連関資料 :: 倫理学

資料:97件

  • 倫理概説2
  • 私が思う平和の理念とは、「秩序が維持され続けていること」である。したがって、戦争の反対が平和であるというだけではないといえる。なぜなら、国内で起こる、民族紛争や、カルト集団のテロ、強盗や暴行といった不法な行為といった人災や、地震や台風といった天災、さらには政治の失敗による社会の不安定によっても平和は崩れてしまうものだからである。では、いかにして平和は実現されるのだろうか。カントの著した『永遠平和のために』をもとに平和について考察したい。  まず、国家間の永遠平和のための予備条項として、6ヵ条が挙げられている。この6か条では第3条の「常備軍の撤廃」や第5条の「国家の体制や統治に暴力を持って干渉しない」といった戦争を起こしてしまうような原因を除く条項である。他国の信頼を損なうことを防ぎ、疑い合うことさせない体制作りを設定している。つまり、永遠平和の前提条件としては国家間同士の信頼関係を築く土台といっても過言ではないと思う。国家を一人の人間として例えると、他人とケンカをせずに平穏に過ごすには、お互いが懐にもっている凶器は捨て、相手の考え方に対しては暴力で訴えない。もし、ケンカをしてしまって
  • 倫理学 東洋大学 通信教育課程
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  • 倫理 日本の倫理思想に対する仏教影響について述べよ
  •  日本における倫理思想は、日本人の民俗、習俗に加えて外来の思想(儒教、仏教、西洋思想)の需要と展開を軸にしながら展開されてきた。  日本の古代国家は4世紀から5世紀にかけては、大和朝廷に見られる宗教的一体で「律令」による国家体制へと変化していった。そのあと、朝鮮半島との国交とうしてもたらされた「論語」と仏教の伝来という歴史的事実から、この儒・仏教思想が具体化されてきた。  まず聖徳太子は人を君・臣・民の態度などや人の和の心をもっとも重視した「論語」の強調する道徳規律の遵守精神である。  聖徳太子のあと、律令国家へと移行し中世になって正法・像法・末法という仏教的歴史の「末法」説くに置ける危機意識を契機として仏教の日本に定着していった。  末法思想とは普通、仏滅1500年から2000年のあとにおける。  仏法は末世末法であるという危機感である。末法は時代が汚れ天災地変や戦乱など社会悪もろもろの邪悪な思想や見解がはびこる様々な精神的悪徳があふれる。  人々の性根が低下する、人間の寿命が次第に短くなるという「五蜀」の世であると説く。そのような末法の予告や末法の歴史観や世界観や人間観は「発心集」や「愚管抄」そして当時の説話物語などに多くみられる。とりわけ宗教倫理的な展開として恵心僧都源信(942〜1017)があげられる。源信は、人間のあるべき理想像を往生要集に表し、その方法を当して念仏を進めた。汚れた世界であるこの現実世界を理想的な浄土を喜んで求めることであるとする。  根本において末法という時間と場所で人間が以下にあるべきかという積極的な問いがある。この問いの具体的な解決は、平安末期から鎌倉時代の日本における仏教の特色の展開すなわち仏教の日本的土着化に求められる。  鎌倉期に起こった仏教の特色は人間凝視という点にあり、その意味で十分倫理学の問題でもある。
  • レポート 哲学 倫理学 保育学科 仏教 日本の倫理思想
  • 550 販売中 2006/01/24
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