資料:11,516件
-
教育課程
-
教育課程論
1 江戸時代の教育課程
江戸時代中期になり経済が発展してくると、商人や農民の間でも商売のための手紙のやり取りや田畑の仕事の記録、娯楽として読書が普及してきたため、読み書きの能力が求められるようになった。これらの要求に応じて子どもたちに教育を受けさせる機関として「寺子屋」が各地に生まれ、広まっていった。
寺子屋は庶民を対象とした教育機関で、男子でも女子でも行きたい人は通うことができ、寺子屋に行くか否かは個人の任意によるものであった。寺子屋の教育目的は、生活していくうえで必要な読み書きの能力や数字の知識等を身につけることであり、教育内容は文字や数字の学習等、基本的には実学的なものであったと言われている。授業は今のような一斉授業の形式ではなく、生徒一人一人に応じて往来物や師匠によるお手本を用いて行う個人学習であり、その方法は授業というよりは、むしろ「受業」と呼ばれるべきもので子どもたちは師匠に与えられた課題をこなして初めて次の段階へ進むことができ、新しいことを習うことができた。この寺子屋に対して、江戸時代には「藩校」もあった。寺子屋が庶民を対象とした学びの場だったのに対し、藩校は家臣の子弟、男子のみに開かれた機関であり任意によるものではなく、ほぼ強制的なもので、家臣の子弟が家を継ぐ力を身につけることを目的として創設された。そこで教育されていた内容としては実務的な事務的能力を習得することよりも、上に立ち庶民に尊敬されるような人格を備えるために教養を身につけることに重点が置かれていた。子どもたちは理由や意味を説明されることなしに、理解することなしに中国古典である四書五経を何度も何度も読み覚え、「読書百遍意自通」と言われるような学習法を強いられていた。寺子屋とも共通している部分であるが、江戸時代の子どもたちは授業を受けるのではなく「とにかく覚える」そんな方法で学んでいたといえる。
2 明治~昭和期の教育課程
19世紀後半、欧米列強によるアジア植民地化が進む状況の中で開港をせまられた日本にとって国の統一・近代化、富国強兵制度を推し進めるための国民教育制度の確立は緊急を要する課題であった。1871(明治4)年に文部省が創設され、翌1872(明治5)年には「学制」が公布されて国民皆学の方針が維新政府によって示された。この「学制」は欧米先進国の教育制度をモデルとしたもので教育行政のシステムはフランスの中央集権的な公教育制度から、教育方法はアメリカの功利主義的思想からの影響を大きく受けていたといわれている。
国民を忠良なる臣民から主権者に育て上げるために、教科書は絶対化され、与えられた教科書をいかに効率よく子どもたちに覚えさせるか。それが当時の教師の役割であった。一斉授業が始まったのも明治時代からで、これまでの手作り・手作業の授業から一転、規格化され、大量生産を行う教育工場のようになってしまった。1947年、日本国憲法が制定されてから学習指導要領が出される。より賢い主権者を育てるため、問題解決学習、自治活動、課外活動が取り入れられ、経験主義の教科内容が提案された。この学習指導要領においては「児童や青年の興味・自発性」が重視されていた。
しかしその後、児童生徒の基礎学力の低下、青少年の非行、規律の低下などが問題となり、学校教育においても何らかの対応策が求められるようになった。そのため1958(昭和33)年の学習指導要領の改訂では道徳教育・基礎学力・科学技術教育に重点が置かれるようになった。共産主義に対する盾として、また高度経済成長を支えていけるような人材養成
-
教育課程
仏教大学
佛教大学
課題
学習指導要領
寺子屋
- 1,650 販売中 2008/06/27
- 閲覧(2,489)
-
-
同和教育
-
「戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方を論述せよ。」
同和(人権)教育の意義、学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方を考える前に、戦後の同和教育史を概括する。まずは、京都市の取り組みを中心に見ていきたいと思う。
戦後の京都市における同和教育施策は、同和地区児童・生徒の長期欠席・不就学の取り組みに始まる。同和地区児童・生徒の長期欠席・不就学問題は、同和教育創生期における 最も重要にして緊急な教育課題であった。
オールロマンス事件当時の長期欠席児童・生徒数は、小学校で京都市0.6%に対し、同和地区6.5%、中学校で京都市2.8%に対し、同和地区28.7%と、数字が跳ね上がっている。
「オールロマンス事件とは1950年、高山義三が革新陣営の支持のもと京都市長に当選したが、高山は当選後、保守勢力との妥協が目立つようになり、保守化してきたと見られるようになった。当時、京都市役所内で形成された左翼グループは、これに不満を持ち、それを掣肘する機会をうかがっていた。1951年、京都市衛生課の臨時職員杉山清次が『オール・ロマ
-
佛教大学
通信
レポート
第一設題
同和教育
- 550 販売中 2008/07/15
- 閲覧(1,659)
1
-
-
福祉と教育
-
「日米の教育制度の差異と真に能力を伸ばす教育について述べよ。」
日本の大学の教育レベルは、アメリカなどの教育先進国と比較すると、低いと言われている。有名大学を卒業した者さえ、基礎学力が低く、論理的な文章が読めない、問題の内容が把握できない、できたとしても解答を自分なりの明快な文章にまとめることができない、分析してどの情報を取ってどの情報を捨て、それらを組み合わせて意味の通る文章にどうまとめ上げるかという文章作成能力が欠如しているのである。
日本の教育制度の現状は、「詰め込み式教育」という言葉で表すとおり、偏差値や入試では、記憶力を中心とする能力で評価される。
授業は、教師が一方的に進めていき、学生は、試験に出るところだけを暗記するというやり方である。さらに塾や予備校に通い、高い授業料を払い、偏差値を上げるための授業を受けることが、あたりまえのようになっている。
そして、有名大学を卒業することが、一流企業に就職し、安定した職業と生活を手に入れ、社会的に成功すると思われている。つまり大学で何を学ぶかということより、どこの有名大学を卒業したかという学歴が、日本では重視されているのである。
日
- 990 販売中 2008/09/16
- 閲覧(1,195)
-
-
人権教育
-
- 550 販売中 2010/07/23
- 閲覧(752)
-
-
算数教育
-
算数科教育史の歴史
(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)
2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴、教育内容
算数教育の歴史を振り返ると江戸時代においては、寺子屋などでおこなわれていた教育がある。寺子屋では、算盤を用いた珠算など実学的な内容が扱われていたといわれている。いわゆる「読み書きそろばん」のそろばんの部分である。つまり、体系的な数学の知識を得るというのではなく、生活上必要な計算などの知識を得ることが重要な目的となっていた。時代が大きく変化して明治に入ると、教育令、諸学校令、教育勅語が出されるなど、短期間のうちに国家としての教育制度が整っていった。明治初期においては、数と計算の内容を中心として算数と実生活との結びつき、また欧米の様々な教科書が翻訳・紹介されるなど比較的自由な算数教育が展開されている。一方、国内の動きはというと、日本の教師や研究者らが、自らの手で創りあげていこうとする気運はそれほどなかったといえる。
そして1905年に第一期国定教科書『尋常小学算術書(黒表紙教科 書)』が編纂される。それまで多様だった教育内容が画一化される以後、国定教科書は戦前の算数教育を永く支配し、国家統制を強力なものにしたようである。国家戦争の下で、日本の教育は統制に向かっていったといえる。数え主義の徹底や幾何の学習を一部に限るなどのやり方は、国家の教育制度をどう確立するかのスタンスに立っており、この時期の算数教育は、子どもの認識の発達を考慮したものではなかったといえる。
この体性からさらに子どもの認識の発達を重視し、それに見合った教科書を作成するという動きが起こり「緑表紙教科書」が作成された。その内容は、黒表紙教科から大きく変更されている。例えば計算問題ばかりではなく、数と量と図形をバランスよく学習することとされ、目標を数理的思想の育成としている点でそれまでの考え方から大きく転換している。そして、さらに次の教科書として編纂されたのが「水色表紙教科書」である。水色教科書は、内容としては緑表紙教科書とそれほど大きな差は見られないが、一部当時の新しい数学を導入、理科との結びつきを強め実測・実験を重視するなど、内容面において発展が見られる。
そして、戦後においては、生活の重視による科学的能力の育成を目指した「単元学習」が行われる。これは日常の色々な現象に則して、数・量・形の観念を明らかにし、現象を考察処理する能力と科学的な生活態度を養うというものである。この後、「何を、何のために、どのように」教育するのかという「系統学習」へと移行する。次に、アメリカがソ連との国際競争で優位に立つことを目標として数学教育の現代化を行った。それを受け、日本においても数学教育の「現代化」が図られた。しかし、管理体制の問題も重なり子供の負担が増加し批判が起こった。
そして、ゆとりと充実・基礎・基本を重視する「ゆとり」の時代に入る。基礎的な知識の習得や基礎的な技能の習熟を重視し、また時間をかけて数学的な考え方や処理の仕方を生み出す能力と態度を育成することを目的としている。また、教育内容を精選し、創造的な能力の育成を図り、ゆとりある充実した学校生活を実現するとしたが、配当時間は減少し、内容の多くが整理削減された。それにより学力低下や学習意欲の低下などさまざまな問題が指摘される要因ともなった。
そして、現在、「生きる力」を育成する「個性化」の教育の時代へ入ってきている。
このように、算数科教育の内容は、時代背景や国家体制によって大きく変遷をとげて
-
算数教育
教育学
教育
算数科
ゆとり
- 550 販売中 2007/11/26
- 閲覧(3,231)
-
-
義務教育について
-
1.義務教育とは (1)憲法26条 能力に応じて等しく教育を受ける権利を有する。 保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。 義務教育は、これを無償とする。 (2)教基法4条 保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。 (3)学教法22条 保護者は、子女の満6才に達した日の翌日以降における最初の学年の初から、満12に達した日の属する学年の終わりまでこれを小学校に就学させる義務を負う。(盲、聾、養護学校の小学部) (4)学教法17条目的 18条目標 1号~8号 2.生きる力とは (1)学習指導要領の変遷 1)S22、生活化・体験化 2)S33、系統化 3)S43、現代化 4)S52、人間化(ゆとりと充実) 5)H元年、個性化(新しい学力観) 6)H10、総合化(ゆとりの中で生きる力を) (2)生きる力 自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力(前回 5)の新しい学力観を発展) 自らを律しつつ、他人と強調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性とたくましく生きるための健康と体力 * 1)と3)と5)と共通 (a)基本的概念を明確にし (b)科学の方法を駆使、探求の課程をたどらせる。 事実 仮説 検証 定理 (c)1)の生活化・経験化の際には、はいまわる〇〇科の批判を受け、2)の系統化へ (3)学習指導要領の概念 大綱的基準から最低基準(ミニマム・リクワイアメント)としての性格へ 3.学力と学力低下 (1)基礎的な学力 読み、書き、計算、世界の中で生きるための外国語や情報活用能力 *平成12年11月教育委員会月報、大島理嘉文部大臣 巻頭言談 (2)国際学力比較 平成7年と12年の比較 数学 3位から5位へ シンガポール604点、日本579点 学習が好き48%(前回5%減、世界72%) 理科 3位から4位へ 台湾569点、日本550点 学習が好き55%(前回1%減、世界79% (3)学力論争 1)理解度は、小・中・高→7.5.3と言うこと 2)大学生の学力低下{1+(0.3-1.52)}÷(-0.1)2 理工科系大学生の正答率 58~91%(朝日新聞) 3)理科離れ 4)2006年問題 5)五日制(70単位時間削減)と学習内容3割減への危惧 指導漢字数、必修英単語数の減、台形の面積の指導カット、円周率の扱い 6)ゆとり教育亡国論 7)TT、少人数学級(第7次標準法改正) (4)学力評価 「目標に準拠した評価(いわゆる絶対評価)」を一層重視(指導要録)生きる力の評価、総合的な学習の時間の評価 4.心の教育 (1)家庭教育の役割 (2)ゆとりの教育・心の教育・総合的な学習の時間の展開 (3)心の教育と特設道徳の時間 (4)小学校-ふれあいフレンド、中学校-心の教室相談員 5.学校の役割 学校改革、教師改革、カリキュラムの改革の三つがセット (1)地教行法、学校管理運営規則の改正 (2)学校評議員制度 (3)公立義務教育学校の学校選択・通学区の弾力化 (4)教員への評価、勤務評定の見直し (5)学校経営の評価、マネージメントサイクル(P-D-Sサイクル
-
日本
英語
情報
健康
生きる力
問題
芸術
指導
人間
生物
- 全体公開 2007/12/06
- 閲覧(2,820)
-
-
教育哲学とは?
-
教育哲学とは?
「教育を哲学する?」――難しそう、理屈ばかりこねていて、現場に役立たない、といった評判が聞こえてきます。しかし、哲学とは決して難解な言葉を用いて議論をすることではありません。「哲学する」ということは、私たちが毎日の生活の中で直面する問題を筋道立てて考えること、私たちがあたりまえと思っていることをいったん立ち止まって考え直すこと、先入観や思いこみにできるだけとらわれることなく合理的・論理的に考えることです。
現在、「教育」には課題満載です。「いじめ」や「不登校」、家庭での親子関係、「教室崩壊」、少年非行、校内暴力、学力低下、道徳教育や総合学習、教育基本法の見直しの問題等々、挙げ
-
問題
言葉
自分
- 全体公開 2007/12/14
- 閲覧(2,897)
-
-
同和教育
-
『戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方を論述せよ』
(1)同和教育のはじまり
戦後の同和地区の児童・生徒の就学率は同和地区外の児童・生徒の就学率と比較するとはるかに低値であり、子供の長期欠席・不就学の解消に向けた取り組みが、同和教育の起こりとなった。1951年、オールロマンス事件が起こったことをきっかけとして差別行政糾弾闘争が展開されて行く中で、京都市では「今後の同和施策運営要綱」を策定し、戦後始めて同和教育費として予算の計上を行った。同和教育費の一部を特別就学奨励費として同和地区家庭に給付するなどの施策を実施したことにより、児童・生徒の就学率は向上していった。しかし、同和地区生徒の学力の遅れは依然解消には至っておらず、市全体の高校への進学率と同和地区生徒の高校への進学率にも格差があった。そこで、1960年代に入ると同和地区の児童・生徒に対する補習学級の制度化や同和地区の児童・生徒が通う学校には同和加配教員を配置するなど、学力・進路保証としての同和教育に変化していった。
学力水準の格差が是正されたことで京都市では新たな課題として、収入が安定している同和地区住民の地区外への転出によるコミュニティの崩壊とそれによる就労・収入不安定層の貧困化の増大が浮かび上がってきたのである。そこで、1995年に「学習センターの将来展望プロジェクト」が組織された。これ以降、教育の責任として部落問題に対する正しい理解を図り同和地区に対する偏見を取り除くことを目的として、人権教育としての同和教育が始められることとなった。具体的には同和地区内・外の児童や生徒が共に学び、互いに刺激しあえる環境作りとして、それまであった同和地区児童・生徒のための学習センターを地域教育・人権教育の拠点として位置づけ、同和地区外の児童・生徒も利用可能とした。部落問題を同和地区だけのものとするのではなく、「町全体で取り組む町作り」と捉えたとき地域に開かれた施設としての学習センターは京都市において同和教育の第一歩となった。その後、この地域教育の概念の基に障害者や高齢者の施設や子育て支援機関が整備され、高齢者や身体に障害のある人、子供、若者、すべての人がふれあい、地域全体で差別を解消しようとする流れが生まれることとなる。これまでの同和対策事業の結果として近年では、同和地区に対する差別や偏見は少なくなり児童・生徒に対する同和教育の内容も同和地区中心であったものから徐々に、自分たちの住む町とどのような関係を築き作り上げていくかという考え方へと発展していく。その取り組みを京都市の例で見ていくと、子供たちが主体となって空き地を誰もが集える広場に造り替える活動や、高齢者への配食ボランティア活動である。1970年代には、部落の歴史に題材を求め、部落解放のために立ち上がり、たくましく生き抜いた先人を教材に取り入れた「同和問題指導」が始まった。全国の小学校で2002年に導入された「総合的な学習の時間」は同和教育をさらに、普遍的なものとしたといえる。
(2)同和教育の意義
同和教育とは、「同和問題を解決するための教育の営みの総称である」とされている。大別すると、同和地区に対する差別意識を払拭するため同和地区外に働きかける教育活動と、同和地区を対象とした教育活動に分けられる。京都市の例で見てきたように、同和地区の児童・生徒に対する就学奨励事業として始まった同和教育であったが、時間の経過と共に同和問題の実態も変化し同和教育のあり方も様々に変化してきた。現在で
-
佛大
同和教育
- 550 販売中 2008/07/10
- 閲覧(3,109)
-
-
教育原論
-
『ハヴィガーストの発達課題について述べよ。』
についてのリポートです。既卒大学で本を借りて調べました。
皆様のお役に立てば幸いです。
発達のそれぞれの段階・各年齢において、到達・達成したり乗り越えるべき課題のことを発達課題という。ハヴィガーストは、この発達課題を乗り越えるプロセスこそが発達であると述べており、適切に解決できればその後の発達はうまく進むが、解決できなければ後の段階で多くの発達上の困難に出会うのである。この発達課題という概念は、教育に関するふたつの対立する概念の中間領域に位置しているとしている。すなわち、子供は可能な限り自由にされるともっともよく発達するという自由理論と、子供は社会から課せられる拘束によって責任を持つ立派な大人になることを学ばなければならないという拘束の理論である。発達課題は個人の欲求と社会からの要請の中程にあるといえる。
またハヴィガーストは、発達課題という考えが教育にとって2つの理由で有益であるとしている。
-
教育原論
佛教
A判定
ハヴィガーストの発達課題について
- 770 販売中 2008/12/01
- 閲覧(1,660)
-
-
同和教育
-
A評価
- 660 販売中 2010/04/19
- 閲覧(817)
-
新しくなった
ハッピーキャンパスの特徴
- 写真のアップロード
- ハッピーキャンパスに写真の
アップロード機能ができます。
アップロード可能なファイルは:doc .ppt .xls .pdf .txt
.gif .jpg .png .zip
- 一括アップロード
- 一度にたくさんの資料のアップロードが可能です。 資料1件につき100MBまで、資料件数に制限はありません。
- 管理ツールで資料管理
- 資料の中から管理したい資料を数件選択し、タグの追加などの作業が可能です。
- 資料の情報を統計で確認
- 統計では販売収入、閲覧、ダウンロード、コメント、アップロードの日別の推移、アクセス元内訳などの確認ができます。
- 資料を更新する
- 一度アップロードした資料の内容を変更したり、書き加えたりしたい場合は、現在アップロードしてある資料に上書き保存をする形で更新することができます。
- 更新前の資料とは?
- 一度アップロードした資料を変更・更新した場合更新前の資料を確認することができます。
- 履歴を確認とは?
- 資料のアップロード、タイトル・公開設定・資料内容説明の変更、タグの追加などを期間指定で確認することができます。