連関資料 :: 文化論

資料:65件

  • 文化交流(歴史)
  •  人類史上において、情報伝達、コミュケーションの発達には目覚しいものがある。  400万年前、人類はアフリカから世界中に広がり、紀元前7000頃から農業が始まり、紀元前3000頃から都市革命によって文明が形成され始める。紀元前3000頃になるとメソポタミアの川口地域に青銅器を用いてシュメール人が文明をきづきはじめた。  文字の歴史は、粘土がつくり出した都市「メソポタミア」からは粘土に書かれた楔形文字、石才の豊かなエジプトでは石に碑文刻まれただけではなく、パピルスから作られた筆記の材料に神聖文字や民衆文字が記されている。メソポタミア、エジプトの両文明の影響を受けて紀元前20世紀頃から栄えていたクレタ文明、トロヤ文明が衰えると、クレタ人の変わりに地中海の商業覇権を握ったのはフェニキア人だった。彼らはメソポタミア、エジプトの先進文明を地中海各地に伝えたが、エジプトの象形文字から工夫して作り出したアルファベットを用いて、22の子音からなる便利な文字を作った。その後アルファベットに母音が加えられてギリシャ文字となり、ローマに伝えられて西ヨーロッパ諸文字のもととなった。ギリシャ文字も後に東ヨーロッパに伝えられてスラブ諸文字のもとになっている。フェニキア人がつくり出した新しい文字は、その便利さから世界中に広まった。  彼らは、海岸の石英の白砂を原料とするガラス、ミュレックスという小さな貝から作られる染料を用いた染色などの工業も発展させ、山からレバノン杉という良質の木を切り出して船を作り、オリエントと地中海諸地域を結ぶ海外交渉に乗り出した。アルファベットは文字数が少なくて覚えやすく、交渉に利用するのに便利だったため、広い地域に広がったといわれる。
  • レポート 史学 文字 新聞 印刷 コミュニケーション
  • 550 販売中 2006/01/09
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  • アジア文化(test)
  • ①日本人のアジア観、アジアの日本人観 (a)日本人のアジア観; 日本の国際化は進んでいるが、日本人の外国・外国人に対する歴然とした傾向がある。欧米との交流を重視している。アジアの中では日本が一番。「汚い」「貧しい」「危ない」「遅れている」等、否定的なものが多い。アジア諸国を見下すような印象。アジアの国や人々を援助や指導の対象として考えている。アジアは遅れているという観念を持つ日本の姿勢は、ステレオタイプな観念にとらわれずに現実を見てからにしなくてはならない。 アジアから見た日本陣観 2000年に行われたアジア6カ国(韓国、中国、タイ、マレーシア、インドネシア、インド)対象の世論調査で、「過去の問題」への日本の対応を聞いたところ、タイ、マレーシア、インドネシアでは「過去に捉われない新たな協力関係作り」や「アジアへの貢献」が上位を占めるなど「未来志向」型の答えが多かったのに対して、韓国、中国、インドでは「被害を与えた国に対する心からの謝罪」や「被害者への補償」といった「過去の清算」型の答えがもっとも多かったという(「朝日新聞」10月24日)。 これと関連して、同じく朝日新聞と韓国の東亜日報者が行った日韓共同の世論調査によると、日本の植民地支配を含む「過去の清算」に対して、韓国で94%、日本で70%が「まだ決着していない」と答えたという。(「朝日新聞」10月15日)。我が国は、この「アジアからみたアジアの中の日本」という視点を踏まえつつ国際協力を行っていくことは不可欠である。 ➁多民族・多宗教・異文化の中の平等について 急激な国際化に拒否反応を起こす日本人は多い。日本人の他人と異なることに対する拒否感は異常に大きい。異物は排除しようとする力が無意識に働く国民性がある。これは、障害者差別の背景と同様である。多くのアジア諸国は多民族国家であり、様々な言語・宗教・生活習慣がある。例)街の看板や標識は多言語で書かれている。 異文化・異民族への配慮は違いを認める土壌をつくる。お互いの違いを個性として社会の中でそのまま受けとめる。多様な価値観を知り、それぞれの価値観の違いを受けとめるには、自分とは異文化を持つ人々をいかに理解でき、受け止める事ができるかが重要。 多民族、多宗教、異文化の中の平等 日本においては、絶対的に仏教的な宗教が多くお正月や厄年によるお寺や神社への参拝がほとんどである。しかしだからといって日常の生活は、宗教を重んじた時間配分で過ごせるわけではない。 その点、キリスト教、イスラム教、各部族の神々など多くの宗教を持つアジアでは、断食、祝日などの日にちはそれぞれであり、それぞれの信心を重んじた社会体系を構築している国(マレーシアなど)が多い。宗派によっての職場の休憩時間や休日の配慮などは日本では考えられないことである。しかも日本では、若干の風変わりな宗教がマスコミにより放送されるだけに、宗教への偏見は障害者と同じくらいに大きい。というのにお正月には宗教嫌いな人でさえもお参りに行く文化は日本の異常なところである。それぞれの信じるものへの尊重を持つアジアは、日本とは異なる文化である。 ➂アジア型民間施設運営について 経済力の低いアジア地域において、福祉行政は非常に遅れており、障害者施設は機能的側面からも、設立主体からも様々で、系統だて類別することは困難である。しかしそれは、既存の施設形態にとらわれない、独自な発想の施設を生み出す事も可能とする。アジアには収容型施設がほとんどない。数少ない施設の中で、その多くは民間が運営している。政府の財政力のない国におい
  • 日本人のアジア観 他民族・文化の平等 アジア諸国の福祉と日本 東京福祉大 テスト
  • 550 販売中 2008/03/07
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  • 日本文化レポート
  • 日本文化論レポート                    まず、日本文化と思われる事例の一つ目は、古都京都の舞妓・芸妓さんについて取り上げてみたいと思う。舞妓・芸妓とは、唄や踊り、三味線などの芸で宴席に興を添えることを仕事とする女性の事をいう。舞妓とは芸妓になる前の未成年(15歳から20歳くらいまで)の少女のことをいい、舞妓として約5年間修行した後、芸妓になる。意外とこの違いを知らないひとも多いのではないだろうか。舞妓・芸妓は京都の祇園をはじめとする花街と呼ばれる茶屋(お座敷とよばれる部屋をいくつか持ち、お客の要望に応じて芸妓やお酒、料理など遊興に必要とする全てのものを段取りする店の事)や置屋(舞妓・芸妓が所属している店)が集まった街の置屋に所属していて、そこから各お茶屋へと送り出される。      舞妓・芸妓の世界には非常に厳しい独特のしきたりや伝統がある。舞妓になる前の段階を「仕込み」という。15才頃から、置屋で先輩達と共同生活をしながら、舞や行儀作法、着物の着付けなどの修業を経て、約1年後に舞妓としてデビューする事ができる。舞妓としての約5年間は芸妓になるための修練期間で、一通りの舞や三味線、お囃子、そして大切なお座敷でのお客の接待を姉さん芸妓から学ぶ。つまり、誰でもすぐに舞妓さんになれるわけではない。京都以外の出身者は京言葉も覚えなければならず、それにも一年は修行が必要である。よって、中学卒業と同時に修行に入る人が多く、なかには中学に通いながら置屋で修行するケースもあるようだ。また舞妓になると、お座敷には荒れた手はそぐわないとして水仕事や掃除、洗濯をしてはいけないなど制限されるものも多い。意外なものでは、休みの日でも自由に行動できず、常に舞妓としていなければならないという。舞妓としての修行期間が終わると、「衿かえ」という儀式を経て芸妓になれるのである。芸妓は、文字どおり「芸」で身を立てる妓(女性)を意味する。したがって、舞や唄といった芸事はもちろんの事、お客への接し方、話題の豊富さ、女性としての魅力もよりいっそう磨きをかけなくてはならないのである。 舞妓・芸妓の起源は、今から約300年前の江戸時代、京都の八坂神社のある東山周辺の水茶屋から始まった。水茶屋とは神社仏閣へ参詣する人や街道を旅する人にお茶をふるまった店の事で、その店で働いていた茶汲女が歌を聞かせ舞を見せるようになったのが舞妓・芸妓の始まりである。初めは神社に参詣する人や旅人にお茶や団子を提供していたが、いつしか酒や料理が加わり、それを運んでいた娘たちが歌舞伎芝居を真似て三味線や踊りを披露するようになり、芸妓・舞妓になっていったといわれている。 次に、舞妓の服装についてである。普通の着物とは違い、舞妓・芸妓の様装の一番の特徴は「だらりの帯」である。この帯は足首のあたりまで垂れ下がり、歩くとゆらゆら揺れる帯のことをいう。京都の舞妓さん特有の帯で長さは5メートル以上もあり、かなりの重さになる。この帯を絞めるには大変な力を必要とする為、昔から男衆といわれる男性が着付けを担当する。
  • 歴史 日本 女性 日本文化 文化 京都 意義 伝統
  • 550 販売中 2008/07/03
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  • 言語『日本の言語文化
  • 日本の言語文化 帝国日本内の明らかな多言語性が、言語政策という立場からどのように認識されていたのか。そこでは、多言語性の存在を認めてはいるものの、あくまでそれは「日本語」が優位にある過渡的な事態であって、多言語性を制度的にはもちろん、個人のレベルにあっても異常な事態として捉え、ゆくゆくは「日本語」専一の状態を現出させるのが言語政策の到達目標とされていた。帝国日本の内地、植民地、占領地ではそれぞれ「日本語」の位置づけが異なっていたので、多言語性の解釈の仕
  • 社会言語論 社会文化論 日本語学
  • 550 販売中 2008/03/21
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  • 文化 人間の苦悩と道徳
  • 「 人 間 の 苦 悩 と 道 徳 」 課 題 1 ) 坪 内 逍 遥 は 2 0 世 紀 は じ め 、 当 時 の 日 本 社 会 に お い て 「 な ぜ 人 の 心 に 苦 痛 が 多 い の か 」 の 原 因 を 分 析 し て い る 。 今 日 の 日 本 社 会 に お け る 人 の 「 心 の 苦 痛 」 に つ い て 1200 字 以 内 で 論 じ な さ い 。 現 代 の 日 本 社 会 で は 「 人 と 人 と の つ な が り が 希 薄 で あ る 」 と い わ れ て い る 。 テ レ ビ に 出 て く る 芸 能 人 や 有 名 人 の 出 身 地 や 年 齢 ・ 生 年 月 日 ま で 知 っ て い る の に 、 隣 近 所 に 住 ん で い る 人 の 名 前 や 顔 さ え も 知 ら な い と い っ た 「 人 間 不 在 現 象 」 が 今 日 の 日 本 で 起 こ っ て い る 。 現 在 ま で 、 様 々 な 権 利 を 保 障 さ れ 、 人 は 人 間 と し て 生 き る こ と が 可 能 に な っ た は ず な の に 、 一 人 一 人 が 尊 い 個 人 で あ る こ と を 主 張 す る あ ま り 、 孤 独 を 味 わ い 、 個 人 個 人 が 平 等 で あ る た め に 様 々 な 競 争 が 激 化 し て き た 。 孤 独 や 敗 北 を 味 わ っ て 、 人 々 は 信 頼 や 絆 を 忘 れ て し ま っ た 。 昔 、 親 と い う の は 、 人 前 で 決 し て 自 分 の 子 供 を 褒 め な か っ た と い う 。 自 分 の 子 供 を 愛 し て い る か ら こ そ 「 ダ メ な 子 だ 」 と 言 い 、 ほ か の ど の 子 よ り も 自 分 の 子 が 賢 い と 思 っ て い る か ら こ そ 「 バ カ な 子 だ 」 と 言 え た の だ 。 な ぜ な ら 、 そ う 親 か ら 言 わ れ た 子 供 の 方 に も 、 親 へ の 敬 意 や 愛 情 が あ っ て 、 親 の 真 意 は 文 字 通 り で は な い と 分 か っ て い た か ら だ 。 現 在 、 親 子 関 係 に 限 ら ず 、 先 生 と 生 徒 、 友 人 同 士 の 間 で さ え も 、 こ の 「 裏 返 し の 発 言 」 は タ ブ ー と な っ て い る 。 文 字 が 意 味 す る そ の 額 面 ど お り の 意 味 で し か 意 思 の 疎 通 は 図 れ な い の だ 。 個 人 が 個 人 で あ る こ と を 認 め る こ と に よ っ て 、 人 は よ り 孤 独 な 存 在 と な っ て し ま っ た 。 人 を 信 頼 す る こ と を 忘 れ 、 い つ で も 他 者 に 脅 威 を 感 じ て い る 。 成 功 と 挫 折 、 勝 者 と 敗 者 、 そ う や っ て 人 々 が 争 う と き 、 欲 望 は 無 限 大 に 広 が り 、 や が て 他 者 を 攻 撃 す る よ う に な る 。 他 者 の 存 在 は や が て 、 無 害 な も の か ら 攻 撃 す る べ き 敵 へ と 変 化 す る 。 逍 遥 が 生 き た 時 代 の 心 の 苦 痛 と は 、 物
  • 日本人の苦悩 道徳 自我と法 紛争解決 教職
  • 550 販売中 2008/01/28
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