連関資料 :: 教育課程

資料:1,095件

  • 学校教育課程
  • 『教育課程とは何かについて、その基準と編成原理、今日的課題についてまとめなさい。』 わが国は、これまで大きく3回の教育改革を行ってきた。1回目の教育改革は、明治の学制発布に伴う教育改革であり、国民に教育を受ける機会を保障することが大きな柱となった。2度目の改革は、戦後の義務教育及び民主教育の発足に伴う改革であった。これにより、子どもたちの進学率が大幅に上昇し、教育が大衆化された「大衆教育社会」が到来し、同時にいわゆる受験競争が過熱することとなったのである。そして3度目である今日に最も近い教育改革が、中央教育審議会や臨時教育審議会を中心として提唱された現行の教育改革である。学歴のインフレ化に伴って、学校の中で起こったいじめ、不登校、学級崩壊などいわゆる教育の荒廃の原因が、受験競争によって過熱化した学歴社会であると、学歴社会そのものを「悪の枢軸」としてつるし上げ、新しい学力観に基づく「ゆとり教育」への転換が始まったのである。このように「教育課程」は時代に合わせてその姿かたちを変えてきた。  教育課程を論ずるうえで、教育課程学習指導要領は必要不可欠である。ここで教育課程学習指導要領の変遷と教育内容の変化を見てみる。 教育基本法及び学校教育法の公布と平行して、昭和22年3月に最初の学習指導要領が制定された。だが、ここでの学習指導要領はあくまで「試案」であり、現場の裁量にゆだねられていたが、一定の基準は設けられていた。そして、教科教育中心の個人のための教育に転換し、修身の廃止も決定された。小学校では9科目を設け、修身・歴史・地理の代わりとして社会科、家庭科、自由研究が新設された。家庭科に関しては、戦前の家事科の流れを汲むが、男女共学の理念の下で女子だけでなく男子にも課せられるようになった。 しかし、昭和22年に作成された学習指導要領は、きわめて短期間で作成されたものであったため、昭和26年に学習指導要領の全面改討を行った。その結果、小学校では以前の9教科に代わって4つの領域という大まかな枠組みへと再編された。しかしながら、これらの経験学習的なカリキュラムは、児童生徒の基礎学力低下や青少年の非行などの問題の原因と見なされるようになった。        そのため、昭和33年に教育課程審議会は、「道徳教育」・「基礎学力」・「科学技術教育」に重点おくように方針を示し、学習指導要領の法的拘束力が強化され、特別時間「道徳」の設置を決定した。そして、道徳の独立が社会科は授業時間数を減少させ、内容上でも中学校・高等学校において4科目に文化され、系統学習的カリキュラムとなった。 しかし、1960年代経済界から経済成長を担う人材育成を教育に求める声が高まり、能力主義の徹底化が主張されたことで、教育目的の重要な柱である人間性育成が等閑視された。そのため学習指導要領において「調和と統一」が焦眉のテーマとして取り上げられ、教科以外の道徳や教科活動が重視された。  昭和52年には、以前までの能力差に応じて生徒に対し、別々に授業を行うという能力主義が導入され、結果的に教室内での競争を助長してしまうという反省点から、「ゆとりのある学校生活」という路線が導入された。体育や特別活動は、「知・徳・体の調和」「豊かな人間性の重視」の理由により授業時数はそそまま残され、各教科に関しては、授業時数・教育内容も減少し、ゆとり路線が実行された。 平成元年には小学校では、第1学年と第2学年における社会と理科を廃止し新たに生活科が創設された。 平成10年に完全学校週5日制が実施され、小学校・中学校はさらに年
  • レポート 教育学 教育課程 学習指導要領 新学習指導要領
  • 550 販売中 2007/03/10
  • 閲覧(3,485)
  • 学校教育課程
  • 『教育課程とは何かについて、その基準と編成原理、今日的課題についてまとめなさい。』   今日、子どもの学力低下が大きな社会問題の1つとして捉えられている。最近では科学者だけでなく、子どもたちを教える教員も「学力の二極化」現象を実感している。「ゆとり教育」のもとで編成された学校教育課程において、「学力低下」や「学力の二極化」といった困難な教育状況をつくりだしてしまったことは否定できない事実である。では何故、「ゆとり教育」が始まったのかについて簡単に述べたいと思う。 1970年から80年代にかけて、日本の学校教育では、知識注入を中心
  • 学校教育課程論 佛大 教育課程 学校 教育 学力低下 ゆとり 小学校 教師
  • 550 販売中 2008/06/30
  • 閲覧(1,774)
  • 学校教育課程
  • 学校教育課程論  第1設題 「中学校または高校での『総合的な学習の時間』の授業について、自ら指導案を作成し、それについて解説しなさい。」  ⇒「生きる力」とりわけ自己の生き方を考えることに重点を置いている第15期中央教育審議会の答申を参考に考える。対象者は高校生である。 【単元名】 「地域を知り学ぶと同時に、地域の活性化の手助けを行なう。」 【単元の目的】 ①自分たちの地域の産業を知る。 ②学校付近のお店(市場)に出向き、地域の人々とふれあうことにより、密接な関係作りを行う。 ③学校と地域の連携を深める。 ④グループごとに取材したお店の紹介ビデオ(ホームページ)を作成することにより、情報機器の操作に慣れる。 ⑤グループごとに分かれて1つの作品を作ることにより、クラスの連帯感を生み出す。 【授業展開】全7時間 事前説明(1時間) 授業のはじめに、自分たちの住んでいる地域の産業や町の様子を知っている限り生徒に発言させる。 最終的に行なうこと(地域に出て取材し、それらの情報を元に自分たちで紹介映像を制作すること)を説明する。 事前に見本(簡単なもの)を見せる。上映中、生生徒の反応をみる。(興
  • 佛教大学 学校教育課程論
  • 550 販売中 2008/08/06
  • 閲覧(1,212)
  • 学校教育課程
  • 「教育課程とは何かについて、その基準と編成原理、 今日的課題についてまとめなさい。」   教育課程とは、望ましい学習が展開されるように配慮してつくられている、学校の教育内容の組織である。学習指導要領を基準とし、教科・科目などの指導領域を設け、教材を選択・配列することによって編成される。しかし、その基準となる学習指導要領は常に一様であるわけではなく、その時代に求められるニーズが盛り込まれ、それが教育課程として現場に反映されていく。指導要領を左右するのは、「見る・聞く・話す」を中心とした「経験主義」か「読み・書き・計算」を中心とする「系統主義」のどちらを重視するかである。文部省が教育課程審議会の答申を受けて制定し、各学校はその基準に従って、教育課程を編成し実施する。  当然のことではあるが、このような教育課程の編成や教育方針は、社会の変化とともに変遷している。わが国ではこれまで大きく3回の教育改革がなされてきた。1回目の教育改革は、国民に教育を受ける機会を保障することが大きな柱となった、明治の学制発布に伴う教育改革であった。2度目の改革は、戦後の義務教育及び民主教育の発足に伴う改革であった。これにより、子ども達の進学率が大幅に上昇し、教育が大衆化された「大衆教育社会」の到来であり、同時に受験戦争が加熱することになったのである。そして、3度目である教育改革が、中央教育審議会や臨時教育審議会を中心として提唱された現行の教育改革である。学歴のインフレ化に伴って、学校のなかで起こったいじめ、不登校、学級崩壊などいわゆる教育の荒廃の原因が、受験戦争によって加熱化した学歴社会であると、学歴社会そのものを「悪の枢軸」とつるし上げ、新しい学力観に基づく「ゆとり教育」の転換が始まったのである。教育基本法及び学校教育法の公布と平行して、昭和22年3月に最初に学習指導要領が制定された。教育課程の上でも、「それぞれの学校で、その地域の社会に即して教育の目標を吟味し、その地域の児童青年の生活を孝へて、これを定めるべきものである」と述べられ、教科教育中心の個人のための教育に転換し、修身の廃止を決定した。これをふまえて小学校の教育課程で大きく変化したのは9科目を設け、修身・歴史・地理の代わりとして社会科、家庭科、自由研究が新設されたことである。家庭科に関しては、戦前の家庭科の流れを汲むが、男女共学の理念の下で女子だけではなく、男子にも課せられるようなった。昭和26年改訂では領域ごとに合科的な授業を行うことが意図され、きわめて柔軟なカリキュラムになった。また、自由研究は教科以外の活動と変更になり、児童が学級活動、学校行事に参加して協調性・社会性を育むことになった。昭和33年改訂では、経験学習によって基礎学力が低下し、青少年の非行や、規律の低下が問題になった。そして、系統学習的な教育課程が求められ、道徳教育の徹底、基礎学力を重点におくような方針を徹底した。1960年代からは高度成長に伴い、経済成長を担う人材育成を教育に求める声が高まった。昭和43年の改訂では知識の量が近代の科学技術の進展によって膨大になったため、授業時間の表記が「最低時間数」から「標準時間数」に変わった。また、能力の差によって生徒を分けて授業を行う能力主義が導入されたが、教室内の競争を助長するものとして批判された。昭和52年の改訂では能力主義への反省からゆとりある学校生活が目標に挙げられた。ここでの特徴は授業時間数の削減であり、各教科の難解な内容は削除され、ゆとり路線が敷かれた。そして、平成元年改訂を得て、現行の平成
  • 学校教育課程論 レポート リポート 佛大 佛教大
  • 550 販売中 2008/02/01
  • 閲覧(2,007)
  • 学校教育課程
  • 『教育課程とは何かについて、その基準と編成原理についてまとめなさい』  学習指導要領は、第二次世界大戦後から現在にかけてほぼ10年ごとに改訂され、その時代が要請する教育目標と内容を示し、日本の教育の方向性を変化させてきました。最初に、改訂のそのときどきの社会情勢、教育問題、学力問題などを追っていきたいと思います。 第二次世界大戦後の教育課程の改革では、戦意高揚に関する記述をなくすことを目的として修身科を廃止し新たに「公民科」を設置しました。また、「社会科」や「強化外活動」の構想も考えられました。 昭和22年3月に最初に学指導要領が「試案」として制定されました。その頃はまだ、現場の裁量に委ねられていた部分も多くありましたが、一定の基準として以下のような基準を設けました。小学校の教育課程は、国語・算数・理科・社会・音楽・体育・家庭・図工・自由研究の9教科であること。着目点は民主主義的な社会形成のための良識や性格を一人ひとりが見につけるべく「社会科」「家庭」「自由研究」が新たに設置されたことです。また、中学校の教育課程は必修科目と選択科目に分かれ、必修科目には国語・習字・社会・国史・数学・理科・音楽・図工・体育・職業の10科目、選択科目には外国語・習字・職業・自由研究の4科目でした。高等学校は「高等普通教育を主とする学校」と「実業を主とする学校」に分けられました。 昭和26年、それまで「試案」という形で試行されていた学習指導要領が大幅に改訂されました。小学校の教育課程では、以前の9科目にそれぞれ大まかな4つの枠組みへと編成することにより、その枠組みでの合理的な授業を行うことが意図され、きわめて柔軟なカリキュラムが組まれていました。また、児童が学級活動・学校行事に参加して、協調性・社会性が培われることを目的に「自由研究」は「教科外の活動」に変更されました。中学校の教育課程は、体育が保健体育に、国史が日本史に、自由研究が廃止され特別教育活動に変更されました。必修科目は国語・社会・数学・理科・音楽・図工・保健体育・職業の8科目、選択科目は外国語・職業・その他の3科目でした。高等学校に関しては学習指導要領の改訂と同時に高等学校設置基準が設置されました、その中で「普通教育を主とする普通科」と「専門教育を主とする学科」とに分けられました。しかしながら上記のごとき経験学習的なカリキュラムはやがて批判にさられました。それは、経験学習によって児童生徒の基礎学力が低下したこと、そして青少年の非行、規律の低下などが問題となりました。そのため、教育課程において系統学習的要素を取り入れられる試みがなされるようになります。 昭和32年、教育課程審議会は答申を出し、道徳教育・基礎学力・科学技術教育に重点をおくように方針を示しました。そして翌年33年上記の経過を踏まえて学習指導要領の改訂が行われました。この改訂によって、教育課程は4領域に構成されました。4領域とは、各教科(国語・社会・算数・理科・音楽・図工・家庭・体育)、道徳、特別教育活動、学校行事です。最も着目すべきは、特設時間「道徳」の設置で、青少年の非行の増加などが社会問題化したため、その抑止に効果が期待されました。また、国語・算数・理科の教科では授業時間数が増加し、基礎学力の向上が目指されました。 昭和40年代から日本は高度経済成長期を迎え、経済成長を担う人材育成を教育に求める声が高まっていきます。「教育投資」の名の元、能力主義へと移り変わろうとします。科学技術の進展に伴い、知識量が膨大に増加したため、授業時間の増加や、とく
  • 教育課程とは何かについて その基準と編成原理についてまとめなさい
  • 550 販売中 2008/03/06
  • 閲覧(1,735)
  • 学校教育課程
  • 『教育課程とは何かについて、その基準と編成原理、今日的課題についてまとめなさい。』 教育課程とは、学校教育法により定められた、学校の教育目的や教育目標を達成するために配慮してつくられる、児童生徒の発達を保障するため学校が計画的、組織的に編成した教育プログラムである。教育課程を編成するとき、学校の教育目標を掲げ、指導内容の組織や授業時間の割り当てを基本とし、検討する必要がある。そのときに、考慮しなければならない4つの原則がある。その4つの原則は次の通りである。 ①法令及び学習指導要領のしめすところに従うこと ②児童・生徒の人間としての調和のとれた育成を目指すこと ③地域や学校の実態を考慮すること ④児童・生徒の心身の発達段階や特性などを十分考慮すること このような原則で編成している教育課程だが、今日に至るまでには様々な社会の変化に対応して、変化してきている。日本では、これまでに3回の教育改革が行われた。 最初の教育改革は明治時代の学制発布である。これは国民に教育を受ける機会を保証することが大きな柱となっていた。2回目の教育改革は、戦後の義務教育制及び民主教育の発足に伴う改革である。これにより、子どもたちの進学率が大きく上昇し、教育が大衆化された。そして「大衆教育社会」の到来と同時に、受験戦争が過熱することとなった。3回目の教育改革は中央教育審議会や臨時教育審議会を中心として提唱された現行の教育改革である。学校でのいじめ、不登校、学級崩壊など、いわゆる教育の荒廃の原因が、受験戦争によって過熱化した学歴社会であると、新しい学力観に基づく「ゆとり教育」への変換が始まった。  教育基本法及び学校教育法の公布と並行して、昭和22年3月に最初の学習指導要領が制定された。これは教育課程上、「それぞれの学校で、その地域社会の社会生活に即して教育の目標を吟味し、その地域の児童青年の生活を考へて、これを定めるべきものである」と述べられ、現場の裁量にゆだねられていた。着目すべきは、修身・歴史・地理の変わりに「社会科」が新設、及び「家庭」と「自由研究」が新設されたことである。国のための教育から個人のための教育へと変革を目指した。  昭和26年に文部省は学習指導要領の全面改訂を行った。小学校では以前の9教科に変わり、「主として学習の技能を発達させるに必要な教科」(国語・算数)、「主として社会や自然についての問題解決の経験を発展させる教科」(社会科・理科)、「主として創造的要素を発達させる教科」(音楽・図画工作・家庭)、「主として健康の保持増進を助ける教科」(体育)の4つの領域へと再編された。4領域ごとに合科的な授業を行うことが意図され、きわめて柔軟なカリキュラムであった。しかしながら、この経験学習的なカリキュラムはやがて批判にさらされた。なぜならば、これにより児童生徒の基礎学力が低下し、非行、規律の低下が問題となったからである。  この対応策として、教育課程において系統学習的要素が取り入れられる試みがなされた。その試みは三層四領域という。そのため、昭和33年3月に教育課程審議会は答申を出し、道徳教育・基礎学力・科学技術教育に重点をおくように方針を示し、10月に学習指導要領の改訂が行われた。これにより教育課程は、各教科、道徳、特別教育活動、学校行事などの4領域に構成された。また、学習指導要領の法的拘束力が強化されたことも着目しなければならない。さらに着目すべきは、「道徳」の設置である。そして、国語、算数、理科の授業時間が増加し、基礎学力の向上が目指されている。  1960年代
  • 小学校 学校 社会 戦争 発達 学習指導要領 道徳 体育 健康 学習
  • 550 販売中 2008/03/12
  • 閲覧(3,429)
  • 教育課程総論 フレーベル
  •  フレーベルは、1840年頃に「幼稚園」(Kindergarten)を創設した。フレーベルは、人類の初期の教育には、母らしき精神、女性らしき愛こそが必要であり、もともと女性の心情の中には幼子への愛の魂が宿っていると確信したのである。そこで、フレーベルは、世の若い女性に幼児教育のもつ神聖にして崇高な意味を自覚させるために、「一般ドイツ幼稚園」をブランケンブルクに創立したのである。この幼稚園は、今日のような狭義のものではなく、母性教育をも目的としたものであった。フレーベルは、花園のような美しい場所を作り、この園生に、崇高な母性と、精神的な幼児教育を融合させた花を咲かせようとしたのである。こうした理念を胸に、友人と友にカイルハウからブランケンブルクの方へ歩いていったフレーベルは、シュタイゲル山脈からふと行手に、美しいリンネの谷間があたかも大きな花園のように日の光に照り映えているのを見て「見つけた!その名は幼稚園でなくてはならない」と叫んだ。植物学から人間教育の原理を感得したフレーベルにとって、幼児教育はまさに庭園思想であった。  フレーベルのいう幼児の園(Kindergarten)こそは、天
  • フレーベル
  • 550 販売中 2008/01/28
  • 閲覧(2,728)
  • 学校教育課程
  • 『教育課程とは何かについて、その基準と編成原理、今日的課題についてまとめなさい。』 わが国では、現在に至るまで、大きく分けて3回の教育改革が実施された。1度目の教育改革では、明治の学令発布に伴い、国民に教育を受ける機会を保障した。 2度目の教育改革では、戦後の義務教育制及び民主教育の発足に伴って、子どもたちの進学率を上昇させ、教育を大衆化した。これが「大衆教育社会」の到来となり、受験競争が過熱することとなった。 3度目の今回の教育改革が、中央教育審議会や臨時教育審議会を中心として提唱された現行の教育改革である。いじめ、不登校、学級崩壊などの原因は学歴社会であると、学歴社会そのものを「悪の枢軸」としてつるし上げ、新しい学力観に基づく「ゆとり教育」への転換が始まったのである。 では、現在に至るまでの教育課程、学習指導要領の変遷をみていく。戦後、民主主義を定着させるため、教科書から戦意高揚に関する記述をなくし、修身科を廃止、新たに公民科を設置した。画一的教育から、生徒の自発性を重視した教育への転換が念頭に置かれていた。 昭和22年、教育基本法及び学校教育法の公布と並行し、最初の学習指導要領が
  • レポート 学校教育課程論 A判定
  • 550 販売中 2008/11/05
  • 閲覧(1,297)
新しくなった
ハッピーキャンパスの特徴
写真のアップロード
一括アップロード
管理ツールで資料管理
資料の情報を統計で確認
資料を更新する
更新前の資料とは?
履歴を確認とは?