連関資料 :: カウンセリング

資料:193件

  • カウンセリングによる非行・暴力行為へのアプローチ
  • 人はより優れた存在でありたいという気持ちを誰でももつが、それがすべてのことにおいてかなえられるわけではない。そうした場合に「劣等感」が生じるが、劣等感が強くなりすぎると「劣等コンプレックス」という屈折した感情をもつことになる。劣等コンプレックスは、その人の行動を制限し、時には周囲に対しても害を与えるなどの問題を引き起こす。  劣等コンプレックスをもった場合、ある少年は自分について全体的に自信を失ってしまい、極端に引っ込み思案になったり、他者に依存的になってしまう。一方で,劣等コンプレックスを覆い隠すために、非行などの方法を用いる少年もいる。非行を行なう少年の中には、「自分はみんなのようにまともな方法で立派な大人にはなれない」という強い不安をもっている者も少なくない。 精神的な危機には3つの種類がある。第1には「基本的危機」である。これは、生得的な問題や児童期までの不利な環境によって形成された人格の基礎となる問題などである。発達障害や虐待の被害経験などが基本的危機の代表的なものである。第2には「発達的危機」である。これは、生涯発達のある段階において、多くの人が共通して経験する危機である。
  • レポート 教育学 カウンセリング 暴力 非行 臨床心理学 少年犯罪
  • 550 販売中 2006/07/16
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  • スクールカウンセラーが行う学校カウンセリング
  •  平成7年度、文部省によって、カウンセリングの専門家を学校現場に派遣するという事業が実施された。学校内に今までなかった職種の人間が入ってきたことは、どう位置づけるかという戸惑いも多くあった。それでは実際に、学校の職員としてのスクールカウンセラーが気を付けなければならないことはどのようなことがあるか。  学校と言っても、各学校は一つとして同じものはない。地域の実情や規模、校風や生徒の実態、そして教員の構成も異なる。外部からはなかなか理解しにくい学校独自のやり方もある。こういった中でスクールカウンセラーは、その学校の特徴や課題を知り、自分自身に何が求められているのかを把握し、学校での居場所の確保に努めなければならない。また学校側もそれを積極的に提示し共有することが必要だと思う。これを前提とした上で、スクールカウンセラーが具体的な指導の中で求められていることについて述べていく。 第一に、教師とは異なった専門家の目で、問題の的確な理解とこれからの指導の進め方についての方向確認をし、援助を進めることである。このコンサルテーションにおいて私が難しいと考えることは、専門家と教員の意向が違った場合である。学校の立場として、生徒指導の問題が関わってくる。スクールカウンセラーは学校長の監督の元で教育活動の一環として、学校の実態や課題に即して適切に対処する必要がある。教員を主体として進めるべきであり、子どもたちの援助というだけでなく、教員の指導に役立つような援助も大切だと思う。学校の教育相談が自立して活動できるようなることが課題である。そのためには、研修の機会を持ったり、講話を開いたり、具体的な内容をわかりやすく提示することである。このような場を設けることで、教員が主体と雖も、スクールカウンセラーに協力する教員の存在ができることにもつながると思う。
  • レポート 教育学 教育相談 スクールカウンセラー 学校カウンセリング
  • 550 販売中 2005/12/10
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  • 教師が行う学校カウンセリングの進め方
  •  カウンセリングには大きく分けて二種類ある。それは治療的カウンセリングと発達援助的カウンセリングである。治療的カウンセリングは、専門的な知識と技術を用いて、患者の症状や病気を治療するものである。発達援助的カウンセリングは、治療することが目的ではなく、子どもの人格がバランスよく発達を遂げるように援助することが目標である。学校カウンセリングは多くの場合、この発達援助的カウンセリングを指すことが多いので、これを中心に述べていく。  カウンセリングは時間的にも空間的にも非日常であると言える。それは、カウンセリングに費やされる時間が少なく、子どもたちが相談相手として選ぶことの少ない大人たちとの、違和感の多い中での関わり合いだからである。学校で当てはめると、教師がカウンセラーということになる。そして、生徒が教師を相談相手として選ぶことが少ないということも、当てはまる。ここに学校カウンセリングの難しさがある。教師という立場とカウンセラーという立場の両方を担うことは困難であり、矛盾が生じることもある。まず大切なことは、教師が生徒間に信頼関係を築き、思いやることである。学校カウンセリングはこれを前提とした上で、携わっていかなければならない。  カウンセリングの概念は、専門家でなければならないということではなく、誰にでもできると言えないこともない。しかし教師カウンセラーは、一般教師とは違った専門性を持つものであり、誰にでもできるわけではないと私は思う。近年、学級崩壊や不登校、いじめなど子どもたちの理解や問題行動への対応に迫られることは多くなっている。子どもたちの問題が複雑になればなるほど、より深い生徒理解や援助の方法が必要となり、カウンセリング的な理論や技法の必要性はますます高まる。このようなことから、教師は専門的な知識や研修を受ける必要があると考える。
  • レポート 教育学 学校カウンセリング 教師 教育相談
  • 550 販売中 2005/12/10
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  • カウンセリングの方法・意義・今後の課題
  •  近年、学校にはたくさんの心の問題をもった子どもが見出されるようになった。メディアでも頻繁に取り上げられ、様々な事例が社会問題化している。そういった子どもの心の問題を引き起こす要因を取り除き、学習効果を高め、望ましい心身の発達の促進を目指す中で、学校カウンセリングの必要性が強調されてきている。  子どもの心の問題と一言でいっても、それは不登校やいじめ、学習障害(LD)や発達障害といったものから、勉強嫌い、わがまま、自分勝手といった日常的なことまで広範囲に及んでいる。これら全てを、教師が毎日の教育活動を通して対応していくのは大変難しい。また、目に見えてはっきりわかる大きな問題だけでなく、日常的に起こっている小さな問題にも早期に、しかも丁寧に適切な対応をしなければいけない。  そのために、教師の指導を積極的・専門的に援助し、子どもや親に、心理学的・教育的援助をしていく専門家が必要であり、学校カウンセリングが必要なのである。
  • レポート 教育学 カウンセリングの方法 教育相談 学校カウンセリング
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  • 精神病におけるカウンセリングの重要性
  • 精神病におけるカウンセリングの重要性 病の語りと人生の変容 慢性分裂病の精神化臨床で起こる<語り‐聴き取る>ことの意味について検討する。  何らかの偶然のきっかけにより、語るものと聴き取るものとの間に予想もしなかったライフストーリーがあふれるように語りだされることがある。患者の個別のライフストーリーを、精神病理学の枠組みへ囲いこむ従来の精神医学的視点では、患者の経験にどうしても届かない部分が生まれてしまう。しかし日常の医療の場では周辺的な「病の経験」や「慢性状態」の理解を、医療の中心にすえるべきではないかという考え方が広まり出している。個別的で主観的とされる多様な病や経験の民族誌的理解を求めるものである。 自分が病気であるという自覚的な意識を持ち、それを言葉にする能力の有無が主な問題となる分裂病で、自らの経験を含んだライフストーリーが簡単に語られるとは考えにくい。逆に言えば、激しい発病体験を、その前後とつなげて一貫した物語として語ることができれば、病識も慢性化という過程も、問題とならなくなる。 重なり合う視点を臨床の中心にすえることで、たった一つの臨床的ゴールへどれだけ早く効率的にたどり着けるのかというのではなく、多様な理解へ向けた限りない迂回路を切り開くという方法だ。 1.臨床民族誌的アプローチ 民族史的アプローチとは、臨床場面を形作る「異言語混淆的」な複数の視点を浮かび上がらせ、それらの間を往きつ戻りつすることで、より厚い個人的な現実に至ろうとするものである。現実を単一に固定しないことで、多様な再解釈ができるようになる。そのためより広い日常的な文脈を視野に収められる。 臨床民族誌的アプローチには以下の特徴がある。 (1)患者がどのような疾患や病理を持つのかを考える代わりに、彼らが「病」という未知の経験をどう理解し、どのような意味を与えたのかという部分に注目する。 (2)病の経験は、患者個人の唯一の確固とした「歴史的真実」ではなく、文脈や感情や、聞き手との関係に従って、家族神話や伝統的病因論という文化的な語りを吸収同化しながら、多様に変化する「ストーリー」であることを考える。 (3)心理学的な治療のゴールをあらかじめ設定せず、さまざまな場面で多声的、偶発的に語られる言葉への感受性を上げ、治療者がそれに関心を持ち続け共鳴することで、より深い患者理解への手がかりにしようとすること。 2.「病識」とライフストーリー 精神病的経験は物語化されにくい。発病体験が強烈で、それまでの繋がった経験を断ち切り、それまでの経験の意味を丸ごと変えてしまう力を持つからだ。精神病的経験の多くが過去と未来のある繋がった物語に収まらず、特定の場面や環境、その時の感情、聴き手などに従って全く異なるものとして語られる。更にこのような経験の語りは、医療場面ですら充分に聴き取られることがない。治療者は疾患については熱心に聴こうとするが、当事者の主観的経験についてはあまり関心を持たず、聴き漏らしてしまう。 3.医療人類学と物語的アプローチ 臨床場面で、本人や周囲の語りが重視されるようになったのは近年になってからだ。 「病」は物語的構造を持つ。閉じられた文章ではなく、複数のストーリーの積み重ねである。「疾患」は身体に表象するが、「病」は人生に表象される。慢性の病を抱えること、病気が治らないと考えること、これらは常に人生の筋書きを更新している。コントロールの聞かない身体は、それを抱えて初めて身にしみる。それは士気の低下へ続く。しかし「語り‐聴き取る」関係が基礎にある。語りは出来事を表出さ
  • 心理 精神 医療 病院 カウンセリング ライフストーリー 統合失調症
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