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連関資料 :: 文化

資料:500件

  • 朝鮮の衣食住の文化
  • 私は日本の文化と朝鮮の文化はもともと同じなのではないか?という仮説を立ててみた。実際、焼肉は韓国が本場だし、日本の文化は大和政権のときに半島から渡ってきた渡来人によってもたらせられたものが基本となっているはずだ。しかし実際のところまったく違うと思う。これから、朝鮮の衣食住文化をレポートし、やはり朝鮮と日本は違う文化なのだと自分自身認識していきたい。 まず「衣」文化だ。特に伝統的な民族衣装から比較する。 まず、朝鮮といったら「チマ・チョゴリ」であろう。日本人なら誰でも耳にしたことがある有名なものだ。チマ・チョゴリの語源は、チマはスカートを意味し、チョゴリは上着を意味する言葉である。韓国では通常「韓服」(ハンボ)と言いうそうだ。チマ・チョゴリの始まりは高句麗、新羅、百済の三国時代から始まったと言われている。初めてチマ・チョゴリの痕跡が発見されたのは高句麗時代の王と貴族の墓の壁画である。その後唐の国から衣装や仏教等の色々な事が伝わり、モンゴルの影響も受けながら現代のチマ・チョゴリの始まりになった。いわば多文化が作り上げ洗練された結晶である。今度はチマ・チョゴリの色について調べて見る。授業でも習ったが、朝鮮では陰陽五行をいろいろな場面で応用してきた。チマ・チョゴリも例外ではなかった。子供や、未婚の若い女性は赤いチマに黄色いチョゴリを好んで着た。結婚した女性はチョゴリに赤紫色のコルンを付けて既婚者と言うしるしになったと言うことだ。又、青い色の生地を袖の先に付けたら子供を持った母親と言う意味があったそうだ。それと、新郎はブルー系のチマ・チョゴリを、新婦はピンク系のチマ・チョゴリを着ると言ういわれも有る。ただ、今では個性により好みの色やデザインを自由に選んで着るのが好ましいそうだ。 もうひとつ紹介するなら、「コムシン」だろう。これも授業で習い、手に取った瞬間驚いた。靴にしてはものすごく硬かった。よくこれで履けるなあ…と思っていたら、これは「トルチャンチ」という子供の1歳のお祝いに使うものだそうだ。日本で言う七五三みたいなものか。私も七五三で着慣れない羽織袴と草履で親に苦労をかけたそうだ。多分、朝鮮の小さい子供もたいへんであろう。 次に「食」文化に移るとする。やはり有名なものは「キムチ」だろう。日本でもかなり好まれて食されているし、韓国人の92%はキムチを自宅で漬けているというデータがある。代表的なものを上げると、カッキムチ(高菜のキムチ)、ペチュキムチ(白菜のキムチ)、カクテギ(大根のキムチ)などである。このように朝鮮人の食事のお供であるキムチで衝撃的なものを見つけた。コチュキムチという唐辛子のキムチである。キムチ自体に唐辛子を使うはずなのに、唐辛子のキムチとは…。朝鮮人はかなりのキムチ好きだと改めて思い知らされた。 もうひとつは「犬肉」(タンコギ)だ。私が思う犬肉のイメージは獣くさくて、肉が筋肉質で硬いというものだが、実際はそうではないらしい。犬肉料理の代表的なものの「補身湯」(ポシンタン)は様々な調味料や食材を使用して長時間煮込んであるため肉が柔らかく味も複雑でとてもおいしいらしい。コラーゲンが豊富で、肌や関節に良いそうだ。韓国人のほぼ半数が犬肉を食べた経験があると答えているが、朝鮮では犬肉は高級料理である。大事なおもてなしをする時に、まず選ばれるのは犬の肉、もしくはアヒルの肉である。2番目に鶏肉、3番目に豚肉、4番目に牛肉、の順番にランクが下がるそうだ。牛は普段農業に使われているのだが、老いて働けなくなった時に殺して食するので、肉のランクとしては低いそう
  • レポート 国際関係学 朝鮮 韓国 犬肉 チマチョゴリ キムチ
  • 550 販売中 2007/11/14
  • 閲覧(9,210)
  • アメリカの食文化
  • アメリカの食文化は、どのような文化であろう。国土が広大で歴史的な変化に富む国であるがゆえに、その問いに答えるのは難しい。アメリカの食事といえば、ハンバーガーやホットドッグ、フライドチキンなどの、いわゆる「ジャンクフード」を思い浮かべることが多いのではないだろうか。そして、スナック菓子や甘い飲み物やお菓子を食べ、食べる量は膨大な量であるというイメージだ。 しかし忘れてはならないのは、アメリカ人の古きよきものを愛する精神である。アメリカ人は信仰心が篤く、さまざまな行事を重んじ、その伝統を大切にしている。この精神は食べ物のも表れており、中でも日本人にもなじみがあるのはクリスマス料理である。クリスマス
  • レポート アメリカ 食文化 クリスマス 感謝祭
  • 550 販売中 2007/09/24
  • 閲覧(6,659)
  • 文化人類学
  • 文化人類学―性と親族関係  未開社会の親族関係は、三つのポイントから見られる。第一は、これらの社会では親族及び姻族の関係が、集団のメンバーであるかないかを決めるのに用いられる。よそものの集団を人間とは認めない。集団の内部では、彼らだけが「本当の」人間、「優れた」人間であるとされるのである。法的にもまた事実としても親族同士である。第二に、この社会では、親族関係とそれに纏わるさまざまな観念を、血の繋がった親子関係などの生物学的関係に先立つもの、あるいはそれとは無関係なものと見る。このような社会では、むしろ親族関係を生物学的関係に還元する傾向があるのである。さらに、各個人をあらかじめ設定されたカテゴリーに分類し、家族、社会内でのそれぞれの位置づけを明らかにするのである。第三に、これらの親族関係やさまざまな観念は、彼らの社会生活、社会行動の隅々まで浸透している。親族関係は、各親族に異なる、はっきり規定された権利と義務を意味する。家族関係だけでなく、経済、 政治、宗教など一切の社会的関係を表現する、共通言語となっているのである。 これについて、今私たちは「民族性」と呼ばれる。自分と同じ社会で生存
  • 文化 人類 集団 民族 人工妊娠 人権 人権問題 アジア 南アメリカ 民族国家 人工受精 人類学 アフリカ 人道問題 人道的 民族認識 同一民族 生物学 生物学的 親族 親族関係 心理
  • 550 販売中 2008/12/07
  • 閲覧(5,375)
  • 児童文化
  • 合格A 「赤ずきん」「金のがちょう」「ブレーメンの音楽隊」の中から1つ選んで脚色し、一幕物の人形劇の脚本にまとめてください。(お話から劇へ)
  • 表現 出版 病気
  • 660 販売中 2016/01/06
  • 閲覧(2,508)
  • 纏足の文化
  •  纏足は10世紀頃妓女の間で流行し、やがて上流階級の間に、南宋以降には民間に広まり、明清時代に最も盛んになった。その広まりの原因は、もともと漢民族が足に対して特別な感受性を持っていたことや、宋の時代に始まった、厳粛主義化された新儒教の影響があげられる。これによって女性の劣等性や男女の厳格な分離が強化され、女性に貞操を強調するものになり、纏足という女性を囲いの中に閉じ込める文化を賞賛することになったのである。これ以来、極端に小さく、先の尖った足が美女であるためになくてはならない属性にまでなった。明清代のなかでも清代は纏足の最盛期である。1664年に康煕帝によって出された満州族婦人の纏足を禁止する纏足禁止令があったので、満州の女性は足を縛ることはしなかったが、つま先が細くなった靴を履いた、漢族の女性の纏足の歩き方をまねた。このように禁止されていたにもかかわらず、纏足は女性にとって魅力的なものに映った。この頃になると纏足は美人の条件だけでなく、結婚の条件にもなっている。  では、ひどく身体的苦痛を伴うと言われている纏足の「見せる」部分、魅力とは何だったのであろうか。  まず、足というのは男性器の象徴、靴は女性器の象徴とされてきた。つまり「足」という部分がもともとエロティックなシンボルであったことがわかる。また、漢民族は足に対して特別な思い入れがあったことから、細く、小さく弱弱しい女性の纏足はまさに肉体的な性的魅力であった。  中国の纏足は文化人類学的には一種の身体変工である。身体変工とは人体の特定部分に対して長期的もしくは永続的に変形させる習俗であるが、この動機・目的には、神話的裏づけを持つもの、呪力をもつためなどさまざまある。この中国で行われた纏足では、美の理想に近づくため、性的魅力を持つためである。
  • レポート 史学 中国 纏足 オリエンタリズム
  • 550 販売中 2006/02/09
  • 閲覧(5,297)
  • 朝鮮の歴史と文化
  • 朝鮮の歴史と文化 関東大震災  1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲った。相模湾を震源地とする大地震の襲来であり、相模湾の南西部の深さ1300mの海底が、長さ24km、幅2kmから5.5kmにわったて陥没した。反動で相模湾の北東部では海底が100m以上も隆起した。相模湾に沿ったところでは、列車の転落など地震の直接被害が大きかった。小田原では崖は崩れ、橋は落ち、建物は崩壊し、多くの市民が亡くなった。地震直後、東京ではたちまちにして火事が起こった。人家の密集していた東京の震災被害は、震源に近い相模湾沿いの地域に比べて火災被害によるものが圧倒的に多かった。東京において全死亡者のおよそ85%が焼死であった。 関東大震災時における日本の朝鮮政策  震災の混乱の中で、朝鮮人による暴動が起こっているという流言が人々に広まった。流言が簡単に信じられた最大の理由は、多くの日本人が、非常の場合など何かあったときには朝鮮人が襲ってくるかもしれないと恐れていたからである。日本人は、官憲も民衆も、朝鮮人に襲われるかもしれないと思うほど、強く恨まれていると確信していた。そのように確信するには理由があるが、その理由は朝鮮人の側にあるのではなく、日本政府の朝鮮政策にあった。朝鮮を植民地にしてから、1910年より1918年にかけ、日本政府は、朝鮮においては近代的な土地所有権制度が確立していないとの理由から、大規模な土地調査を行った。その調査によって土地所有権を確認しようとしたのであるが、真の目的は違うところにあった。調査は土地の利用者に所有権を届け出させるものであった。届出がなかったり、所有権があいまいであった土地は、指導や仲裁をして実際の耕作者の権利関係をはっきりさせたのであれば、それなりに土地制度の近代化に役に立ったのであろう。しかし日本政府は、届出のなかった広大な土地を所有権者がいないものとして朝鮮人耕作者から強権的に取り上げてしまった。ここに土地調査の真の目的があったのである。識字率の低かった朝鮮にあっては、多くの朝鮮人耕作者には、所有権の意味、届出や、まして届出しなかったことによる効果の意味がわからなかった。そのため届出がなされなかった土地が多かった。これを利用したのだ。届出がなかった土地は、所有権者がいない土地とされ、詐欺的に耕作者などから取り上げられ、日本関係の土地とされた。それはそれまでの朝鮮における土地利用の慣行をまったく無視したものだった。  土地を奪われた朝鮮人は、働く手段を奪われたのである。彼らは土地を離れて、生活のための職を求め、北部の者は主に満州へ流れ、南部の者は日本に入ってきた。土地を奪われた者は、土地調査の意味がよくわからない、文字の書けない下層農民がほとんどであった。したがって日本に流入してきた朝鮮人の大半は、流入の経緯からして、下層の識字できない者が多かった。そのような経緯で来日した朝鮮人は、知らないうちに土地を奪われ土地から離され、異国である日本に来て、そこで激しい民族差別、同時に貧困による差別を受けたのであり、日本を恨まないはずがない。程度の差はあれ、日本に対して何らかの恨みを持っている、と多くの日本人、特に支配層の日本人が考えていた。 埼玉県における朝鮮人虐殺  <大里郡熊谷町を中心に>  埼玉県大里郡熊谷町、現在の熊谷市は関東平野の北部寄り、秩父山塊に源流を持つ荒川の中流域に位置している。震災による、埼玉県における建物被害は全壊4562戸、半壊4348戸である。埼玉県でも県南部の被害はかなりのものになっていたが
  • レポート 史学 関東大震災 朝鮮人虐殺 朝鮮人の歴史
  • 550 販売中 2006/12/30
  • 閲覧(2,642)
  • 大衆文化と男らしさ
  • 男らしさ」というのは時代を問わず男性の興味関心を引く話題である。また男性だけではなく、昨今ジェンダーの問題もあり、女性からも関心の寄せられるテーマである。そのためこの「男らしさ」とは何かを考えることは男性女性両方のベネフィットとなると思う。私は「男らしい」条件のひとつとして「ストイックであること」がかなり大きな部分を構成していると考える。これは新渡戸武士道による結論であるが、さらにこれを突き詰めていくうちにもうひとつの結論を導き出した。それは男らしさの構成要件においてストイックであることの占める割合が低くなったことであり、そこには男性性の変化・および再生産が読み取れる。以下その詳細を示す。
  • 女性 文化 比較 少年 能力 男性 変化 表現 マンガ ジェンダー
  • 550 販売中 2010/01/27
  • 閲覧(2,477)
  • 日本の言語文化.
  • 『日本の言語文化』 日清戦争以降「一等国」となった日本は、大東亜共栄圏を樹立しようと台湾や朝鮮、満州、東南アジアに領土を拡大していた。しかし、植民地語の使用は日本の統治政策を崩すことにもなりかねず、異民族を統治するためには言語問題の解決が必要であった。つまり、統治による画一性、近代化の効率性を追求していくと、国民的同一性そして、それにつながる均質な単一言語が必要となってくる。では、帝国日本内のこの明らかな多言語性はどのように認識され、「国語」が、近代日本の帝国的
  • 社会言語論 社会文化 日本語学
  • 550 販売中 2008/03/21
  • 閲覧(2,003)
  • 文化人類学
  •  人間社会において子供の誕生というものはどのようなものなのか。子供は生まれると同時に生まれた場所の文化に組み込まれ、そこの文化体系によって発育されていく。文化はそれぞれの国や地域により異なっていて、子供の誕生に対する考え方もさまざまである。    今回このレポートでは、サモアと韓国の社会を例に挙げ、この二つの社会における子供の誕生に対する考え方の相違を述べていく。 まずサモアにおいてだが、サモアでは初めて夫婦間に子供が生まれると初子誕生祝いが行われる。これは父親の家族と母親の家族の間で、結婚式で行った交換を小型にした交換を行うものである。この交換で男方からは現金が贈られ、女方からは細編みゴザや
  • レポート 文化人類学 サモア 韓国
  • 550 販売中 2007/01/07
  • 閲覧(4,868)
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