倫理学 キルケゴールに対する論述

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    資料紹介

    1.キルケゴールの倫理思想と、その意味
    ゼーレン・キルケゴールの基本的学説は、道徳には本物の客観的基準はないということ、そしてむしろ、客観的基準があると主張される学説はわれわれの道徳の基準が選択された学説であり、選択されるのみであるという事実を隠蔽する装置の役割をしている、と訴える。あるいは個人を彼の道徳的諸戒律をカントが定義した個人よりもはるかに強い意味で自分に言い聞かせるものである。「真理は主体性である。」キルケゴールはこう命題を定めることで彼の哲学的研究領域を定めたのである。それ故に、彼の全著書は価値判断と劇場、不安と絶望、恐れに懐疑、信仰、希望、そして愛の状態にある人間の精神の主体的な海図を作り上げている。また、キルケゴールは過激なプトテスタント・キリスト教を採用しており、著書の目的がそこからもうかがい知れる。というのも、キルケゴールは彼自身が「私に似通っている唯一の人はソクラテスである。私の任務はソクラテス的任務であって、キリスト者であるとは何を意味するかの概念を訂正することである。私は理想を自由に保ちつづけているので、私自身をキリスト者とは呼ばないが、しかし私は、他の人々が私よりもなおのこと、その名にふさわしくないということを明らかにすることができる。」と明言しており、多くのキリスト教的思想家や牧師と多くのキリスト教教師の只中で人がキリスト者とならねばならない状況がキリスト教世界に存在する場合に、キリスト者となるということの問題をその相対的な理念としていた。この時代、一般的な精神は詩的・瞑想的な文化・汎神論だった。キルケゴールはこれを悪癖と捉え、その原因が客観的認識の非常な増大と、当時の一般の支配的哲学であったドイツの歴史哲学者ヘーゲルの思弁的体系に由来するものであると主張した。世界史的な新時代を画したヘーゲルの哲学によって、キリスト教はいずれ超越されるであろう凡庸なもの、人生のわずかな感銘さえも与えることのできない教理と機械的暗唱との客観的体系に変えられてしまったというのであ

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    人間論(倫理学)
    1.キルケゴールの倫理思想と、その意味
    ゼーレン・キルケゴールの基本的学説は、道徳には本物の客観的基準はないということ、そしてむしろ、客観的基準があると主張される学説はわれわれの道徳の基準が選択された学説であり、選択されるのみであるという事実を隠蔽する装置の役割をしている、と訴える。あるいは個人を彼の道徳的諸戒律をカントが定義した個人よりもはるかに強い意味で自分に言い聞かせるものである。「真理は主体性である。」キルケゴールはこう命題を定めることで彼の哲学的研究領域を定めたのである。それ故に、彼の全著書は価値判断と劇場、不安と絶望、恐れに懐疑、信仰、希望、そして愛の状態にある人間の精神の主体的な海図を作り上げている。また、キルケゴールは過激なプトテスタント・キリスト教を採用しており、著書の目的がそこからもうかがい知れる。というのも、キルケゴールは彼自身が「私に似通っている唯一の人はソクラテスである。私の任務はソクラテス的任務であって、キリスト者であるとは何を意味するかの概念を訂正することである。私は理想を自由に保ちつづけているので、私自身をキリスト者とは呼ばないが、しか...

    コメント1件

    fantasy 購入
    分かりやすかったです。
    2006/12/13 13:33 (17年3ヶ月前)

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