連関資料 :: 倫理学
資料:97件
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倫理学 キルケゴールに対する論述
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1.キルケゴールの倫理思想と、その意味
ゼーレン・キルケゴールの基本的学説は、道徳には本物の客観的基準はないということ、そしてむしろ、客観的基準があると主張される学説はわれわれの道徳の基準が選択された学説であり、選択されるのみであるという事実を隠蔽する装置の役割をしている、と訴える。あるいは個人を彼の道徳的諸戒律をカントが定義した個人よりもはるかに強い意味で自分に言い聞かせるものである。「真理は主体性である。」キルケゴールはこう命題を定めることで彼の哲学的研究領域を定めたのである。それ故に、彼の全著書は価値判断と劇場、不安と絶望、恐れに懐疑、信仰、希望、そして愛の状態にある人間の精神の主体的な海図を作り上げている。また、キルケゴールは過激なプトテスタント・キリスト教を採用しており、著書の目的がそこからもうかがい知れる。というのも、キルケゴールは彼自身が「私に似通っている唯一の人はソクラテスである。私の任務はソクラテス的任務であって、キリスト者であるとは何を意味するかの概念を訂正することである。私は理想を自由に保ちつづけているので、私自身をキリスト者とは呼ばないが、しかし私は、他の人々が私よりもなおのこと、その名にふさわしくないということを明らかにすることができる。」と明言しており、多くのキリスト教的思想家や牧師と多くのキリスト教教師の只中で人がキリスト者とならねばならない状況がキリスト教世界に存在する場合に、キリスト者となるということの問題をその相対的な理念としていた。この時代、一般的な精神は詩的・瞑想的な文化・汎神論だった。キルケゴールはこれを悪癖と捉え、その原因が客観的認識の非常な増大と、当時の一般の支配的哲学であったドイツの歴史哲学者ヘーゲルの思弁的体系に由来するものであると主張した。世界史的な新時代を画したヘーゲルの哲学によって、キリスト教はいずれ超越されるであろう凡庸なもの、人生のわずかな感銘さえも与えることのできない教理と機械的暗唱との客観的体系に変えられてしまったというのであ
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応用倫理学とは何か。
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応用倫理学とは、何か。そんな問いを投げかけられた時に、ある学者はこう答えた。実際の生活で登場してきた問題を取り上げて倫理基準を作ったり、倫理学的に分析したりする領域、それが「応用倫理学」だと。何か特定の倫理を利用したものではないため、「応用倫理学」という言葉は不適切だと主張し、「実際的倫理学」という言葉を好んで使う者もいるようである。
次に、「応用倫理学」という言葉について、学問的に見ていこう。講義で説明されたように、まずそもそも倫理学とは何なのか、ということについて説明していく。倫理学というのは、漢字からも推測できるように、仲間、秩序、すじ、道理といった意味がある。私たちは生まれた時に、まず家族と出会い、家族との交流を体験し、それから成長していくにつれ、地域の人たちとの触れ合い、その地域の人達によって構成される地域社会への参加…、それから最終的に、大きな「国」という名の社会へと参加する。そういった共同体の中で、多くの異なる人々が社会で共に生きるための筋道としての模範的な、すべきこと、それを倫理と呼ぶ。それが理念的に展望して、理想としての倫理を、思想・学説という形で自覚を促すものが、倫
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倫理学概論2
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カントの「純粋理性批判」を読んで純粋理性の根本法則について知るところを書くこと。
テキスト、第三編、第二期、第五章
まず、定言命法であろう。これはカント倫理学における根本的な原理であって無条件に「~せよ」と命じる絶対的命法である。『人倫の形而上学の基礎付け』において提出され、『実践理性批判』において理論的な位置づけが若干修正さた。
『実践理性批判』の§7において「純粋実践理性の根本法則」として次のように定式化される。
「あなたの意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」 、この根本法則に合致しうる行為が義務として我々に妥当する行為なのである。他のあらゆる倫理学の原則が「~ならば、~せよ」という仮言命法の形をとるのに対して、カントの定言命法は「~ならば」という条件節を欠き無条件に行為することを要求する。例えば、「幸福になりたいならば嘘をつくな」という仮言命法を採用する場合、幸福になることと嘘をつかないことの間の必然的な関係が問題となる。幸福になることが目的であり嘘をつかないことは手段にすぎないから、誠実さと幸福の間に必然的な関係が見出されない場合には幸福
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倫理学 日本の倫理思想に対する仏教影響について述べよ
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日本における倫理思想は、日本人の民俗、習俗に加えて外来の思想(儒教、仏教、西洋思想)の需要と展開を軸にしながら展開されてきた。
日本の古代国家は4世紀から5世紀にかけては、大和朝廷に見られる宗教的一体で「律令」による国家体制へと変化していった。そのあと、朝鮮半島との国交とうしてもたらされた「論語」と仏教の伝来という歴史的事実から、この儒・仏教思想が具体化されてきた。
まず聖徳太子は人を君・臣・民の態度などや人の和の心をもっとも重視した「論語」の強調する道徳規律の遵守精神である。
聖徳太子のあと、律令国家へと移行し中世になって正法・像法・末法という仏教的歴史の「末法」説くに置ける危機意識を契機として仏教の日本に定着していった。
末法思想とは普通、仏滅1500年から2000年のあとにおける。
仏法は末世末法であるという危機感である。末法は時代が汚れ天災地変や戦乱など社会悪もろもろの邪悪な思想や見解がはびこる様々な精神的悪徳があふれる。
人々の性根が低下する、人間の寿命が次第に短くなるという「五蜀」の世であると説く。そのような末法の予告や末法の歴史観や世界観や人間観は「発心集」や「愚管抄」そして当時の説話物語などに多くみられる。とりわけ宗教倫理的な展開として恵心僧都源信(942〜1017)があげられる。源信は、人間のあるべき理想像を往生要集に表し、その方法を当して念仏を進めた。汚れた世界であるこの現実世界を理想的な浄土を喜んで求めることであるとする。
根本において末法という時間と場所で人間が以下にあるべきかという積極的な問いがある。この問いの具体的な解決は、平安末期から鎌倉時代の日本における仏教の特色の展開すなわち仏教の日本的土着化に求められる。
鎌倉期に起こった仏教の特色は人間凝視という点にあり、その意味で十分倫理学の問題でもある。
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