連関資料 :: スポーツ

資料:268件

  • スポーツ
  • ①ライフセイビングの歴史について   英国植民地として、オーストラリアの法律は英国の法システムにならい、道徳律によるものであった。ニューサウスウェールズ州政府では、1833年シドニーコープやダーリングハーバーでの朝六時から夜八時まで海水浴を禁止する法律が通過している。カウンシルレベルで同様の法律が次々に生まれている。公共の場であるビーチで肌や裸を人目にさらすのは下品であると言う道徳的意味あいによるものであった。しかし19世紀後半、禁止されていたとはいえ人々のビーチへの欲望は抑えられるものではなかった。すでに上流階級の独占物とはいえ海水浴場が誕生していたのであり、ブラックプールなどの労働者階級のビーチも誕生していた。規模は定かではないが、英国からの新たな入植者たちは少なくとも情報として、ビーチの快楽を知っていたはずである。そして、1890年代には肌を見せないで海水浴をするための用具であった、ペイジングマシーンによる海水浴やボディーサーフィンが流行し、違法な海水欲者は後をたたなかった。そこから、徐々に違法者が増え続け少しずつではあったが、警察など反対派が妥協していった。そして1902年9月に事件は起きた。当時マンスリー新聞の編集委員であったウィリアムが新聞コラムに、マンリー海岸で昼間に泳ぐことを予告し実践したのだ。警察はそれを監視するだけで彼を捕らえなかったため、賛同者が次々と彼に続いた。その結果、1903年12月2日に条件付ではあるが、法律を撤廃したのである。8歳以上で首から膝まで隠すコスチュームを着用していれば、朝六時から夜七時までの時間帯でも海水浴は合法である。ところがその条件は重い服装を着用する海水浴者を増やし、逆に多くの不幸をもたらしてしまった。翌年、マンリービーチでは17名の水死者を記録してしまったのである。当時の大きな社会問題になった。そして、海水浴者を水難事故から守るライフセイビング活動は、実は1894年初めシドニー近郊のいくつかのビーチでボランティアの人々によって始められていた。彼らは1891年英国で設立されたロイヤルライフセイビングソサイエティのオーストラリア支部組織において、真水での救助活動の技術と方法を学んだ人々であった。そして、彼らに続くように違反者たちは多くのビーチで救助活動を行うようになったのである。社会問題化していた溺死者の増大を何とかくい止めようしていたのである。その結果、次第に違反者たちの活動は地元住民を含めた人々との信頼を得ていったのである。1906年2月、ボンダイビーチにボンダイサーフバイザーズライフセイビングクラブ(SLSC)が結成された。メンバーの多くが、かつて法律の撤回を求め運動し訴訟を起こした委員会のメンバーだった。以後次々と各地でサーフライフセイビングクラブが誕生した。母体は法律への違反者たちのボランティア集団であった。今では泳ぐと言う行為は当たり前のことだが、100年前は禁止されていた。その法律と戦った人々がSLSCを築いた人々であった。彼らにとって海水浴は戦いから勝ち得た権利であり、それを勝ち得るための行為としてサーフライフセイビングが行われたのである。しかし、SLSC設立後も戦いが終わった訳ではなかった。ビーチの主導権や助成金をめぐるカウンシルとのやり取りはしばらく続くことになる。さらに、ビーチの品行を維持する事に対してもSLSCは全面的な信頼を得たわけではなかった。海水欲に対する条件の撤廃まではかなりの年数が必要であった。 ②スポーツのグローバル化の現状とそこに見られる問題点について。 日本の
  • ライフセービングの歴史 スポーツのグローバル化 スポーツと現代社会
  • 550 販売中 2008/01/14
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  • 生涯スポーツの必要とニュースポーツのイメージは?
  •  今、ニュースポーツは、総合型地域スポーツクラブ、高齢者の健康と生きがい作り、子供の健全育成などの活動や事業の中で注目されつつある。その始まりは、1,968年にユネスコの国際体育・スポーツ会議の総会で採択された「スポーツ宣言」では「自分自身や他人との競争、あるいは自然的要素との対決を含むすべての身体活動がスポーツである」と規定されている。  しかし、1,975年にヨーロッパカウンシルの加盟各国スポーツ担当相会議において採択された「ヨーロッパ・みんなのスポーツ憲章」の第一条では、「すべての人はスポーツをする権利を持つ」と宣言され、翌年に開かれたユネスコ体育スポーツ担当大臣・事務官国際会議では「スポーツ・フォア・オール(みんなのスポーツ)」が最重要課題として議論されるなど、スポーツは人間性や社会の発展に必要な要素であり、スポーツをすることは人間の権利であるという「みんなのスポーツ」理念は、それまでの競技者中心のスポーツから、あらゆる層の人々のスポーツ参加を奨励する国際的な運動として広まっていった。  「スポーツ宣言」にあるような、競技性を持った身体活動をスポーツと理解する概念は近代スポーツの一般的な概念で、スポーツの狭義の解釈といえるが、「みんなのスポーツ」を始め、スポーツすることは人間の権利であると捉える生涯スポーツの推進にあたっては、競技スポーツ以外に、健康の維持増進や体力づくり、コミュニケーションなどの為に行われるあらゆる身体活動や運動もスポーツとして捉えることが必要だ。これらのことから生涯スポーツは、市民一人一人が、障害のあらゆるライフステージにおいて、それぞれの個性やライフスタイルに応じて、楽しみや生きがいを持って、健康づくりができるような身体活動と考えることができる。
  • レポート 生涯スポーツ ニュースポーツ 地域スポーツ
  • 550 販売中 2006/01/09
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  • 「するスポーツ」と「観るスポーツ」における学生の意識調査
  • Ⅰ 序論 2006年,トリノオリンピック,そしてドイツで行われたサッカーワールドカップと大きな国際スポーツ大会が開催され,日本中が熱狂した。これらの熱狂が示したように,今,「観るスポーツ」はスポーツを楽しむスポーツ享受の一つのスタイルであり,極めて大きな社会現象として浮かび上がっている。そして,「観るスポーツ」は「するスポーツ」とともに,一つのライフスタイルとして,スポーツ文化の享受形態として,定着しつつある。 一方,「するスポーツ」も劣らず注目されている。文部科学省「スポーツ振興基本計画」は成人の週1回以上のスポーツ実施率が2010年までに2人に1人の50%になることを,また,厚生労働省「健康日本21」は1回30分以上の運動を週2回以上実施し,1年以上持続している人が2010年までに男性39%以上,女性35%以上になることを,それぞれ政策目標に掲げた。 そこで試みに,スポーツ及び体育の意味するところを探ってみると,文部科学省競技スポーツ研究会9)はスポーツの定義を「遊戯,競争もしくは挑戦,そして運動の3要素によって特徴づけられた人間の活動」としている。これを踏まえて「するスポーツ」「観るスポーツ」を定義すると,前者を「遊戯,競争もしくは挑戦,そして運動の3要素によって特徴付けられた人間の活動をすること」,後者を「遊戯,競争もしくは挑戦,そして運動の3要素によって特徴付けられた人間の活動を観ること」と言える。  「するスポーツ」と「観るスポーツ」に関する調査については,以下のような報告がある。 法政大学体育・スポーツ研究センター紀要(田村ら 2003)では,学生はスポーツをするのも観るのも好きという結果を明らかにし,大学の保健体育の有効性と必然性を明確にした。 東京外国語大学論集(阿保 1998)では,「するスポーツ」が好きな学生は「クラブ運動者」に,一方嫌いな学生は「非クラブ運動者」になる割合が高いことを明らかにし,速報化の視点から,「スポーツの好き嫌い」の要因と運動生活との関係を明確にした。 香川大学教育学部研究報告第1部(植村ら 1986)では,学生のスポーツが好きな理由は主に精神力の育成,根性が養われるなど,「精神的成長,充実」であることや,学生のスポーツが嫌いな理由は「技能のつまずき,否定,劣等感」であることを明らかにし,大学生のスポーツに対する好き嫌いの感情とその理由を明確にした。 秋田大学教育学部研究紀要(三戸ら 1995)では,学生の関心のあるスポーツ種目を知覚性,知識性,興味性,自信・技能性の面から調査を行い,その10位以内に入っているほとんどの種目は高等学校までの体育の授業で取り扱われている種目であり,スポーツに対する関心は,技能に基づく自信に関連があることを明らかにした。さらに,学生が今後やってみたいスポーツ種目を男女共にサッカー,バスケット,バレーボール,やってみたくないスポーツ種目をボクシング,アメリカンフットボール,レスリングと明らかにし,大学生のスポーツに対する興味・関心を明確にした。 体育の科学(浅川 1999)では,競技場まで足を運んで観戦する観客をスポーツ種目別に調査を行い,野球,サッカー,相撲の順に多いことを明らかにし,一部のコアなリピーターによって支持されていることを明確にした。さらに,競馬,競輪,競艇などのギャンブルスポーツと呼ばれる年間観客動員数は,毎年野球のそれを超えるが,そこに集まる人々の行動は単なる観戦行動とは異なり「ギャンブル性」を帯びるので他のスポーツ観戦と同じ水準で比較し,論じることは出来な
  • 日本 スポーツ 社会 教育学 体育 科学 大学 人間 運動 比較
  • 550 販売中 2008/03/24
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  • 企業とスポーツ
  • 今回のレポートでは、アテネ五輪が8月13日に開幕したこともあり、それに関連した8月15日の日本経済新聞朝刊1ページの「企業とスポーツ」について考えていくこととする。 オリンピックのように公式スポンサーや、競技会の名前に企業名や商品名を使用した大会は現在ではよくあることだ。このような光景がよく見られるようになったのはスポーツに商業主義が入ってきたためである。これに深く関わるのがスポンサー企業だ。 商業主義とは、スポンサー企業がスポーツを資金面等でサポートすると共に、これを宣伝、広告媒体、販売促進の手段として利用し利益を得ようとすること、あるいはそうした考え方や主張である。商業主義は、1980年頃から登場し始めた。そして、本格的になったのは1984年のロサンゼルスオリンピックである。 ロサンゼルスオリンピックはロサンゼルス市で行われた議会の中で市の予算をオリンピックに当てる事を禁止し、スポンサー企業からの協賛金、放映権料により大会運営が行われた大会であった。その結果、大会の収支が黒字となったのである。その要因として以下のことがあげられる。
  • レポート 経済学 スポーツ 経済 企業
  • 550 販売中 2006/07/20
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  • スポーツと権利
  • 1 日本プロ野球の経営について  教科書には以下のように書かれている。  プロ野球の観客動員数は年々増え続け、セ・リーグ、パ・リーグ合わせると年間2千2百万人にもなる。しかし球団だけの収支で黒字なのは巨人・阪神・広島のみである。特にパ・リーグの場合親会社からの補填も多く赤字が30億円を超える球団もある。  日本のプロ野球は読売ジャイアンツに引っ張られており、収入も巨人の1/3〜1/4程度で、観客動員数も巨人との試合のみ球場が満員となるケースが多く、したがって巨人の発言権が強い。日本でのリーグ経営は企業中心の成立過程、発展過程からも分かるように、そして競合する他種目リーグもないために、クラブ個人主義型に傾向が強い。その意味ではイギリス型といえるだろう。リーグ内での戦力均衡化の諸方策は、ドラフト制度や新人契約金のキャップ制、そして近年では選手会の強い要請によるフリーエージェント制等もある。しかし実質は巨人軍の資金力に物を言わせた選手集めが指摘されている。巨人軍帝国主義とも指摘されている。  とはいえ、日本での野球人気の伝統、根強さ、そしてサッカーとの競技形態の違いによる試合数の多さによる観客動員数の確保などが、収入の多さを決定している。  以上のように日本プロ野球界の問題点がいくつか述べられている。  現在、親会社の援助がなければ日本プロ野球はすでに破滅しており、経営見直しの時期に来ているといわれている。日本の野球ビジネスはまったく成り立っていないのだ。実際今年に入って、大阪近鉄とオリックスの合併問題が浮上してきた。大阪近鉄とオリックスはともに30億円以上の赤字だといわれている。不景気の時代、親会社も30億円以上の補填をするのはなかなか苦しいと考えられる。なお赤字問題はこの2球団に限った問題ではない。
  • レポート スポーツ プロ野球 権利 スト
  • 550 販売中 2005/10/28
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  • スポーツビジネス
  • 本レポートでは、自身が関わってきた業務をとおして、「スポーツビジネスにおいて、『カネ』を生み出す源泉はどこにあるのか」について少し論じてみたいと思う。 これまでの業務を通して、私なりに感じたのは、最近日本でも良く耳にするようになった言葉、「スポーツビジネス」とは、これまでの「ビジネス」とは異なった概念であるということである。「スポーツビジネス」と「ビジネス」の大まかな違いとして感じることは2点。一つ目は、ライバル企業なしでは存在出来ないのが、「スポーツビジネス」ではないだろうかということ。二つ目は、「ビジネス」は有形価値(経済的資産、利潤など)だけども、「スポーツビジネス」は無形価値(ブランド、イメージなど)だと言うことである。 サッカーでも野球でも、フットボールでも、スポーツは予測不可能であり、何が起こるか分からない。家電製品のように感覚で触れる事が出来ない。そこにビジネスには無い面白さがあり、それがスポーツビジネスを確立させているのではないだろうかと感じる。 欧米に比べて遅れていると言われる日本の「スポーツビジネス」ではあるが、J リーグに代表されるような地域密着型マーケティングの成功例や、プロ野球に代表されるように親会社依存型ビジネスの限界の露呈によって次々と生み出されている新しい試みの中で、徐々に近代化への道を歩み始め、活況を呈してきたように思える。とかく閉鎖性が指摘さ れてきた日本のスポーツ界が、「スポーツビジネス」として近代化していく過程においては、業界内外のステークホルダーが、どのような権利や強みを持っているのかを把握した上で、誰がどのような役割を果たしているのか、あるいは果たしていくべきかを考えることが重要であり、かつ、それが「スポーツビジネス」における新しいビジネスチャンスを創出していくための手がかりではないだろうかと考える。
  • レポート スポーツ ビジネス カネ サッカー 野球
  • 2,750 販売中 2005/07/29
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  • アメリカのスポーツ
  • American Sports There are a lot of sports all over the world. Human being has been doing those sports for long years. For example, we do soccer, basketball, baseball and boxing, golf and so on. But there are not only competitions. For example, "hunting" "billiards" and horse racing are also sports. And our human being is very good at doing them or like them. Sometimes we can watch sports and take them as a topic to talk with each other. So I can say there are few people who don't like sports. Now I will take China and Japan as example. Table tennis is the most popular sport in China. In weekend there are a lot of people playing table tennis .Among them, sometimes we ca see families who are playing table tennis. In addition many parks and housing apartment have a place for playing table tennis. Japanese like baseball and their traditional sport Sumo. We can always watch baseball games on TV. And we can also see children who are playing baseball in the parks. Moreover the ticket price of sumo is very expensive. We can say these sports are very popular in Japan. Now we look at superpower country. America is the largest country in the world in various means. So this essay's argument is to enter into American's sports. What Americans like or playing? What's sport is popular? I want to check them out in this essay. Baseball is the most popular sport in the United States. It is played throughout the spring and summer, and professional baseball teams play well into the fall. Althou
  • 英語 スポーツ サッカー 野球 ゴルフ アメリカ
  • 550 販売中 2008/01/29
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