連関資料 :: 社会
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少子高齢社会にはどのような課題があるか
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少子高齢社会にはどのような課題があるか
我が国の総人口は、2000年(平成12年)時点で、およそ1億2693万人である。その後、2006年の1億2774万人をピークとして減少に転じると予測されており、2050年にはおよそ1億人、2100年にはおよそ6400万人にまで減少すると見込まれている1)。
現在、日本経済における最も深刻な問題は少子化・高齢化である。老人の数は今後25年間で2000万人増え、働ける人(16才から64才まで)の数は1300万人も減る。まず少子化はどれほど進んでいるのか。
1年間に生まれてくる子どもの数は第2次ベビーブームである1973年の209万人をピークに減少をはじめ、最近では110万人程度となっている。また、女性が生涯に生む平均の子ども数である合計特殊出生率(TFR)は低下が始まる前の1971年の2.16から、2004年には4割減の1.29になっており、減少の一途をたどっている2)。
この数値は長期的に人口を維持できる水準(人口置き換水準)の2.07よりかなり低い数値となっている。
主な要因としては20歳代での出産が大幅に減ったことにある。これはこの年代で結
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レポート
社会学
少子化
高齢化
社会保障
550 販売中 2007/02/15
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原子力をめぐる社会的選択
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原子力をめぐる社会的選択「ファウストの取引」
原子力の何が問題か
事故の環境・人体への影響 チェルノブイリ事故が示すとおり
放射性廃棄物をどうするか →処分方法はいまだ未定
推進側にとってのリスク 巨大な建設コスト
建設までの時間がかかりすぎ、中止になる場合も
紛争処理のコストがかかる
=アメリカ「脱原発」のひとつの理由
電源の多様化を阻害
*これだけの莫大な費用と社会的コストがかかる技術は、国のバックアップによって推進されてきた
なぜ原子力を使うのか-ほかに方法がない?
a.エネルギーの安定供給-原子力は“国産”
「石油、石炭などの化石燃料は枯渇する」・・ウ
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社会学
原子力
エネルギー
社会
リスク
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逸脱とコントロールの社会学の歴史
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第1章 逸脱とコントロールの捉え方
アメリカにおける逸脱の研究史
デュルケーム以後の逸脱の社会学理論の多くは、20世紀のアメリカで展開されている。その背景にはアメリカ社会の特有の事情があります。急速な産業社会化が進み、多くの移民を抱え、都市化したアメリカ社会では犯罪とそれへの対策は重大な社会的問題であり政策課題でもあったからです。これらのことを背景としてアメリカでの犯罪研究は急速に発達していったのです。
1920年代から40年代までの期間は、シカゴ学派の黄金時代でいろいろな研究が行われた。シカゴ学派はアメリカ社会学の確立期に位置し、シカゴなどの都市の住民の生活を対象とするローカルな研究であった。
1940年代から50年代になるとハーバード大学はコロンビア大学を中心に、システム論や機能分析が台頭してくる。ローカルな地域社会を超えたよりマクロな社会を体系的に研究する方法として機能分析やシステム論が適していた。逸脱の研究分野では、マートンを中心としてアノミー論や逸脱の機能分析が展開されていた。
1960年代になるとアメリカ社会は混乱期を迎える。既存の権威・権力を否定し新たな価値観や生き方を模
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社会学
デュルケーム
シカゴ学派
システム論
アノミー論
構造論
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中世ヨーロッパ社会の成立と終焉
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1.はじめに
私は高校時代に世界史の授業を学んだ際十字軍について興味を持った。まずは当時の歴史的背景を知ることが必要なので、十字軍が活動した中世史を今回のテーマとして選択した。現在のヨーロッパ国家の基盤ができたのもこの時代である。中世ヨーロッパの成立からその終わりまでを、ここでは西ヨーロッパを中心に展開してゆく。
2.中世の時代区分
?中世とは何か
中世とは何なのか。イタリア・ルネサンスのヒューマニストや18世紀のフランスの啓蒙主義者たちによって歴史は「古代」「中世」「近代」に区分された。すなわち、「古代」は古典文化の花開いた黄金時代、「中世」はゲルマン民族がそれを無にしてしまった暗黒時代、「近代」は古典文化を再生させた黄金時代と。当時はギリシア、ローマの古典文化にヨーロッパ文化の本質を求めるルネサンス的史観が優勢だったため、「中世」とはギリシア・ローマの古典古代とその精神が再生した近代との中間時期、教会のドグマ(特定の宗教や宗派の信仰内容が真理として公認され、信仰上の教えとして言い表されたもの)とゲルマン人の蛮風が支配した暗黒時代だと理解され、否定的に位置づけられたのである。しかし、このようなルネサンス的史観は後退してゆき、同時に中世を余計な中間の時代と見る傾向も薄れていった。19世紀以来、中世は前期・中期(盛期)・後期の3期に区分されている。
?前期(476年〜10世紀)
476年に西ローマ帝国が滅亡後、西ゴート王国やヴァンダル王国などゲルマン人諸国が興亡したが、7世紀に興ったイスラム勢力によって古代ローマ時代に実現していた「地中海世界」が崩壊した。かわって東部では東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を中心として「東ヨーロッパ世界」が形成され、フランク人による統一が進められた西部では、800年、カール大帝の「西ローマ帝国の復興」によりローマ皇帝とローマ教皇という二つの焦点を持つ。
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史学
中世
通史
ヨーロッパ
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男女共同参画社会の課題
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男と女。
それは、体つきや声など生物的な要素においてまるで異なる生き物である。すなわち、男と女の間には、違うのだから違う、としか言いようがない生物学的性差があるのだ。しかし、だからといって、男のほうが女より上だ、男にしか世の中で権力を振るう権利が無いということの原因とはならない。男と女の間にある差異は、上下関係、優劣関係を示すようなものではない。
しかし、だ。人間という生き物は悲しいかな、自分より立場の弱い人間がいる、自分が社会の底辺ではないのだ、という状況を実に心地よく思う性を持っている。江戸時代に幕府が、農民たちが自分らを社会の底辺だということに不満を覚えて反乱を起こさないようにエタ・ヒニンという身分をわざわざ設けたことを見れば、それはよく分かる。そして生まれた人種差別、部落差別、女性差別。今回のレポートでは女性差別に焦点をあててみたいと思う。
女性差別において何が問題なのかといえば、ジェンダーである。つまり、社会的・文化的に形成された性差というのが問題になってくる。この差異を是正しよう、と政府は色々な対策を組んできている。
男女共同参画社会基本法によると、男女共同参画社会とは、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる社会のこと。すなわち、男女共同参画社会とは、性別にかかわりなくあらゆる分野への参画と能力発揮の機会がひとしく保障されることを大前提にしつつ、性別にかかわりなく一人ひとりの個性が尊重される社会のことをいうのである。
このような社会の実現にむけ、男女雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法など、政府は色々な男女差別の是正に取り組んできたのだ。しかし、これらはどれも表向きのものばかりであった、と私は思う。政府がこれらの諸問題に真剣に対処していない、と指摘したいのではない。
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男女共同参画社会
男女雇用機会均等法
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高齢化時代の社会保障
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高齢化時代の社会保障
第1項 人口高齢化と社会保険費用負担の増大
昭和50年代、核家族化の進行、一世帯平均人員の減少、同居率の低下等の現象は続き、また、既に高度経済成長期に進行していた婦人の社会進出や就労も引き続き進行した。これは、扶養意識の変化とあいまって、高齢者に対する私的扶養機能を弱め、それだけ社会的扶養への依存を高めることを意味した。こうして老人扶養の問題が低所得階層のみならず、一般世帯においても大きな問題となっていった。このような背景のもと、年金費用、医療費、老人福祉費は、増加の一途をたどることとなる。
人口高齢化が将来の社会保障費用負担に与える深刻な影響は、昭和50年代以降、ますま
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福祉学
社会福祉
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歴史
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渋沢栄一の社会事業における功績について
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社会福祉発達史レポート
2006年8月25日提出
「渋沢栄一の社会事業における功績について」
「渋沢栄一の社会事業における功績について」
1、はじめに
渋沢栄一という名前は、高校の日本史の授業で二度ほど登場した。一つは1872年、伊藤博文と共に「国立銀行条例」の発布に尽力し、翌年には初の民間出資の第一国立銀行を創設したことである。もう一つは、海運業での三菱汽船会社の独占を防ぐために、共同運輸会社を設立したことである。その時点では、私にとっての渋沢栄一は「明治期の著名な実業家」であった。
しかし、今年の社会福祉発達史の講義の中に渋沢栄一が登場した。それまで講義に出てきた人物は初めて聞くような人が多かったこともあるが、実業家としての印象しかない彼が社会事業に関与していた事に興味を持った。普通、高校などで習う歴史は、政治や経済を中心に教科書ができている。渋沢栄一はその政治、経済史に名を残す一方で、多くの社会事業に携わり、多くの功績を残した。そして、調べれば調べるほど、渋沢栄一が行った社会事業のスケールや影響力に驚かされた。今回はその調査内容を述べていこうと思う。
2、社会事業との出会い
「日本の資本主義の父」とまで言われた渋沢栄一が、社会事業に初めて本格的に取り組むことになったのは、1874年、34歳の時であった。ちょうどこの年、日本政府の財政の確立を図ろうと尽力していた大蔵省を辞任し、官界を去った年であった。そして行き掛かりの銀行制度を起動に乗せるべく、第一国立銀行の総監役に迎えられた。このような年に、共有金取締方の仕事を東京府知事から依頼された。
共有金取締方という役職は、共有金の用途を取り仕切るために設けられた新しいものであった。共有金とは江戸時代の寛政期に、老中松平定信が江戸市民の永久の救恤に役立てようとつくった七分積金の制度によって積み立てられたものである。明治維新を経て、東京府等が管轄することになり、かなりの額があった。共有金の性質上、府の役員だけでは公正さの点で問題があるため、財政に明るく、府知事とも親交のあった渋沢栄一に白羽の矢が立ったのである。そして忙しい身でありながら、この依頼を受けたことが渋沢栄一の社会事業の原点になっていった。
共有金の用途を定めるために会議所を作り、道路やガス灯、共同墓地や商法講習所の設置・運営を行った。そのひとつに、乞食・浮浪者の収容を目的とした窮貧施設の設置が養育院設立の発端となった。そして、会議所付属の養育院は、恤救規則の制定に伴い、救貧施設の法制化がなされ、養育院の法的地位が確立された。その後も、養育院の廃止案が議会に提出されたり、支弁されていた地方税の差し止めなど、様々な困難にあった。しかし、渋沢栄一は率先して私財を投じ、政界や財界の名士夫人を中心とした養育院慈善会を設置し、資金の調達を民間篤志家に仰ぎ、養育院存続のために尽力した。最終的には、1890年に東京市営の養育院となることが決まった。財政的な問題がすべて解消されたわけではないが、市営になったことで、養育院は更なる多面的な発展を遂げていくこととなった。
ここまで、東京の養育院を中心に述べてきたが、渋沢栄一は養育院の院長として、単に東京だけでなく日本全体の福祉を見据えて養育院はどう発展するべきかを判断しながら、政治や行政の分野に立ち、財源を捻出し、人材を集め使いこなし、組織を改革し、他界のときまで尽力し続けた。
3、渋沢栄一の思想
養育院を中心とした渋沢栄一の社会事業との関わ
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レポート
福祉学
渋沢栄一
社会福祉
社会事業
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社会福祉原論 Ⅱ 資料
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戦後の社会福祉の展開と今日の課題について述べよ。」
Ⅰ 社会福祉の展開
1945年(昭和20年)8月、15年におよぶ第二次世界大戦の終焉を日本は敗戦として迎える。敗戦後の日本は混乱し、社会情勢において、浮浪児対策は緊急課題の1つであった。
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社会福祉
心理学
福祉
東京福祉大学
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