(科学の方法)を解説したあと、それを理科授業にとり入れた場合の授業展開例を示せ。』
科学者の自然を探求する方法は、近代的な方法に至るまで多くの歴史がある。近代的な科学的方法論が確立され始めたのは、17世紀のケプラー、ガリレイ、ニュートンなどの天文現象を探求する自然科学者らによるものであり、それまでは、実証を伴わない曖昧なものも多くあった。例として、ファン・ヘルモントの「穢れたシャツで小麦の壷を入れた壷をふさいでおくと、小麦が変化してネズミになる」と考え、ハーヴェイの「蛆虫や昆虫は自然発生により生まれる」と述べているなどのこれら生物の自然発生説は、様々な論争を経た後、パストゥールにより実証的に否定された。彼は、自然発生すると考えられていた微生物について、空気中に存在する芽胞が有機物に付着したとき、微生物が増殖されることを実験で証明したのである。他の事例として、伝染病におけるゼンメルワイスの活動を取り上げる。彼は、分娩した多くの婦人が産褥熱になることを知った。その産褥熱で亡くなった人は、ある病棟では3%以下なのにもかかわらず、違う病棟では11%にもなることを知って驚いた。当時、「伝染性の感化」によって伝染するという現代では極めて曖昧な妄想的な考え方が信じられていた。だが、彼は、この考え方に対して二つの事実から「伝染性の感化」という考え方を否定した。そして新たな経験から、彼は、産褥熱を伝染する物質を運んでいるのは、医者ではないかという仮説をたてた。そして、それを検証するためにすべての医者は、どんな検査をする前にも必ず塩素化された石灰水で手を洗うように指示した。すると、産褥熱による死亡は急速に減少したのである。さらに彼は、仮説を拡張し実証することで、産褥熱が微生物によって伝染することを明らかにしたのである。
以上のことから、科学者の探求する方法は、次の二つの特徴が明らかになる。第一は、観察されたことについて科学者が関心を持ち、問題意識を持っていることである。ゼンメルワイスは、病棟により産褥熱の感染率の違いに疑問を抱いた。その彼の疑問は、科学の活動のもとになる重要なものである。その疑問から彼は、二つの病棟の違いについて、観察できる事実をくまなく探した。このように科学の活動は、感覚で得られる体験されたことがらに基づいて推論し、その正否を確かめるために事実に基づいてテストする。第二は、科学者は、何らかの問題に差し向かったとき、こうなっているからではないかという推論をすることである、それが整理されると、問題の答が「仮説」という一つの見解になる。ゼンメルワイスは、「死体の物質」を想定したが、これは事実を踏まえながら考えついた見解であり、その時点では証拠もない「仮の説」であった。そして、それが検証されれば、事実を超えた「理論」として位置づけられる。以上のように、科学者の自然を探求する方法は、二つのレベルで行われる。事実にも基づいて問題を明確にしたり、事実間の関係を明らかにしたりする観察のレベル活動から始まり、その問題解決のために仮説を設定して検証し、理論化する想像のレベルで研究の活動が行われる。この観察のレベルと想像のレベルの溝を埋めるのが科学者の活動であり、観察や実験という手法である。言い換えれば、問題が明確になれば、次に事実に基づいて推論して仮説を設定し、その真偽をなんらかの事実に基づいて検証するというやり方が科学者の自然を探求する方法である。
科学の歴史は、人類が自然科学に基づく科学的世界観を形成してきた過程を示しており、理科教
実験
科学
問題
自然
授業
生物
方法
微生物
近代
理論
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教育 社会学問題
教育社会学
1 イギリス・アメリカ・中国からひとつを選び、日本の教育改革と比較し、それぞれの特徴を整理せよ。 5月午前
中国では1990年代の改革として、学生数の増加、教育における市場原理の導入、素質教育の実施を行った。
科学技術と教育によって国の振興をはかるため、まず学生数を多く増加した。中等教育・高等教育共に大きく学生数が増え、非識字率も低下した。しかし、就学率の面でみれば日本と比べてもまだ低いと言える。また、日本の戦後の教育で大学進学率などが向上したことと類似しているとも言える。
次に教育における市場原理の導入について述べたい。
佛教大学
通信
科目最終試験
教育社会学
問題と解答
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視聴覚教育 法6
高校生向け英語指導教材としての ‘I Have a Dream’
本レポートの対象となっている英文を言語材料の面から見ると、1ページ当たり32語の新語があり、学習者である高校生にとってはなかなかハードルの高いものだと思われる。しかし、それ以上に彼らの理解を困難にさせているのが、アメリカ合衆国を舞台にした公民権運動が題材となっていることである。特に、奴隷解放後に主に南部の黒人が置かれていた2流市民という地位、中央集権的な日本の政治システムと連邦制を採るアメリカの政治システムの違い、本文中に出てくる人名や団体名などの固有名詞については高校世界史の学習レベルでは理解が困難と考えられるので、その点がわかるように、以下で解説する。
the Emancipation Proclamation
南北戦争中に発表された奴隷解放宣言を意味し、これによってリンカーン大統領は連邦軍から脱退した州の中で、1863年1月1日の時点で連邦側にまだ戻ってきていない全ての州の奴隷が解放されることを宣言した。ここで着目してしなければならないことは、連邦側から脱退しなかったメリーランド州とデラウェラ州、すでに連邦側についていたテネシー州、そして連邦側に忠誠を誓っていたミズーリ州とケンタッキー州やその他いくつかの郡では奴隷制を布いていたにもかかわらず、意図的に解放宣言の対象からは除外されていたことだ。合衆国全体で奴隷制度が法的に禁止されたのは1865年に合衆国憲法修正第13条が承認されてからである。しかし、なぜ、それから約100年後の1963年にもなって、黒人に対する差別が残っているのかという疑問がここで発生するだろう。また、‘It need a prophet who could help see through the smoke left by gunpowder and bombs.’という英文を理解させるためにも、この疑問に答えることが重要である。
差別が残った原因は、南北戦争終結後の一般にアメリカ史においてリコンストラクションと呼ばれる南部再建期、北部(連邦軍)が南軍支配地域を力で押さえて徹底的な改革をやろうとする急進派と南部人の自主的な改革に任せようとする穏健派に北部人が分かれてしまったからである。時の北部の支配的な勢力によって、政策が二転三転した。結果的には、南部の州では奴隷制当時に州政府の高官であった者たちが、そのまま権力の座に残ることが許された。さらには、1896年に最高裁判所が、「分離すれども平等」であれば、公共施設における人種隔離は合憲であるという判決(プレッシー対ファガーソン判決)を下した。そのため、南北戦争の生の遺産である合衆国憲法修正第13条(奴隷制廃止,1865年)、第14条(公民権の定義等,1868年)、第15条(黒人参政権,1870年)は形骸化し、南部の多くの州で有色人種は白人との結婚が制限されたり、過剰な投票税がかけられ実質的に選挙権が剥奪されたりと様々な形の差別待遇が残ることとなった。これがキングがスピーチを行った1963年になっても人種差別が残っていた理由であり、公民権運動が起こった理由である。以上を踏まえれば、the smokeとは前述の差別待遇を受けていた南部黒人の2流市民という地位、また広く解釈すれば根強く残る黒人への差別的待遇のことをさしていると考えられ、left by gunpowder and bombsという記述は、南北戦争からずっと人種差別は燻り続けたままであったことを示唆するものであることがわかる。
「
憲法
アメリカ
戦争
政治
差別
英文
学習
高校
運動
システム
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同和教育 の実践法
「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なお著しく基本的人権を侵害され、特に、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、最も深刻にして重大な社会問題である。」(同和対策審議会答申)
なぜ同和問題が学校教育の中で重要視されるのかは、同和問題が日本国内に居住する同じ国民であるにもかかわらず、日本人が日本人を差別してきたという日本の歴史上重要な部分を占めているということ、そして同和問題解決のための教育が行われてきたが、今なお根強くこの問題が残っており、真の解決に至っていないからである。
このような同和問題を解決するためには、同和問題を単なる被差別部落の歴史的な遺産として捉えるのではなく、日本の、また世界においても同様に歴史的な発展の中で差別が創られ、今日でもなお不合理な問題として残っているということを認識しなければならないと考えられる。平成8年度京都市教育委員会の同和問題指導の中で、「社会科の果たす役割」について触れてあるが、成熟した市民社会の構成員として、社会の関係を正しく把握し、基本的人権の尊重を軸とする民主主義の担い手としての本来の社会科の目的を踏まえた教育を施すことができれば、当然「差別は許さない」という態度が確立されるはずである。
また、既に被差別部落へのハード面での積極的な差別解消措置については一連の時限立法において、ある程度の効果が上がっていると考えられる。
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教育学
同和問題
同和対策審議会
被差別部落
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大衆教育 社会のゆくえ
大衆教育社会の成立には戦後の日本において展開された平等主義と能力主義が深く関係している。大衆教育社会とは、教育が「量的」に拡大し、多くの人々が教育を受ける社会のことを指す。戦後の日本では、教育の機会が拡大されるにつれ貧富の差という社会階層間の差異を通じて教育問題が語られてきた。アメリカやイギリスなどでも同様に社会階層によって教育の不平等が生まれることが問題視され、今現在も階層問題は教育を論じるうえで欠かせない事柄である。だが、高度経済成長期を迎え、貧富の差が現実味をあまり持たなくなってからの日本においては、階層による教育機会の不平等は明らかに存在していたにも関わらず、人々の階層への意識がうすれていく。その原因は冒頭に記した日本固有の、結果の平等ではなく機会の平等を要求する「平等主義」と、個人の学力差は生得的能力において決定的差異を持たないという「能力主義」にある。
日本はアメリカやイギリスに比べ、生まれによる階層差別がはるかに少ない。このことは受験による「生まれかわり」が可能であることを示す。学歴取得のための受験機会はどの階層にも平等に開かれており、テストの内容も中立的で選抜方法もどこかの階層にだけ有利ということはない。そして一度獲得された学歴はその後の社会的成功と密接に関係しており、よって人々はこの選抜方法と学歴取得後の公平さを見て平等であると感じてしまう。
日本と同様に教育が量的に拡大した他の国と比較してもとりわけ学歴社会であるというわけではない。だが、「学歴社会論」が一つの議論のジャンルを確立し、また、大衆の意識にこれほどまで浸透している状態は日本においてのみ見られる現象である。学歴社会批判には、学歴社会を悪であるとし、この学歴取得競争が教育を歪めているとする一方で、学歴がその後の成功にいかに重要なことか知っているため自分の子供には高学歴を望んでしまうという矛盾を含んでいる。
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教育
学歴社会
テスト学力
不平等
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社会科教育 法
○教える側と学ぶ側について考えたこと
講義の中で太田先生がおっしゃった「その時間にメタ認知をしてはいないか。まず学習にどっぷりつかってほしい。」ということに関して、私は自分との違和感を持ちました。自分の経験から考えて、一つ一つにどっぷりつかることで取り扱っている内容の方向性を見失って、結局その時間何を学んだのかわからなくなる危険があるように思っていたからです。自分でメタ認知させながら思考すること、聴くこと、訊くことがあるべき姿なのだろうと考えていました。(ですがそれを実践することはなかなかできていません。)講義を受けてから今までそのことが自分の中で落ちなくて気になっていました。
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教育学
教える側と学ぶ側
模擬授業
指導案
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国家の歴史管理と教育
国は歴史も教育も管理する。ということは、国の考える歴史が、学校を通してそのまま子どもに教育されるということになる。ノーベル文学賞を受賞し、ラッセル・アインシュタイン宣言の起草者でもあるバートランド・ラッセルはこのように言う。
彼等は外国の犯罪は教え込まれる。然し彼等自身の国家の犯罪は教えられない。彼等は彼等自身の参加した戦争はすべて、防衛のための戦争であって、外国の戦争は皆侵略のための戦争だと考えるように指導されている。期待に反して、彼等自身の国がある外国を征服するときは、それが文明や福音の光や、高い道徳の調子や、同様に崇高な他の何かを拡めるために、そのような征服をするのだと信ずるように教え込まれる。
極端な話のように聞こえるかもしれないが、ここ数年のアメリカを中心とした大国の論理はこのようなものではないだろうか。そして日本もその一員である以上、国が進める教育もこの論理に従うようになりつつある。
しかし、第二次大戦終了後数年間は、官民一体となって悲惨な戦争体験の継承が行われ、絶対に戦争をしない国になる決意があった。1950年10月、文部省大臣官房渉外ユネスコ課長、西村巌の発表した報告書にはこうある。
平和運動としての国際理解の教育研究協議会報告書(1950年 文部省)
1. 戦争は人間の心の中で始まるものであるから、平和のとりでは人間の心の中に築かれなければならない。
2. 争いが平和的に解決できない場合は文明に大きな損害を与える。
3. われわれの日常生活は、物質的にも精神的にも世界とつながっている。
4. 科学技術の発達は世界の国々の関係をますます深いものにした。
5. 科学的研究の成果は国際親善を深めることに利用されるよう努力しなければならない。
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教育学
バートランド・ラッセル
歴史管理
道徳教育
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長崎の平和教育 の現状
長崎は行政の圧力によって被爆地としての地域性を無視された平和教育が進められてきた。違うのは、市も県と同様の立場ということである。しかし市長の影響もあり、平和教育の考え方も少しずつ変わってきているようである。
長崎県被爆教師の会が結成されたのは1970年である。8月9日を「原爆の日」として原爆教育に取り組み、数々の書籍を出版した。その中でも1972年に刊行した全4冊からなる『ナガサキ原爆読本』は、平和教育の資料が乏しかった当時の教師たちにとって基調な教材となり、全国各地に浸透していった。
しかし、1977年5月、長崎市内の小学校で校長が150冊の『原爆読本』を図書室から無断で校長室に持ち去るという事件が起こった。これに対し県教組などは「平和教育への弾圧」、「現代版の焚書」と一斉に反発、平和教育論争が巻き起こった。これがいわゆる「『原爆読本』隠し事件」である。市教委がその反省を見せたのは21年後の1998年であった。
この事件をきっかけに、長崎市教育長は『教育問題研究委員会』を設置し、平和に関する教育の基本原則を諮問した。同委員会は翌1978年2月、「平和に関する基本三原則」を答申し、これを受けて長崎市教育委員会は『平和に関する指導資料(試案)』を作成し、1978年度より実施した。
その内容は、被爆教師の会や教職員組合が強く求めていた「ヒロシマ・ナガサキを原点とする」という点、そして特設時間を設けて平和教育を実施することを、はっきりと否定するものであった。
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教育学
長崎
平和教育
原爆読本隠し事件
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平和教育 の方向性について
平和教育の方向性について
人類史上最初の原爆投下を含む悲惨な戦争体験の国民的反省と平和の価値への覚醒とが、戦争放棄の平和憲法と平和的人間の形成を目ざす教育基本法とを生み、それらによってその後の日本の教育が平和教育でなければならぬという原則が確立されたという点に、戦後わが国の教育の根本的特色があるのである。それは侵略戦争への単なるざんげをこえて、人類の未来の教育を先どりしたものでもあった。
これは1976年に創刊した『季刊平和教育』の第1号に書かれている言葉である。この文章を読むと複雑な想いがする。平和の概念が構造的暴力の克服も含めた積極的平和へと進歩しているのに対し、その大前提となる平和憲法と教育基本法が変えられようとしているからである。「人類の未来の教育を先どりしたもの」であったはずなのに、今では退化の道を歩んでいる。自分の周辺、自分の生きている間のことしか考えないのならば、目先の利益だけを追い求めて好きなようにしたらよい。しかし、もし未来を望むのであれば無関心でいるわけにはいかない。人間は未来を想像する力の発達した生き物である。
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教育学
平和教育
構造的暴力
積極的平和
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視聴覚障害児の教育
<視覚障害児の保護者の話>
今年の正月の番組で「初めてのお使い」というものがあった。その番組内で、視覚障害(impaired sight)を持った息子をはじめてお使いに出そうと決心した母親がいた。生まれつき視力が弱く、何をするにも母親と一緒であった。しかしこのままではいけないと感じた母親が番組に応募したのがきっかけである。お使いはごく簡単なもので、近くのスーパーに弟のオムツを買いに行くというものであったが、息子は母の元を離れようとしない。一旦は玄関を出たのだが、必ず母親が出てくると信じていた息子は玄関で待っていた。案の定母親は心配になって、ドアを開けてしまった。母親はしっかりと抱きついたまま離れない息子にだんだんと腹が立っていく。そこに近所の男の子が現れ、息子はその男の子と一緒に歩もうとした瞬間、母親が思わず「どこいくの?!」と言ってしまった。即座に訂正し、「いやなんでもない、行っておいで」といったが、息子は行く意欲を失い、日が暮れるまで言い訳をし続けた。スタッフも撮影を辞めようと試みたが、母親も一緒にスーパーへ行くということで撮影を続行した。母親は最後まで息子を一人にできず傍にいた。しかし、数年後彼はサッカーを始め、一人で様々なことをやり遂げていった。このお使いは母親のお使いだったのかもしれない。
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教育学
聾・盲学校
弱視教育
養護学校
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小学校国語科教育 について
石原千秋著「秘伝 中学入試国語読解法(新潮撰書)」について考察してみたいと思う。まずこの本は夏目漱石を専門とする大学教授の著者が息子の中学受験を機に国語について考えたものである。現代の国語指導の矛盾点や非合理性を鋭く抉り国語階に新風を起こしたといわれている。私の感想として、題名の通り入試に必要とされている能力をまるでゲームを解くように紹介しており、非常に面白いものであった。塾や予備校のような解法で国語に取り組む石原論は現在の国語教育とは明らかに違い、印象は強烈であった。特に「いま『国語』がやっていることは『道徳教育』である」「子供たちはルールを説明されないままゲーム(試験)に参加させられているようなものである」「『道徳教育』を目的としている以上『国語』で教えることの出来るテーマはごく限られている」「入試国語は受験者と採点者との格闘技なのだ」という言葉は強烈であった。
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教育学
小学校国語
石原千秋
トップダウン
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新しくなった ハッピーキャンパスの特徴
写真のアップロード
ハッピーキャンパスに写真の アップロード機能ができます。 アップロード可能なファイルは:doc .ppt .xls .pdf .txt .gif .jpg .png .zip
一括アップロード
一度にたくさんの資料のアップロードが可能です。 資料1件につき100MBまで、資料件数に制限はありません。
管理ツールで資料管理
資料の中から管理したい資料を数件選択し、タグの追加などの作業が可能です。
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