連関資料 :: 道徳

資料:718件

  • 道徳教育は人間にとってなぜ必要なのか。
  • 第一説題 道徳教育は人間にとってなぜ必要なのか。 ⇒道徳は、人間の生き方を示し、我々人間に対して真理を示すもので、真理を求め、より人間的な生き方を探るために、人間には道徳が必要であると考えます。では、なぜ人間にとって道徳教育が必要なのでしょうか。 まず、第一に前述のとおり、より人間的な生き方を探ることを知らしめる一面があると思います。ソクラテスの考える道徳は、もっと広い意味での「徳」全般のことですが、「自分で自分自身に打ち克ち、節制する」、つまり自分に中にあるもろもろの欲望や、それに伴う快楽を支配するというような、正義や節制の徳です。これを教育として人々に施し、よりよく理解させてこそ人間的な生き方が探れるのではないかと思います。近世の哲学者においても、カントは、人間の教育の本質は道徳を学ぶことにあると絶対的真理として求めていて、人は教育され、「道徳化」が必要であり動物性の状態から、人間性の状態をへて責任を負うものとしての存在、人格性の状態へと素質を展開していかねばならないとし、人間として自律的、理性的に行動できるようになり、さらに自分自身を自覚し、内なる良心としての道徳的法則に従うよう
  • レポート 哲学 道徳 教育 教員免許 通信教育
  • 550 販売中 2007/03/07
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  • 道徳教育の歴史的変遷について述べよ
  • 「道徳教育の歴史的変遷について述べよ」  「人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献できる主体性のある日本人を育成するため、その基盤として道徳性を養うこととする」道徳教育は「学校における道徳教育は、学校の教育活動全体を通じて行うものとし、道徳の時間はもとより、各教科及び特別活動においてもそれぞれの特質に応じて適切な指導を行わなければならない」と学習指導要領総則にもに示されている。しかし、道徳教育は道徳性を養うという観点から、学校の枠にとらわれることなく、家庭・地域社会全体にわたって積極的に行われる必要がある。そこで、道徳教育の歴史的変遷を西洋を中心に見ていくこととする。  西洋における道徳教育思想の先人は、ギリシアのアテネにいた「知識人」(ソフィスト)の批判者であったソクラテス(469~399B.C)である。ソクラテスは徳について考え、「徳とは教えられるか」という課題に向き合い、「徳とは何か」「教えるとは何か」という問題に接した。そして、ソクラテスはこの問題を考えた場合、徳とは実践的な知見であるとして、徳の教師はいないものとした。よって徳は教えられるものではないという一つの結論を導き、このことから道徳教育の根本的な問題であるエイロネイア(矛盾)が生まれるとした。それに対して、ソフィストの代表者であるプロタゴラスは人々の中に怒りや憤りなどがあることに注目し、徳は教えられると主張した。つまり、大人が子どもに対して懲罰などの外的圧力を用いて徳を教えているのではないかとしたのである。このようなことから、ソクラテスとプロタゴラスはそれぞれ主張しながら、道徳教育について考えたのである。プロタゴラスは子どもに対する道徳訓練をもちい、ソクラテスは子どもではなく青年を対象に永遠不滅の徳の理念を求めようとしたことがわかる。  次にソクラテスの弟子のプラトン(427~347B.C)による道徳教育について見ていくこととする。プラトンは理想的な国家を作るためのものとして、教育の実践は子どもの道徳的成長を発達段階的にとらえ、子どもが理性的になるまではプロタゴラス的立場を、そして理性的になればソクラテス的立場をそれぞれ採用した。(ソクラテスは人間の精神を理性・気概・欲望の三つに分けてそれぞれに、知恵・勇気・節制の徳を対応させたのである。そして、理性が気概と欲望を正しく支配すれば、精神のみならずその生活全体が秩序と調和を保つようになり、正義の徳が生まれてくるとした。このような知恵・勇気・節制・正義という徳は、ギリシアの四元徳と呼ばれるものである。)  次に、プラトンの教育学に対応するかたちで、存在するアリストテレス(384~322B.C)の教育学について考えることとする。アリストテレスの教育学はプラトンの理想的なものに対して、現実的立場から物事を判断するもので、人間を外から規制しようとする考え方である。また、「習慣は(エスト)はあたかも自然(フェジス)のごとし」と述べているように、子どもの理性的気質は習慣によって育成されると主張し、「習慣は第二の天性」とも呼んだ。それは習慣が身についてしまうと、人間が行動を起こす瞬間その行動が生まれつきのものなのか、後天的なものなのかを判断できないからであるとして、習慣を重要視したのである。アリストテレスによれば、善い人になるための条件は子どもの善い天性でもなければ、言葉によって言い聞かせるものでもない。根底
  • レポート 教育学 道徳 西洋の道徳教育 学習指導要領
  • 660 販売中 2007/06/12
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  • 西洋における道徳教育の歴史的変遷
  •  道徳は人間相互の関係を律する社会規範であり、しかも社会規範である法や習慣とは異なり、個人の良心あるいは自己責任の意識によって保たれる独自性を持つ。内面的自覚、自主的に選択し実践する能力を道徳性といい、その道徳性の発達を目指す営みが道徳教育である。人が集まり集団が形成されると、有形・無形のルールが形成される。新しく集団に入る人はそのルールを学ぶ必要があり、すでに属している人はそのルールを積極的に教えようとする。人が社会集団を形成して生活するようになった時から、先行世代と後続世代の間で日常的に行われてきたものである。人間が人間らしくあるために道徳は必須であり、その教育はどのように行われてきたのか。西洋における変遷について記述する。  西洋における道徳教育思想の起源は、紀元前5世紀に求めることができる。「徳の教師」と自称するソフィストたちが、すぐれた市民になるための徳を授けようとした。「徳は教えられるか」という問題について、ソフィストの代表者とも言えるプロタゴラスは世の中の人々の憤りや懲罰や叱責が存在するという事実に注目し、徳は教えられると主張した。それに反してソクラテスは、物事を教えるためには教師が必要だが、徳を教える教師がいないため徳を教える方法はないとしていた。プロタゴラスが主張する道徳教育は三段階で行われ、第一は家庭での躾、第二は教師のもとでの教育、第三は社会の中で法規範に服従することであった。これに対して、ソクラテスは子供ではなく青年を対象とし、永遠不滅の徳の理論を求めることを目標に掲げて、問答法を用いていた。  ソクラテスの弟子プラトンは、理性の時期を基準として子供の道徳性を発達段階にとらえ、ソクラテス的方法とプロタゴラス的方法を調和させた。子供が理性的になるまではプロタゴラス的立場を、理性的になればソクラテス的立場を、それぞれ採用するという考えを示した。
  • レポート 教育学 道徳教育 変遷 西洋
  • 550 販売中 2005/12/10
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  • 道徳の指導法 第1分冊
  •  (1)「修身」は1872(明治5)年の「学制」発布により生まれた科目である。明治前期では、まず、1872年の「小学教則」に「修身口授(ギョウギノサトシ)」があった。これは、下等小学第8~5級(現代の小学校1,2年生に相当)を対象に、週に2時間配当された。各々の教師が説教する形で進められたが、その典拠となる教科書は欧米の書物の全訳または部分訳がほとんどであり、翻訳書による修身科は普及しなかった。明治10年代に入ると、啓蒙主義の道徳観や道徳教育に対する批判が起こった。文明開化により知識技能の習得に偏重したために、社会的混乱や風俗を乱すものが出てきたという主張が出てきた。自由民権運動が激化し、教育の地域差や就学率の低下が見られたために、政府は、「改正教育令」を公布し、政府の干渉を強化し統一的な国民教育の普及を図ろうとした。この改正教育令の中では、修身を最重要科目とし、その方針は終戦直後まで続くこととなる。  1890(明治23)年、「教育に関する勅語」(教育勅語)が発布された。その年に小学校令も公布された。1886(明治19)年の教科書検定発足時には、文部省は修身については教科書を用いず、教師が「談話」と「自らが模範となって指導」する方針でいたが、教育勅語徹底のために、方針を転換し教科書を用いることになった。  明治後期に入ると、就学率もほぼ100%に近づき、ドイツの教育学者ヘルバルトの5段階教授説が全国の教育現場に普及した。修身科を含めて各教科でこの指導法が全国の小学校に広がった。  1900年代のはじめには、家族国家観(総合的家族主義)が形成された。教育勅語の精神によって、伝統的な「イエ」中心の家父型家族主義を強化し、天皇制家族国家観が悪率されていった。修身教科書では、特定の人物かの道徳的意識や行動から複数の価値を叙述する人物資本主義と徳目についてそれに適した格言や寓話、事例、人物の事蹟が説明される徳目資本主義の2つの方法があった。  1903(明治36)年になって、小学校の教科書が国定制になった。修身の教科書の改訂は5期まで行われた。各期の改定は政治的・社会的状況を反映し、また基本理念や内容構成とも、各時代の教育学説や教育思想に影響されているが、教育勅語の趣旨に立脚するという原則は一貫して堅持された。  大正期には、修身教育改造運動も見られたが、修身教科書の内容を改造するまでには至らなかった。当時の修身の授業は、まず、教科書を読むことから始まり、補助教材として文部省が作成した修身掛図を見せながら教えていく。あいさつやお辞儀の仕方など「こうあらねばならない」と教えた。文部省は一定のパターン化した授業方法を全国の学校に徹底しようとした。  臨戦教育体制の下で、1941(昭和16)年に小学校が国民学校に改められると、修身は国民科の一部となった。ここでは、修身とは個人が身を修めるものではなく、国民道徳へと個人を教化する道具に転化していた。 (2)学制は、明治維新政府の至上命題であった近代化の施策の一環として発布されたものであり、欧米文化の摂取と習得を目的にしたものであったと考えられるが、それにもかかわらず、初等教育においては、むしろ日本古来の伝統的精神の継承に重きを置いていたことが分かった。また、古くから親から子へと引き継いできた日常生活の心得とか、心構え、要するに生活態度の基本を、ともかくも次代を担う子どもたちに一通り伝えていかなければならない。少なくとも、わが国の伝統的精神だけは、今後いかに欧米文化を取り入れようとも失われてはいけないという明治政府
  • レポート 教育学 道徳 指導法 通信
  • 550 販売中 2007/10/15
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  • レポート、S0528、道徳教育の研究
  • 「生きる力」の育成と道徳教育についてのべよ。  「生きる力」とは「全人的な力」であり、「人間としての実践的な力」(知・徳・体のバランスのとれた力)であり、「生きていくための「知恵」」とも言うべきものである。2003年10月の答申において、「生きる力」は「確かな学力」と「豊かな人間性」と「健康・体力」の三つの能力から成る「全人的な力」と再定義されている。第15期中央教育審議会第一次答申は、「生きる力」を育むに当たって、特に次の四つの視点を重要としている。(1)学校・家庭・地域社会の連携と課程や地域社会における教育の充実。(2)子どもたちの生活体験・自然体験などの機会の増加。(3)「生きる力」の育成を重視した学校教育の展開。(4)子供と社会全体の「ゆとり」の確保。なかでも、(3)「生きる力」の育成を重視した学校教育の展開について、学校が留意する必要があるとして挙げられている次の諸点が重要である。①「生きる力」の育成を基本とし、自ら学び、自ら考える教育へと転換する。②生涯学習社会を見据えつつ、「生きる力」という生涯学習の基礎的な資質の育成を重視する。③「ゆとり」のある教育環境で「ゆとり」のあ
  • 環境 子ども 社会 学校 道徳 生きる力 学習指導要領 地域 生命 自然
  • 550 販売中 2009/03/23
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