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連関資料 :: 人間が人間であることとは

資料:344件

  • 人間の観念
  •  生得観念という考えがある。私たちは生まれながらにして観念を得て、それを携えて生まれてくる、というものである。しかしながら、ロックによると、そのような観念など存在しない。彼の主張によれば、人間の精神は本来、タブラ、ラサ、つまり滑らかな板なのである。 では、人間の精神はどのようにして様々な観念を持つようになるのであろうか。今回のレポートではこのことについて考えて見たい。  悟性はすべての観念を経験から汲んでいる。またあらゆる認識は経験を拠り所としている。ところで、経験には二種類ある。一つは、外的対象の知覚、肉体の感覚器官によって起こるもので、感覚(sensation)と呼ばれる。もう一つは、我々の心の内面的な働きの知覚で、反省(reflexion)と呼ばれる。感覚と反省とが精神(悟性)にすべての観念を与えるのであって、それらは言わば、精神(悟性)という暗室に、観念という光が入り込む窓である。感覚によって捉えられる対象すなわち外的対象は感覚的諸性質に関する観念を与え、反省によって捉えられる対象すなわち心的生活は自分自身の心の働きに関する観念を与える。  感覚と反省からすべての観念を導き出し説明するのが、ロックの哲学の課題である。そのためにロックは、観念(表象)を単純観念と複合観念とに分けている。単純観念は、鏡に物の像が映るように、受動的な精神(心)に外部から押し付けられる観念である。この単純観念には、たとえば: ?ひとつの感覚を通して来るもの:視覚を通じてくる色の観念とか、聴覚を通じてくる音の観念とか、触覚による固さや広がり(不可入性)の観念。 ?いくつかの感官を通じて来るもの:触覚と視覚とによって同時に意識される空間および運動の観念。 ?反省によって得られるもの:思考や意志の観念。 ?感覚と反省とから同時に来るもの:力、統一等々の概念。
  • レポート 哲学 ロック タブラ・ラサ 生得観念
  • 550 販売中 2005/11/11
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  • 人間の成長
  •  最近、「ゆとり教育」という言葉をよく耳にする。学習指導要領の変更に伴い、義務教育における学習の量が大幅に削減された。また完全週休二日制も導入され、学校に通う時間も削減された。これらには反対の声も多い。補習授業が行われたり、塾に行き勉強したりする機会も増えている。こうしないと進学することができないのだ。私立学校との格差が広がってしまうのだ。同じ小学校ないし、中学校を出ていても学習量が大幅に異なってしまう。なにも受験のためだけに勉強するわけではないが、格差の広がりすぎはあまり好ましくないと思う。私は比較文化論の授業を通して教育の意味について考えさせられた。そこで教育について考えて生きたい。  そもそも日本の教育とはどのようなものなのか。格差の広がりが好ましくないといったが、それは日本人のこれまでの教育の観点から述べることができる。「日本人は他人と同じ」とよく言われる。戦時中や戦争直後の日本の教育は一貫教育ですべての子供に対して同じ教育をしてきた。
  • レポート 哲学 ゆとり教育 人間の成長 義務教育
  • 550 販売中 2006/01/13
  • 閲覧(1,830)
  • 人間理解とは
  • 福祉心理学の枠組みのひとつである人間理解が、「心理学的視点」からはどのようにおこなわれているか 人間の心理活動とは  人間は、認知する事で生活を営んでいる。例えば、車の運転を例に考えてみたい。まず、車そのものが何であるかを理解する必要がある。車が何であるか、理解していくためには、過去の記憶をたどり、物体を見た場合に、それが車である事を、記憶から想起させ認知する必要がある。そして、その車にのり、どこに行くかなど目的地などを考えたり、目的を考えたりする場合にも、空間的な認識をしたりするために、記憶から過去の情報を想起させる必要がある。実際に車を動かす場面においては、どう操作させるか、どのように動かすかを、手続き記憶として、貯蔵されているものを想起させ、車を運転しているわけである。 動機と欲求 認知することで生活を営んでいると言う事は先に述べたが、次に、何故車を運転するかについて考えてみたい。車を運転すると言う行為を起こす場合、何かしらの目的がある事は言うまでもない。この目的は動機によって生じている。例えば、「車を運転して、お店に行きアイスを買いたい」などの、精神的な満足を得たりする事柄があ
  • 人間 認知 欲求 動機
  • 550 販売中 2017/03/23
  • 閲覧(2,612)
  • 人間の記憶について
  • 心理学レポート 人間の記憶とその性質 ~なぜ記憶は曖昧になるのか~ 1.はじめに  「なぜさっき覚えていたことを忘れてしまうのか」――これは誰もが一度は抱いたことがある人間の記憶に対する疑問であろう。私自身そういった経験があるが、今回は心理学の講義で実験検証をし、この問いに対して考察できる機会を与えられた。  実験は2つあり、実験1では単語記銘自由再生実験、実験2では物語の記銘再生実験を行い、人間の記憶の特性を考察する。 2.実験1 2.1.目的:単語記銘自由再生実験を行い、記憶の貯蔵庫モデルを検証する。 2.2.方法:  2.2.1. 被験者:第1回103名 第2回104名  2.2.2. 装置:秒針つき腕時計  2.2.3. 刺激:第1回「ライオン・オムレツ・トラ・カレーライス・イス・シチュー・モミジ・キリン・バラ・スプーン」         第2回「ナイフ・ジドウシャ・クツ・コンピューター・デンシャ・フォ ーク・サトウ・スリッパ・トケイ・コーヒー」             +簡単な計算数題 手続き:第1回 まず2秒ごとに上記単語を口頭で被験者に伝える。 被験者はその際一切メモなど
  • 実験 心理学 情報 心理 記憶 人間 コンピュータ 自由 単語
  • 550 販売中 2009/07/15
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  • 人間とは何か
  • 自分が教師となったときに、生徒から「人間とは何か」と聞かれたらどのように答えるだろうか。今日の社会背景や人間存在の位置づけを踏まえたうえで、生徒にとってわかりやすく答えるために、私はどのように答えたらよいだろうか。私は自分個人の考えとして次の三つを提供したい。それは、人間とは第一に「他者ともに生きていく存在」、第二に「合理性を超越する存在」、そして第三に「死を意識する存在」であるという考えである。  まず一つ目の、人間とは「他者と共に生きていく存在」であるということについて述べたい。当たり前のことであるが、人間は一人では生きていけない。人間は本来、一人で生きられる存在ではなく、家族、親類、友人といった人間社会の中で支えられて生きていく存在である。逆の例として狼に育てられた二人の少女、アマラとカマラの話が挙げられる。人間の間で育つことのなかった彼女達はなかなか狼の習性が抜けず、結局最後まで友情や愛情といったものを持たなかった。ここから、人間は、他人の愛情を受けることで生かされ、人間社会の中で育てられることで「人間」として成長するという事実を実感させられる。それゆえに、私は人間とは他者と共に生きていく存在であり、同時に、他者によって生かされている存在であるということを第一に生徒に伝えたいと思う。 しかし近年では、個人を重んじる風潮の下、集団生活、集団行動とった集団意識が薄れ始め、他者に対する配慮が届かなくなってきている。これによって、自分と異なる考えを持つ「他」を受け入れられなくなり、排除しようといった動き(小さく言えば、学校におけるいじめ、大きく言えば宗教間の対立が影響したイラク戦争)につながる。今、私たちは改めてキリスト教の「隣人愛」を見直す時にきているのではないかと思う。私の考える「隣人愛」とは、愛するに足る隣人は誰かと人間規定をした上での考えではなく、もっと簡単に、自分の大切さと同じくらい他人も大切であるから、他を理解し尊重しなければならない、という考えである。このことが世界に伝われば、今日多発している紛争やテロの解決の糸口ともなるのではないかと思う。 次にニつ目の考え、人間とは「合理性を超越する存在」であるということだが、その前に「合理性」について言及したい。人間はしばしば、「合理的」な存在であると言われる。合理的人間が提示する人間像とは、競争、学歴、名誉、効率化などであるが、果たして人間はそれまでの存在だろうか。私が考えるに、人間はその向こう側にある非合理的な側面を兼ね備えていると思う。マザー・テレサ、ガンジー、マーティン・ルーサー・キングが具体的な例として挙げられる。彼らはいずれも皆高学歴で恵まれた家の出身であったにもかかわらず、それを投げ打ってまで各自の活動に従事した。それは一体何故だろうか。それは、その現実を見た時に合理性を越えた何かに駆り立てられ、自分の使命を感じたからであろう。だから彼らは自らの地位、名誉を投げ打ってまで活動に従事したのだ。川に溺れた我が子を助けるあまり、自らの命を落としてしまった親の話を聞いたことがあるが、それもこの類である。つまり、本来、理性や合理性では説明の付かない行動までしてしまう人間とは「合理性を超越する存在」なのである。今日の社会では、学歴、地位、名誉だけで人間の価値を計りたがるが、人間とはそれらだけでは決して図ることのできない、素晴らしい能力を持った存在であるということを生徒に伝えたい。 最後に三つ目の、人間とは「死を意識する存在」であるということについて述べたい。言うまでもなく、人間は死について
  • レポート 人間 人権 聖書 イエス
  • 550 販売中 2007/02/09
  • 閲覧(41,200)
  • 人間の尊厳」について
  • 「人間の尊厳」という考え方は、生命倫理のどのような問題において役に立つのだろうか。人間の尊厳に含まれるいくつかの条件を守るという名目によって尊厳死・安楽死が認められる場合があるので、これらの倫理問題を考える際にこの考え方は有効であると私は考える。その有効性について、本レポートでは説明していきたい。 近年の医療は、人工呼吸器や心拍蘇生装置、栄養補給などといった延命技術の進歩により、人為的に生を延長することが可能となってきた。これらの技術によって私たちはさまざまな病気を克服してきたが、今なお不治の病も存在しており、一方で患者は、高度な延命技術によって治る見込みのないまま、時には苦痛に喘ぎながら命を長らえるという事態も起きている。  すでに私たちは、末期医療においては「自然な死」を望むことはほとんど不可能といってよい状況となっている。そのような状況下において、尊厳死や安楽死といった考え方が生じてくる。 まず、尊厳死は「一個の人格としての尊厳を保って死を迎える、あるいは迎えさせること」と定義される。本来、 病死 を含む 自然死 であれば人間は尊厳を保ったまま死にゆくことができるはずであるが、 医療 の発達によって 延命 技術 が進歩したため死を迎える段階でただ「生かされている」だけの状態となってしまうことが多くなった。 こうした状態で死に臨むことを望まない立場から、「尊厳死」の 概念 が発生し広まることとなった。そのため、「尊厳死を実現するにはどのようにすればよいか・するべきか」が問題となる。ことに「死」以外に人間らしさを保つ方途がないと判断される場合に、意図的に死をもたらすことが「安楽死」と呼ばれる。 次に、安楽死は「助かる見込みのない病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で人為的にしなせること」と定義される。安楽死は、行為の様態に関する区分では積極的安楽死(死なせること)・消極的安楽死(死ぬに任せること)に、決定のプロセスに関する区分では自発的安楽死(患者本人の意思による場合)・非自発的安楽死(患者本人に対応能力がない場合。典型的には新生児で重度の障害がある場合の安楽死が問題になるときには、この部類に含まれる。)・反自発的安楽死(患者本人に対応能力があるにもかかわらず、意思を問わずに、あるいは意思に反して決定される場合)に分類される。以上、組み合わせると、理屈としては6通りの区分が可能である。このうち、自発的消極的安楽死が尊厳死にあたる。  現在日本では、尊厳死は尊厳死協会の「リビング・ウィル」に署名することで受け入れてもらえることもある。一方、安楽死は塩化カリウムや筋弛緩剤などを使って積極的に死期を早める方法とされており、現在尊厳死を認めている国でもこのような行為は認められていない。 しかし、日本で起きた最初の安楽死事件(山内事件)の判決(名古屋高裁)で、安楽死に違法性を問わない6つの要件が提示された。 ①病者が現代医学の知識と技術から見て不治の病に冒され、しかもその死が目前に迫っていること ②病者の苦痛がはなはだしく、何人も見るにしのびないこと ③もっぱら病者の死苦緩和の目的でなされること(他に代替手段がない) ④病者の意識が明瞭であって、意思を表明できる場合には本人の真摯な委託、または承諾があること ⑤医師の手によることを原則とすること ⑥その方法が、倫理的に妥当なものとして容認できること  この要件を全部満たす場合に安楽死が認められるとされた。山内事件の判決では①と③の要件は認められるものの、⑤と⑥が欠けているとされ認められなかった。1
  • 日本 倫理 安楽死 医療 問題 人間 判例 大学 技術 評価 尊厳死 レポート
  • 550 販売中 2008/01/04
  • 閲覧(16,655)
  • 人間学 『遊びと人間』 ロジェ・カイヨワ レジュメ
  • 『遊びと人間』 ロジェ・カイヨワ 第3章~第5章(p82~124)                 3,遊びの社会性  遊びは個人的娯楽ではない   技の遊び+競争の要素(競争者、観客)→技を競う遊び   腕くらべ=遊びの楽しみの本質  競争は規則の整備によって際立った競争形態になる(エスキモーの拳
  • 人類学 遊びと人間 レジュメ
  • 550 販売中 2008/03/21
  • 閲覧(2,971)
  • 人間人間の看護 トラベルビー 看護観
  • 冒頭 私は患者さんと関わる中で、客観的情報だけでなく、コミュニケーションを通して患者さんに今必要なことはなにか、どのような方法で行えば、必要なことを患者さんが望む方法でストレスなく行えるかを考えながら関わっている。なぜなら、客観的な情報だけで援助方法を決定したり、患者さんに提供してしまうと、ストレスにつながってしまったり信頼関係が崩れてしまうことがあるためである。 1577字
  • 看護 理論家 レポート
  • 990 販売中 2017/10/02
  • 閲覧(16,729)
  • 人間の条件』を読んで
  • 「人間の条件」を読んで 人を人たらしめる要因、「人間の条件」とは一体何であろうか。動物学的に考えれば生命としてこの世に存在した瞬間からヒトである、といえる。しかし社会的な観点から観ると、年を重ね成長していくことにより常識や通念などを身につけていき、「社会に通用する」人間となっていくのである。しかし本書では、「人間の条件」を「私たちが行なっていること」というテーマから全ての人間存在の範囲内にあるいくつかの活動力を分析している。そして私たちの最も新しい経験と最も現代的な不安を背景にして、人間の条件を再検討している。  本書では条件づけられた人間が環境に働きかける内発的な能力、すなわち「人間の条件」の最も基本的要素となる「活動力」を、「労働」、「仕事」、そして「活動」の三側面から考察している。労働と仕事は現代人にとってほとんど同義語であるが、しかし労働が生み出す生産物は耐久性の無い消費物であり、仕事が生み出す生産物は人間の消費過程を越え、それにいわば抵抗して存続するように作られた物であるという点に注目すれば、その差は明らかである。そして活動とは、生産物は演技(アクション)そのものであるともい
  • 社会 人間 活動 労働 言葉 現代 仕事 生産
  • 550 販売中 2009/10/19
  • 閲覧(1,766)
  • 人間関係論について
  • 1924年〜1932年にかけて、アメリカ電話電信会社翼下のウェスタン・エレクトリック社のシカゴ郊外にあるホーソン工場で、G.E.メイヨーやF.J.レスリスバーガーらが加わり、従業員の作業能率に影響を与える要因の解明についての調査が行なわれた。結果、その要因は人間関係に依存するという、管理論に人間の心理が加わった論理である。 2.実験内容とその結果 (ア) 実験 ?照明実験 ホーソン工場での最初の実験であり、1924年から2年半続いた実験である。 (1)実験の目的 物理的変化(照明度)により、反応する機械と同様に人間を仮定し、照明の度合に伴う従業員の作業能率への影響について。 (2)実験内容 2つの労働者集団(テスト・グループとコントロール・グループ)を編成し下記実験を行った。 ・実験1 テスト・グループは、照明を強めた。 コントロール・グループは、一定の照明を保った。 ・実験2 テスト・グループは、照明度を徐々に最初の水準へ弱めていった。 コントロール・グループは、一定の照明を保った。 (3)実験結果 実験1、実験2とも両グループの生産性は、上昇し続けた。 したがって、照明と作業能率には何ら相関関係もないという結論である。 この結論は、予想に反した結果となったため、失敗に終わっている。
  • レポート 経営学 人間関係論 経営管理 経営学総論
  • 550 販売中 2006/04/17
  • 閲覧(4,252)
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