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連関資料 :: 教育法

資料:2,949件

  • 英語科教育
  • 日本大学通信教育 英語科教育法Ⅰ(分冊1)合格レポート  課題 6つのテーマの内、1を選択 1「あなたの考える英語教員の備えるべき英語力について、実体験、実例を交えながら多面的に論じなさい。          (有効期間平成27年より平成29年まで) [レポート構成について] 英語科教員の備えるべき英語力について、「知識・理解レベル」と「運用レベル」の2つの大枠で捉え、論述しました。 「知識・理解レベル」は、1988年の教員免許法改定以後の「教科に関する科目」に注目し、「運用レベル」は、2003年の『「英語が使える日本人の育成」のための行動計画の主旨』を踏まえ、またキーワードには“コミュニケーション能力”を挙げ、論述しました。  課題では、実体験、実例を交えながら、多面的論じることが必要とされています。 つまり、主観的(考えや意見)な内容だけでなく、客観的な内容も含めて論を深めていくことです。「知識・理解レベ ル」「運用レベル」の内容は、客観的視点(資料を参考として)として論じ、特に「運用レベル」の内容では、主観的視点としての(私が日本人英語講師(JET)として、小学校外国語活動とかかわりの中から実践していること)につなげました。更に、多面的視野から「英語力」について考察する為に、英検英語情報の記事内容を盛り込み、文章により説得力を持たせる工夫をしました。 日本大学通信部の課題レポートではありますが、中高英語科教員を目指す方にとって、英語科教育法は必須科目です。この課題内容は、他大学で学習されている方でも十分対応できるかと思います。 承知のこととは思いますが、文章を書く前段階には、資料や文献を探し、必要箇所を読み、そして考えを深める(まとめる)行為と同時に書くことになります。まずは自分で書いてみることが大切だと思います。レポートを書くことで、英語教員を目指す方にとっては、現場に入る前に、教師としての在り方を見定めることになり、また現場にいる方にとっては、実践の中になおざりにされつつある自身の教師としての心構えを再確認できることにつながると思うからです。とはいえ、書くという行為は、考えがまとまらない期間はとても苦しい時間です。なので、私の課題レポートが、そんな期間にちょっとだけ皆さんのお役に立てれば幸いです。
  • 教育論
  • 550 販売中 2017/08/28
  • 閲覧(2,308)
  • 算数科教育
  • 『算数科教育の歴史(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)について述べ、それらの教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。上記を踏まえ、2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴について述べ、その教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。』  江戸時代の学校は、「武士のための学校」と「庶民のための学校」があり、前者は幕府直轄の官学と諸侯設立の藩校、後者は私塾、寺子屋があった。官学では数学に関する内容はほとんど無かったが、藩校では当初こそ違ったものの、徐々に算術を含む実学指向が強まっていった。また、寺子屋では親の職業に合わせて、学習内容が決められており、読み、書きについで算数(算用)が重視され、算盤を用いた珠算を中心に実学指向の算数が行われていた。  明治時代に入ると学制が制定され、国家による学校教育が始まった。明治時代初期の代表的な教科書として、文部省編纂の「小学算術書」が発行された。これは、数と計算に終始しているが、珠算を使用せず、筆算を基本とする洋算が中心となり、江戸時代の算数教育とは大きく方向変換している。幾何に関する内容が扱われた教科書も発行され、自由な雰囲気を持っていたが、徐々に規制の方向へと向かうようになった。後に、幾何の教科書は姿を消していった。この時代の教科書は欧米の翻訳本が主流で、日本の研究者が自らの手で作り上げていこうとする気運はまだ無かった。  明治時代後期になると学制改革、大日本帝国憲法発布、教育勅語発布と、日本の教育制度は国家により整えられ、教育内容も一元化された。算数の内容としては「数え主義」を導入した藤沢利喜太郎によって数と計算問題を中心に構築された。一方、幾何教育は中等学校でのみ扱うこととなり、小学校では計量の計算問題の一部として(平行四辺形、台形といった図形が説明も無く登場し、面積の求め方のみが示されていた。)取り上げられた。このように、黒表紙教科書は子どもの認識の発達を考慮したものではなく、国家としての教育制度を確立する上で強力な推進力を担うものであった。  1910年以降、国民の生活が経済的に安定したことを受け、子どもの教育への関心が高まったり、大正自由教育運動によって教育のあり方が再度問い直されたりしたことにより、日本の研究者が欧米の数学教育改造の運動を学び取り、少しずつそれを研究・実践していく。これは、教育を大人の立場からではなく、子どもの側から創りあげようという姿勢を生み出すこととなった。これらに見合った教科書の作成が行われようとするが、藤澤利喜太郎の数え主義の影響が強く、改訂は中途半端なものとなった。一方、幾何教育は小学校においても図形を扱う内容が見られたが、日本における幾何教育を自らの手で体系化するまでには至らなかった。  昭和時代には、緑表紙教科書が発行され、子どもの認識を重視した構成となり、内容は計算問題ばかりでなく数と量と図形をバランスよく学習することがよいとされた。  第二次世界大戦中には水色表紙教科書に改訂されるが内容は緑表紙教科書とさほど大きな差は見られなかった。発展が見られたのは当時の新しい数学を導入したり、理科との結びつきを強め実測・実験を重視したりしていることであった。しかし、それらが実在から図形を抽出し、図形の性質を考察し、さらにはそれを実在へと生かしていくものではなかった。  第二次世界大戦後は急速に民主主義が浸透し、最後の国定教科書として『第六期国定教科書』が発行された。この教科書は、算数教育の「1年ずつ足踏み」が行われ、算数を生活
  • 算数科教育法 第1設題
  • 550 販売中 2008/03/06
  • 閲覧(2,543)
  • 国語科教育
  • 『「やまなし」の教材研究を行なうとともに、事例(p.142-170)の児童の発言を考察しなさい』 第1節 「やまなし」の教材研究  「やまなし」は、宮沢賢治の独特な造語や比喩表現などが駆使された、象徴的・幻想的な作品であり、言葉一つ一つからいろいろな想像が広がって、場面の情景や登場人物の様子などを豊かに想像することが可能で、児童にはぜひ読ませたい作品である。また、不思議だけれど何か心ひかれるような、そして、初めて聞くのになぜか昔から知っているような気持ちを抱かせる宮沢賢治の童話の魅力を存分にもつ作品である。  指導するに当たって、感じたことから素直に想像を広げていく楽しさを味わえるようにすることが大切である。自分の感じたことと、友達の感じたことを比べ、「どちらが正しいか」ではなく、それらを合わせて、場面の情景や人物の様子などを、より豊かに想像する楽しさを感じられるようにすることが大切である。 作品中には、「クラムボン」、「イサド」などの賢治独特の造語、「かぷかぷ」、「もかもか」などの賢治ならではの擬音語や擬態語、そして、数々の美しい比喩表現など、印象に残る言葉が数多く見られる。また、「かわせみ」と「やまなし」、昼と夜、動と静、生と死などが対比的に描かれた「五月」と「十二月」の世界の違いや、反対に二つの世界に変わらず共通するものを考えることで、「生きること」の意味を感じることが出来るかもしれない。「やまなし」を読みながら、賢治の描いた世界を読み味わい、「自然」や「生命」などについても考えてみたいものである。 第2節 「五月」と「十二月」の比較  前述したとおり、「やまなし」には「五月」と「十二月」という二つの異なった世界がある。それぞれの世界の違いや共通するものについて、児童がどのように感じ、考えたのかを、授業記録の児童の発言から考察していきたい。 考察① 児童①01,02 この児童の発言から、五月の内容をよく復習・理解した上で十二月の内容をしっかり読み取っていることが分かる。全体的な流れから、五月と十二月の対比を感じ取り、かにの兄弟の成長を読み取っていると思われる。 このような、「五月」と「十二月」の比較・かにの兄弟の成長、という作品の特徴を適確に捉えた発言が授業の初めにくることで、後の授業が展開しやすくなった。そのため、非常に良い授業の入り方ではないかと思う。 考察② 児童④06,07,08 この児童は、「丸石」=下流、「岩」=上流という、「やまなし」で学んだこと以外の知識を応用して発言している。そこから、「五月」と「十二月」の世界がまったく違うものだと感じ取っている。作品の中の世界だけに捉われず、一般的な知識も活用することで、より一層、作品の世界観が広がるのではないだろうか。 考察③ 児童①58  この児童の発言はそれまでの発言を参考にしているのではないだろうか。この発言の少し前に、五月から十二月にかけての成長についての議論がなされていたため、この児童もそれについて考えていたと推測できる。そして、直前の57の発言を受けて、二つのことを合わせて考え出した結果、このような結論に達したと思われる。  以上、いくつかの発言について考察してみたが、比較的に「五月」と「十二月」の対比については読み取ることができている。 第3節 児童の想像力 次に、作品中の「クラムボン」、「イサド」などの造語、「かぷかぷ」、「もかもか」などの擬音語や擬態語など、宮沢賢治独特の世界観を、児童がどのように想像したのかを考察していく。 考察① 児童②03,04  この児童は、指
  • 佛教大学 レポート 国語科教育法 やまなし 教材研究
  • 550 販売中 2008/03/28
  • 閲覧(2,405)
  • 算数科教育
  • 『算数科教育の歴史(黒表紙教科書、緑表紙教科書、水色表紙教科書、単元学習、現代化、ゆとり)について述べ、それらの教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。上記を踏まえ、2002年度完全実施の学習指導要領(算数科)の特徴について述べ、その教育内容を自分の視点で考察せよ(4枚程度)。』  まず初めに、算数科教育の歴史についてである。日本における算数科教育の歴史は江戸時代からはじまる。当時は、武士のための学校と庶民のための学校と二つに分かれており、庶民の勉強の場であった寺子屋では算盤を用いた珠算などの算数が重視されていた。実学的なものが多かったということができる。明治時代になると学生が制定され、国家による学校教育が行われるようになる。算数教育においては数と計算のものが中心となり、江戸時代とは大きく転換した時期ということができる。教科書は絵柄が入り、幾何は小学校の内容から次第に消されていくようになる。明治後期になると、学制改革などの教育制度は国家による統制となり、小学校令の発布により就学率が急激に増加する。算数教育は学問と算術の分離、数え主義が取り入れられた。これは小学校の算数を数と計算問題の内容へと一元化することになった。しかし当時の子供の認識の発達を考慮したものではなかった。大正時代になると自由教育運動により教育のあり方が問われ、教育を大人でなく、子供の立場から創ろうという姿勢が生まれる。算数教育でも数え主義は子供にとって理解しにくい理由から少しずつ修正を行う動きにつながる。しかし、数え主義を主張する藤沢利喜太郎の影響により改訂は中途半端であった。明治時代前期になると国定教科書〔緑表紙教科書〕が発行された。これまで使われていた黒表紙教科書は数の分野を極端に重視していたのに対し緑表紙教科書は数・量・図形が算数教育の中心であり、計算問題や数え主義を中心にしていた今までと大きく転換された。子供を認識した構成ではあったがブルジョワ階級が中心となって作ったものなのでファシズムへの道を止められなかった。第2次世界大戦が始まると算数教育もファシズムの影響を受けるようになり、水色表紙教科書が出される。内容は緑表紙教科書と大きな差はないが理科との結びつきを持つようになる。数理学的な思想の重視と日常生活に役立つ実測・実験重視という内容的な発展がいくつか見ることができる。敗戦後は軍国主義が廃止され、民主主義が浸透するようになる。従来までの教師主義から子供中心へと移り、自由度のある教育となる。算数教育においてもアメリカの新教育と日本の研究者の流れが併存することによって教育現場において多くの矛盾が生じ、混乱が起こった。1950年代になると算数教育の改革の中で最も世界的に広く行われた数学教育の現代化という流れがおこる。日本では欧州のような現代化が導入されたわけではないが旧来の算数の内容に集合論を中心とした現代数学の内容を断片的に差し込むというものであった。しかし急速な改革は算数を理解できない多くの子どもを生み出し校内暴力・非行等、学校現場の敗退をもたらすことになる。このような結果が反省され現代数学の多くが削除され、ゆとりがテーマとして設定される。土曜日が休日になったこともあり授業数の削減も行われた。情報通信機器の普及した現代、集団より個が重視される傾向があり、算数教育もここのニーズに見合うように内容の多様性への変容を迫られている。今では生きる力が中心的な課題となり知識重視ではなく、学習過程の楽しさを重視したものへと変わっていく。しかし、「なぜ学ぶのか?」という根源的な解決方法
  • 佛教大学 レポート 算数 算数科教育法 通信
  • 550 販売中 2008/05/11
  • 閲覧(3,435)
  • 社会科教育
  • 「3年生または4年生の地域学習について、具体的な学習指導案を作成しなさい。5年生の国土産業学習について、具体的な学習指導案を作成しなさい。」 第4学年 社会科学習指導案 平成16年11月17日(火)5時間目   場所小学校 4年1組 児童数 38名            授業者         1. 単元名   わたしたちの東大阪 2. 単元設置の理由 本学級は、37名の児童と、ひまわり学級1名の計38名で、毎日の学校生活を送っている。社会科の学習に関しては、4年生での消防署や清掃センター、浄水場の見学を通じて、聞いたり見たりして学んだことや、関連する資料を、自分なりにまとめる学習活動を行っている。 子どもたちは、3年生での東大阪市の学習を通して、身近な地域社会について理解している。しかし、市全体となると、家族で遊びに行ったところや親戚がいるところ、有名な観光地は知っていても、それらの場所が東大阪市のどのあたりの位置しているかまでは関心が広がっておらず、また、東大阪市にはどのような地形の特色があるかなどはほとんど知らないのではないかと思われる。 本単元は、東大阪市の地形的特色や人々の暮らしについて調べ、それらの関係について理解することを狙っている。市の様子を調べていくことは、これまでの学習よりも一回り広い視野で地域社会の生活を考える良い機会であり、それによって自分たちの住む東大阪市の良さにも気づき、ここで生活していることへの誇りをもつことにもつながるのではないかと考える。 3. 単元の目標 東大阪の様子に関心をもち、いろいろな方法を用いて調査・観察する(関心・意欲・態度)。東大阪の地形や産業の特色と、それにかかわる人々の生活や他府県・外国との関係について考えることができる(思考・判断)。資料を収集・活用し、大切なことをまとめて発表することができる(技能・表現)。東大阪の地形や産業の特色、人々の生活や他府県・外国との関係について理解することができる(知識・理解)。 4. 指導計画 私たちの東大阪・・・20時間 学習計画をたてよう・・・2時間(本時1/2) 東大阪について観察しよう・・・10時間 調べたことを発表しよう・・・3時間 東大阪ガイドブックを作ろう・・・5時間 5. 本時の学習 目標 東大阪について知っていることをグループ内で進んで話したり、友達の意見をしっかりと聞いたりすることができる。多くの意見を分類・整理することにより、東大阪 について感心を持つとともに、さらに詳しく調べたいという意欲をもつことができる。 展開 学習活動 教師の支援 備考 導入3分 1. 東大阪について学習していくことを知り、東大阪について興味、関心を持つ。 ○これから4年生の終わりまでに、東大阪について学習していくことを知らせ、始めに学習計画を立てることを伝える。 東大阪地図 (白地図) 展開37分   2. 東大阪について、知っていることをグループで出し合う。 2. 他のグループから出た意見を聞き、再度グループで話し合う。 3. 各グループで意見を分類させ、誰かがどの項目について調べるかをグループ内で分担する。 ○各班で記録係を決めさせる。 ○ブレインストーミングで大切なことを伝える。  ・友達の意見を否定しない  ・質より量 ・短く  ・全員が意見を出す ○有名な場所、食べ物、知っている町村など、様々な視点からできるだけ多く挙げさせる。 ○グループ内で一人1つずつ順番に発表させる。  全員が発表したら、2つめ、3つめの意見を順番に発表させる。 ○1~2班程度
  • 佛教大学 レポート 社会 社会科教育法 通信
  • 550 販売中 2008/05/11
  • 閲覧(3,334)
  • 生活科教育
  • 『子どもの主体的な活動の姿を基にしたカリキュラムについて述べよ。その際、テキストに示されている事例から4例を取り上げ、具体的に考察を図ること。また、学び・体験・かかわり・遊びのキーワードを取り入れて述べること』  まず生活科におけるカリキュラムについて述べていきたいと思う。生活科のカリキュラム作成に当たって特に大切にしたいのは教育課程の基準の改善のねらいのひとつである「各学校が創意工夫を生かし特色のある教育、特色ある学校づくりを進めること」である。なぜなら、全国一律のカリキュラムでは、改善のねらいを実現することは到底不可能だからである。  このねらいを踏まえ、カリキュラム作成の5つのポイントを説明する。①「生活科の趣旨を徹底する」これは、具体的な活動や体験を通して、子どもが自ら学び、生きる力を身につけることを目指している。従って一人ひとりの子どもを的確に把握して、それへの正しい対応ができるようにする必要がある。そして、子供の思いや願いを学習の出発点とするカリキュラムの作成が必要である。②「地域の教育資源を十分に活用する」各学校において、地域にある自然や施設を活用するなどして多様な活動や体験が一層展開できるようにするために、地域の教育資源をこれまで以上に活用することが求められる。 ③「身近な人々とのかかわりを重視した活動を推進する」これは、これまでの地域探検などでの地域の人々とのかかわりに加えて、障害のある児童の学級との交流や、高齢者・外国人との交流等である。 ④「関連的な指導が行われるようにする」他教科との合理化・関連的な指導を一層推進することは生活科の発展上に総合的な学習の時間が位置づくようになると考えられ、そのことによって、子供が一層自分の思いや願いを生かし、主体的に活動することができるようになるものと期待される。 ⑤「重点的・弾力的な指導によってゆとりと工夫のある活動を行う」これは、学習する順序や時間などを、より学年の実態に合わせたカリキュラムを作成することができる。また、飼育・栽培や季節に関わる活動なども2年間にわたって学習するといったこともできる。このようなゆとりと工夫のあるカリキュラムを作成する必要がある。以上の5つが生活科のカリキュラムを作成する上の基本的な考え方である。  では次に4つの具体的な事例をあげて考察していく。 一つ目は第1学年「きれいに花を咲かせよう」〔12時間〕の事例ついてである。N子は5種類の花の中から百日草に関心をもち、その花を選んだ。N子は百日草の種にやさしく土をかけながら「早く大きくなってね」と声をかけていた。N子は自分の花に“そうちゃん”と名前をつけ、「私はそうちゃんのお母さんがわりです。大きく成長したときが楽しみです。」など栽培活動を通して、対象と自分とのつながりを強化するだけでなく、自分自身を強化する様子が見られた。また花が咲くことはうれしいことで、花を育てることは楽しいこと、そして花も私たちと同じで命を持ち生きてるんだということをN子は栽培過程で学んだのである。教師は子供たちが自ら学び、新しい自分を発見し、自身を持たせてあげるために、子供の立場・目線に立ち喜びや悲しみを共感し、認めてあげることが大事であるといえる。その積み重ねが子供たちにとって、新たな学びになり、他の活動・教科に対しての意欲につながっていくといえる。 二つ目は第1学年「こうえんたのしいな」〔12時間〕の事例についてである。これは小学校入学まで他地域に住んでいたW男が生活科の授業でアスレチックのある公園で遊びを体験することにより、一人遊
  • 佛教大学 レポート 生活 生活科教育法 通信
  • 550 販売中 2008/05/11
  • 閲覧(3,094)
  • 国語科教育
  • 「やまなし」の教材研究を行うとともに、事例(p.142-170)の児童の発言を考察しなさい。 ・ 第1節 教材観について 「やまなし」は1924(大13)年4月8日付「岩手毎日新聞」に発表され、原稿は現存しないが、先駆形の原稿が残っている。「童話的構図」および「花鳥童話集」中の一遍である。「花鳥童話集」においては、死の主題と美の主題、滅びと永遠とのかかわりを一貫して追求している。とりわけ「やまなし」の言語美は極限的である。宮沢賢治独特の造語や様々な箇所に比喩表現が使用され、非常に幻想的な作品である。象徴的で、幻想的な作品であり、「クラムボン」や「イサド」といった造語一つ一つからいろいろな想像が広がり、場面の情景や登場人物の様子などを豊かに想像することが可能である。 作品は語り手の「小さな谷川の底を写した、
  • 国語科教育法 やまなし レポート 教材研究 事例 合格 佛教大学
  • 550 販売中 2008/05/19
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  • 社会科教育
  • 『3年生または4年生の地域学習について、具体的な学習指導案を作成しなさい。』 第4学年C組 社会科学習指導案 平成20年6月2日(月) 第3校時 指導者: 単元 紹介しよう「伊勢型紙」!! 単元目標 (1)みんなの地元、鈴鹿市白子の伝統的な産業「伊勢型紙」について、自ら積極的に学ぶ態度を養う。(関・意・態) (2)「伊勢型紙」が出来上がるまでにはどのような人の関わりがあるのかを知る。(思・判) (3)実際に伝統産業会館(伊勢型紙作りが体験できる)に行き、感じたことや「伊勢型紙」を市外、県外の人に紹介できるようにわかりやすく伝えることができる。(技・判) (4)「伊勢型紙」についての歴史や産業について理解することができる。(知・理) 指導計画(全11時間) 第1次 「伊勢型紙」って何だろう?(3時間) 第2次 「伊勢型紙」に触れてみよう!!(4時間)  第1時 「伊勢型紙」についての調べ学習 第2・3時 伝統産業会館に行ってみよう 第4時 伝統産業会館でわかったことは・・・(本時) 「伊勢型紙」をPRしよう!!(3時間) まとめ(1時間)
  • 社会科学習指導案 地域学習 3年生または4年生
  • 550 販売中 2008/05/25
  • 閲覧(3,374)
  • 理科教育2
  • 『科学者が自然を探求する方法(科学の方法)を解説したあと、それを理科授業にとり入れた場合の授業展開例を示せ。』 科学者の自然を探求する方法は、近代的な方法に至るまで多くの歴史がある。近代的な科学的方法論が確立され始めたのは、17世紀のケプラー、ガリレイ、ニュートンなどの天文現象を探求する自然科学者らによるものであり、それまでは、実証を伴わない曖昧なものも多くあった。例として、ファン・ヘルモントの「穢れたシャツで小麦の壷を入れた壷をふさいでおくと、小麦が変化してネズミになる」と考え、ハーヴェイの「蛆虫や昆虫は自然発生により生まれる」と述べているなどのこれら生物の自然発生説は、様々な論争を経た後、パストゥールにより実証的に否定された。彼は、自然発生すると考えられていた微生物について、空気中に存在する芽胞が有機物に付着したとき、微生物が増殖されることを実験で証明したのである。他の事例として、伝染病におけるゼンメルワイスの活動を取り上げる。彼は、分娩した多くの婦人が産褥熱になることを知った。その産褥熱で亡くなった人は、ある病棟では3%以下なのにもかかわらず、違う病棟では11%にもなることを知って驚いた。当時、「伝染性の感化」によって伝染するという現代では極めて曖昧な妄想的な考え方が信じられていた。だが、彼は、この考え方に対して二つの事実から「伝染性の感化」という考え方を否定した。そして新たな経験から、彼は、産褥熱を伝染する物質を運んでいるのは、医者ではないかという仮説をたてた。そして、それを検証するためにすべての医者は、どんな検査をする前にも必ず塩素化された石灰水で手を洗うように指示した。すると、産褥熱による死亡は急速に減少したのである。さらに彼は、仮説を拡張し実証することで、産褥熱が微生物によって伝染することを明らかにしたのである。  以上のことから、科学者の探求する方法は、次の二つの特徴が明らかになる。第一は、観察されたことについて科学者が関心を持ち、問題意識を持っていることである。ゼンメルワイスは、病棟により産褥熱の感染率の違いに疑問を抱いた。その彼の疑問は、科学の活動のもとになる重要なものである。その疑問から彼は、二つの病棟の違いについて、観察できる事実をくまなく探した。このように科学の活動は、感覚で得られる体験されたことがらに基づいて推論し、その正否を確かめるために事実に基づいてテストする。第二は、科学者は、何らかの問題に差し向かったとき、こうなっているからではないかという推論をすることである、それが整理されると、問題の答が「仮説」という一つの見解になる。ゼンメルワイスは、「死体の物質」を想定したが、これは事実を踏まえながら考えついた見解であり、その時点では証拠もない「仮の説」であった。そして、それが検証されれば、事実を超えた「理論」として位置づけられる。以上のように、科学者の自然を探求する方法は、二つのレベルで行われる。事実にも基づいて問題を明確にしたり、事実間の関係を明らかにしたりする観察のレベル活動から始まり、その問題解決のために仮説を設定して検証し、理論化する想像のレベルで研究の活動が行われる。この観察のレベルと想像のレベルの溝を埋めるのが科学者の活動であり、観察や実験という手法である。言い換えれば、問題が明確になれば、次に事実に基づいて推論して仮説を設定し、その真偽をなんらかの事実に基づいて検証するというやり方が科学者の自然を探求する方法である。  科学の歴史は、人類が自然科学に基づく科学的世界観を形成してきた過程を示しており、理科教
  • 実験 科学 問題 自然 授業 生物 方法 微生物 近代 理論
  • 550 販売中 2008/01/08
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  • 社会科教育
  • ○教える側と学ぶ側について考えたこと  講義の中で太田先生がおっしゃった「その時間にメタ認知をしてはいないか。まず学習にどっぷりつかってほしい。」ということに関して、私は自分との違和感を持ちました。自分の経験から考えて、一つ一つにどっぷりつかることで取り扱っている内容の方向性を見失って、結局その時間何を学んだのかわからなくなる危険があるように思っていたからです。自分でメタ認知させながら思考すること、聴くこと、訊くことがあるべき姿なのだろうと考えていました。(ですがそれを実践することはなかなかできていません。)講義を受けてから今までそのことが自分の中で落ちなくて気になっていました。
  • レポート 教育学 教える側と学ぶ側 模擬授業 指導案
  • 550 販売中 2006/02/15
  • 閲覧(1,592)
  • 算数科教育
  • 現在の小学校の算数科の内容について学習指導要領では、「数と計算」「量と測定」「図形」「数量関係」の4つに分かれている。歴史的にも、明治時代の黒表紙教科書には、「数と計算」の内容が多く占められていた。この時代には、小学校令に学齢児童の就学が父母後見人等の義務であることが明記されたこともあり、就学率が劇的な増加をみせた。また、算数の内容は厳格な数え主義のもとで「数と計算」を中心に構築されていったが、それは国家としての教育制度を確立する上で強力な推進力を担うものであったが、当時の子どもの認識の発達を考慮したものではなかった。  大正時代になると、国民の生活が経済的に安定してきたことを受け、子どもの教育への関心が高まってくるようになった。さらに大正自由教育運動によって、教育のあり方が再度問い直されるようになった。それは教育を大人の立場からではなく、子どもの立場から創りあげていこうという姿勢を生み出すこととなった。しかし、数え主義の影響は強く、固定教科書の内容が大幅に変わるということはなかった。それでも除々に子どもの立場で教育を考える姿勢が浸透していき、1935年には緑表紙教科書が発行された。この教科書は、数学・生活そして子どもの認識という3者を踏まえて教育内容を設定しており、日本の算数教科書史において、その斬新さと内容の充実の度合いは群を抜くものであった。また黒表紙教科書と比べて編纂方針も、計算技術や数量だけでなく、図形なども取り入れ数理的な思想を養う傾向になった。さらに訓練・注入的な指導方も、子どもの認識を重視し、自発的な活動を主とする指導方へと変化していった。  1930年代の日本は、満州事変や5.15事件・2.26事件がある中、植民地の拡大とファシズムという方法で、こうした局面を打開しようとするようになっていた。学校教育もこうした社会の変動に大きく左右されることとなる。
  • レポート 教育学 黒表紙教科書 学習指導要領 ゆとり教育 大正時代 算数科の歴史
  • 550 販売中 2006/07/08
  • 閲覧(2,810)
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