連関資料 :: 法と道徳

資料:168件

  • 道徳の指導 第2分冊
  • (1)学校における道徳教育は、学校の教育活動全体を通して行う道徳教育と、道徳の時間における道徳教育によって二重構造をなしている。    学校の教育活動全体を通して行う道徳教育は、道徳的体験の場となるものである。  教科指導における知性の教育、情操の教育は、それ自体が道徳教育的役割を担っている。ただまず第一義として、それぞれに特有の目標追及の場であり、道徳教育的機能としては副次的にこれを果たすものである。  特別活動ではどうだろうか。ここでの道徳的実践の指導の場としては、児童会(生徒会)活動やクラブ活動、学校行事が中心となる。児童会(生徒会)活動は、児童生徒の自発的、自主的な実践活動としての特質を活かし、自主性、連帯感、協力、節度、勤労、奉仕などの道徳性を体験することができる。クラブ活動、学校行事は、集団規律を実践的に学ぶ場として、協力、節度、勤労、責任などの道徳性を高めることができる。  総合的な学習の時間ではどうだろうか。この時間は体験活動や、問題解決的な学習を通して、自分と周りの人々とのかかわりを見つめ直し、自分自身の生き方を探求する時間になり、体験による道徳教育の時間となる。ただ..
  • 玉川 通信 レポート 玉川大学 道徳の指導法 第2分冊
  • 550 販売中 2009/12/10
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  • 道徳の指導 第2分冊
  • (1)現行の「小学校学習指導要領」の第1章総則の第1「教育課程編成の一般方針」の2には、道徳教育は「学校の教育活動全体を通じて行う」ものである記されている。小学校では週に1時間「道徳の時間」設けられているが、道徳はそこだけで教えられるものではない。また、「道徳性の育成が図られるように配慮しなければならいない」ともある。つまり、道徳教育の目標とは、「学校の教育活動全体を通じて道徳的な心情、判断力、実践意欲と態度などの道徳性を養うこと」なのである。  「小学校学習指導要領」の第3章「道徳」の第3「指導計画の作成と各学年にわたる内容の取り扱い」には、「道徳教育の全体計画を作成するものとする」と記されている。道徳教育における全体計画とは、「各学校で取り組まれるべきはずの道徳教育の基本的な方針を示したもので、学校の教育活動全体を通して、道徳教育の目標を達成するための方策を総合的に示した教育計画」(「学校道徳教育入門」渡邊弘、140ページ)である。各学校においては、この全体計画を下に児童の道徳性を養う道徳教育を展開していくことになるのである。   では、道徳の時間はいったいどのような位置づけとなっ
  • レポート 教育学 道徳 指導法 通信
  • 550 販売中 2007/10/15
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  • 道徳の指導 第1分冊
  •  (1)「修身」は1872(明治5)年の「学制」発布により生まれた科目である。明治前期では、まず、1872年の「小学教則」に「修身口授(ギョウギノサトシ)」があった。これは、下等小学第8~5級(現代の小学校1,2年生に相当)を対象に、週に2時間配当された。各々の教師が説教する形で進められたが、その典拠となる教科書は欧米の書物の全訳または部分訳がほとんどであり、翻訳書による修身科は普及しなかった。明治10年代に入ると、啓蒙主義の道徳観や道徳教育に対する批判が起こった。文明開化により知識技能の習得に偏重したために、社会的混乱や風俗を乱すものが出てきたという主張が出てきた。自由民権運動が激化し、教育の地域差や就学率の低下が見られたために、政府は、「改正教育令」を公布し、政府の干渉を強化し統一的な国民教育の普及を図ろうとした。この改正教育令の中では、修身を最重要科目とし、その方針は終戦直後まで続くこととなる。  1890(明治23)年、「教育に関する勅語」(教育勅語)が発布された。その年に小学校令も公布された。1886(明治19)年の教科書検定発足時には、文部省は修身については教科書を用いず、教師が「談話」と「自らが模範となって指導」する方針でいたが、教育勅語徹底のために、方針を転換し教科書を用いることになった。  明治後期に入ると、就学率もほぼ100%に近づき、ドイツの教育学者ヘルバルトの5段階教授説が全国の教育現場に普及した。修身科を含めて各教科でこの指導法が全国の小学校に広がった。  1900年代のはじめには、家族国家観(総合的家族主義)が形成された。教育勅語の精神によって、伝統的な「イエ」中心の家父型家族主義を強化し、天皇制家族国家観が悪率されていった。修身教科書では、特定の人物かの道徳的意識や行動から複数の価値を叙述する人物資本主義と徳目についてそれに適した格言や寓話、事例、人物の事蹟が説明される徳目資本主義の2つの方法があった。  1903(明治36)年になって、小学校の教科書が国定制になった。修身の教科書の改訂は5期まで行われた。各期の改定は政治的・社会的状況を反映し、また基本理念や内容構成とも、各時代の教育学説や教育思想に影響されているが、教育勅語の趣旨に立脚するという原則は一貫して堅持された。  大正期には、修身教育改造運動も見られたが、修身教科書の内容を改造するまでには至らなかった。当時の修身の授業は、まず、教科書を読むことから始まり、補助教材として文部省が作成した修身掛図を見せながら教えていく。あいさつやお辞儀の仕方など「こうあらねばならない」と教えた。文部省は一定のパターン化した授業方法を全国の学校に徹底しようとした。  臨戦教育体制の下で、1941(昭和16)年に小学校が国民学校に改められると、修身は国民科の一部となった。ここでは、修身とは個人が身を修めるものではなく、国民道徳へと個人を教化する道具に転化していた。 (2)学制は、明治維新政府の至上命題であった近代化の施策の一環として発布されたものであり、欧米文化の摂取と習得を目的にしたものであったと考えられるが、それにもかかわらず、初等教育においては、むしろ日本古来の伝統的精神の継承に重きを置いていたことが分かった。また、古くから親から子へと引き継いできた日常生活の心得とか、心構え、要するに生活態度の基本を、ともかくも次代を担う子どもたちに一通り伝えていかなければならない。少なくとも、わが国の伝統的精神だけは、今後いかに欧米文化を取り入れようとも失われてはいけないという明治政府
  • レポート 教育学 道徳 指導法 通信
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