連関資料 :: 倫理学

資料:97件

  • 倫理概論2
  • カントの「純粋理性批判」を読んで純粋理性の根本法則について知るところを書くこと。  テキスト、第三編、第二期、第五章  まず、定言命法であろう。これはカント倫理学における根本的な原理であって無条件に「~せよ」と命じる絶対的命法である。『人倫の形而上学の基礎付け』において提出され、『実践理性批判』において理論的な位置づけが若干修正さた。 『実践理性批判』の§7において「純粋実践理性の根本法則」として次のように定式化される。 「あなたの意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」 、この根本法則に合致しうる行為が義務として我々に妥当する行為なのである。他のあらゆる倫理学の原則が「~ならば、~せよ」という仮言命法の形をとるのに対して、カントの定言命法は「~ならば」という条件節を欠き無条件に行為することを要求する。例えば、「幸福になりたいならば嘘をつくな」という仮言命法を採用する場合、幸福になることと嘘をつかないことの間の必然的な関係が問題となる。幸福になることが目的であり嘘をつかないことは手段にすぎないから、誠実さと幸福の間に必然的な関係が見出されない場合には幸福
  • 倫理 子ども 道徳 人間 自由 自然 旅行 原理 カント
  • 990 販売中 2009/08/10
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  • 倫理概説2
  • 私が思う平和の理念とは、「秩序が維持され続けていること」である。したがって、戦争の反対が平和であるというだけではないといえる。なぜなら、国内で起こる、民族紛争や、カルト集団のテロ、強盗や暴行といった不法な行為といった人災や、地震や台風といった天災、さらには政治の失敗による社会の不安定によっても平和は崩れてしまうものだからである。では、いかにして平和は実現されるのだろうか。カントの著した『永遠平和のために』をもとに平和について考察したい。  まず、国家間の永遠平和のための予備条項として、6ヵ条が挙げられている。この6か条では第3条の「常備軍の撤廃」や第5条の「国家の体制や統治に暴力を持って干渉しない」といった戦争を起こしてしまうような原因を除く条項である。他国の信頼を損なうことを防ぎ、疑い合うことさせない体制作りを設定している。つまり、永遠平和の前提条件としては国家間同士の信頼関係を築く土台といっても過言ではないと思う。国家を一人の人間として例えると、他人とケンカをせずに平穏に過ごすには、お互いが懐にもっている凶器は捨て、相手の考え方に対しては暴力で訴えない。もし、ケンカをしてしまって
  • 倫理学 東洋大学 通信教育課程
  • 550 販売中 2008/03/17
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  • 倫理 日本の倫理思想に対する仏教影響について述べよ
  •  日本における倫理思想は、日本人の民俗、習俗に加えて外来の思想(儒教、仏教、西洋思想)の需要と展開を軸にしながら展開されてきた。  日本の古代国家は4世紀から5世紀にかけては、大和朝廷に見られる宗教的一体で「律令」による国家体制へと変化していった。そのあと、朝鮮半島との国交とうしてもたらされた「論語」と仏教の伝来という歴史的事実から、この儒・仏教思想が具体化されてきた。  まず聖徳太子は人を君・臣・民の態度などや人の和の心をもっとも重視した「論語」の強調する道徳規律の遵守精神である。  聖徳太子のあと、律令国家へと移行し中世になって正法・像法・末法という仏教的歴史の「末法」説くに置ける危機意識を契機として仏教の日本に定着していった。  末法思想とは普通、仏滅1500年から2000年のあとにおける。  仏法は末世末法であるという危機感である。末法は時代が汚れ天災地変や戦乱など社会悪もろもろの邪悪な思想や見解がはびこる様々な精神的悪徳があふれる。  人々の性根が低下する、人間の寿命が次第に短くなるという「五蜀」の世であると説く。そのような末法の予告や末法の歴史観や世界観や人間観は「発心集」や「愚管抄」そして当時の説話物語などに多くみられる。とりわけ宗教倫理的な展開として恵心僧都源信(942〜1017)があげられる。源信は、人間のあるべき理想像を往生要集に表し、その方法を当して念仏を進めた。汚れた世界であるこの現実世界を理想的な浄土を喜んで求めることであるとする。  根本において末法という時間と場所で人間が以下にあるべきかという積極的な問いがある。この問いの具体的な解決は、平安末期から鎌倉時代の日本における仏教の特色の展開すなわち仏教の日本的土着化に求められる。  鎌倉期に起こった仏教の特色は人間凝視という点にあり、その意味で十分倫理学の問題でもある。
  • レポート 哲学 倫理学 保育学科 仏教 日本の倫理思想
  • 550 販売中 2006/01/24
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  • 倫理概説(論文試験)
  • 現代社会の新たな倫理  この数年間で、携帯電話やインターネットをはじめとする情報通信技術が飛躍的な進化をとげてきた。インターネットは、パソコンを始め携帯電話やオーディオなど多くの機器が接続できる。これによって現実社会とは別に、ネットワークによって新たなコミュニケーションの場が形成されるようになり、様々な利益を生んだ。例えば恩らいショッピングでいつでも買い物ができたり、様々な人々とのコミュニケーションの場が誕生したり、情報検索のために活用したりすることなどが挙げられる。最近では音楽配信やオンラインゲーム、インターネットテレビなどマスメディアとの融合が進み、これまで一部の人々が研究や娯楽のために利用していたものであったが、2006年の時点でインターネットの世帯普及率は85%を超えているのである。  しかし、このネットワーク社会が新たな問題の発生源となっている。インターネットショッピングや掲示板などでのネット詐欺や企業や公共団体からの個人情報漏洩事件、さらには誹謗中傷によるいじめからの殺人など数多くの事件が毎日のように起きているという面も忘れてはならない。そこで、現代社会において、もはや必須ともいえる情報倫理について考察していく。 2.ネット社会の特徴と功罪  インターネットをはじめとする仮想空間ではこれまでになかった他者との関わり方が現れてきた。それまでは人との関わりは、①直接相手に会って会話をする、②電話や無線などの通信機器を通じて会話をする、③手紙でやりとりをする。大まかに言ってしまえば以上の3つに分けられるだろう。①~③の特徴はそれぞれ相手を知っており、規模はそれほど大きくない。しかし、ネット社会においては、直接相手に会うこともなく、インターネットにつないでいる人間ならば誰にでも意見が表明でき、ウェブログ等でコメント欄を用意したり、掲示板に書き込んだりすることで見ず知らずの多くの人々とほぼリアルタイムでコンタクトを取ることが出来るのである。つまり、これまでが特定少数の人々とのつながりであったのに対し、ネット社会が生まれたことにより多くの人々が不特定多数の人間とつながりを持てるようになったのである。多くのつながりを持てるようになったことで、特殊な病気や趣味などもっている人同士が容易に集まることが出来る。これまで、孤独の中で耐え続けた人々が仮想空間上で集まることができ、互いに認め合い安心できる場が生まれる。また「教えて!goo」の様な疑問をネットの住人同士で解決しあうサイトも存在する。 このように人と関わりが増えることで不安や疑問などを解消できる反面、重大な事件に巻き込まれてしまう危険もある。例えばいまだ記憶に新しい2004年6月に起きた佐世保の小学校6年生の少女による殺人事件もネットでの同級生との会話が憎悪と悪意を増幅させたことが原因の事件の一つである。加害者少女はネット社会において自己を開放した。だが、自己を開放しただけではなく、さらにその意識下の憎悪、悪意、殺意が表面化し、同級生を殺める結果を生み出してしまった。我々はネットの住民となった子ども達のバランス感覚が、いかに危ういか認識しなければならない。まだ自分の意見や感覚や振る舞いの「公・私」の区別が着いていない子ども達の暗い欲望を浮上させてしまうこともある。 3.知的所有権とネット社会  ネット社会では、ソフトウェア、映像、音楽などの情報の売買がパソコンなどの情報機器を通じて、自宅にいながら行える。FTTHやADSLといった高速通信サービスが浸透し始めている現在では、大容量、高画質な商品を簡
  • 倫理学 東洋大学 通信教育課程
  • 550 販売中 2008/03/17
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