連関資料 :: 生きる

資料:60件

  • 十八の足跡〜生きることの再考〜
  • 始めに〜タイトルの由来〜  よく「私は人生そんな長く生きていないから人生なんて語れない。」と口にする人がいる。しかし私はどんなに乏しい人生経験であろうと、それを語る価値は十二分にあると思う。ただそれが完全な形ではない、あくまで途中経過であるだけなのだ。そして人生の中で私たちは「再考」を繰り返す。私たちはひとつひとつに何かを感じ、多少なりとも自分の考え方を変えていく。そしてこのレポートもまた、途中経過でしかない。十八の、あるいは2003年7月28日の私の人生観でしかないのだ。このいっときの「私」をフランクルの思想を元に紐解いていこうと思う。 「生産的」ではなくなった生命  フランクルによれば、強制収容所では、「『生産的』ではなくなった生命はすべて、文字通り『生きる価値がない』とみなされた」(1)と言う。一見それは偏ったあるいはあくまで「昔」の考え方のように思える。しかし、ここで私があえて再考したい理由。それはまだ今の世の中にも少なからずこのような考え方が残っているのではないか、と考えるからだ。  ここで少し尊厳死について考えてみたい。尊厳死とは、近年延命技術の進歩により人間の尊厳あるいは人間らしさが無視された治療が行われていることに対して提唱された、人間の尊厳を守った上での死である。このような考え方が出、技術ばかりに走る医学に歯止めをかけられたことは良いことだと私は思う。しかし一方で、この考え方が行き過ぎてしまうのには懸念を感じるのだ。たとえば尊厳死を「人間としての質を守るための死」という風に捉えたとする。確かに一理あるだろう。しかし一方で、これを誇張しすぎると「人間としての質−例えば考えること、話すこと、歩くこと−が伴っていない人はどうなるのか?」という疑問がわいてくるのだ。現に胎内の子供が障害を持っていると分かると中絶してしまうがいるではないか。
  • レポート フランクル 看護 哲学
  • 550 販売中 2006/02/13
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  • 人は一人では生きてゆけない
  • 人は一人では生きてゆけない。 ~家族の絆~   人は一人では生きてゆけないと知りながら、別居や離婚など、自ら一人を選んでいる。 私の家族は今離婚の危機に瀕している。父は私が生まれてから20年間単身赴任をしている。母は30年間専業主婦をし、父の両親の世話、また私達3人の兄弟を一人で育てた。 そんな2人は今、離婚しようとしている。理由は性格の不一致だ。また父の浮気も関わっている。 私の家族は父の収入が多いため、世間一般から言えば裕福な家庭である。私自身、何不自由なく生きてこられたし、自分のやりたいことすべてやらせてもらってきた。父と母が仲よくないとはわかっていたものの、まさか離婚が現実に自分の家族
  • 人は一人では生きてゆけない
  • 550 販売中 2008/07/10
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  • 「ゆとり教育」で「生きる力」は育まれるか?
  • 私は家庭教師で2人の中学生を教えているが、時々、自分の頃との違いに驚くことがある。例えば、自分が中学の時に習ったことが、今では習わなくてよくなっていたり、小学校でやるべき内容のことを中学校で習うことになっていたり、ということだ。理科や社会科の教科書を見ても、資料集かと思うくらい写真が多く、活字を読む箇所が極めて少なくなっている。おそらく、「ゆとり教育」をモットーにおいた教育改革、教科書改訂によってそのように変わったのだろう。しかし、私はこの「ゆとり教育」に強い疑問を抱いている。  そもそも、なぜ「ゆとり教育」が必要なのだろうか。様々な記事や本を見ても、たいてい書かれていることは同じだった。それは、「生きる力」を身につけるためである。「生きる力」は、知識を一方的に教え込むのではなく、自ら学び、自ら考えることによって育まれる。そしてそれは「ゆとり」ある教育環境の中で実現可能である、ということだ。本当にそうであろうか。  では「生きる力」とは一体何なのか。調べてみると、「生きる力」はたいてい次のように定義される。
  • レポート 教育学 ゆとり教育 生きる力 学力低下
  • 550 販売中 2006/05/10
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  • 生きる力の育成と道徳教育について。
  • 1996年7月に出された第15期中央教育審議会第一答申、「21世紀を展望した我が国の教育のあり方」以来、今日の教育目的となった感のある「生きる力」についてまず検討し、その後「生きる力」の核となる豊かな人間性を育む道徳教育のあり方について考察していく。 上記の答申は時代を超えて変わらない価値あるものを大切にするとともに、社会の変化に的確かつ迅速に対応する教育を実現するために、「生きる力」の育成という新しい教育の目的を提示した。
  • レポート 教育学 学習指導要領 生きる力 道徳 豊かな心
  • 550 販売中 2006/09/20
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  • 命あるものの意味について―副題;生きると言うこと
  • Reno1  生命倫理学(総合科目)を受講して最初の半期が経過した。どれも中身が濃く重い内容のもので、じっくりと考察させられた。今までにこのような重い内容に触れたことがなかったのでそう言った意味で、新鮮な新たな知識が得られるものだったことを述べておこう。  まず、この講義のテーマとして「命の対話――ふたたび生と死を考える――」とある。このテーマ“生と死”は人類の永遠のテーマであると言える。神の領域とまで言われていた“いのち(生命)”すなわち“生と死”を操れるようになる程に発達した人間の技術力。けれど、こういったものには必ず責任が伴う。人間は一人ではない。様々な考えがある。答えは決して一つとは限らない不確かなものでした。 Reno2  私が興味を持ったものとしては[遺伝子の希望と危険性、人工生殖、体をめぐる医療]でした。医療の発達に伴う人間の権利を倫理的にとらえることは手段の一つとして有効で有意義なものです。また、主な単語としてクローン、ES細胞、遺伝子情報、遺伝子診断、ヒトノゲノムの前塩基配列解読、臓器売買{幹細胞の代表的なもの}受精した胚(受精卵)から取りだした「胚性幹細胞」(ES細胞=Embryonic Stem Cell) 胎盤や成人の骨髄から取りだした「骨髄性幹細胞」臓器移植、安楽死など。様々で聞き慣れない、しかし決して倫理学的には外せない単語がある。どれも私たちの体に関するものです。そしてどれもが解決しがたい問題点を抱えています。例としてはすでに存在する人間(いのち)の利益のための行為が他者の利益を侵害することがあるということ。そして、その判断を倫理的にどうするのか決して究明されてはいない。これに対する混迷と不安は技術を求め続けてきた事への代償でもある。私たちはこのことに対してどのように付き合っていくのか議論しなければならない。
  • レポート 生死 倫理 医療 法律
  • 550 販売中 2005/11/17
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  • 生きる力とゆとりの必要性
  •  はじめに、現代になぜ生きる力とゆとりが必要かを述べる。それは受験競争の低年齢化、いじめや不登校の問題、また学校外での実体験の不足による社会性の欠如など、豊かな人間性の教育という目標の落差も指摘されている。このような現状から、ゆとりのある教育活動を展開し、子どもたちに「生きる力」を育む教育が重視されてきたのである。豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚の育成(他人、社会、ルールやモラル、自分の国や世界のことを意識できるゆとり)、多くの知識を一方的に教え込む教育を転換し、子どもたちが自ら学び、自ら考える力の育成(自ら学び、考え、判断し、表現し、解決することのできるような主体的な対応・創造的な行動のゆとり)、ゆとりのある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図り、個性を生かす教育の充実等に適切に配慮していく必要があるのである。  では、なぜ生きる力とゆとりの必要性が体育科教育に期待されるのかを考察していく。まずは、体育科指導の特殊性を確認しておく。  人は、身体運動によって生活し、それにより環境との関係を保っている。体育科で扱う運動は、1つには、身体的発達に対す
  • レポート 教育学 ゆとり 生きる力 体育科教育 期待 生涯教育
  • 550 販売中 2006/12/07
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  • 映画『女はみんな生きている』を見て
  • 『女はみんな生きている』 私がもっとも共感をおぼえた登場人物は『女はみんな生きている』の中のエレーヌである。彼女は息子からは邪険に扱われ夫からもまるで家政婦の様に扱われている。そんな彼らの為にエレーヌは毎日黙々と家事をこなす。当然、感謝の気持ちなどは彼らから感じられない。私はまだ結婚もしていないし子供もいない。なのでエレーヌの様な扱いを受けたことはないが、同じ女として、彼女の気持ちや葛藤がわかるので彼女の気持ちの変化や行動から目が離せなかった。もし私が結婚してエレーヌの様な境遇になったらどうなるのだろう?ある日突然家出、というようなエレーヌの様に思い切った行動が出来るのだろうか?『帰る場所があ
  • レポート フランス 女性差別 男尊女卑
  • 550 販売中 2007/07/13
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  • 生きる 生命 哲学 仏教 恋愛
  • 『なぜ生きる』(監修;高森顕徹、著者;明橋大二、伊藤健太郎、一万年堂出版) テーマ「永遠の旅人としての人間」 8月上旬、この『なぜ生きる』を読んだ。読後の正直な感想は、仏教的な解説が全体的にやや多いという印象をまず受けた。しかし、生と死、そしてなぜ生きるかという問いが頭の中に根を張ったかのような感覚が私のなかにしばらく残った。なぜ生きるのか。なぜ私は生きるのか。なぜ私は生まれてきたのか。一言ではとても言い尽くせない哲学的で、宗教的である問いである。20年間の人生を通じて私のなかでその問いが根付いたのは今回が初めてではない。たしか中学2年の時にそのテーマに取りつかれたことがある。なぜ私は生まれたのか。なぜ人は生きるのか。人の生きる意味とは。死ぬというのはどういったことか。そしてそこから派生してなぜ人を殺してはいけないかということにも考えが及んだ。結論としては未だに絶対的であると断定できる答えが見つかっていないのが現状であるし、おそらくその答えが見つかっている人少ないと思われるし、または絶対的な答えが存在するということすら疑問である。なぜ中学生の私にその問いが浮かんだのかはわからない。特別
  • 宗教 生きる 仏教 問題 人間 思想 生命 中学 目的 学生
  • 660 販売中 2009/06/16
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  • 「現代に生きる青年の成長と発達のために」
  • 「現代に生きる青年の成長と発達のために」 現代という時代の中で、人々が周りから受ける影響は大きいものになりつつある。 この先、どう変化していくかはわからないが、以前よりも人が成長していく過程で触れるものは多くなったし、周りから入ってくる情報は膨大になっている。 そんな中、一人の人間として自己を確立し、乱雑に膨れ上がった社会に出ていき、青年期に自分をしっかりと見つけること。これは相当困難なことだ。 人として成長していく過程で欠かせないもの、そのひとつが教育である。 しかも、教育は人の青年期の大半に関わり、その人のその後に大きく左右してくる。 そんな教育も時代とともに変化しつつある。その象徴とも言えるのが「ゆとり教育」だ。 現代に生きる若者はこのゆとり教育の恩恵を受けている。しかしゆとり教育が定着していくにつれて、それに対する批判が増えているのも言うまでもない。 そしてここ最近、少年犯罪の増加やいじめの悪質化が進み、それに付随して教育現場での問題も増加している。生徒の教師に対する暴行、親の学校に対する度を越えたクレーム、精神疾患にかかる教員の増加、教師の不祥事、などさまざまな問題が教育現場
  • 教育 教職
  • 2,200 販売中 2008/08/03
  • 閲覧(1,298)
  • 生きる力を育む教育方法とは
  • 今日あらゆる場所で「生きる力」についての議論が行われており、教育界の中で、「現代の子供達の生きる力の低下」は大きな問題となっている。一概に生きる力と言ってもいろいろであろう。人と上手にコミュニケーションをとること、基本生活をできるようにさまざまな慣例を学習すること、また今の激しい競争社会に打ち勝つようになるのも生きる力といえるであろう。このように生きる力といってもさまざまだと考えられる。ではそれら全てに共通する生きる力とはどういう力なのであろうか?一般に生きる力は自分問題をみつけ、自分の力であらゆる方法を考え解決していく力、また他者と協調し社会の一員とし人間らしく生きていく力と言われている。それでまず私は、全ての生きる力の根本にある力について考え、そしてその根本にある力をのばす教育方法を考えていくことにより、真の生きる力を育む教育方法を考えていきたい。では現在の子供達を見て、どんな点に生きる力の欠乏を感じるのであるのであろうか。例えば、今目標を持たない、持つことのできない大人も多くいる。コミュニケーションがとれず、なかなか自分以外の人間とつながりあえないのである。
  • レポート 教育学 生きる力 ソクラテス デューイ
  • 550 販売中 2006/04/01
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  • グローバリゼーションに生きる、石橋湛山主義
  • 日中関係論Ⅱレポート グローバル化の中に生きる、石橋湛山主義  第二次世界大戦以前、世界各国は金本位制のネットワークによって結ばれていた。そのため一国の経済が破綻しそうになったら、そこの国から離脱すれば事は済んでいた。よって経済は国内の問題として捉えられ、国際的な連携には乏しかった。しかし戦後になると、この乏しさこそが1929年に始まった世界恐慌、そして第二次世界大戦を招いたと考えられ、経済は国際社会において最重要課題となり、現在では世界規模での連携が不可欠となっている。  しかし、『東洋経済新報』のジャーナリストであり、後に第55代内閣総理大臣となった石橋湛山は、戦前からこの閉塞的な経済を否定し、広域に渡る自由な貿易こそが有意義であると考え、実践しようとしていた。グローバルな観点から日本を含む世界経済を捉え、保護主義的なブロック経済を目指し、資源を確保するために、膨大な軍事費を使い領土を拡大するようなハードパワーに依拠するよりも、ソフトパワーと自由貿易こそが有益であると主張し、貿易立国を目指そうとした。湛山にとって、ハードパワーとは政治的・軍事的指導権であり、それらを国力として考える
  • 日本 アメリカ 中国 経済 社会 政治 国際 政策 思想 アジア 石橋湛山 グローバリゼーション
  • 550 販売中 2009/01/23
  • 閲覧(1,885)
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