連関資料 :: 教育社会学

資料:509件

  • 教育社会 第二設題
  • 『学力低下とは何かを明らかにし、社会階層のような社会的不平等と学力がどのような関わりをもつかについて述べよ』 現在の子どもの学力について、多くの人が「低下」していると答えるだろう。経済協力開発機構(OECD)が、2003年に世界各国の15歳の生徒を対象に行った学習到達度調査(PISA)で、日本の順位が下がったことから、マスコミで盛んに「ゆとり教育で学力が低下した」と報道されることになった。このように、学力低下の原因としてしばしば『ゆとり教育』が挙げられるが、一概にそうであると決め付けることもできない。もちろん、ゆとり教育によって空いた時間は、多くの子どもがテレビを観たり、テレビゲームをしたり遊びの時間として費やされる傾向にあるため、原因の一つであることは間違いない。しかし、OECDによる学習到達度調査(PISA)において、全ての項目で日本を上回ったフィンランドでは、授業時間は日本より少なく、週休二日制である。また、日本の『総合的な学習』に当たる時間も日本より多い。このことから、『ゆとり教育』が学力低下を引き起こしているとは完全には言いにくい。 学力低下の他の理由として「教育の質の低下」が考えられる。小学校の理科では、制限・禁止事項があったり、算数・数学では削減されるもの、教える時期が遅らされるものがかなりあるという。さらに、中学校英語で必修とされる英単語や、小学校で教えるべき漢字の激減など各教科とも学習内容が大幅に削減されている。これに付随して、教師の質の低下も叫ばれている。 また、日常生活における誘惑の増加も考えられる。つまり、テレビ、漫画、ゲームなどに熱中するあまり、勉強が疎かになってしまうということである。それを正す家庭環境にも問題があり、親が子どもに対する躾=教育をしっかりとしていない結果が学力低下に結びついているのではないだろうか。 さらに、大学の乱立も学力低下の原因の一つではないだろうか。この20年間で大学の数は2倍弱に膨れ上がっているという。しかし、質の高い大学が増えたのではなく、質の低い大学が急増したため、結果的に大学生の学力低下を招いたとも言えるのである。一部の大学においては、学力低下以前の問題が起きている。それは、学生に学習する習慣が無いのである。かつての大学であれば、少なくとも学校教育で展開される日々の学習に適応する生徒が進学していたはずである。しかし、現在は、大学進学は易化し、少なからぬ大学ではほぼフリーパスに近い状態であり、学習習慣を身につけていない大学生が大量に発生することになる。表面的な現象としての学力低下よりも、この学ぶことへの価値付けの低下のほうが問題であるのかもしれない。  このような学力低下が単に教育の世界での問題に留まらず、基幹労働力の質の低下、技術開発のポテンシャルの低下などを引き起こし、中期的に国家・社会の国際競争力、経済的地位に影をおとすことになりかねないのである。ただ、問題はそれだけではない。そこで、学力低下が社会にどのような影響を及ぼすのかを次に述べる。  最近、『キレる』子どもの話題がニュースなどでよく取り上げられるが、これも学力低下が関係しているのではないだろうか。もちろん、学力低下が直ちに情緒の不安定に結びつくわけではないが、知力と体力・情緒が互いに関連しあうことが人間にとって大事な能力であることは言うまでもない。しかし、ゆとり教育によってこのような教科の学習機会を失ってしまうと、身につくべき能力が発達しないまま成長することになる。その結果、情緒の不安定に繋がるということである。 また、学歴
  • 佛教大学 レポート 教育社会学 学力低下
  • 550 販売中 2008/03/10
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  • 教育社会第一設題
  • 「社会の構造変動として、情報化・国際化・高齢化・高学歴化が進行すると、教育はそれぞれどのように変化するのかについて論ぜよ。」  今、私たちが生活している社会は、高度の物質的文化が発達し、経済的に恵まれた「豊かな社会」であるといわれている。しかし、その現代社会は同時に様々な、かつ多くの問題をも抱えている。私たちの生活している現代社会の特質を4点から考察し、そして教育はどのように変化していくのかについて論じたい。 情報化社会と教育  現代社会は情報の洪水であると呼ばれ、マス・メディアの発達により多くの有害な情報が氾濫している。情報メディアへの過度ののめり込みは、屋内への閉じこもりに現れるような人間関係の希薄化、直接体験の不足、心身の健康への影響などの問題が指摘されている。その結果、人間関係をつくる力、思いやる心などが子どもたちに十分育まれないことや、生や死に関する現実感覚が薄れるのではないかといったことなどが懸念されている。  しかしながら、高度情報通信社会では、子どもであっても、大人と同様に多様な情報に簡単に触れたり発信したりすることができ、このことをよい方向に生かせば、子どもたちへの働きかけの可能性が広がり、知性や感性を触発し、日常生活の幅を広げ、それを豊かにすることができる。 また、情報化社会では、情報通信の高度化に対応できない、いわゆる「情報弱者」は、生活していく上で不利な状況に置かれることになるといわれている。そのためマルチメディアを活用する機会の充実は、誤った情報や不要な情報に惑わされることなく、真に必要な情報を取捨選択し、自らの情報を適切に発信し得る能力、つまり情報リテラシーを育成していく上で意義深いことである。  情報化に対する教育は、日進月歩の技術発展の中で生涯にわたって人々の情報に関する基礎的資質を育成し同様に一般的な教養も豊かにしていかなければならないものである。 国際化社会と教育 国際化の進展は、交通手段の発達や情報化の進展などを背景に、人・物・情報などが国の枠を越えて飛び交っているため、経済や文化等のさまざまな面でボーダレス化を進行させている。このボーダレス化の進行はまた、国の枠内での生き方から世界の人々と協調して共に生きる生き方への必要性をますます高めている。 従来の日本の学校教育では、多数の国民をその内部に取り込み、巧妙に序列化する一方で、基準に合わない一部の人々を外部に排除してきた。すなわち、学歴に基づく身分的秩序を維持・存続させていくために、少数の者を学校の規範にそぐわない者として脱落させていったのである。しかし、世界のグローバル化と日本社会の国際化という現代の変化に対応して、共生をすすめる国際理解教育が重要になってきた。国際理解教育とは、自己と他者の人権を尊重しながら、異なる文化を認め、世界の人々と共に生きていこうとする人間を育てる教育である。 これからの国際理解教育で必要とされる資質は第一に、地球的視野(相互依存性の認識)を持つこと。第二に、異文化に対する理解・寛容。第三に、人権の尊重。第四に、異文化者との間のコミュニケーション能力である。  以上四つの資質はいずれも、すべての人間がこの地球上で共に生きていこうとする、いわば「共生」をめざす教育に求められる資質である。それらはそれぞれ単独で育成されるのではなく、相互に関連しあい影響しあいながら伸長していくものである。  「共に生きる」とは、世界のすべての人々が自己の生を充実させうる社会の実現を阻害している諸問題に目を向け、その解決のために積極的に社会参加していくこ
  • 教育社会学 第一設題 佛教大学 通信教育
  • 550 販売中 2008/07/06
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  • 教育社会 第一設問
  • 教育社会学第一設題A判定レポートです。 「学歴社会とは何かを明らかにし、高学歴化が進行すると教育はどのように変化するかについて学力の視点から述べてください。」 学歴社会とは「社会における社会的・職業的地位などの配分の基準として学歴が重きを占める社会」を意味する。一方高学歴社会という言葉は学歴社会とよく混同されやすいが、これは単に「高学歴者の多い社会」を意味する言葉で、高校卒業後の高等学校教育機関への進学率が50%を越える社会であるとされている。日本はアメリカやカナダとならび、数少ない高学歴社会のひとつである。
  • 日本 社会 アメリカ 学校 学歴 学歴社会 大学 問題 人間 国家 佛教大学 教育社会学 レポート
  • 550 販売中 2010/03/02
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  • 教育社会 第二設問
  • 教育社会学第二設題A判定レポートです。 学力低下とは何かを明らかにし、社会階層のような書快適不平等と学力がどのような関わりをもつのかについて述べてください。  学力低下に関する論議が近年盛んに行われている。しかし、現実に展開されている論争を見ると、一般に思われているよりはるかに深いレベルの論議が展開されており、学力とは何か、学校とは何か、といった根本的な問題を通じてこれからの時代の社会システムのあり方をめぐって論争が展開されている。
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  • 550 販売中 2010/03/02
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  • 教育社会第二設題
  • 「学力低下とは何かを明らかにし、社会階層のような社会的不平等と学力がどのような関わりをもつのかについて述べよ。」  今日、議論されている「学力低下」は、過去の議論とは明らかに質が異なるからである。つまり、新しい世代の学力が前の世代の学力に及ばない、縮小再生産の過程が始まったのではないかという疑念があるところに、根本的かつ深刻な問題があるわけです。高学歴化が起これば「大学生」というカテゴリーに入る人々の平均学力は確かに低下です。一部の大学においては、すでに学力低下以前に学生に学習する習慣がないのです。かつての大学であれば、少なくとも学校教育で展開される日々の学習に適応する生徒が進学していたはずです。そうでなければ大学入試には受からなかったはずです。しかし、現在は、そして今後一層、大学進学は容易になっていき、ほぼフリーパスに近い状態が到来し、学習習慣をほとんど身に付けていない学生が大量に発生することになると考えられています。  もちろん、社会人・主婦の学生など学習の場から離れていた学生もいます。こういった学生も学習する習慣をかつては身に付けていたかもしれませんが、現時点では失っているかもしれません。しかし、伝統的年齢層の学生が異なるのは、学習することに対する価値付けが低いという点にあります。表面的な現象としての学力低下よりも、この学ぶことへの価値付けの低下が問題であると考えられます。  また、社会学的な視点からみても、社会階層間の学習意欲・学習時間の格差(インセンティブ・デバイド)が拡大しています。  学力低下をめぐる議論には、いくつかのタイプがあります。ここでは、一応4つの類型にわけてみます(もちろん、学力低下をめぐる議論は多岐にわたるものですから、この4つの類型にすべての議論が収まるわけではありません)。  タイプⅠ…「国家・社会の観点」から「ゆとり教育」に肯定的なもの。『教育過剰論・新自由主義的教育論』。このタイプの意見は保守層に広くみられます。いわゆる現代の教育問題の原因は、教育過剰にあるという見解です。政府の供給するべき公教育には適正規模があり、それを超えると望ましくない事態が生じるという考えをもとに、高学歴社会を批判的にみる人びとがこれに当てはまります。このタイプの議論は、多かれ少なかれ、学校に適応しない、あるいは適応しようとしない児童・生徒を無理して学ばせなくてもいいという議論であり、その資源を優秀な児童・生徒の教育に回して有効活用しようという趣旨のようです。ある意味で学力低下そのもの、ゆとり教育、現行の改革そのものの是非よりも、教育資源をいかにして有効活用するかという議論のひとつであると考えるべきかもしれません。また、すべての児童・生徒が学校で組織化された形で勉強し続ける必要はないともいえます。自分に適合する学習形態を選択し、学習すればいいのであり、定型化された形ではない、学校で教えられない形の知識・技術などは学校外で学習せざるをえないのです。現在の子どもの生活において学校の占めるウエイトが大き過ぎるので、家庭や地域社会と連携して子どもの教育にあたるべきものであり、学校教育をもう少しスリム化すべき、そして分岐型教育システムにするべきという主張もこのタイプの論者にはみられるわけです。  タイプⅡ…「国家・社会の観点」から「ゆとり教育」に否定的なもの。『国際競争力低下論・学習意欲論・階層論』。このタイプの意見は、学力低下が一国のあるいは当該社会の活力(ことに経済力)の減退につながるという見解です。オイルショック以降の欧米諸国が例として取り
  • 佛教大学 レポート 教育社会学 学力低下 社会階層
  • 550 販売中 2008/05/01
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  • 教育社会 第2設題
  • 『学力低下とは何かを明らかにし、社会階層のような社会的不平等と学力がどのような関わりをもつのかについて述べよ』  近年、生徒児童の学力低下に関する議論が盛んである。生徒児童の学力に関する議論自体は昔から様々な形で議論されてきたことであり、目新しいことではない。近年の学力に関する議論の中心は2002年と2003年の学習指導要領の改定で1977,1978年に管理教育から転換した「ゆとり教育」をさらに推し進める形で、学習内容を3割削減したことにより生徒児童の学力が大幅に低下したのではという疑念が渦巻いていることである。さらに具体的な国際比較や時系列的なデータが示されたと同時に、教育現場で教育に携わる関係者の実感が上記の事柄とフィットしたことが議論により拍車をかけている1)。学力低下の議論を正しく理解する上で「管理教育からゆとり教育への転換」と「社会階層と学力の関連性」といった2つのキーワードの考察は欠かせない。本リポートでは上記キーワードの考察を進めていくことにする。  2002年と2003年に「ゆとり教育」をさらに推し進めるために、学習内容を3割削減したことは既に述べた。では、何故学習内容
  • 教育社会学 第2設題 学力低下 佛教大学 B評価
  • 550 販売中 2009/02/22
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