連関資料 :: 児童福祉

資料:229件

  • 児童福祉の歴史
  • わが国最初の児童救済は、聖徳太子が設けた悲田院で、孤児・捨て子の救済に当てたとされる。江戸時代には、堕胎や間引き、捨て子などが行われたが、1767年に「間引き禁止令」が出された。 明治時代に入ると、1868年「堕胎禁止令」が布告され、1871年には「棄児養育米給与方」や「三子出産の貧困者への養育料給与方」が制定される。児童福祉施設では、1879年福田会育児院、1872年仁慈堂、1874年浦上養育院、1887年岡山孤児院(石井十次)1890年博愛社(小橋勝之助)などがあ
  • レポート 福祉学 児童福祉 歴史 感化院
  • 全体公開 2006/06/27
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  • 児童福祉
  • 少子化の要因と児童に及ぼす影響について述べよ。 Ⅰ少子化の要因 ⑴晩婚・未婚化の進展; 20歳代後半から30歳代の未婚率をみると、 70年代半ば頃から20~30歳代の未婚率の上昇に伴い、男女ともに平均初婚年齢が上昇する晩婚化が進展している。晩婚化は出生年齢を引き上げることから、晩婚化の進展中は出生率が低下する傾向となる。 ⑵夫婦の出生力の低下; 国立社会保障・人口問題研究所の調査によれば、結婚期間が短い夫婦ほど、理想、予定子ども数とも少なくなっている。その原因は後述する様々な要因に加えて、バブル経済崩壊の心理的影響が夫婦の出生力の低下、晩婚化による出生力の低下が夫婦の出生力の低下、自分の子どもに自分以上の高学歴を求める傾向があり、教育費等の負担を考慮して出生抑制を行うなどがあげられる。 ⑶仕事と子育て両立の環境整備の遅れや高学歴化;1980年代から働く女性の増大、特に若い世代の女性の労働力率が上昇する一方で、女性の就業と出生率との関係をみると、上述した状況に加え、育児休業制度はできても現実には取得しづらい職場環境、住居や職場近くの保育施設の整備状況、育児や家事に対する夫の協力の状況、親との同居の有無、などの結果「出産・育児」か「仕事」、という二者択一の状況が、女性の自立やキャリア形成の障害、子育て世帯の収入低下、結婚に対する消極的姿勢の原因であることは否めない。  また90年代後半には、四年制大学の女性の進学率が短期大学を上回り、いずれの年齢階級でも、高学歴の女性ほどおおむね未婚率は高くなっている。このことから、男女双方の高学歴化の進展が晩婚化、すなわち結婚年齢を高める方向で作用したと考えられる。 ⑷婚・出産に対する価値観の変化;結婚を、「必然でなく人生の選択肢の一つ」としてとらえる人が増えている価値観の変化の背景には、女性の就業増大による経済力の向上、食事や洗濯等の家事サービスの外部化、社会の結婚への圧力が弱まった事なども指摘される。 又、子どもを持つ理由を、親としての精神的な充足に求める傾向が、とりわけ若い世代において高まる傾向がある。これは、子どもを持つことを必然とはしない考え方が増えていることの背景とも推測され、調査から「結婚したら子どもを持つべきか」という設問への回答を見ると、賛成と答える人は、10年前と比較をして約14ポイント低下する一方で、「反対」と答える人の割合が倍増している。 Ⅱ、少子化が社会に及ぼす影響 ⑴社会経済①社会;総人口が減少していく「人口減少社会」を迎えることになる。わが国の総人口は、2006(平成18)年にピークを迎え、2007(平成19)年からは減少に転じ、国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(2002(平成14)年1月推計・中位推計)によると、2007年以降、人口減少率は徐々に大きくなり、2050年までに約2,700万人減少し、2050年の総人口は1億59万人になると見込まれる。少子化の進展とともに、人口の高齢化も急速に進んでいる。すでにわが国は、2003(平成15)年10月の高齢化率(65歳以上人口が全体の人口に占める割合)が19%、2020年代には高齢化率が28~29%と、10人に3人が65歳以上の高齢者となる超高齢社会を迎えることになる。 子どもをめぐる家族形態の変容は、これまで「夫婦に子ども2人」という世帯が、わが国の標準的な世帯の姿として語られてきた。しかし、子どもの数の減少と相まって、「夫婦と子」の世帯が全体の4分の1にすぎなくなってくることを考えると、従来の「標準世帯」の概念はだいぶ
  • 少子化の要因 児童の及ぼす原因 東京福祉大 レポート
  • 550 販売中 2008/01/07
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  • 児童福祉施設について
  • 児童福祉施設について 児童福祉施設は、児童福祉等に適切な環境を提供し、養育・保護・訓練・及び育成等を中心にして児童の福祉を図る施設である。児童福祉施設は、行政機関による入所措置やサービスの実施決定を必要とする施設と、児童や保護者の自由意思により利用できる施設とに分けられ、措置施設は、更に入所型と通所型に分類できる。施設の種類及び設置目的は下記のとおりである。 助産施設 経済的理由により入院助産を受けることが出来ない妊産婦の入院助産施設である。 乳児院 乳児(必要であれば概ね2歳未満の幼児を含む)を入院させて、これを養育する。 母子生活支援施設 配偶者のない女子またはこれに準ずる事情にある女子及
  • 児童福祉論
  • 550 販売中 2007/11/30
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  • 児童福祉
  • 少子化の要因と児童に及ぼす影響について  わが国の少子化は、1955年頃始まったといわれている。戦前は1世帯あたり平均5人の子供がいたが、1955年以降3人を下回りはじめ、合計特殊出生率は、2003年には1.29人となって、人口を維持するのに必要な2.08人を大幅に下回る状況が続いている。このように少子化が進んできた要因として、次のことが考えられる。  第一は、結婚する時期が遅くなってきている。いわゆる晩婚化である。女性の高学歴化や社会進出に伴い、専業主婦よりも安定した専門的な職業につきたいという希望者が増加してきた。その結果、晩婚化という状況が見られるようになった。1955年の平均初婚年齢は、男性26.6歳、女性23.8歳であったが、平成14年には、男性29.1歳、女性27.4歳となり特に女性の初婚年齢の上昇が目立つ。晩婚化は出生するタイミングの遅れや、20歳で子供を生む女性が減り、全体の出生率に大きく響くことになる。  第二は、非婚率の上昇である。婚姻関係や子育てに拘束されるよりも、ひとりの人間としての自由や社会的自立を志向するというものである。国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」によれば、「一生結婚するつもりはない」とする男女も増加しているが、「理想的な相手が見つかるまでは結婚しなくてもかまわない」という人が、男女とも半数を超えていることは特徴的なことである。  第三は結婚をしても、子供を産むという選択をしない場合や、子供をあまり多く産まない選択をする人が多くなっているということである。少ない子供を大切に育てようとする親の価値観、養育費、塾、おけいこごと、大学などの教育費の経済的負担といったことが理由のひとつである。1970年代以降、子育てにお金をかけることが豊かな生活の象徴のように考えられ、子育て費用の増大は家計を大きく圧迫している。子育てによる自分の時間の減少や、子育てのための精神的負担、身体的負担、そして女性の社会における自己実現志向ということなども背景としてあげられる。  かつては一定の年齢になったら結婚し、子供を産み育てることがごく自然のこと、当然のことのように考えられてきたが、結婚するかしないか、また子供を産むか産まないかは、当人たちが選択することだというようにその価値観が変わってきたといえる。わが国の少子化は、このようなさまざまな要因が作用しあって進んできた。  僕が結婚したい年齢は30歳ぐらいと考えている。なぜかというと、まだまだやりたい事があるからだ。早くに結婚してしまうと家族を養っていかないといけないし、仕事に追われ自分の時間がなくなってしまう。最近の若者の結婚は子供が出来て結婚する人、すなわち「できちゃった婚」が多い。日本は大きく変わってきている。 <少子化が児童の福祉に及ぼす影響>  少子化は、子供の健全な成長・発達にどのような影響を及ぼしているのだろうか。少子化は子供の遊び仲間の減少となり、それは、遊びそのものの変化となり、子供たちの健全育成に多くの影響を与える。  かつては兄弟姉妹の中で、また、年齢の異なる近隣や学校の多くの友人たちと、野原や空き地・路上などで体を動かし、知恵を働かせて工夫しながら遊ぶことが一般的であった。 しかし、最近では、遊び仲間や遊び空間の減少やテレビ、コンピューターなどの普及という社会環境の変化があいまった、遊びの形態は同年齢の少人数化もしくは自分ひとりだけの室内遊びへと変化してきている。かつてのように暇さえあれば仲間と外遊びに興じるといった姿は、公園や路上から消え去り、今
  • 少子化
  • 550 販売中 2007/12/20
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  • 児童福祉
  •  近年児童相談所における虐待相談件数が増加している。その要因として虐待そのものが増加していること、マスコミによって虐待が取り上げられることで社会的関心が高まり、虐待の疑いがある段階で児童相談所に通告されるようになったことなどが考えられる。主たる虐待者は実母の場合が最も多く、平成17年度は全体の61.1%を占めている。少子化、核家族化が進み、弟妹の世話など子育ての経験がないまま親になってしまい、身近に子育てのよい手本や親を支える者がいない。母親中心の育児が続く中、女性の就労が一般化して育児と就労の両立が困難になったこと、都市化がすすみ、近隣の住民との関係も希薄なことが多くなったことなどから、社会から孤立し、育児ストレスや育児不安を抱え込んでいる状況が一般的となった。このような社会状況が親の孤独感、閉塞感などを生み出し、親のストレスを高め虐待へとエスカレートしてしまう。虐待を防止するには子育てを支援し、親の負担を軽減することが必要だ。2000年5月に成立した「児童虐待防止等に関する法律」(以下、「児童虐待防止法」)では、虐待の定義を明文化し、児童に対する虐待の禁止、親権の適切な行使、虐待の
  • 福祉 虐待 地域 保育 家族 都市 子育て 家庭 相談
  • 550 販売中 2007/11/09
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  • 児童福祉 レポート
  • 最近心無き親が幼い児童を危険に曝し、おいては死に追いやる悲しい事件が毎日のように起きている。 平成16年の児童福祉法改正によって児童虐待への対策がより具体的なものとなり対処できる範囲や権限が拡大・再整備された。  まず、家庭裁判所の後ろ立てが強化され、児童虐待について児童相談所の保護者への権限が強くなった。保護者による児童虐待がみられる場合、従来児童相談所の権限は里親委託や施設入所の措置を家庭裁判所に承認してもらうというものであったが、改正後はそれに加えて家庭裁判所が児童相談所に保護者への指導を勧告できるようになった。  次に、児童の保護が行われた場合、今までは保護者との分離期間を定めていなか
  • 児童福祉 社会福祉士 レポート
  • 全体公開 2008/10/27
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  • 児童福祉施設とは
  • 1沿革  わが国の乳児院は明治初期に始まった幼児養育施設がその原型といわれるが、保護を必要とする乳児は実際には育児院などで混合収容されていたのが実状であった。大正期に入り、乳児院の名称で乳児養護が行われるようになった。早期の乳児保護、養護を行う施設としては、1891年に貧困家庭の乳児を収容した婦人共立育児会(現・慶福会麻布乳児院)が設立されている。  実際の乳児保護の対策として、1920年には国会で乳児保護対策が決議され、産院に乳児院が附置されるようになった。また、1931年の乳児死亡率は出生100に対して13,2と高い数値であり、この状況を防止することを目的として、1927年には大阪乳幼児保護協会、1930年には東京乳幼児保護協会が設立され、乳幼児の保護に関する施設の最低基準を定めるなどといった活動が行われた。  戦後のわが国においては、貧困が蔓延し、食糧難の時代となった。このことは乳児に対して、大きな悪影響をもたらした。置き去りにされたり、栄養不良で死亡する乳児が多くみられた。こうした状況が改善される契機となったのは、1947年の児童福祉法の制定であった。この法によって乳児院は児童福祉施設として位置づけられることとなったのである。 2概要  乳児院は、「乳児( 保健上その他の理由により特に必要のある場合には、おおむね2歳未満の幼児を含む)を入院させて、これを養 育することを目的とする」(児童福祉法第37条)施設である。この規定からは、乳児院の入所対象児童の範囲はとくに定められていないが、おもな措置理由としては、①保護者のいない乳児あるいは家庭で養育できない乳児、②保護者の監護に問題のある乳児に大別することができる。  ①の保護者のいない乳児、あるいは家庭で養育できない場合には、保護者の死亡や疾病、離婚、入院加療、稼動、保護者の家出や行方不明、棄児などがあげられる。また、②については、虐待を中心とする子どもに対する不適切な取り扱いなどがあげられる。このように入所となる理由は、養護に欠ける場合が多く、この点からは児童養護施設の入所措置理由と共通する点が見られるが、乳児院に入所する乳幼児は年齢も低く、また一般の児童より罹病傾向も高く、医学的な配慮も必要であり、昼夜問わずの対応が求められ、児童養護施設とは別の施設として設置されている。  入所の対象年齢は、1998年から児童福祉法の改正に伴い、2歳を過ぎた児童も児童相談所が必要と判断した場合は、入所の継続が可能となった。その後、家庭復帰や里親委託などができない場合は、児童養護施設などに措置変更となる。 3内容  乳幼児期は児童の発達において、最も重要な時期の一つである。そのため、乳児院での養護内容は、乳児の健全な発育を促し、その人格の第一段階として十分に行き届いた配慮が必要である。  乳児院の養護内容としては、授乳や離乳食など発達状況に応じた食事の提供、おむつ交換から排泄指導、入浴などの衛生面での介助、年齢に応じた衣類の着脱、日光浴や散歩、遊具遊び、歩行、睡眠など乳児・幼児の発達にあわせた身辺介助が重要になってくる。また、とくに病弱な乳児や投薬治療の必要な乳児、アトピー性皮膚炎などのアレルギーを持った乳児なども入所しており、医師や看護士による医学的な対応が必要な場合も多い。また、季節折々の行事が企画されたり、児童の外出や外泊のプログラムを組んだりといったさまざまな生活の工夫も行われている。 乳児院の職員配置からみても、医学的なケアが中心となって乳児の生活が組み立てられることも多いが、看護士や保育士、児
  • 福祉 子ども 社会 発達 児童 乳児 保育 幼児 地域 家庭
  • 660 販売中 2008/06/17
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  • 児童福祉法の成立と内容を中心に我が国の児童福祉の発展と今後の児童福祉のあり方について
  • 児童福祉法の成立と内容を中心に我が国の児童福祉の発展 についてまとめ、今後の児童福祉のあり方について述べなさい (児童福祉の法体制について)  わが国は第二次世界大戦後の混乱する中、戦災孤児、引き揚げ孤児など戦争で犠牲になった要保護児童が増大した。これら孤児、浮浪児の保護目的などから児童保護政策が始まった。その施策は救護法(1929年)、少年保護法(1933年)、児童虐待防止法(1933年)、母子保護法(1973年)である。しかし、孤児や街頭浮浪児達の一掃目的であり、児童の人権は尊重されていないものであった。そして、戦後の反省から国連において児童権利宣言が採択されたことなどから児童福祉法が制定されるに至った。この児童福祉法は保護を必要とする、限られた一部の児童だけでなくすべての児童が健全な生活を送る、すなわち全児童の健やかなる育成を保障するものであり人権を確立するものであった。また、1951年には児童憲章が制定された。 我が国の児童福祉に関わる法律として、個人の尊重、法の下の平等、国民の生存権、教育を受ける権利また受けさせる義務等の日本国憲法の理念に基づき、児童福祉法(1941年)、児童扶養手当法(1961年)、特別児童扶養手当等の支給に関する法律(1964年)、母子及び寡婦福祉法(1964年)、母子保健法(1965年)、児童手当法(1971年)を基本とした六つの法により体制化されている。これは「児童福祉六法」といわれている。 (児童福祉法の内容と発展について) 児童福祉法は児童福祉の理念を基本としている。児童福祉の理念は「すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ育成されるよう努めなければならない。すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。」(第1条)とし、すべての児童に対しての人権の尊重をうたっている。第2条では「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。」とされ、国民の持つ児童に対する育成の責任、義務がうたわれておる。そして、第3条では「前2条に規定する児童の福祉を保障するための原理でありこの原理は、すべて児童に関する法令の施行にあたって、常に尊重されなければならない。」としている。 この法律の「児童の定義」は原則として18歳に満たない者とし、その中でも次のように区分されている。「乳児」は満1歳に満たない者、「幼児」は満1歳から小学校就学の始期に達するまでの者、「少年」は小学校就学の始期から満18歳に達するまでの者とされる。また、児童福祉の実務を遂行する機関として「児童福祉司」「児童委員」「児童相談所」「福祉事務所」「保健所」等について規定されている。この法律では措置及び保障、事業及び施設、費用についても規定されている。児童福祉施設の種類は「助産施設」「乳児院」「母子生活支援施設」「保育所」「児童養護施設」「知的障害児施設」「自閉症児施設」「知的障害児通園施設」「盲児施設」「ろうあ児施設」「難聴幼児通園施設」「肢体不自由児施設」「肢体不自由児通園施設」「重症心身障害児施設」「情緒障害児短期治療施設」「児童自立支援施設」「児童館」「児童遊園」「児童家庭支援センター」が定められている。 また児童福祉施設以外にも認可を受けていない保育所や民間クリニックもある。これらは「無認可施設」といわれ、中には子どもの保育に好ましくない環境であったり、近年起きている乳幼児の死亡事件があったところもいわゆる「無認可」の保育所である。しかし、時代のニーズに添った家庭的で良心的な「無認可
  • レポート 福祉学 児童福祉法 少子化 子育て
  • 550 販売中 2007/01/24
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  • 障害者福祉児童福祉
  • 障害者福祉と児童福祉 1.障害児福祉の現状 障害児施設には主なものとして、知的障害児施設、知的障害児通園施設、肢体不自由児施設、重症心身障害児施設がある。 障害児のある家庭は両親が若い場合が多く、両親のどちらか(もしくは両方)が障害を持っていることもある。そのため経済的に厳しい家庭も多い。また、子どもの障害をなかなか受け入れられない、将来への不安、育児ストレスなどによる、母親の虐待も少なくなく、対策が十分ではないのも現状である。施設より地域・在宅へ促進させる努力も重度化・家庭の崩壊・適切な社会資源の不足などのために十分に結果を得ることができていない。 現在の肢体不自由児施設は医療法と児童福祉法との二つの法律に則ったhospital and homeであり、児童福祉法第43条の3に「肢体不自由児施設は上肢、下肢または体幹の機能の障害のある児童を治療するとともに、独立自活に必要な知識技能を与えることを目的とする施設とする」とある。肢体不自由児施設はどのような障害児医療を行なっているか、また一般医療機関ではなじまない場合、例えば、虐待の加わったリハビリテ-ションや心のケアを必要とする子ども、
  • 福祉 子ども 社会 障害 発達 医療 障害者 児童 地域 児童福祉
  • 550 販売中 2008/08/13
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  • 児童福祉法の成立と内容を中心に我が国の児童福祉の発展について
  • 1945(昭和20)年8月、太平洋戦争は日本の敗戦という形で終結した。この戦争は日本に未曾有の混乱と窮乏をもたらした。食糧難と住宅難は極度に達し、街には家や親を失った戦災孤児や引き上げ孤児達があふれた。政府にとっての緊急な課題は、これらの孤児にまず住む場所と食料を与えることであった。そのような背景の中、翌年の4月に「浮浪児その他の児童保護等の応急措置実施に関する件」が通達された。また、特に浮浪児が集中している7大都道府県には、「主要地方浮浪児等保護要綱」が指示された。このように政府は、もっぱら浮浪児対策に終始している有り様であった。
  • レポート 福祉学 児童福祉法 児童福祉 児童問題 児童保護法
  • 5,500 販売中 2005/07/27
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