言語論『日本の言語文化』

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    日本の言語文化
    帝国日本内の明らかな多言語性が、言語政策という立場からどのように認識されていたのか。そこでは、多言語性の存在を認めてはいるものの、あくまでそれは「日本語」が優位にある過渡的な事態であって、多言語性を制度的にはもちろん、個人のレベルにあっても異常な事態として捉え、ゆくゆくは「日本語」専一の状態を現出させるのが言語政策の到達目標とされていた。帝国日本の内地、植民地、占領地ではそれぞれ「日本語」の位置づけが異なっていたので、多言語性の解釈の仕

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    日本の言語文化
    帝国日本内の明らかな多言語性が、言語政策という立場からどのように認識されていたのか。そこでは、多言語性の存在を認めてはいるものの、あくまでそれは「日本語」が優位にある過渡的な事態であって、多言語性を制度的にはもちろん、個人のレベルにあっても異常な事態として捉え、ゆくゆくは「日本語」専一の状態を現出させるのが言語政策の到達目標とされていた。帝国日本の内地、植民地、占領地ではそれぞれ「日本語」の位置づけが異なっていたので、多言語性の解釈の仕方もそれぞれではあったが、共通するのは各地の多言語状態に「日本語」が介入していくことが前提となっていた点。根本の発想に「国語」が異言語をどのように管理するか。言い方を変えれば、異言語とは「国語」に対して問題をつきつける存在であると捉えていた。
    「国語」という体制が強固に存在していたからというよりも、その裏にある天皇制という規制が強く働いていたため現実には帝国日本において言語問題が政治家したことは基本的にはなかった。
    上田万年
    当時の日本における「国語愛」の意識の低さを指摘するとともに、通時的および共時的な「国語」の確立の必要性とそのための..

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