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連関資料 :: 道徳

資料:716件

  • 道徳の指導法 第1分冊
  •  (1)「修身」は1872(明治5)年の「学制」発布により生まれた科目である。明治前期では、まず、1872年の「小学教則」に「修身口授(ギョウギノサトシ)」があった。これは、下等小学第8~5級(現代の小学校1,2年生に相当)を対象に、週に2時間配当された。各々の教師が説教する形で進められたが、その典拠となる教科書は欧米の書物の全訳または部分訳がほとんどであり、翻訳書による修身科は普及しなかった。明治10年代に入ると、啓蒙主義の道徳観や道徳教育に対する批判が起こった。文明開化により知識技能の習得に偏重したために、社会的混乱や風俗を乱すものが出てきたという主張が出てきた。自由民権運動が激化し、教育の地域差や就学率の低下が見られたために、政府は、「改正教育令」を公布し、政府の干渉を強化し統一的な国民教育の普及を図ろうとした。この改正教育令の中では、修身を最重要科目とし、その方針は終戦直後まで続くこととなる。  1890(明治23)年、「教育に関する勅語」(教育勅語)が発布された。その年に小学校令も公布された。1886(明治19)年の教科書検定発足時には、文部省は修身については教科書を用いず、教師が「談話」と「自らが模範となって指導」する方針でいたが、教育勅語徹底のために、方針を転換し教科書を用いることになった。  明治後期に入ると、就学率もほぼ100%に近づき、ドイツの教育学者ヘルバルトの5段階教授説が全国の教育現場に普及した。修身科を含めて各教科でこの指導法が全国の小学校に広がった。  1900年代のはじめには、家族国家観(総合的家族主義)が形成された。教育勅語の精神によって、伝統的な「イエ」中心の家父型家族主義を強化し、天皇制家族国家観が悪率されていった。修身教科書では、特定の人物かの道徳的意識や行動から複数の価値を叙述する人物資本主義と徳目についてそれに適した格言や寓話、事例、人物の事蹟が説明される徳目資本主義の2つの方法があった。  1903(明治36)年になって、小学校の教科書が国定制になった。修身の教科書の改訂は5期まで行われた。各期の改定は政治的・社会的状況を反映し、また基本理念や内容構成とも、各時代の教育学説や教育思想に影響されているが、教育勅語の趣旨に立脚するという原則は一貫して堅持された。  大正期には、修身教育改造運動も見られたが、修身教科書の内容を改造するまでには至らなかった。当時の修身の授業は、まず、教科書を読むことから始まり、補助教材として文部省が作成した修身掛図を見せながら教えていく。あいさつやお辞儀の仕方など「こうあらねばならない」と教えた。文部省は一定のパターン化した授業方法を全国の学校に徹底しようとした。  臨戦教育体制の下で、1941(昭和16)年に小学校が国民学校に改められると、修身は国民科の一部となった。ここでは、修身とは個人が身を修めるものではなく、国民道徳へと個人を教化する道具に転化していた。 (2)学制は、明治維新政府の至上命題であった近代化の施策の一環として発布されたものであり、欧米文化の摂取と習得を目的にしたものであったと考えられるが、それにもかかわらず、初等教育においては、むしろ日本古来の伝統的精神の継承に重きを置いていたことが分かった。また、古くから親から子へと引き継いできた日常生活の心得とか、心構え、要するに生活態度の基本を、ともかくも次代を担う子どもたちに一通り伝えていかなければならない。少なくとも、わが国の伝統的精神だけは、今後いかに欧米文化を取り入れようとも失われてはいけないという明治政府
  • レポート 教育学 道徳 指導法 通信
  • 550 販売中 2007/10/15
  • 閲覧(4,059)
  • 道徳の指導法 第2分冊
  • (1)現行の「小学校学習指導要領」の第1章総則の第1「教育課程編成の一般方針」の2には、道徳教育は「学校の教育活動全体を通じて行う」ものである記されている。小学校では週に1時間「道徳の時間」設けられているが、道徳はそこだけで教えられるものではない。また、「道徳性の育成が図られるように配慮しなければならいない」ともある。つまり、道徳教育の目標とは、「学校の教育活動全体を通じて道徳的な心情、判断力、実践意欲と態度などの道徳性を養うこと」なのである。  「小学校学習指導要領」の第3章「道徳」の第3「指導計画の作成と各学年にわたる内容の取り扱い」には、「道徳教育の全体計画を作成するものとする」と記されている。道徳教育における全体計画とは、「各学校で取り組まれるべきはずの道徳教育の基本的な方針を示したもので、学校の教育活動全体を通して、道徳教育の目標を達成するための方策を総合的に示した教育計画」(「学校道徳教育入門」渡邊弘、140ページ)である。各学校においては、この全体計画を下に児童の道徳性を養う道徳教育を展開していくことになるのである。   では、道徳の時間はいったいどのような位置づけとなっ
  • レポート 教育学 道徳 指導法 通信
  • 550 販売中 2007/10/15
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  • 道徳教育の歴史的変遷について述べよ。
  • 本稿では前半、欧米諸国を概要的に扱い、後半ではイギリスの道徳教育の変遷に焦点を当てる。 西洋教育思想史において、道徳教育は当初から教育の核とみなされてきており、それは西洋教育史上の偉人らの見識に共通して見られる特質である。古代ギリシア時代は、人間の理性的側面と感性的側面にてバランスの取れた調和的人格が教育の理想であり、目標であった。 中世になるとキリスト教の影響下において信仰に内包される形での教育であったが、近世では産業革命の影響から経済的側面が重視されるようになった。そうして学校教育は社会的、職業的な面に焦点が当てられ、従来の道徳教育は減退していったのである。この歴史は、宗教教育と世俗教育の調和と反発の歴史と言い換えることができる。
  • レポート 教育学 西洋教育思想史 歴史的変遷 道徳教育 イギリス
  • 550 販売中 2006/07/22
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  • 佛教大学 道徳教育試験対策
  • その1「第2次世界大戦以前の道徳教育について述べよ。」    江戸時代の道徳養育にとって儒教とりわけ朱子学と陽明学である。 江戸時代は階級によって異なる倫理観が教えられた。藩校では儒教的倫理観、寺子屋では日本古来の神道的な倫理観や仏教的な倫理観が伝えられた。寺子屋に通う庶民の道徳教育は寺子屋の中だけではなく、家庭、地域社会という日常生活の中で自然と影響を大きく受けた。さらに江戸時代は女性の教育の機会が奪われており、男女で異なる倫理観が教えられていた。しかし、石田梅巌により始められた石門心学では教育の機会が与えられていなかった女性等に「聖人の道」を教えることを目的とした。 明治時代の道徳教育は五箇条の誓文の中に求められる。江戸時代の儒教の流れを継承し、王政復古による天皇中心主義。次第に、神仏混合から神道を日本の精神的支柱とした。これらの動きには富国強兵のための資本主義の倫理を導入しようとすることによって日本の教育の改革を意図したものである。 道徳教育において儒教主義的徳育がなされていたが、現場の学校教育では修身と国語の授業で道徳教育が行なわれ、論語や西洋書などが無秩序に取り入れられており
  • 日本 道徳 倫理 子ども 社会 学校 女性 学習指導要領 道徳教育
  • 550 販売中 2009/10/01
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