連関資料 :: 倫理学

資料:97件

  • 倫理概説1
  • 私は、実践とは、目的を定め、目的へ到達する手段をいくつも考え、可能であるものを選択する、以上が本人の頭の中で計画したことであるが、これらの計画がうまくいく可能性はともあれ、現実化することが実践の意義であると考えた。アリストテレスのニコマコス倫理学を通して「実践の意義」を考察していきたいと思う。  アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で実践に関する一連の行動を「目的」「思量」「選択」の三段階に分けた。アリストテレスは、本人の望むことが善を意味するとしている。善き人にとっては真の意味における善が、悪しき人にとっては任意のものが願わしきものとなる。つまり、各人の状態によって「目的」が異なるのである。その「目的」へ達するための手段を状況に応じて考えることが「思量」である。アリストテレスは「我々が思量するのは、我々の力の範囲内に属し、我々のなしうるところの事柄に関してである」と述べている。つまり、自分自身が現実としてできること、常識的な範囲内の手段を考えることであるということであろう。そして、自分自身の出来る範囲の手段から願望を実現できる手段を「選択」するのである。  例えば、私は現在空腹であ
  • 倫理学 東洋大学 通信教育課程
  • 550 販売中 2008/03/17
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  • 応用倫理とは何か。
  • 応用倫理学とは、何か。そんな問いを投げかけられた時に、ある学者はこう答えた。実際の生活で登場してきた問題を取り上げて倫理基準を作ったり、倫理学的に分析したりする領域、それが「応用倫理学」だと。何か特定の倫理を利用したものではないため、「応用倫理学」という言葉は不適切だと主張し、「実際的倫理学」という言葉を好んで使う者もいるようである。 次に、「応用倫理学」という言葉について、学問的に見ていこう。講義で説明されたように、まずそもそも倫理学とは何なのか、ということについて説明していく。倫理学というのは、漢字からも推測できるように、仲間、秩序、すじ、道理といった意味がある。私たちは生まれた時に、まず家族と出会い、家族との交流を体験し、それから成長していくにつれ、地域の人たちとの触れ合い、その地域の人達によって構成される地域社会への参加…、それから最終的に、大きな「国」という名の社会へと参加する。そういった共同体の中で、多くの異なる人々が社会で共に生きるための筋道としての模範的な、すべきこと、それを倫理と呼ぶ。それが理念的に展望して、理想としての倫理を、思想・学説という形で自覚を促すものが、倫
  • 倫理 倫理学 応用倫理学 同志社 石井 レポート 脳死問題 医療技術
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  • 倫理概論2
  • カントの「純粋理性批判」を読んで純粋理性の根本法則について知るところを書くこと。  テキスト、第三編、第二期、第五章  まず、定言命法であろう。これはカント倫理学における根本的な原理であって無条件に「~せよ」と命じる絶対的命法である。『人倫の形而上学の基礎付け』において提出され、『実践理性批判』において理論的な位置づけが若干修正さた。 『実践理性批判』の§7において「純粋実践理性の根本法則」として次のように定式化される。 「あなたの意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」 、この根本法則に合致しうる行為が義務として我々に妥当する行為なのである。他のあらゆる倫理学の原則が「~ならば、~せよ」という仮言命法の形をとるのに対して、カントの定言命法は「~ならば」という条件節を欠き無条件に行為することを要求する。例えば、「幸福になりたいならば嘘をつくな」という仮言命法を採用する場合、幸福になることと嘘をつかないことの間の必然的な関係が問題となる。幸福になることが目的であり嘘をつかないことは手段にすぎないから、誠実さと幸福の間に必然的な関係が見出されない場合には幸福
  • 倫理 子ども 道徳 人間 自由 自然 旅行 原理 カント
  • 990 販売中 2009/08/10
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  • 倫理 日本の倫理思想に対する仏教影響について述べよ
  •  日本における倫理思想は、日本人の民俗、習俗に加えて外来の思想(儒教、仏教、西洋思想)の需要と展開を軸にしながら展開されてきた。  日本の古代国家は4世紀から5世紀にかけては、大和朝廷に見られる宗教的一体で「律令」による国家体制へと変化していった。そのあと、朝鮮半島との国交とうしてもたらされた「論語」と仏教の伝来という歴史的事実から、この儒・仏教思想が具体化されてきた。  まず聖徳太子は人を君・臣・民の態度などや人の和の心をもっとも重視した「論語」の強調する道徳規律の遵守精神である。  聖徳太子のあと、律令国家へと移行し中世になって正法・像法・末法という仏教的歴史の「末法」説くに置ける危機意識を契機として仏教の日本に定着していった。  末法思想とは普通、仏滅1500年から2000年のあとにおける。  仏法は末世末法であるという危機感である。末法は時代が汚れ天災地変や戦乱など社会悪もろもろの邪悪な思想や見解がはびこる様々な精神的悪徳があふれる。  人々の性根が低下する、人間の寿命が次第に短くなるという「五蜀」の世であると説く。そのような末法の予告や末法の歴史観や世界観や人間観は「発心集」や「愚管抄」そして当時の説話物語などに多くみられる。とりわけ宗教倫理的な展開として恵心僧都源信(942〜1017)があげられる。源信は、人間のあるべき理想像を往生要集に表し、その方法を当して念仏を進めた。汚れた世界であるこの現実世界を理想的な浄土を喜んで求めることであるとする。  根本において末法という時間と場所で人間が以下にあるべきかという積極的な問いがある。この問いの具体的な解決は、平安末期から鎌倉時代の日本における仏教の特色の展開すなわち仏教の日本的土着化に求められる。  鎌倉期に起こった仏教の特色は人間凝視という点にあり、その意味で十分倫理学の問題でもある。
  • レポート 哲学 倫理学 保育学科 仏教 日本の倫理思想
  • 550 販売中 2006/01/24
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