連関資料 :: 日本史

資料:427件

  • 中国・日本書道
  • 佛教大学「中国・日本書道史」の合格済みレポートです。フィードバックにあるように、不十分な点があります。 設題1「空海と、その代表的作品について論述せよ。さらに、王羲之の行書作品と比較して、思うところを述べよ。(人物と書と思想の関係について、具体的に論じること。また、王羲之との比較について、800字程度以上記述すること。)」 フィードバッグ 「文章がうまくつながっておりません。  全体構成を考えたうえで記述してください。」 参考 シリーズ書道基本名品集10 空海 風信帖・灌頂記・他 比田井南谷 雄山閣出版 一九八六年 書と思想 歴史上の人物からみる日中書法文化 松宮貫之 東方書店 二〇一九年 書聖王羲之 その謎を解く 魚住和晃 岩波書店 二〇一三年 練習しながらわかる書道六法 福西星邑 松栄出版 一九八七年 空海書の成立について 平山観月 立正大学人文科学研究所 一九六八年 設題2「顔真卿と、その代表的作品について論述せよ。さらに、王羲之の行書作品と比較して、思うところを述べよ。(人物と書と思想の関係について、具体的に論じること。また、王羲之との比較について、800字程度以上記述すること。)」 フィードバック 「王羲之と顔真卿の作品比較は行書で、という設題のテーマです。」 参考 王羲之と顔真卿 二大書聖のかがやき 竹内清乃 平凡社 二〇一九年 書と思想 歴史上の人物からみる日中書法文化 松宮貫之 東方書店 二〇一九年
  • 佛大 佛教大学 中国・日本書道史
  • 770 販売中 2021/09/07
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  • 日本要点集
  • 日本史の授業の際に行う雑談や板書の内容を各項目ごとにまとめました。教科書以上の知識や教科書の内容をコンパクトにまとめた文を用意しています。日本史の授業だけでなく、社会科学系の授業のレポートや、教育実習の実践の参考にしていただけると嬉しいです。
  • 社会科 政治経済 教育実習 板書 授業 発問
  • 550 販売中 2019/02/21
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  • 戦後日本経済
  • 戦後日本経済史  本稿では、1990年頃までの戦後日本経済の大きな流れ、各時期における重要な政策・出来事をまとめていきたい。 1990年代までの日本経済においては、まず4つの時期に分けることができる。 (1) 1945~47年頃:終戦前後の混乱期で、戦後改革に並行しながら、金融緊急措置令・復興金融金庫の融資・傾斜生産方式が採られたが、効果はあげることができなかった。 (2) 1948~54年頃:アメリカの対日政策の変化に対応し、経済安定九原則のもとドッジ=ライン・シャウプ税制が実施され、朝鮮戦争の特需を契機に復興する。 (3) 1955~73年頃:一時不景気になりながらも、高度成長を続ける。 (4) 1974~90年頃:石油ショックから低成長になるが、輸出の増加により、貿易摩擦が深刻化していく。
  • 戦後改革 シャウプ税制 高度経済成長 石油ショック 池田勇人 消費税 公害 アメリカ
  • 550 販売中 2008/01/08
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  • 戦後日本外交
  • 内容紹介 この「戦後日本外交史」は10年刻みの章立ての構成になっている。第一章は敗戦からの5年。第二章が50年代。そして60年代、70年代…と続いていく。第1章の始まりがユニークで、第二次世界大戦中にワシントンで準備された対日占領政策の形成から始まっている。第2章は特に吉田首相の講和条約と安保条約の締結を中心に書かれている。その後は岸信介の改憲再軍備と安保改定の激動の時代を描く。第3章は池田勇人の「国民所得倍増計画」と佐藤栄作の沖縄返還を中心に書かれている。4章はベトナム戦争、ニクソン・ショック、石油ショックという事件を経て、日本が外交政策の転換が求められた時代を書いている。第5章は国際国家としての使命を模索する日本を描く。大平正芳は西側の一員であるアイデンティティを明らかにし、中曽根康弘はG7サミットで世界をリードする。第6章は90年代の主な国際関係を中心に書かれている。すなわち、湾岸戦争、9.11テロ、そして自衛隊のイラク派遣である。日本はこのような危機をどのように乗り越えていくか。そして終章のこれからの日本に続く。 私は特に興味を持った、マッカーサーの日本統治、池田勇人の国民所得倍増計画と外交について論じていきたいと思う。 マッカーサーの日本統治 言わずとしれたマッカーサーである。確かに私自身マッカーサーという名前は日本史で習ったし、戦後を題材に取り上げたメディアは必ずと言っていいほどマッカーサーの名前が出てくる戦後日本にはかかせないアメリカ人である。私は彼の間接統治を評価したい。なぜなら現在日本が戦争に巻き込まれずにいて、平和憲法を作れたのも彼のおかげだと思うし、当時趨勢であった天皇制の廃止をくいとめ、象徴という形で日本に残した。つまりマッカーサーは現在の日本の土台を作ったのである。 私は特にマッカーサーの平和憲法をとりあげる。その2つの大きな柱として、天皇制の存続と、戦争放棄があるが、どちらもマッカーサーが熱く推したものである。 しかしなぜ彼は天皇制をおしたのであろうか。やはりそれは天皇というのは日本国民にとってはきわめて重要な人であったし、これを否定すると日本の統治が難しくなるという点を考慮したのが一つと、彼自身が昭和天皇と会談したとき、自らの責任に言及しつつ国民への配慮を求めた天皇の姿に感動したのがもう一つである。だが、世界の世論、むしろこれまでの敗戦国を見ると、必ずその国のトップは処罰されていた。アメリカ国内は天皇を侵略戦争の戦犯として処刑する意見が多かったし、オーストラリアを初め連合諸国にはもっと多かった。彼が天皇擁護方針を固めると対日統治を容易にはしたが、アメリカ国内を敵に回した。しかし彼はワシントンに的を射た判断を基に天皇制の存続を訴え、見事天皇制は日本国民の象徴として残ったのである。 もう一つのテーマとしてはなぜ、軍人であるマッカーサーは戦争の放棄を憲法に取り入れたがったのか。やはり軍人たる背景が挙げられるのは容易に想像がつく。つまりアメリカ文明のアジアへの移植を目指したのである。しかしそれよりも重要だったと私が思うのは、彼が当時置かれていた状況である。そのころは天皇制の存続はアメリカ本土側から否定されていた。しかし日本政府が戦争放棄によって平和化と民主化を実現すれば連合国も天皇制を含む新しい憲法を容認するのではないかと考えたからである。言い換えれば天皇制の存続の土台だったわけである。 池田勇人の国民所得倍増計画と外交 池田勇人は私が一番好きな政治家である。私はこれほどまでいい意味でも悪い意味でも現実的な政治家を見たことが
  • 戦後 日本外交 マッカーサー 天皇制 池田勇人 国民所得倍増計画 戦後日本外交史 レポート 国際関係
  • 550 販売中 2008/01/18
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  • 日本経済
  •  私たちが普段何気なく使う鉄道が日本の経済や社会に与えた影響について詳しく調べていこうと思う。そして、鉄道が今後どのような影響を与えていくかも調べて生きたいと思う。  まず始に鉄道の歴史を調べてみたいと思う。日本で始めて鉄道建設案が出されたのが、明治2(1869)11.10東京~京都間の幹線及び東京~横浜間、京都~神戸間、琵琶湖畔~敦賀間の3支線の建設計画であった。その後、明治5(1872)10.14我が国初の鉄道開通。距離は29km新橋~横浜間であった。その後京都など関西にも鉄道の建設ラッシュが始まり、私たちがよく使う環状線である山手線が開通したのが、大正14(1925)11. 1神田~上野間であった。この2年前には関東大震災などがあり、東京は大きな損害を受けていた。しかし、震災を気に戸時代以来の東京の街を大幅に改良し、道路拡張や区画整理などを行いインフラが整備され、大変革を遂げた。またラジオ放送が始まるなど近代都市へと復興を遂げていった。昭和2(1927)12.30には日本で初めて上野~浅草間で地下鉄が開通し日本の経済の発展に大きく貢献している事が分かります。その例として明治時代ま
  • 日本の発展を支えた鉄道
  • 550 販売中 2008/01/25
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  • 戦後日本政党
  • 戦後日本政党史 本稿では、敗戦直後から現在に至るまでの政党政治の流れをたどりながら、戦後政治史に関する重要事項を確認したいと思う。  敗戦後、連合国軍による民主化が進められる中で、政党の復活・結成が相次いだ。革新政党としては、1945(昭和20)年10月に日本共産党が合法的な活動を開始したのに続いて、戦前の無産政党を統合した日本社会党が結成された。また、旧立憲政友会系の日本自由党と旧立憲民生党系の日本進歩党という二代保守政党も結成された。  日本自由党は、
  • 吉田茂 鳩山一郎 自民党 社会党 日米安保 再軍備 憲法改正 55年体制
  • 550 販売中 2008/01/04
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  • 日本政治思想
  • 回、夏期レポート課題として、多木浩二氏の著作である「天皇の肖像」を読み、それをレポートすることとなった。政治学科を専攻する私にとって、天皇の御真影を通した江戸~明治日本の移り変わり、それは大衆から特権階級、ひいては天皇自身をも取り巻く環境の変化であり、西洋文化の流入に苦慮しつつも、国体維持のために多くの文化をとりいれようとする多くの流れがかいま見える。それは、実際には予想もし得ない事柄も含めて、大日本帝国の幕開けであった。そして、それはポツダム宣言の受諾まで続くわけだが、過去の日本の姿を捉え、またそのあまりに知られていない成り立ちを知るには絶好の著書であった。今回、それらの事柄について見識を少しでも深められたことに感謝しつつ、著書を自分なりに解きほぐしていきたい。しかしながら、私自身の不勉強も相まって、いささか難しい箇所も多々あった。読み苦しいところもあるかも知れないが、最後までお付き合い頂きたい。まず、時系列にまとめていこうと思う。江戸から幕末への移り変わりの中、江戸時代において、将軍が実質的な権威であり、天皇はあくまでも象徴である、とする「消極的権威」から、大久保利通ら新政府の人間達の手により、まだまだ幼かった明治天皇は実質的にも日本国の指導者、元帥となるべく教育を受ける。その中で、女性的であった宮廷を大きく変革し、天皇をより男らしい、多くの人間を統率出来る人間へ、また民衆にもそれを知らしめるための改革を行った。なんと言っても、幕府が消え去った中で、新政府はその力を国内的にも、また対外的にも見せていかなくてはならなかった。国内では権力を失った豪族が蔓延っていたし、民衆も体制の変化に不安を見せていたためである。そういった中で、唯一無二の天皇という存在を大きくしていき、国民に対しての「顔」または「リーダー」とすることは、国内の秩序を保つ上で非常に重要な意味があった。また、国家の力を強めていくに当たって、軍事的な意味での統率も視野に入れる中で、天皇の存在は非常に有効だったのかも知れない。その中で、名前しか知らず、実質的に何の力も持たない天皇に対して国民が持つイメージはあまりに希薄であった。こういったところから、肖像の有効性は発揮されていったとも言えよう。御真影と共に、天皇と国民との間を近くしたのは巡幸であった。実際に天皇自ら全国を行脚し(実際
  • 法政 法学 政治学
  • 550 販売中 2012/04/12
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