連関資料 :: 人権について

資料:376件

  • 法人の人権〜八幡製鉄政治献金事件判決〜
  • 1.法人は人権の享有主体になりうるか 団体である法人も人権の享有主体たりうると考える。憲法の「基本的人権」の概念が、人間の尊厳を理念するものとして、もともとは、自然人を念頭に置いたものであることは疑いない。近代人権宣言は、団体に対しては、むしろ敵対的ですらあった。しかし、今日の社会では、団体の存在を無視して個人の生活を語ることはできない。もちろん、これらの団体の行動は自然人を通じてなされるものであり、また、その利益は究極的には構成員たる自然人に帰するものであるが、しかし、個々の自然人の行動や利益に分解しきれない団体としての行動や利益というものを問題にする実益は十分にあるというべきである。そして、また、団体としての活動の自由は、憲法21条が保障する結社の自由の内容をなすものでもある。こうしたところから、日本国憲法の解釈としても、団体・法人の人権享有主体性を認めるのが、通説および判例の立場である。八幡製鉄政治献金事件で最高裁は、「憲法第3章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきである」と判示している。 2.会社は、自然人たる国民と同様に、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対する等の政治的行為をなす自由を有するか。  人権は、個人の権利として生成し発展してきたものであるから、それを法人に認めるといっても、限定的に解することが必要である。自然人とだけ結合して考えられる人権である、選挙権や生存権、一定の人身の自由などは法人には保障されない。 最高裁は、八幡製鉄政治献金事件で、「会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有する。」と判示し特別の制約を認めなかった。
  • レポート 法学 法人の人権 八幡製鉄政治献金事件判決 人権の享有主体 自然人 結社の自由
  • 550 販売中 2006/07/29
  • 閲覧(3,851)
  • 戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方を論述せよ
  • 『戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方を論述せよ』 Ⅰ.戦後の同和問題と同和教育 戦後、日本国憲法が制定され、民主的な平和主義国家のもと個人の尊重が明文化され、法の下において誰もが平等という社会がスタートした。それは当然被差別の人々が差別されなくなるということを意味しているが、実態としては戦前とあまり変わらない状況のまま行政から放置され、社会から排除され続け、差別意識も根強く残っている社会の継続であった。しかし日本国憲法の理念は戦前とはまったく異なるものであり、それが差別に対する闘争運動や、同和問題に対する言及を活発なものにした。当時の政府の同和問題に関する答申では「同和問題の解決は、国の責務であり、同時に国民的課題である」と表明している(1965年)。以下、内容である。 ① 雇用(就労)を促進し安定した経済基盤の保障 ② 劣悪な居住環境を改善していくこと ③ 「同和地区」の子供たちの教育権を保障すること このうち3番目が同和教育に関連したことである。この「教育権を保障すること」の目的とするところは、生徒の長期欠席・不就学問題の解消や学力向上、進路保障、教育の機会均等などといったことへの実現である。  京都市においては1955年以降、「補習学級事業」が制度化された。これまで補習教育(学級)は各学校、教員の自主的な活動であったが、教育機会均等の権利を保障するため制度化されたのである。しかし実際10年間かけたこの制度の実態を調査してみたところ学力はあまり上がらず、高校進学率は一般水準と比べて50%以下と低く、依然格差は縮まらなかった。このような状況を受け、1964年に同和教育方針が策定された。戦後はじめて同和教育予算が組まれ、進学促進ホールが開設され、子どもクラブ(子ども会)、同和教育講座等の費用が計上された。画期的な前進であり、取り組みは強化されていくが、部落内対策という域を越えるものではなかった。  1969年には京都市同和対策長期計画(第1次試案)が策定され、基本方針の中のひとつに「教育の全分野において、それぞれの公務員が、その主体性と責任において同和地区児童生徒の「学力向上」を至上目標とした実践活動を推進する」とある。これは同和地区の学習環境の実態を鑑み、その環境整備の必要性を指摘してきた経緯が背景としてある。したがって、1970年代以降、「学習センター」が同和地区内に建設され、12年間に14センターの建設に至るのである。このような取り組みにより、同和地区生徒の学力、高校進学率は向上し、これまで一般水準の半分に満たなかった進学率が92%を超えるまでに至った。こうした京都市の同和教育施策における成果は保護者や同和地区住民や子ども、学校や教員などの互いの協力と努力により導かれたものだといえる。 Ⅱ.同和教育の意義 憲法と教育基本法の理念が「同和問題解決は国と地方行政の責務と国民の課題」という観念を持たせている。したがって同和教育とは社会教育として位置づけられ、憲法と教育基本法の理念・目標達成のために国民に広く振興されるべき重要な働きかけといえる。国と地方行政と地域社会(国民)が、部落のおかれている経済的・社会的低位状況の改善や社会の差別意識の根絶を同和教育を中心にし、差別の実態を把握し、課題解決のための同和教育を確立すべきなのである。かつての同和教育は同和地区の子どもたちが対象の活動であったが、近年、同和地区外にも広く教育活動として進められてきている。学校における同和教育では単に知識の
  • 同和(人権)教育 同和教育 同和問題 レポート B5八枚分相当
  • 550 販売中 2008/04/10
  • 閲覧(7,097)
  • 戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方を論述せよ(
  • 『戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方を論述せよ。』  戦後の「同和教育」において、まずは京都市の取組を中心に見ていきたい。 1951年に京都市で「オールロマンス事件」が起こった。これは、『オールロマンス』という雑誌に京都市内の被差別部落を題材にした小説が「〈暴露小説〉特殊部落」と銘打って掲載されたことが発端である。この小説の内容は、京都市衛生局の保健所職員が仕事上で見聞きしていた被差別部落の実態を、その劣悪な生活環境を生み出した背景も踏まえずに差別的な言葉を随所に散りばめ、興味本位に書いたものであった。京都市は、当初この問題を筆者個人の差別意識の問題として職員の解雇で解決を図った。「行政当局はこの差別問題とは関係ない」というスタンスであった。しかし、部落開放委員会京都府連合会は、筆者自身の差別的偏見も認めつつ、そこに描かれている劣悪な生活環境と社会的差別の実態は京都市の被差別部落に現実に存在しているとし、行政責任を追及したのである。 教育面では、学区内外や教室での差別状況、教員の赴任拒否、児童生徒の不就学率や退学率が全市水準に比べて非常に高くなっていた。これらの実態が差別を再生産していることに気づかない行政の被差別部落に対する無関心さこそが京都市政の差別性を示すもので、この実態を放置してきた行政にこそ根本的な責任があり、またこれは京都市だけの問題ではなく全国の同和行政の課題であることを明らかにした。この事件以降、生活の中にある低位な実態を放置してきた政治・行政に対する闘いとして、差別行政糾弾闘争が展開されていくのである。  戦後の京都市における同和教育施策は、同和地区児童・生徒の長期欠席・不就学の取組に始まる。同和地区児童・生徒の不就学率の高さは特筆される。オールロマンス事件当時の長期欠席児童・生徒数は、小学校で京都市0.6%に対し同和地区6.5%で、中学校では京都市2.8%に対し同和地区28.7%とどちらも、京都市平均の10倍という高率である。同和地区児童・生徒の長期欠席・不就学問題は、同和教育創生期における最重要にして緊急の教育課題であった。 差別行政糾弾闘争をうけて京都市は「今後の同和施策運営要綱」を策定し、これに基づき戦後初の同和教育費200万円が52年度予算として計上されることになる。 そしてその10年後の1962年度の長期欠席同和地区児童・生徒は、小学校では2.8%(京都市0.6%)、中学校で5.1%(京都市1.0%)と大幅に減少する。こうして、同和地区が抱え続けてきた長期欠席・不就学問題は、行政の予算を伴った具体的な教育施策を実施し、ようやく解決の方向に向かうことになる。ただ、一定の成果は得たものの、1952年より計上されるようになった同和教育費はその後も年々増加する。それは、同和地区における教育課題が長期欠席・不就学だけではないことを物語っている。そして、1960年代に入ると、同和教育施策として学習に遅れが見られる同和地区児童・生徒に対し、勤務時間外(多くは夜間)の補習授業が実施されるようになった。1963年3月卒業の同和地区の高校進学率は34.6%、京都市は75.0%で、実に40.4%の格差があり、こういった実態からも同和地区児童・生徒の学力保障・進路保障が、次なる重要課題として認識されていくこととなる。しかし、制度化された補習学級事業が十分な成果を上げていなかったことから、補習学級から独立した、進学促進ホールが開設された。具体的には、全市の同和地区生徒が夜間登校し
  • 同和教育 人権問題 同和教育史 佛大 教育学
  • 660 販売中 2007/11/17
  • 閲覧(9,767)
  • 学校教育における同和教育または人権教育実践の意義に関する所感
  •  人間が社会を形成するようになってから全く平等な社会は存在していない。他人よりも高い地位や多い財産を獲得するという欲求は果てしなく、一旦獲得した権力や財産を自分の手元に保持するために封建制度などあらゆる手段を講じて差別化を図る。そのために下層身分の人たちはいくら才能があろうとも行政や司法、祭祀などの重職には就けない。そのような状況下で誰にも妨害されずに身分の高い人々は搾取により豊かさをむさぼりその結果として社会は腐敗する。そしてその被害を被った一般人の不平が爆発し、民主化を求めて市民革命に至る。これは不平等の要因が外的によるものであるから行動を起こすのである。権利章典やフランス人権宣言などからも人間は生まれながら制限された状況で人生を送ることがないように自由や権利を主張できるのである。これを実現できる社会が平等な社会といえる。しかし、実践するとなるとなかなか難しい。概念として理解していても何か自分に不利益を被る場合には、緩衝として差別を利用することが多々ある。  日本国憲法でも「法の下の平等」が記載されているように、多くの民主主義国家は人種や社会的身分などで差別されない、と謳っている。それにもかかわらず差別問題は一向になくならない。世界的には差別といえば人種差別が大半だが、肌の色が違うというだけで人を見下すことが不条理であることは頭でわかっていても、それが態度や行動と結びつかない。被差別民の生活向上、社会的地位向上が感情的にどうにも我慢できないという「ねたみ」意識をどのように解消するかという問題もあるが、それよりも大切なことは「人間が生まれながら有する基本的な権利が存在する」ということを肝に銘ずることである。
  • レポート 教育学 同和教育 人権教育 差別問題
  • 550 販売中 2006/03/16
  • 閲覧(2,287)
  • Q0709 レポート 人権(同和)教育 第1設題
  • 私のレポートの多くは教科書とインターネットのみで作成しており、参考文献を用いたものは末に記載しております。評価はAが多く、不合格になったことはありませんので安心してください。 先輩・後輩・友人たちとレポートや試験のことを対策できる四年制大学とは違い、通信教育は孤独や情報不足との戦いだと思います。そこで是非当資料を参考にしていただければと思いました。丸写しにすると罰則?があるようなので、あくまで「この程度が合格基準なのか」ということを測るものさしとしてご活用ください。
  • 佛教 佛教大学 通信 人権(同和)教育 Q0709
  • 550 販売中 2017/05/18
  • 閲覧(1,133)
新しくなった
ハッピーキャンパスの特徴
写真のアップロード
一括アップロード
管理ツールで資料管理
資料の情報を統計で確認
資料を更新する
更新前の資料とは?
履歴を確認とは?