連関資料 :: 国際関係

資料:42件

  • 国際関係の基礎知識
  •  日本では国境というものがとても明確化されている。諸外国とは海で隔てられているし、話されていることばも日本語だけである。多少、アイヌ語や琉球方言なども残ってはいるが、現代では日本語の一部と考えてしまってかまわないだろう。日本は江戸時代まで、できる限り他国との関わりを禁じられた独立した国家であった。そのせいもあり、国と国との境もはっきりしている。国境が問題となってくるのは、特に陸続きの国である。例えば、中国は一つの国であってもたくさんの民族が暮らしているし、ヨーロッパでは1993年にEUが発足し、国境がかなり曖昧になってきた。さらに最近ではEuroも登場し、国と国との移動も容易になった。一体、国境とは何なのだろうか。  国境−?国と国との境。異なる国家間の境。?〔法〕国家と国家との版図を区画する境界線。国家領土主権の行われる限界。自然的国境と人為的国境とがある。(広辞苑・第5版)  広辞苑ではこのように定義されているが、実際はどうなのだろう。はるか昔からの民族間の問題もあるが、最近では世界の国際化によっても国境がなくなりつつある。特にインターネットが普及したこともあり、人々の国に対する意識はかなり薄くなった。いっそのこと、国境などなくなってしまえば良いと考えている人々もいるが、そう簡単にはいかないだろう。  まず、ことばの面から国家というものを考えてみよう。ことばは一応、国家間の目安になるが、完全にことば=国境となり得るとは言えないだろう。公用語がいくつもある国もあるし、同じ国でも地域によって話されていることばが違う国もあるからだ。
  • レポート 国際関係学 民族 人種 文化 国家形態 様々な思想・様々な宗教
  • 550 販売中 2005/07/20
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  • 安全保障をめぐる国際関係
  • 序論 安全保障とは、一般的に「国家が外敵からの侵略に対して、軍事力を持って自国の領土を守ること」と定義できる。しかし、国家が守るべきものは領土だけではなく、国益や国民の利益におよぶのもでなければならない。そこで、安全保障をもっと広義に定義すると「国家などが国益や国民の利益を、何らかの方法で、それを侵害する脅威から守る」となるが、これでは実態としてなにが安全保障なのか理解しづらい。これから説明していくことは、まず安全保障の概念を知る上での国際関係、次に安全保障のあり方、三番目に現実の安全保障政策、四番目に日本における安全保障政策、そして最後にそれらを踏まえての結論である。 第一章 ここでは安全保障を考える上で最も重要だと考えられるリアリズムとリベラリズムについて述べていく。リアリズムとは、簡単にいえば性悪説のことである。十\七世紀のイギリスの政治哲学者ホッブズは、人間は本質的に利己的であり充足されておらず、自己の生存を確立するために他者の物を奪おうとする結果、人間同士に論争が生じると考えた。この考え方に立ってみると、国家もまた人間のように、自給自足の状態ではなく利己的であり、自らを充足させるために他国の富や領土を求め、奪い合いをすることになる。リアリズム的世界観とは、国際関係の基本を国家間の生存をかけた闘争ととらえるものであるといえる。 一方のリベラリズムは、リアリズムと対照的に性善説をとる。つまり、国家は闘争するのではなく、平和的な共同体を作り上げていくものと考えるのである。政治哲学者グロティウスによれば、人類には理想や価値を共有し法律や慣例をつくり、一つの共同体を形成していく傾向が本質として与えられているという。そうした人類から成り立つ国家は、お互いの間に法律や制度を作り上げて、それを守ることによって平和的な人類共同体を形成する。リベラリズム的世界観とはこのことである。
  • レポート 国際関係学 安全保障 国際関係 リアリズム リベラリズム
  • 550 販売中 2005/10/17
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  • 国際関係論レポート課題
  • 国際関係論レポート(「ヨーロッパ国際関係史」)                       私の読んだ「ヨーロッパ国際関係史」は、ヨーロッパにおける国際関係がどのように変化してきたのかを近代西洋国家の歴史にまで遡って考察している。ヨーロッパを文学や思想を通して見るだけでなく、多角的にその姿を捉えている。この本は、序章に加え、1章から6章で構成されている。  序章では、ヨーロッパを捉えるためのキーワードを三つ(「ヨーロッパ概念」「ヨーロッパ国際体系の行動様式」「ハイアラーキーな国際関係構造」)提示している。ヨーロッパという概念は大航海時代をきっかけとする地理上の発見とヨーロッパに侵略してくる外敵の存在によって意識されるようになった。ヨーロッパ諸国は権謀術数の中で、各々が自己の利益を追求しつつ、他方である国を完全に弱体化させてヨーロッパ全体の秩序を崩壊させないように行動している。この行動様式は現在でも見られる。また、紛争解決について、ヨーロッパの中でも大国が定期的に会議を開いて、その課題の解決を図った。そこでは、小国の意見は無視された。このことから中心-周辺的な関係の構造が見えてくる。
  • アメリカ 経済 ヨーロッパ 政治 国際 平和 国際関係 問題 統合 通信 レポート
  • 550 販売中 2009/01/28
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  • 国際関係総合研究Ⅲ
  • 映像を通しての平和教育の重要性  とかく巷にあふれる過去の戦争体験の回想を見ていくと、二通りの回想に分かれる。主に過去の戦争を自衛目的や白人からの解放といった大きな大儀を唱える人々は、快進撃を続ける軍が主体となりその回想も賛美されるものである。一方、世間的に左翼的と呼ばれる側は軍関係者ではなく、戦時下の下での国民の困窮と悲惨な戦争体験を回想する。このように回想の中に登場する主体も中身も過去の戦争をいかに位置づけるかで大きく性質が異なる。それぞれの主張も回想も両者にとってはなかなか直視しにくく、なおかつ批判が難しいものであろう。それぞれは水と油のような関係のように思える。しかしながらその時代を生きたことのない私が言えることは、そのどれもがかつては実際にあったことであるのだろう、という一種日和見的意見だけである。1つの大きな戦争という共通体験対する体験と記憶は、各個人がおかれたまさしく運命と呼ぶべき個人差によって大きく異なる。ましてやそこからの回想を人に伝えるという行いは、ある意味で実際個人的経験よりも千差万別であるだろう。我々は、それらの中にある、確実にある共通した核を感じ取らねばならないのである。それが懸命な過去の回想への姿勢であると私は考えている。 授業で見た『陸軍残虐物語』のように軍隊内部での人間の尊厳を扱い、なおかつ映画という表現手法で描き出したものはなかなかなかったように思える。今後確実に軍隊生活を実体験として語れる世代が減っていく。ならばなおのこと、この映画の異種性は濃くなっていくと思われる。参考として、日中戦争に一平卒として従軍した経験を持つ人物が書いた回顧録を一読してみた。映画の中で描かれたしごきの方法も詳細(両手を二つのベッドの端において、足を浮かせて自転車をこぐもの)も書いてあり、映画と照らし合わせることによって、より当時の兵士の教育状況が理解できた。意識的かどうか、その兵士の能力の問題かは判断できないが、教育中はこのしごきの対象として沖縄出身の兵士が槍玉にあげられていたらしい。映画の登場人物の犬丸も純朴な田舎の百姓であったが、しごきと差別意識の関連性も考慮して映画を見るとまた新しい発見があるかもしれない。 この映画のテーマとは一体何であったのかということを考えてみると、当然のことながら軍隊という特殊な組織の性質への問いかけではなかっただろうか。軍隊とは階級制度が人間関係の全てである。その組織において人間とは階級的存在である。徹底した上から下への統制と確実な行動、それこそが軍隊である。当然のことながらそのような中では人間の感情の矛盾も起こる。しかし、矛盾を起こしてはならないということこそが軍隊の矛盾である。そうような環境であるからこそ、物語のようなことが発生したのではないか。 軍隊とは、国民と国家の間を取り持つ存在である。実態の見えない存在である国家に対して、軍隊というものは確実に国民の目の前に存在する。国民が国家との関係を実際的に感じることができるのは、軍隊=皇軍という存在があるためである。国へ報いるためには軍隊に入隊して戦場で活躍しなければならない。しかし皇軍は国民のための軍隊ではなかった。皇軍の矢印は国民から天皇へは向かっては行っても、天皇から国民へは向かなかったのである。徴兵制を採る近代的な軍隊制度を持ちながらの皇軍の矛盾、そして矛盾は閉塞感を生み出す。この作品は軍隊の持つ性質と矛盾を通して、当時の時代というものの持つ矛盾と閉塞感をも描き出したかったのだと考える。 私はこの授業を通して、映画などの映像を通した平和教育は重
  • 平和 戦争 映画
  • 全体公開 2008/01/18
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