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連関資料 :: <対話>のない社会

資料:4,248件

  • 社会福祉援助活動における倫理について
  • 「社会福祉援助活動における倫理について」  社会福祉専門職の専門性には、「知識・心・技術」という3つの要素がある。倫理とは、ここでいう「心」の部分である。  社会福祉専門職に求められる知識とは、次のものである。  ①自らの専門分野に対する深い専門知識。②社会福祉全般に対する幅広い知識。③社会福祉の隣接領域に関する知識。④その他の知識。  社会福祉専門職に求められる技術とは、次のものである。  ①社会福祉援助技術。②コミュニケーションの技術。③その他の技術。  社会福祉専門職に求められる心とは、次のものである。  ①倫理性。②職業倫理。③行動規範。④人権意識。⑤豊かな人間性。⑥福祉絵の誇りや情熱
  • レポート 福祉学 日本社会福祉士会 利用者に対する倫理責任 実践現場における倫理責任
  • 550 販売中 2007/09/23
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  • 社会福祉方法原論1②
  • 「ソーシャルワークの発展を概観するとともに今日のソーシャルワーク理論の動向とかかえる課題について述べなさい。」  欧米諸国では、19世紀後半からの産業革命によって、労働者の都市への流入が増大し、労働環境の劣悪化、失業、疾病などから生活が一般水準に達しない貧困層が拡大された。貧困は、個人の責任によってもたらされた問題と考えられ、救貧法によって救済がおこなわれていた。しかし、資本主義社会においてお社会構造的に生み出されているものであることが認識されるようになった。 貧困が社会問題となり、問題解決のための方法として2つの方法を導き出した。社会保障制度による生活保障と専門職による対人援助の社会福祉サービス提供である。イギリスでは、国民の最低生活を保障する社会政策の重要性を指摘し、社会連帯によって回避しようとする社会保険制度を解決手段として展開した。全国人の生活を「ゆりかごから墓場まで」保障するため、福祉国家の体制を整えることとなった。一方、アメリカでは、専門職による対人援助によって問題解決を図ろうした。相互扶助の是認する国民的合意が培われる基盤が弱く、また国家の国民生活への介入は最小限に止めら
  • 佛教大学 通信 レポート 社会福祉 福祉学 ソーシャルワーク 理論 歴史 社会
  • 550 販売中 2008/10/10
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  • 社会的相互作用について述べよ
  • 「社会的相互作用について述べよ。」   社会心理学とは、社会的相互作用についての研究を主な課題としているが、こうした課題は、個人と社会や集団との関係をどういった形で捉えるかということを前提にして考えられている。  「社会的」とは、2人以上の人々が相互に影響を与えあった結果、1人の時には観られないような競争や協力といった様々な現象や、集団・組織などの関係などが生み出されるという意味も含まれており、こうした個人とその他との「両者の相互関係」に着眼するとこに社会心理学が成立すると考えられている。  個人と社会の相互関係は、精神分析学に基礎を置く対立的に見る立場と、相互作用論としてとらえる立場とがある。 1 精神分析学に基礎を置く捉え方  精神分析学者のフロイトは、人間の生物学的特徴と、外的な社会からの力に対する葛藤から個人の行動を説明する立場に立つと考えた。これは、イド(本能的欲動)・自我(感情、思考、記憶、知覚、信念を含む複合体)・超自我(道徳や社会常識)という3つの次元から人間の生物学的特徴と、外的な社会の力の葛藤から個人の行動を説明するものだ。こうした考え方により、欲動を現実的な仕方で
  • 環境 心理学 コミュニケーション 社会 心理 言語 分析 問題 人間 課題
  • 550 販売中 2008/10/12
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  • 社会科教育法問題
  • 社会科における教科内容と教材・資料について述べつつ、それぞれの関係について説明しなさい。  「教科内容」とは、例えば第5学年であれば、「我が国の工業生産の現状」や「工業に従事している 6年生の歴史学習について、指導事例を通して授業のあり方を具体的に説明しなさい。 指導事例「源頼朝と武士 鎌倉幕府」を通して、以下述べる。歴史の学習は第6学年からスタートする。今までの学習とは違って過ぎ去った過去について学ぶため、子ども達は身近にとらえにくい。 そこで、学習指導要領の社会科の目標の一つである「国家、社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産について興味と関心と理解を深めるようにするとともに、わが国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする」を踏まえて学習を進める。身近に感じさせるため、室町時代に完成し、現在に残るふすま、庭園などをもとに文化について学びながら、なぜ貴族の時代から武士の時代へと転換したかなどの問題をつかませ、調べかたの方法や資料提示などの面で支援を行う。また、子ども同士の交流の場を設定し、自分の考えを持つことやお互いの意見を聞くことによって学
  • 佛教大学 通信 科目最終試験 社会科教育法 問題と解答
  • 1,100 販売中 2008/01/21
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  • 科学社会学の成立と展開
  • 科学社会学の成立と展開 --客観主義的科学観から相対主義的科学観へ はじめに--客観主義 vs 相対主義  R・J・バーンスタインは、『科学・解釈学・実践--客観主義と相対主義を越えて』で、 哲学、倫理学、人類学、さらには社会学において今世紀になされてきた多くの論争に通底する ものとして「客観主義と相対主義の対立」があると指摘している (1) 。バーンスタインが言 うところの「客観主義」とは、   不変にして非歴史的な母型ないし準拠枠といったものが存在し(あるいは存在せねばなら ず)、それを究極的なよりどころにして、合理性・知識・真理・実在・善・正義などの本性を 決定することができるとする、そうした基本的な確信…… (2) を支えている考え方であり、一方「相対主義」とは、   合理性・真理・実在・正義・善・規範など、そのいずれであれ、これまで哲学者たちが最 も基本的なものと考えてきた概念をひとたび吟味しはじめると、そうした概念はすべて、つま るところ特定の概念図式・理論的な準拠枠・パラダイム・生活形式・社会・文化などに相対的 なものとして理解されねばならない、ということを認めざるをえなくなる…… (3) とする考え方である。そして、客観主義と相対主義という対立の根源には「デカルト的不安」、 すなわち、   われわれの存在の支柱とか、われわれの知識の確固たる基礎とかいったものが存在するの か、それとも、狂気や知的ないしは道徳的な混乱によってわれわれを包み込んでしまう暗闇の 力から逃げることができないのか (4) という不安が潜在しているとバーンスタインは指摘している。実際、バーンスタインが指摘す るような対立図式が現代の思想状況を最も根底的に規定している基軸であろうし、とりわけ客 観主義の側に立つ人々が、デカルト的不安にさいなまれていることも確かであろう。  そして、この対立図式はバーンスタインが前記著作の第Ⅱ章「科学・合理性・共約不可能性」 で詳細に分析しているように、クーンの『科学革命の構造』The Structure of Scientific Revolutions (5) 以降の科学や科学知識めぐるさまざまな論議--科学論--でもはっきり とみてとることができる。さらには、本章で主題とする科学社会学(sociology of science) にもみることができるのである。さて、科学社会学とは何か。 一 科学社会学とは何か   文部省が募集し交付する科学研究補助金(いわゆる科研費)を申請する際に参照する「系 ・部・分科・細目表」では、複合領域の中に「科学史(含科学社会学・科学技術基礎論)」と いう項目があって、科学社会学は我が国の学界でも一応の市民権を獲得していることになって いる。事実、書名の一部に「科学社会学」を含んだ書物も何冊か出版されている (6) 。しか し、ほんの一握りの研究仲間を除けば、我が国では現在でも科学社会学という学問分野が学界 で、いわんや世間一般で、認知されているとは言いがたい。授業科目として「科学社会学」を 設けている大学は、筆者の勤務先を含めてもほんの数例を数えるのみではなかろうか。   科学社会学とは、「科学という営みないしは現象を社会学的に分析し、科学と社会の相互 作用を研究する学問分野」とひとまず定義することができよう。換言すれば、科学社会学は、 科学を単に自然に関する体系的知識と捉えるのではなく、社会的・人間的営みとして捉えよう と努める。したがって、科学社会学にあっては、科学者集団の社会的構造
  • 全体公開 2007/12/24
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  • 社会福祉援助技術論
  •  利用者に対する社会福祉援助の提供は,援助活動の時間の流れにそって,一定の手順と方法を持って提供される。この手順と方法を過程と呼ぶ。社会福祉援助活動は,援助者と利用者の双方による様々な試行錯誤の過程の中でも進められていく。援助の効果に対する評価と,問題の再分析とが繰り返されることによって,利用者の抱える問題の本質をよりよく把握し,より効果が上がる援助が行われるようになる。以下にこの過程をインテーク→調査→診断→処遇と考えて述べていく。  利用者の抱える問題が,社会福祉機関にもちこまれる最初の段階をインテークという。機関としてその問題を取り上げるか否かを決定する段階である。ここで行われる面接をインテーク面接という。インテーク面接では問題の概略を把握し,援助の大まかな見通しを立てる。具体的には次のようなことを行う。利用者の話を傾聴し,主訴,要求,問題点を明らかにする。利用者は何故来談することになったかを明確にする。利用者の主訴,要求,問題に対して,この機関ではどのような援助が行えるかを説明し,ケースワークの進め方を伝える。ケースワークを受ける意思があるかどうかを確認する。その援助で援助する
  • 福祉 援助 心理 問題 原理 人間 個別援助技術 技術
  • 550 販売中 2007/11/14
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  • 現代社会と裁判(最終レポ)
  • 現代社会と裁判 第1章  はじめに  日本社会の「法化」が進むにつれて、裁判のあり方に対する関心が高まっている。最近の民事訴訟の実務と理論においても、現代型政策形成訴訟、新しい権利・人権の主張、『第三の波』理論の提唱、代替的紛争解決手続(ADR)の拡充、民事訴訟改革の推進など、次々と興味深い展開がみられ、広く注目を集めている。 第2章  本書の要約 第一節 現代裁判をめぐる法状況  わが国の法システム・法文化は様々な複雑な情勢をふまえ、21世紀に向かいどのような展望を開くか重大な転換期を迎えている。その中で、法システム・法文化の比較研究において重要なことは、何よりもまず、すぐれて法的なものとみられてきた近代西欧の自己主義的な観念・制度原理自体が「認識論的危機」に陥っていると言われる状況を背景に、一般的な意識と特殊な意識が国際・国内レベルで連動しながら同時進行的に展開されている複雑な状況を直視し、権利・人権、民主制・立憲主義・法の支配などの観念・制度理解を、各国の文化や伝統などに配慮しつつも、そのような相違を超えて相互に対話し、学びあうための背景的基準枠組として、国際・国内的問題状況を解決できるものへと創造的に再構築することに努めるべきであろう。 90年代に入って本格化した司法改革も、法曹集団内部での専門技術的あるいは利害調整的な論議にとどまらず、「法的なるもの」の行方を左右するこれからの根本的な問題も視野に入れて展開される必要がある。また、法道具主義とインフォーマリズムへの両極分解や両者の短絡的結合による法システムの自立的存立基盤の解体を招かないためには、管理型法・目的=手段図式や自治型法・妥協的調整図式をあくまでも補助的装置として用いるにとどめるソフトなリーガリズムを基本戦略として堅持すべきであろう。 現代日本の法状況をドイツ・アメリカと対比すると、「多すぎる法律家」「多すぎる訴訟」「多すぎる法律」という「法化」の3つのタイプについてみるならば、「多すぎる法律」に関しては類似傾向が見られるが、残りの2つに関しては、事情は大きく異なってくる。法律家の人口の不足は、わが国の法システムの社会的浸透を妨げている致命的欠陥であり、民事訴訟の機能停滞などの主因だと批判されてきているにもかかわらず、実効的な改善策はとられず、ようやく最近の司法試験改革で動き始めたところだ。その他にもドイツ・アメリカと対比したときの共通性・特殊性はあるが、これらの共通性と特殊性をどのように統合的に解明し、法システム・司法制度を国際化にも対応できる形で社会的に定着させていくとか言う課題に取り組むにあたって、民事訴訟が伝統的に占めていた中枢的な法的位置からみて、民事司法改革はその方向を左右する重要な意味を持っている。わが国の民事司法は今重大な転換期を迎えているのである。 第二節 民事訴訟の位置と特質 近年では公私各種のADRが拡充されつつある。しかし、それらがよく理解されているかどうかは、各ADRによってまちまちであり、それらを一律に評価することはむずかしい。だが、ADR全体に対する評価が、最近20年ほどの間に「全面的否定論」から「現実的消極的容認論」を経て「理論的積極的肯定論」へと徐々に変わってきている。 現在の司法的裁判は、規準・対象・手続の三側面から制度的に制約されており、その利用にある程度の時間と費用がかかるのは避けがたい。さらに、裁判官の増員や事件受理・審理手続きの簡略化などによってその紛争解決機能を充実しても、法的紛争がすべて裁判所に持ち込まれると、裁判所は機能麻痺に陥
  • 憲法 日本 アメリカ 訴訟 情報 裁判 文化 法律
  • 660 販売中 2007/11/10
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  • 「日本の社会福祉の歩みについて述べよ」
  • 「日本の社会福祉の歩みについて述べよ」  (1)児童福祉  1874(明治7)年、わが国の戦前の代表的救貧制度である「恤救規則」が公布された。しかし、この制度では第一責任はあくまでも私的な家族・村落共同体であった。13歳以下の貧窮児童も一応公的救済の対象になってはいたが、厳格な制限主義のため救済される者はごくわずかであった。明治20年代の産業革命期には年少者が安価な労働力として酷使され、このような状況から浮浪児などが増加した。これに対応するため1900(明治33)年「感化法」が制定されたが、これは主に治安維持を目的としており、浮浪児などを犯罪予備軍とみなしていた。このように立ち遅れる公的救済を代替するかたちで民間の慈善事業が発展していった。その後、金融恐慌(1927年)や世界恐慌(1929年)の影響から社会不安は増大し、もはや恤救規則では対応不可能となった。そうして1929年「恤救規則」に代わって「救護法」が公布され、救済対象も多少広げられた。さらに1946年、救護法を廃止して生活保護法(旧生活保護法)が制定され、1950年には改正が行われた。改正後の新生活保護法は日本国憲法の生存権保障に基づいたものとなった。  終戦をむかえ、1947年に児童福祉法が制定されて以来、50年の間に①一般児童の健全育成(母子保健、地域環境整備、労働、文化)②保護を要する児童への対応(養護、自立支援、単親世帯、心身障害)③保育に欠ける児童への対応(保育所)④児童手当等の経済給付(児童手当、児童扶養手当)など多岐にわたる施策が行われてきた。児童家庭福祉制度は児童福祉法、母子及び寡婦福祉法、児童手当法などによって運用されて、それぞれ特色のある活動が展開されている。  1997年に改正された児童福祉法の下では、保育制度の見直し、児童自立支援施策の充実、母子家庭支援施策の見直しが柱となっている。また子育て支援社会を構築するために出された「エンゼルプラン」(1994年)及び「新エンゼルプラン」(1999年)では、①育児休業給付の実施、多様な保育サービスの充実②地域子育て支援センターの大幅拡充、母子保健医療体制の充実③ゆとりある住宅の整備④教育内容や方法の改善⑤保育料の軽減や負担の軽減化などが目指されている。 (2)障害者福祉  明治時代は障害者も児童と同じく、「恤救規則」の救済対象であったが実際に救済を受けられたのはごく少数であった。「救護法」が制定された際には、「障害者」がはじめて対象として明記された。しかし、ここにおいても障害者は生活困窮者の一種として捉えられ、福祉の視点はなかった。戦前においてはその他に一般の障害者に対する福祉施策としてみるべきものはほとんどない。戦争遂行や戦時労働力確保の必要から、傷痍軍人、産業障害者については特別に援護施策が実施された。 終戦後の1949年、日本で初めての障害者福祉法である身体障害者福祉法が制定されて以来、知的障害者福祉法(1960年)、心身障害者対策基本法(1970年制定、1993年に改正されて障害者基本法となる)、精神衛生法(1950年制定、1987年に改正されて精神保健法となる)などが作られ、施設や在宅で生活する障害者の支援をしてきた。  国際的動向も含めて、障害者福祉思想は大きく変わり、現在では、身体の一部器官の機能障害のために生活能力が低下し、社会的に不利な状態に置かれている者の最大限の自立と社会参加を支援することとして捉えられ、国内でもその方向で推進されている。  障害原因、障害状況にも変化があり、交通事故と労働災害のほか、
  • 環境 福祉 憲法 日本 介護 障害者 障害 保育 地域 生活
  • 550 販売中 2007/11/12
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  • 情報化社会の発達の歴史について
  • 情報化社会の発達の歴史について 1. 情報化社会とは  情報化社会とは、社会の発達段階を現す概念の一つであり、しばしば産業社会(工業社会)、農耕社会、狩猟社会などとの対比として用いられる。一世代前の産業社会においては物を生産し流通させることに主眼が置かれて社会が成り立っていたが、情報化社会では知識や情報に高い価値が置かれ、その生産・収集・処理や流通を中心として社会が動いていく。古くから知識や情報に価値が認められていなかったわけではないが、どんなに有益な情報を得たとしても、例えば書き留める媒体(紙など)がなければ記憶に頼るしかなく、それを遠隔地にいる他人に伝える手段(電話など)がなければ狼煙を上
  • 情報処理論 福祉学 保育
  • 550 販売中 2007/11/14
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  • 社会保障各制度の進展
  • 社会保障各制度の進展 第1項 結核対策の進展と成人病・難病対策の推進  昭和30年代には、結核対策は、全国民を対象に予防、早期診断、早期治療、および医療費の面までも包括したシステム的手法がとられた。伝染病は急速に減少し、これに代わり成人病、精神障害、難病などが国民医療上の問題となっていった。昭和25年まで死亡原因の第1位を占めていた結核は、昭和26年に脳卒中にその席を譲り、昭和33年以後は、悪性新生物、心疾患、脳血管疾患の3つの成人病で上位3位を占め続けることとなった。 昭和27年ごろから成人病について、治療方法のみならず、早期発見、集団検診、健康管理などについて研究を進めていたが、各種の施策の推進にもかかわらずなお増加の傾向にあり、その予防や治療に決定的な方法は確立されていなかった。こうして従来の結核に代わって成人病の医療費が国民医療費に占める割合を増加させていくこととなった。 昭和30年ごろから原因不明の神経病として発生が認められたスモンは、昭和42年ごろに全国的に多発し、大きな社会問題となった。昭和44年にスモン調査研究協議会を組織し検討を開始したが、スモンとの関係が疑われたキノホルム製剤の販売停止の措置を採ったところ、その後はスモンの新しい発生がほとんどなくなった。国が難病対策を進めることになった発端の一つはスモンの登場であったが、スモン以外の難病についてもその一部は、母子保健対策や児童福祉、身体障害者福祉などの社会福祉施策の中で、調査研究や医療費の給付が行われていた。 第2項 生活環境施設の充実 社会資本の蓄積の不備が表面化することとなった。こうして道路の渋滞、通勤地獄、住宅難などとともに環境衛生施設の不足が深刻な問題となった 「水道法」の制定により、著しく大規模化し、技術的にも高度化した水道の現状に即応して、布設と管理運営が合理的に行いうるようになった。その後、問題を含みながらも水道の整備は順調に進行し、水道の普及率は急速に高くなっていった。 都市人口の増大と市街地区域の拡大によって、市町村が廃棄物を収集しなければならない区域も当然に拡大していった。更にこれに加えて、国民の生活水準の上昇は、一人当たりのごみの排出量を増大させていった。したがって、し尿処理をも含めた廃棄物処理施設の緊急な整備が必要とされるようになった。 第3項 医療供給対策と被害救済対策の推進  高度経済成長に伴い、医療需要は著しい増嵩をもたらされた。医療需要を賄うために医療供給体制の整備が必要とされていった。また、国民所得の上昇に伴い、国民のニーズも高度化、多様化したこと、また医学医術がめざましい進歩を遂げたことによって医療の供給側からも医療内容の高度化が図られていった。こうして、この時期には医療施設、従事者の不足問題が顕在化することとなった。  こうして、我が国の医療設備は著しく整備され、医療需要の増大と高度化に対応し、医療供給においても医療技術の高度化、効率化に向けての変化が生じ、多くの医療関係の専門職種が現れた。また、無医地区の着実な解消を図るとともに、無医地区における医療機関の運営費の赤字については大幅な国庫補助を行うべきであるとされ、医師の確保を図るために国立病院の医師派遣とへき地診療所へ医師を派遣する親元病院への助成が行われたほか、基本的な対策として、地域の医療確保のため、地域内の保健所、医療機関、市町村の連携強化のためのへき地医療地域連携対策が講じられた。また、当時社会問題として出現してきた、予防接種による健康被害に対する救済制度の創設や、医薬品の安全対
  • レポート 福祉学 社会福祉 社会保障 歴史
  • 550 販売中 2007/02/05
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  • 高齢化時代の社会保障
  • 高齢化時代の社会保障 第1項 人口高齢化と社会保険費用負担の増大 昭和50年代、核家族化の進行、一世帯平均人員の減少、同居率の低下等の現象は続き、また、既に高度経済成長期に進行していた婦人の社会進出や就労も引き続き進行した。これは、扶養意識の変化とあいまって、高齢者に対する私的扶養機能を弱め、それだけ社会的扶養への依存を高めることを意味した。こうして老人扶養の問題が低所得階層のみならず、一般世帯においても大きな問題となっていった。このような背景のもと、年金費用、医療費、老人福祉費は、増加の一途をたどることとなる。 人口高齢化が将来の社会保障費用負担に与える深刻な影響は、昭和50年代以降、ますま
  • レポート 福祉学 社会福祉 社会保障 歴史
  • 550 販売中 2007/02/05
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  • 渋沢栄一の社会事業における功績について
  • 社会福祉発達史レポート 2006年8月25日提出 「渋沢栄一の社会事業における功績について」 「渋沢栄一の社会事業における功績について」                               1、はじめに  渋沢栄一という名前は、高校の日本史の授業で二度ほど登場した。一つは1872年、伊藤博文と共に「国立銀行条例」の発布に尽力し、翌年には初の民間出資の第一国立銀行を創設したことである。もう一つは、海運業での三菱汽船会社の独占を防ぐために、共同運輸会社を設立したことである。その時点では、私にとっての渋沢栄一は「明治期の著名な実業家」であった。 しかし、今年の社会福祉発達史の講義の中に渋沢栄一が登場した。それまで講義に出てきた人物は初めて聞くような人が多かったこともあるが、実業家としての印象しかない彼が社会事業に関与していた事に興味を持った。普通、高校などで習う歴史は、政治や経済を中心に教科書ができている。渋沢栄一はその政治、経済史に名を残す一方で、多くの社会事業に携わり、多くの功績を残した。そして、調べれば調べるほど、渋沢栄一が行った社会事業のスケールや影響力に驚かされた。今回はその調査内容を述べていこうと思う。 2、社会事業との出会い  「日本の資本主義の父」とまで言われた渋沢栄一が、社会事業に初めて本格的に取り組むことになったのは、1874年、34歳の時であった。ちょうどこの年、日本政府の財政の確立を図ろうと尽力していた大蔵省を辞任し、官界を去った年であった。そして行き掛かりの銀行制度を起動に乗せるべく、第一国立銀行の総監役に迎えられた。このような年に、共有金取締方の仕事を東京府知事から依頼された。  共有金取締方という役職は、共有金の用途を取り仕切るために設けられた新しいものであった。共有金とは江戸時代の寛政期に、老中松平定信が江戸市民の永久の救恤に役立てようとつくった七分積金の制度によって積み立てられたものである。明治維新を経て、東京府等が管轄することになり、かなりの額があった。共有金の性質上、府の役員だけでは公正さの点で問題があるため、財政に明るく、府知事とも親交のあった渋沢栄一に白羽の矢が立ったのである。そして忙しい身でありながら、この依頼を受けたことが渋沢栄一の社会事業の原点になっていった。  共有金の用途を定めるために会議所を作り、道路やガス灯、共同墓地や商法講習所の設置・運営を行った。そのひとつに、乞食・浮浪者の収容を目的とした窮貧施設の設置が養育院設立の発端となった。そして、会議所付属の養育院は、恤救規則の制定に伴い、救貧施設の法制化がなされ、養育院の法的地位が確立された。その後も、養育院の廃止案が議会に提出されたり、支弁されていた地方税の差し止めなど、様々な困難にあった。しかし、渋沢栄一は率先して私財を投じ、政界や財界の名士夫人を中心とした養育院慈善会を設置し、資金の調達を民間篤志家に仰ぎ、養育院存続のために尽力した。最終的には、1890年に東京市営の養育院となることが決まった。財政的な問題がすべて解消されたわけではないが、市営になったことで、養育院は更なる多面的な発展を遂げていくこととなった。  ここまで、東京の養育院を中心に述べてきたが、渋沢栄一は養育院の院長として、単に東京だけでなく日本全体の福祉を見据えて養育院はどう発展するべきかを判断しながら、政治や行政の分野に立ち、財源を捻出し、人材を集め使いこなし、組織を改革し、他界のときまで尽力し続けた。 3、渋沢栄一の思想  養育院を中心とした渋沢栄一の社会事業との関わ
  • レポート 福祉学 渋沢栄一 社会福祉 社会事業
  • 550 販売中 2007/02/09
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