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連関資料 :: 文化

資料:498件

  • 文化主義の考え方と、それが持つ問題点について
  • 多文化主義の考え方と、それが持つ問題点について  → 世界には、いろいろな文化が存在する。そして、その文化が社会に与える影響は想像以上に大きく、人類の友好の手段にもなるが、時には支配の道具にもなり、文化をめぐって争いが起こることも少なくない。現代社会においては、マスコミやインターネットなどの様々なメディアが発達し、ひとつの国家の中にも多くの文化が入り混じっている。 多文化主義(マルチカルチュラリズム)は、「ひとつの社会の内部において複数の文化の共存を是とし、文化の共存がもたらすプラス面を積極的に評価しようとする主張ないしは運動」を指し、二つの類型がある。 ?統合理念としての多文化主義 ・結果の平等を目指す       ・積極的な政府の支援 ・主流文化のもとに統合していこうとする、同化 主義の否定 ?道具としての多文化主義  ・差別を禁止し、社会参加の為の機会の平等をめざす  ・同化主義の否定まではいかない  ・同化・融合のための一時的迂回策という側面
  • レポート 社会学 マルチカルチュラリズム カナダ オーストラリア
  • 550 販売中 2006/08/14
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  • 文化交流論【歴史】(4000字用)レポート
  • (設題) 「歴史」の意味について考察し、また歴史研究の方法が今日に至るまでどのように変化したかを論述しなさい。 (解答)  始めに、「歴史」の意味について述べる。ドイツ観念論哲学の大成者ヘーゲル(1770年~1831年)は、歴史には二つの意味があると説いている。つまり、起こった出来事という意味での客観的歴史と、起こった出来事の記述という意味での主観的歴史である。主観的歴史は、それを記述した者が、自らの生きた時代に対する見解を提示するものである。よって、その記述の方法や内容は、その時代の記述者たちが、先代の出来事や先人の業績をどのように承継しているか、或いは、自分の時代をどのように把握しているかにより、変化・発達するものである。  ここで、19世紀までの歴史研究の方法について述べる。19世紀までの歴史学の発達について、ドイツの歴史学者ベルンハイム(1852年~1942年)は、その著者『歴史学入門』(1905年)の中で、①物語風歴史、②教訓的歴史、③発展的(発生的)歴史の三つの段階を挙げている。 まず①では、関心ある範囲での歴史的素材を時間や場所の順で挙げて、物語るという次元にとどまってい
  • 歴史 経済 キリスト教 社会 発達 政治 ドイツ 思想 人間 ヨーロッパ
  • 1,100 販売中 2009/04/28
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  • 科学とは何か--「二つの文化」論から「知のモード」論へ
  • 科学とは何か--「二つの文化」論から「知のモード」論へ 科学の独立と科学者の誕生  英語のscientist(科学者)という言葉が創られたのは1830年代のことであった。すでにscienceという言葉はあったが、philosophyとほぼ同義語として用いられており、ともに広い意味での知的探求(哲学)とその成果としての知識を意味していた。したがって、自然を対象とした知的探求は哲学の一部としての自然哲学(natural philosophy)であり、例えば、ニュートン(1642-1727)は、自然哲学者(natural philosopher)と呼ばれたのである。しかし、19世紀になると、philosophy(哲学)から、自然を対象とし実験や観察を方法とする固有の学問分野としてのscience(科学)が独立し、科学を探究する専門家としての科学者が誕生したのである。  「科学の独立」と「科学者の誕生」は、教育・研究の場としての大学の発展拡大と時期を同じくしていた。中世以来の伝統を有するヨーロッパの大学では、(自然)科学を教え研究する部門はなかったのだが、19世紀を通じて自然科学の教育・研究が次第に拡充強化され、科学者が養成されるようになった。従来の人文的伝統を中心とした大学・知識社会の中に、新しく科学的伝統が加わったったのである。科学は次々に新しい専門分野を開拓して勢力を拡大するとともに、20世紀に入ると技術と深く結びつき、「科学技術」として経済社会や政治に大きな影響を及ぼすに至った。 スノーの「二つの文化」論とクーンの科学論  科学の専門細分化と科学技術の影響力の拡大の結果、深刻な文化的危機が生じつつあるのではないかとの懸念が表明された。1959年、イギリスの著作家C.P.スノー(1905-1980)は「二つの文化と科学革命」と題された講演で、科学革命(20世紀前半における科学技術の発展をスノーは「科学革命」と呼んだ)の結果、西欧の知識人社会に大きな亀裂が生じつつあると論じたのである。すなわち、スノーは人文的文化(その代表としての文学者)と科学的文化(その代表としての物理学者)の間には越えがたい亀裂=溝があり、両者は互いに理解しあうことができず、言葉さえ通じなくなってしまっていると論じ、これは西欧文化における危機だと警鐘を鳴らしたのである。スノー自身、物理学者としての経験をもつ評論家・小説家という特異なキャリアの持ち主であり、文化の分裂に深刻な懸念を抱いたのであった。文化の分裂という危機に対するスノーの処方箋は、科学革命という現実を踏まえて、文系知識人が科学技術に対する基本的な認識と理解をもつよう努力すべきではないか、というものであった。  スノーの講演の数年後、クーンの『科学革命の構造』が出版された(1962年)。物理学者から科学史家に転じたT.S.クーン(1922-1996)は、科学研究は「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与える」パラダイム(paradigm)を基盤に遂行されると論じ、科学の歴史を「パラダイム・チェンジ=科学革命」の歴史と捉えた。クーンの科学論は従来の累積的・連続的な科学史観を根底からくつがえすとともに、自然科学(の各専門分野)には明確なパラダイムがあるが、人文・社会科学にはパラダイムがみてとれないと論じて、自然科学と人文・社会科学の差異を浮き彫りにし、「二つの文化」の存在を科学論の立場から裏付けた。 総合科学の試み  このように、1960年代には、事態を憂慮するかどうかは
  • 全体公開 2007/12/24
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  • 文化人類学 「江戸の恋」という本の内容と感想
  • 江戸にあふれるさまざまな恋。命がけで恋をしていた江戸時代の人々の、切なく、辛く、美しい恋を通して、筆者の「恋」に対する思い、美意識が表現されている。  江戸時代の恋には手本があった。それは決して幸せなものでなく、「心中」という悲劇的なものであった。心中を題材にした代表作でもある、近松門左衛門の浄瑠璃『曾根崎心中』に、江戸の人々は切なさと同時に、その愛の深さに憧れを抱いたのだという。「恋がしたい」と思うことは、「苦しみたい」と思うことと同じだとわかっていながら恋をやめることのできないもの。それは恋によるむなしさには、人生があるからなのだという。そしてもう一つの手本に「好色」という言葉がある。それは、流行に敏感でセンスが良く、口の利き方も気が利いていて、人への気遣いも慣れていて、教養があって、芸もでき、恋心についてよく知っている。という、いわゆる完璧な人をいう。江戸時代の人はこのお手本に近づこうといろんなおしゃれをして、素敵に着飾っていたという。江戸時代の人々は清潔で、完璧主義なのだなという印象に残りました。  江戸時代の「初恋」はうれしく楽しいものであった。この時代は、多くの子供が亡く
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