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連関資料 :: レポート

資料:8,702件

  • 捕鯨に関するレポート
  •  捕鯨に賛成するか、反対するか。この議論の底にある根本的な問題は文化の違いである。私は正直、捕鯨よりも鯨を保護する事の方に重点を置いてもらいたい。これは率直に、鯨がかわいそうであると思ったからだ。しかし、これは私達の感情的な理由に過ぎない。鯨を捕獲し、食べるという食文化を受け継いできた人々が実際にいる。その文化をただ単にかわいそうだからといって否定するのは良くない。よって私は、捕鯨という文化を否定するべきではないという理由で捕鯨に賛成する。  文化であるならば、なにもかもが許される。こう言っている訳ではないが、捕鯨という文化を放棄する必要は無いと思う。度々、捕鯨の問題で衝突するのが日本と欧米である。欧米の主張も感情的なものが多い。かわいそうであるとか、知的な動物を食べるのは野蛮であるとか、このような主張が主だ。私はこれらの主張を理解できる。しかし、逆に聞きたいことがある。私達が日常食べている牛、豚、鳥などはかわいそうではないのだろうか。野菜であっても、元は植物というひとつの生命だ。鯨とこれらの生物との間には、どれほどぼ大きな差があるのだろう。なにかの犠牲の上で成り立っているこの自然界の中で、果して捕鯨は間違っているだろうか。  鯨の使用用途にも文化の違いが挙げられる。昔、欧米人も捕鯨をしていた。しかし、それは食用の為では無かった。鯨油を採取して、残りは廃棄する。これこそ、無駄で野蛮な行為である。それに比べ日本は鯨を余すところなく使う。使用用途の違いをもっと明確に他国に示すべきだと私は思う。  現在、科学的に見ても鯨の数は増えている。だからといって、乱獲は絶対にしてはいけない。私達は今、鯨を捕らなくても生活できる。しかし、文化として捕鯨が残っている地域がまだあるならば、続けていくべきである。そして、捕鯨をする上での制限やルールをしっかりと守って欲しいと私は願う。
  • レポート 捕鯨 環境 動物愛護
  • 550 販売中 2006/01/03
  • 閲覧(10,700)
  • ハンセン病レポート
  •  「発病後、人目を避けるため裏の奥座敷に独りこもっていたが、村の人がそれを知って弟や妹が学校でいじめられていた。私のためにこれ以上家族に迷惑をかけるのは忍びないと思い、家を出て海岸辺に隔離小屋を建ててもらい、そこに独り暮らすことにした」(犀川 一夫 著 1996 ハンセン病医療ひとすじ 岩波書店)。  これはハンセン病患者の言葉です。ハンセン病は、昔、らい病と呼ばれ恐ろしい不治の病とされていました。ハンセン病の歴史は古く、長年に渡って何らかの形で差別を受け続けてきました。社会の偏見の目や、病気への無理解や無関心も患者を苦しめ、国の政策も患者の人権を無視したものでした。ハンセン病患者の人々は差別によってどのような境遇をたどったのでしょうか。  明治初期には、国による対策は何もありませんでした。家族からも故郷からも見放された患者は、隔離小屋を建てて、そこに独り暮らすか各地を転々と放浪するしかありませんでした。なぜ、ハンセン病患者はこのような差別を受けたのでしょうか。その理由の一つは、病気の性質によるものです。  ハンセン病は、はじめは皮膚のかすかな異常から始まり、そのうち皮膚が変色したり腫物ができたり、顔の容貌が明らかに変化してきます。やがて、鼻や指の脱落まで起こします。さらに、伝染性があると言われながら、実際は感染力が弱いため容易に人には移ることはないにもかかわらず、病気の症状も手伝って遠ざけるべき存在となっていきました。  もう一つの理由は、宗教的なものです。日蓮宗の経典に、「諸病のうち、らい病、最も重く、宿罪の因縁の故に治し難し」という記述があるように、前世の罪による天刑病とされていました。特効薬も医学的な治療法もなかったので、ハンセン病患者は教えにすがり、日蓮宗の寺に訪れたようです。これらも人々の差別と偏見の原因となりました。  「隔離小屋の生活では時折ハブが出るが、こちらがいじめなければ何もしないので、少しも怖くなかったが、それよりも何もしない私に石を投げたり悪口を叫んだりする人間の方が、よっぽど恐ろしかった」(同著書より)。いずれの理由にせよ、ハンセン病患者は人々から避けられ、独り孤独に暮らすか、あてもなく放浪するしかなかったようです。  1907(明治40)年、「ライ予防ニ関スル件」が制定されました。社会的、経済的な理由から、あてなく放浪していた患者の収容を主な目的とし、全国五か所に公立療養所が建てられました。このころはまだ、絶対隔離という方針ではなく、どこにも居場所のない患者に希望を与えるものにも成りえたのです。  「入園は、私にとって夢のような話で、生きる希望を与えてくれるものであった。家族と離れ、独り隔離小屋に暮らすことは辛かったが、それ以上に私のために家族が村の人々から偏見をもって見られつつ生活していることを思うと、心が重く、一日も早く故郷を出たいと思っていた」(同著書より)。  しかし、1931(昭和6)年、ライ予防法(旧法)が成立し、患者の希望は裏切られます。国はすべての患者の終生隔離を目指す絶対隔離へと方針転換しました。公立療養所は国に移管され、新たに国立療養所が建てられました。そこでは、手足の傷の悪化や合併症を招くような重症患者の看病を強制されたり、結婚の条件として断種手術や妊娠中絶を強いられたりしました。療養所から出ることは法を犯す逃走とされました。  いずれの療養所も予算は乏しく、設備も整っておらず、食事は質素で、生活環境は乱れていました。療養所の一つには特別病室(重監房)がつくられ、療養所の運営に問題があるとされた
  • ハンセン病 らい病 差別 人権 社会学
  • 550 販売中 2008/01/29
  • 閲覧(9,940)
  • 茶々レポート
  • 映画「茶々 天涯の貴妃」のシナリオについて  映画「茶々 天涯の貴妃」を見て、この作品のシナリオでは、登場人物の心情の変化があまりていねいに表現されていないという印象を受けた。 例えば、茶々が秀吉殺害を試みるものの、結局殺せなかったという場面があるが、こうなるに至った茶々の心境の変化が観客には伝わってこないのである。その直前の、秀吉を殺すつもりで聚楽第にやって来た茶々に、秀吉は大坂城の模型を見せるシーンで、秀吉が茶々に対して以前から愛情を持っていたことが理解できるが、それを茶々がどのように受け取って、秀吉に対する殺意を失うに至ったかを観客に示すには不十分である。また、その後、茶々は他の側室に嫉
  • 茶々 秀吉 文学
  • 550 販売中 2008/04/23
  • 閲覧(1,438)
  • 博物館レポート
  • 私が見た歴史博物館―佐野市郷土博物館― 栃木県における自由民権運動の中心地であり、またその中心人物として知られる田中正造を輩出した土地でもある佐野市は、地域に残された史料・史跡を活用して郷土の先覚者たる田中正造の軌跡を市民に示すと共に佐野市の歴史を総合的に学習できる施設として、1983年、栃木県佐野市大橋町に佐野市郷土博物館を開設した。 展示ホール105.6㎡、常設展示室298.2㎡の広さを持つ郷土博物館には、他に毎年春・秋の二度行われる企画展示の際に使用される企画展示室(136.8㎡)、そして一面でこの博物館の中核を成す田中正造に関する展示が常設的に行われている特別展示室(100㎡)が設けられている。 常設展示では旧石器時代の打製石器、弥生土器、古墳出土品、鎧兜、江戸時代の史料や明治以降の近代産業の歴史に至るまでを通史的に扱っているのであるが、「郷土資料館」の名に相応しく、地元「天命宿」と日光例幣使、近代の地域産業などに関する地域史料が大々的に取り扱われている。 さて、天命宿と日光例幣使であるが、天命宿とは中世から「西の芦屋、東の天命」と並び称されたという鋳物業の盛んな町であり、御所
  • レポート 史学 日本史 博物館 田中正造
  • 550 販売中 2007/01/05
  • 閲覧(4,620)
  • 人権レポート
  • 【佛教大学】 2020年 「人権」 合格済み レポート 2020年度佛教大学通信課程 「人権」の合格済みレポートです。 佛教大学は特に罰則が厳しいのでそのままの転用は控えてください。 こちらを参考程度に、新テキスト・自らの考察を付け加えるなどしてご利用ください。 大変ですががんばりましょう!
  • 佛教大学 レポート 佛教大学通信教育 通信教育 リポート 人権
  • 550 販売中 2021/10/13
  • 閲覧(1,981)
  • 体育レポート
  • ?種目選択理由   私はバレーボールを選択した。もちろんバレーボールが好きだからである。本当はボードセイリングが良かった。なぜなら私は海が大好きで、スキューバーダイビングのライセンスを持っているぐらいである。海の中もいいが、海の上のスポーツであるボードセイリングなるものを一度やってみたかったからである。しかしお金がなく、泣く泣くあきらめた次第だ。しかし、今になって正解だった。後期に留学する私は、後期の健康とスポーツ実習の講義が受けられないのだ。ところが後期集中種目の中には留学に行く前に終わってしまうものもある。前期に集中講義を取っていたらこれが取れなかったところだ。 それに何しろバレーの授業は楽しかった。   中学生時代にバレーボール部に所属していたせいもあり、女子特有のボールに対する怖さもなく、球技自体も好きだった。 それならばソフトボールや、テニスでもいいのではないか?と言われそうだが、高校生時代にソフトボール部だった私は少々飽きていた。それに、守りの時はともかく、攻めの時には、ほとんどの人は動かないで、暇なスポーツである。応援はもちろんするが、やっぱり常に動いていることが好きな私は、バレーボールのほうが向いていた。さらにソフトボールは外でやる。寒かったり、梅雨に影響される。梅雨が明ければ、日本の夏はいつも暑い。それほどではなかったのは、1992年の冷夏といわれた時だけである。今年は特に猛暑で多くの人が熱中症にかかっているぐらいである。横浜市では去年の8倍だそうだ。結果論に過ぎないが、外でやるのは、暑くて、まぶしくて、だれそうだったので嫌だった。 テニスは、テニスサークルに所属していたので、これもそれほど魅力を感じなかった。 最後に一番迷ったのがバドミントンであるが、バドミントンは個人で地区センターなどに行ってできるので、大学で、皆でできるのはバレーボールしかないと思って、バレーボールを選択した。
  • レポート スポーツ科学 スポーツ 健康 体育 運動
  • 550 販売中 2005/07/26
  • 閲覧(6,524)
  • レポートの書き方
  • レポート作成の基礎知識 出典をはっきりさせることは、レポートの基本である。 引用したら出典をはっきりさせる必要がある。出典の書き方としては以下の3つが基本的である。 (a) 「・・・である」(甲野乙助『日本経済』1996, 日本評論社,P.34)。 (b) 「・・・である」(2)。レポートの末尾に 注)(1) 甲野乙助『日本経済』1996, 日本評論社,P.34 (2)… (c) 「・・・である」(甲野乙助, 1996:34)。レポートの末尾にを箇条書き。 ・甲野乙助『日本経済』1996, 日本評論社 ・丙田丁一『経済学入門A』 2002,弘文堂 最後に、日本語としてちゃんとしていることが必要である。これが実は一番大切である。 形式的なことも大事である。誤字・脱字はレポートの信用度をぐっと下げるからである。 例えば、「価値感」、「感心が高い」、「意志表示」、「私の考えは…だと思う。」…どこが間違いかお分かりだろうか。自信がなかったら、辞書を引くクセをつけるべきである。また、パソコンを使ってレポー トを各場合、Word の文書校正(「F7」を押す)機能が便利である。ただし、完璧ではないので注意を要する。
  • 教育学 レポート 書き方 レポート作成 法学部レポート対策
  • 550 販売中 2005/07/30
  • 閲覧(151,232) 1
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