連関資料 :: 教育原論 第2設題

資料:106件

  • 障害児教育原論 2設題
  • 「戦後日本の知的障害教育を概観し、特に「交流・統合教育」が提唱・実践されるようになった背景について考察せよ。」  交流教育が唱えられ、実践されるようになったのは1960年代中頃以降であり、その後、多様な形態で展開されてきた。それにはヨーロッパやアメリカなど諸外国の影響が大きいが何よりも日本における障害児教育の実践的成果のひとつの課題としての交流教育へのアプローチであった。 障害児教育の中でも、戦後すぐに義務制度を始めたのは視覚・聴覚障害児の教育であり、養護学校教育においてはそれよりも遅く、昭和54年に義務制が実施された。   それまでの交流教育は比較的軽度な障害児対象だったものが、義務制度により障害児の重度重複化と多様化による実践が広がりを見せ、それは障害児教育のあり方という根本的な問題に発展し、健常児との交流の教育意義が、ごく限られた軽度の障害児のみならず、全ての障害児に対しても大きな実践的課題として拡大した。 また、小・中学校では平成5年度から「通級による指導」が制度化され現在、健常児のクラスに原則として在籍し、教育を受ける新しい指導形態による「交流(統合)教育」も制度化され現在の教育制度の中での交流教育のあり方は実に多様なものになっており、学校や学級の条件はもとより、何より障害児一人ひとりの固有の条件もあり、指導形態による分類も非常に困難な状態になっている。  交流教育を困難なものにする原因として他に、1960年代から昭和54年度の養護学校義務制に伴い、作られていった養護学校の新設・増設が物理的、地理的にも郊外へそして、地域の中心地より離れていったことが、地域における交流教育の実践を難しくさせ、地域住民との交流、相互理解の不十分な要因となったことは否めないのである。  また、小・中学校における特殊学級においても、必ずしも障害児教育担当の適任者が配置されているとは言えない状態があったり、障害への専門性と特殊性に重きを置くあまり同じ施設内にありながら、健常児との交流関係が希薄となり、そのことで教師集団全体への障害児教育についての理解・関心が深まらず、学校全体で教師、児童・生徒が一丸となって交流していこうという環境がなかなか出来辛い厳しい状況の中で、地道な交流教育の実践を積み重ねていく中で、その重要性については普通学級担任にも普及していった。  この様な実践の成果を背景にしながら、昭和44年、答申「特殊教育の基本的な施策のあり方について」の中で、重要な柱のひとつとして「普通児とともに教育を受ける機会を多くすること」をあげ、「心身障害児に対する教育はその能力、特性などに応じて特殊な教育的配慮のもとに行なわれるものであるが、普通児とともに生活し、教育を受けることによって人間形成、社会適応、学習活動などの種々の面において教育効果がさらに高められることにかんがみ、心身障害児の個々の状態に応じて可能な限り普通児とともに教育を受ける機会を多くし、普通児の教育からことさら遊離しないようにする必要がある。」と述べている。  1974年日本教職員組合の委嘱で発足した教育制度検討委員会の最終報告書「日本の教育改革を求めて」の中で「すべての障害者の発達をどう保障するか」の基本原則として4つあげているが、その中の「普通教育と共同教育の原則」については「障害者の人間的・全面的発達、その社会性の発達、いわゆる『普通者』との人間交流と連帯を育てるためには、可能な限り『普通者』とともに生活し、ともに学ぶことが重要であり、その障害を受けている機能の回復や代替機能によるコミュニケー
  • 障害児教育原論 第2設題 佛教大学 通信教育
  • 550 販売中 2008/07/06
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  • 教育原論設題レポート S0101
  • ジョン・ロックにおける子どもの教育論、特に習慣形成や賞罰法を中心に述べよ。  ジョン・ロックは、1632年8月29日、イングランドの西南部ソマセットのリントンという村に生まれた。1646年、十四歳の時ウエストミンタースクールに入学し、初めて学校に通う事になった。当時この学校は王党派雰囲気であり、その教育、訓練は厳格をきわめたものであった。1666年、ロックは医師として偶然の事からアシュリ卿の知遇を得る事になり、これがその後の生涯を決定する事になった。ロックは非常に多忙の身となったが、体調をくずし、これを機に療養をすると共に、優れた学者達と交わり、快適な思索と執筆の生活を続けた。また、1688年の名誉革命では革命の理論的指導者として大いに尊敬されていた。ロックは、書斎だけに閉じこもった哲学者ではなく、自ら現実の中に飛び込んで問題に取り組んだ思想家であった。 ロックの教育はタブラ・ラサ説を唱えている。心の中には生まれながらに植え付けられた観念や原理などはない。すなわち子どもは生まれたときはまだ何の観念も持っていないということだ。それは、子どもは成長するにつれて教育により様々な観念を獲得する
  • 子ども 学校 ロック 人間 子供 自然 教育論 理性 習慣形成 知識 合格レポート 教育原論 第二設題 ジョン・ロック 賞罰法
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  • 佛大レポート 教育原論2設題
  • 「ジョン・ロックにおける子どもの教育論、特に習慣形成や賞罰法を中心に述べよ。」  ジョン・ロックの子どもの教育論は簡単にいうと「ジェントルマン(紳士)を育てる」ということである。もう少し詳しく書くと「健全な身体と道徳と知識を持っているべきである」ということを理想としている。そして、これらを4つの目的(徳性・思慮分別・しつけ・学識)から成り立っている。この4つの目的により紳士のような他人に敬意を表し、自己を卑下しない態度の表現が習得されるのである。古代に存在したユベナーリスの名句「健全な精神は健全なる身体に宿る」を新しい近代教育の1つの理念として表明したのである。一般的にこのような考え方を紳士教育論と呼ぶ。この紳士教育論を構築していくにあたって、ジョン・ロックの理想の形成のための背景や子ども観から考察する。ジョン・ロックは子どものことをこのように述べている。「生まれたときにはまだ何の観念も持っていないが、成長するにつれ教育によって様々な観念をもつようになる」どのような意味かというと、白紙状態の精神にいろんな経験が色づけされることによって変化していくという経験主義的な考えなのである。これを
  • 佛教大学 教育原論 第2設題 ジョン=ロック 子どもの教育論 習慣形成 賞罰法
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  • 教育原論 1設題(A評価) 設題(A評価)
  • 第1設題 『ペスタロッチーの教育学(直観の原理など)について考察せよ。』 第2設題 『ジョン・ロックにおける子どもの教育論、特に習慣形成や賞罰法を中心に述べよ。』 ペスタロッチーは、ルソーと同様に、子どもには、将来発展する素質が備わっており、この素質が子どもの内から発展するように助成するのが教育と考えている。ペスタロッチーは、子どもは生まれながらには、未だ動物であるにすぎず、この動物的衝動を根絶することが教育なのであると考える古い教育観に真っ向から反対する。 真への認識、美の感情、善の力、これらは全て子どもが生まれながら有しているものであり、植物が発芽し成長し花を咲かせ実となっていくのと同様に、教育者は子どもの内的本性が自ら実現していくのを、援助することに専念しなければならない。逆に、子どもの内的本性に備わっていないものを、外部から注入することは、教育にふさわしくない。従って、ロックのようなタブラ・ラサ(精神白紙説)とは異なる教育観を見出すことができる。すなわち、子どもの本性は白紙ではなく、すでに将来成長する能力を内的に有しているのである。この能力を自然に即した形で伸ばしていくことが重要であり、ペスタロッチーは、この教育観を「有機的・発生的」と呼んでいる。子どもの内的素質を重視すると
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