連関資料 :: 精神保健

資料:590件

  • 精神保健福祉の歩みを踏まえた上で、精神保健福祉法の概要について述べよ。
  • 「精神保健福祉の歩みを踏まえた上で、精神保健福祉法の概要について述べよ。」 明治中期まで、日本には精神保健に関するはっきりとした法律は存在しなかった。1874年に制定された『恤救規則』の中で、貧困な状態に陥っている障害者を国が救済する程度の制度はかろうじて存在していた。この時代は、神社仏閣に収容をされたり、私宅監置によって加持祈祷などが行われ、治療というよりも神仏的な何かであると考えられる面が強かった。1874年には医制が引かれ、翌年に精神科として初の公立病院として京都府癲狂院が開院となる。その後1879年には東京府癲狂院が設立した。そして、1886年に元相馬藩主が精神科病院へと入院させられたことに対し訴訟が起き、日本の法律に不備がある事が世界的に注目される事となった。そこで、警察関係者が許可さえすれば、精神障害者を私宅で監護することが出来ると定めた『精神病者監護法』が1900年に制定された。この法律は精神病を抱えている人々に対し治療などを定めたものではなく、監護義務者を指定することで、不法な監禁を防止し、また公安面から取り締まる社会防衛的な側面が強かった。その結果、精神病者の9割余りが医療から外れた状況へ追い込まれたのだ。 日本の精神医学の父である呉秀三は、全国の私宅監置の現状視察をし、「我が国の精神病者は、精神病になったということのほかに、我が国に生まれたという二重の不幸を背負っている」と現状の精神医学の体制について厳しく批判をし、政府に精神病院の建設と精神病院法の制定を強く働きかけた。1919年に、ようやく『精神病院法』が公布されるが、行政の財政難のため公立精神病院の建設は全く進まず、病院の建設に関しては、ほとんどが民間資本に委ねられてしまい、治療も保護に関しても民間に頼らなければやっていけない状況をつくりだした。つまり、国が推し進めなくてはいけないのを、民間が手探り状態でやったのだ。1950年、精神医療に関する近代的な法則といわれる『精神衛生法』が公布され、精神病者監護法は廃止された。しかし、この『精神衛生法』は、これまで行われてきた精神病者監護法の流れを引継ぎ、社会防衛的な色彩の強い法律であり、内容的には改善はみられなかったのだ。その内容は、①私宅監置制度を廃止するとともに、精神病院の設置を都道府県に対して義務かする。②精神病者や精神薄弱者、精神病質者を法の対象としてはっきり明記した。③措置入院制度について、新たに新設をした。④同意入院について設定をした。⑤仮入院や仮退院制度について規定がなされ、新しく、精神衛生相談所・精神衛生審議会・精神衛生鑑定医療制度が設置されるようになったのである。この『精神衛生法』は、1987年の『精神保健法』の成立まで約37年もの間にわたって、戦後の精神医療を規定するものであったが以下の問題を抱えていた。 まず、精神障害者の人権に対する配慮などがまったくなかった。特に入退院に関する手続きは、人権無視な扱いが当たり前であった。第2に、社会全体からの隔離や、入院の仕方を規定したものであり、在宅精神障害者への対策や社会復帰についてまでは考えられていなかった。つまり、精神障害者の立場に立つというよりも、住民や社会的な安全を計ろうという社会防衛が強いと言える。 精神病院の数は、1993年頃まで、増加の傾向をたどった。特に1961年からの10年間の伸び率が高く、急激な増加傾向にある。その背景には、厚生省(現厚生労働省)による第1回精神障害者実態調査が1954年に行われ、増床政策の基礎資料が作られ、精神病院が特殊病院と位置
  • レポート 福祉学 精神保健福祉制度 精神保健福祉士協会 精神障害者社会復帰
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  • 精神保健福祉の歩みを踏まえた上で、精神保健福祉法の概要について述べよ。
  • 精神保健および精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)は、精神保健福祉の歩みと深く関係している。そこで、精神障害者を取り巻く法律の歴史的変還を概観した後、精神保健福祉法の改正の概要を説明し、現行法の内容について述べる。 1.精神保健福祉の歩み  精神障害者に関する規定は長い間、各地方の判断に委ねられていた。1900年制定の精神病者監護法は、精神障害者の保護に関する最初の全国的規制であった。しかし、基本精神は社会防衛思想に基づくもので、精神障害者の私宅監置を法的に位置づけたものであった。その結果、多くの精神病者が医療の対象外となる事態を招いた。  そこで、1919年に精神病院法が制定された。しかし、公立精神病院は5病院が開設されただけであった。そのため、治療を保護も民間に頼らざるを得ない状況を生み出した。 1950年に精神衛生法が公布され、精神病者監護法と精神病院法は廃止された。この法律は私宅監置を全面的に廃止する目的でできたものであり、現代精神医療の出発点である。しかし、精神病者監護法の流れを引き継ぎ、社会防衛的色彩の強い法律であった。  一方、1953年頃になると日本でもクロルプロマジン等の抗精神病薬が使われ始めた。薬物療法をはじめ精神療法や作業療法等の治療法の進歩がみられた。寛解状態の精神障害者が増加したものの、入院の長期化は続いていた。  1964年、精神衛生法の前面改正に向けた検討が進められる中、アメリカの駐日大使が精神障害者に刺傷される事件(ライシャワー事件)が起きた。これにより、同法の緊急改正の動きが表\面化することとなった。この改正により、地域精神衛生の体制が保健所を中心につくられた。しかし、精神障害者を入院させるシステムは強化され、精神障害者の社会復帰や福祉という理念は欠落してしまった。そのため、社会的入院が増加していった。
  • レポート 福祉学 精神保健福祉の歴史 精神福祉法 概要 歩み
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