連関資料 :: 教育原論

資料:483件

  • 障害児教育原論 第1設題
  • 「就学基準の緩和、認定就学者の承認によって、障害児を受け入れる小・中学校で整備しなければならない条件を検討しなさい。」 日本において、「特殊教育」という考え方を基本に整備されてきた背景には、歴史的に障害児は健常児から分離した場を作りるということがあったと言えるにではないだろうか。 実際の就学指導を行うのは都道府県や市町村の教育委員会の委嘱によって構成される医師や学校代表、ところによっては障害乳幼児の保育・療育施設の代表や心理専門家などの専門家を加えた就学指導委員会である。 就学指導委員会は検査や報告などをもとに、相対的に障害の重い子どもは盲・聾・養護学校である。 また相対的に軽い子どもは障害児学級という機械的な判断がなされえている。 これまで、学校教育法第22条の3に示される「判断基準」に基づき「重い」「軽い」が決められてきた。 例えば、盲者では両眼の視力が0.1未満のもの、聾者は聴力レベルが100デシベル以上のもの、知的障害においては「遅滞の程度が中度以上のもの(IQ20~50)」といったように障害の程度の応じた明確な規定があった。  しかし、国際障害者年(1981)に国連から打ち出した「可能な限り障害児を通常学校に統合する」という趣旨が提起された。 さらに、1993年12月に国連総会では「政府は、障害をもつ子ども・青年・成人の、統合された環境での初等、中等、高等教育の機会均等の原則を認識すべきである」とする「インクルージョン(統合教育)」という理念の原則が採択されて世界の潮流となった。 日本においても、2003年3月に文部科学省から「今後の特別支援教育の在り方について」の報告が出され、「従来の特殊教育の対象の障害だけではなく、LD、ADHD、高機能自閉症を含めて障害のある児童生徒の自立や社会参加に向けて、その一人ひとりの教育的ニーズを把握して、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するために、適切な教育や指導を通じて必要な支援を行う」との報告が出された。 「特別支援教育」とは、これまでの障害の程度に応じ、特別の場で健常児からは分離して指導を行う「特殊教育」である。 その為に、障害のある児童生徒一人ひとりの教育的ニーズに応えようとするものであり、教育観そのものの転換を促すものである。 それらのことから、障害の軽重の基準のみで教育の場を決めるのではなく、障害者のニーズと環境によって出来るだけ統合教育の理念を具現化する緩和策が示されたと言える。 通常学級にて学ぶ障害児である「認定就学者」の条件は主に「学習を支援する学習機器が用意されていること」「障害に配慮した施設面の整備」「専門性の高い教員の配置」「本人や保護者の希望があること」「受け入れる小・中学校の受け入れ態勢があること」の5点を総合的に判断し、市町村教育委員会は「認定就学者」を認めることができるとされている。 どんな風に、本人や保護者の希望があっても、条件整備が整っていなくては受け入れることは、決して出来ない。 具体的には、「認定就学者」を受け入れる小・中学校で整備しなければならない条件を障害の種別ごと考えるとすれば、以下のようになる。 視覚障害の場合は、早期の段階から専門的な教育体制と教育機器の整備が求められ、特に通常学級で学ぶ弱視児には、拡大文字で印刷された教科書や、明視スタンドといった機器が必要である。 聴覚障害の場合は、聴覚障害児の指導には、大きく純粋口話法と手話法の2法があり、口話法は相手の唇の動きを見て話し言葉を理解し、聴覚障害児自身も音声言語で発語・発話するという
  • 障害児教育原論 第1設題 佛教大学 通信教育
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  • 教育原論 第2設題 ジョン・ロックにおける子どもの教育
  • 『ジョン・ロックにおける子どもの教育論、 特に習慣形成や賞罰法を中心に述べよ』 【はじめに】  人間の態度や才能のちがいは何よりも教育に負うところが大きいことを述べ、子どもの精神を形成すること、および一生涯に影響を及ぼすようなことについては早くからその方針を定めることに重大な関心を持つべきだとロックは『教育論』の中で述べている。 彼はイギリスのジェントルマン階級の中で家庭教師としての長い経験を積む中で、世間を生きる現実的で本質的なモラルの教育を主張した。ロックの生涯を振り返り、彼の説く教育論、主に習慣形成や賞罰法について考察する。  【ジョン・ロックの生涯について】 1632年、ジョン・ロックはイングランド南西部サマセット中部のリットンで生まれ、ブリストルに近いペンスフォードで育った。父ジョン・ロックは、小さな地主で弁護士をし、母の実家は製革業者であり裕福な家の出であった。母はロックが22歳の時に、父は29歳の時に、ただひとりの弟が31歳のときにそれぞれ他界し、以後
  • 子ども ロック 人間 記憶 自然 子供 考察 習慣形成 教育論 役割
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  • 教育原論~科目最終試験ヤマ当てセット~
  • 「コメニウスの教授学や一斉授業について述べ、現在の学校教育における意義を考察せよ。」  まず、コメニウスの教授学について述べる。コメニウスは全ての青少年の教育の為に、全ての子どもが貧富の別、男女の別、身分の別なく学校へ通い、教育を受けることの必要性を説いている。  人間の教育は少年時代に発足され、教育の順序は子どもが受容可能なように段階的でなければならない。また、一歩一歩段階的に教えるためには、統一的で体系的なカリキュラムが求められる。そして、一旦学校へ送られた子どもは、カリキュラムに従って知識・道徳・敬虔を修得するまで教育を継続しなければならない。  また、すべての子どもが学習可能な「教材」が必要である。コメニウスによると、学校で使用される教材は、計画的に組織されねばならず、教材作成において、まず容易な内容から始めて、次第に難しい内容へと進まねばならず、決して急いではならない。また、子どもが自発的に学習するように、子どもの内面に働きかけることも重要であり、子どもの理解能力を超える教材を教え込むことは禁じられる。  そして、コメニウスの教授学においては、「直観」が重視される。学校の教室では、絵画や図表などを掲げ、子どもの五感に訴えて教えることが望ましい。  次に、コメニウスの一斉授業について述べる。コメニウスは効率よく教育を行うために、一人の教師が多数の生徒に対して一斉に集団的に教育することを主張する。教壇からは全生徒の姿が見渡せ、その上で教師は生徒の関心を生じさせ、生徒の感覚に訴えかけるように教えなければならない。また、教師はしばしば生徒に対して質問を発し、彼らの理解を絶えず確認しなければならない。また、この教授法ではすべての生徒が同じ教科書を用いる。  最後に、コメニウス教授学の意義を述べる。コメニウスの教授学は従来の金持ちのみが学べる教育体制を崩し、全ての子どもが学べる教育体制を築き上げた。また、効率よく知識を修得できる教授学を開発した。これは、現代の教育にも通じる大きな意義である。 「ソクラテス的対話術(産婆術)について述べ、ソクラテスの教育学的意義について考察せよ。」  ソクラテスは真の知を獲得するために、対話しあうことが知への道であり、最も有効な教育方法でもあると考えた。ソクラテスの対話術は、一般に産婆術(助産術)と呼ばれている。これは、産婆が妊婦が子を産むのを手助けするように、教師の役割は学習者自身が真の知を生み出すのを手助けすることに他ならないということである。そもそも、全ての人は生まれながら道徳的に善悪を判断する能力を有しているのだが、ソクラテスの産婆術はこの能力をひとりひとりが自分で伸ばすように、教師が手助けすることを企図している。  ソクラテス的対話の教育学的意義を述べる。我々の道徳的知識は教師が外面的に教えて学習者に身につくものでは決してない。学習者が自分自身で努力して、自己の内にある才能を伸ばすように手助けするのが教師の役割である。重要なことは、学習者が自分自身で思考し、判断し、行動する能力を身につけることである。すでに出来上がった知識を無批判的に受け入れるのではなく、自分自身で真理を探究する態度を育成する。教育とは、適切な質問を行うことによって、学習者が自分自身で知を生み出すようきっかけを与えることである。教育は単なる知識の賦与ではなく、学習者自身の思考の発展を目指すものである。教師にできることは、学習者が自分自身で善の知に振り向くように手助けすることにすぎないのである。 「公教育成立の歴史的変遷について述べ、現在にお
  • 科目最終試験 教育原論 佛教大学 通信 テスト対策
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  • 佛大レポート 教育原論第1設題
  • 「ペスタッロッチーの教育学(直観の原理など)について考察せよ。」 ペスタロッチーとはどんな人か簡単に言うと、現代の初等教育の基本を作った人である。その基本となる考え方は初めからあったものではなく、ペスタロッチー自身の成長とともに形成され、彼自身の実践による教育哲学が周りの人々を納得させるまでの思想を構想させたのである。ペスタロッチーはスイスで生まれた。三人兄弟で、兄と妹がいた。幼いときに父を亡くした為に、母親だけで育ててもらっていた。その為に、苦しい生活を余儀なくされた。その中で、学校教育を受けさせてあげたいという母の配慮があったが、特に資産のない家庭にとっては市民として生活することが大変だった。この生活でたくさん助けてもらっていたのが家政婦のバーベリである。幼い時に、母親とバーベリに育てられたことが、後々に教育における女性の重要性を説くことにつながった。このことは「ゲルトルート児童教育法」の幼児期において母親の大切さを強調している部分にも影響している。1761年に大学に進学した。この大学には後に大きく影響を受けたボートマーというスイス啓蒙期の代表者の教授がいた。入学した翌年の1762
  • 佛教大学 教育原論 第一設題 ペスタロッチー 直観の原理 教育学
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