連関資料 :: 日本史

資料:423件

  • 現代日本経済
  • 現代日本経済史(火曜) 経済学部 3年 E103235 中澤亮介 ⑦石油危機について(原因や経過、影響、体験談)。  私は、この石油危機について述べていきたいと思う。なぜ、この課題を選んだかということから述べていこう。それは、第一に私の祖父が石油を原料にしてアンモニアを製造し、さらに肥料や諸種の化学品を製造する工場の責任者であったからだ。 祖父の話を聞くと、原油の価格はそれまで30年間1バレル2ドル以下で安定しており、日本で製造する化学肥料は、中国・韓国・台湾・インドネシア・インド・ブラジル等へ輸出されて、外貨獲得額トップの地位にあったという。 ところが、原油の採掘権が、セブンシスターズと呼ばれる欧米の7大石油会社の手から産油諸国の手に移ってから、OPEC(石油輸出国機構)が価格を決定するようになり、原油の価格が二段跳びして30ドルを超えましたのだ。国産原油を持つ国は何とか対応できますが、原油の殆んど輸入に頼るわが国でのアンモニア工業は一挙に国際競争力を失い、厳しい縮小合理化を強いられた挙句、壊滅状態に陥ったのである。 というように、私の身近にいる祖父がこの石油と関係していた一人なので
  • 日本 経済 企業 戦争 石油 化学 エネルギー 問題 学習 戦後
  • 550 販売中 2009/08/13
  • 閲覧(1,817)
  • 日本仏教
  • 奈良時代の仏教の特質を論ぜよ   いわゆる奈良仏教というものは、飛鳥・白鳳時代から奈良時代にかけて発展を遂げたものであり、聖徳太子の思想をうけ、鎮護国家の経説・儀礼として栄えたものである。   さて、この鎮護国家というのは,仏教によって国家を鎮め護ることを指すのであるが、例えば、『仁王経』『金光明経』『法華経』という経典には、これらの経典を受持する国家は災厄を免れ、繁栄すると説かれているのである。国家から官人に準じる身分的特権を与えられた官僧・官尼は、こういった鎮護国家の教説の研究をしたり、鎮護国家の儀礼の際には経典を読誦すること、病気治療などの呪術に従事したりすることが義務づけられていたようだ。官僧・官尼は,聖武天皇が国ごとに建立した国分(僧)寺・国分尼寺という寺院に配属された。そこで、『金光明経』 『法華経』などの鎮護国家のためのお経を読誦した。また聖武天皇は、東大寺に(毘)盧遮那仏(「びるしゃな」ってのは梵語で太陽のこと)の大きな金銅大仏像を造立した。一般に言う奈良の大仏である。ちなみに現在重要文化財クラス以上の建物で最大のモノが東大寺である。   さて、この時代で最も有名な僧侶
  • 日本 仏教 国家 思想 実践 天皇 研究 独立 学生 活動
  • 660 販売中 2009/08/10
  • 閲覧(4,289)
  • 日本 第1設題
  • 『鎌倉幕府と執権政治について』  鎌倉時代の政治は、その特性上3つに分類することができる。すなわち、頼朝によって確立された将軍中心の政治体制、北条氏による執権政治体制、北条氏総領の嫡流による得宗専制政治である。中でも執権政治体制は、将軍中心の体制が鎌倉幕府成立から10年足らずしか続かなかったこと(比企能員の乱・頼家の死までと考え)、また、得宗体制がそもそも執権政治体制によって確立された地位の上に成り立っていることを考えると、鎌倉幕府において最もウェイトを占めていたものと言える。そこで以下では体制確立、隆盛、変容の3つの観点から執権政治について論じていく。 【執権政治体制の確立】  執権とはもともと、政所の別当の中心となるものの呼称であり、初代の執権は北条時政である。後に北条義時が建保元年(1213)に和田義盛の持っていた侍所の別当も兼任するようになることで、地位をより強固にしていった。以下では、もう少し詳しく確立の過程を論じていく。  鎌倉幕府の政治体制は、源頼朝が寿永2年(1183)に後白河法皇より東海道・東山道の進止権、国衙行政を与えられたことに始まり、寿永3年(1184)の公文所
  • 鎌倉幕府 執権政治 佛教 リポート
  • 550 販売中 2008/11/10
  • 閲覧(1,599)
新しくなった
ハッピーキャンパスの特徴
写真のアップロード
一括アップロード
管理ツールで資料管理
資料の情報を統計で確認
資料を更新する
更新前の資料とは?
履歴を確認とは?