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連関資料 :: 教育

資料:11,657件

  • 「性教育の手引き」類に見られる男女別性教育の変遷
  • 収録誌 日本教育学会大会発表要旨集録 Vol.66(20070821) pp. 170-171 日本教育学会 書誌情報 「性教育の手引き」類に見られる男女別性教育の変遷(17-【B】ジェンダーと教育,1 一般研究発表I,発表要旨) 茂木 輝順 1 1女子栄養大学大学院 資料提供先: http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN10225682/ISS0000413248_jp.html
  • 全体公開 2008/01/02
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  • 日米の教育制度の差異と真に能力を伸ばす教育について述べよ
  •  「日米の教育制度の差異と真に能力を伸ばす教育について述べよ。」 1.日本の教育について  私は、中学校、高校と一般的な授業で中学校では「ゲーム形式」のような「楽しい授業」が多く、中学校一年生のころの学校の授業は好きであった。しかし、2,3年になっていくにつれ、先生が板書したことをそのままノートにうつし、大事なところは色を赤に変えて、というふうな一般的な授業であった。社会はそれでも楽しかったが数学や英語はただうつして、書いてという単純作業が苦痛でならなかった。高校になってもその形式は変わらず、考える時間もなくどんどん進み、強要された授業が多く、定期テストの時は先生の言われた範囲の問題集をひたすら丸暗記し、内容はまったく理解しないまま、テストにのぞんでいた。それでも赤点は取らない程度の点数は取れていたので、それはそれで良かったのですが、ただ楽しいと思ったことはなかった。このような「やらされる授業」では勉強に対する意欲や、やる気がわいてこないし、なにより、生徒自身の学力もついてこない。そのことをふまえ、自分が良いと考える授業とは、まずは先生が生徒自身に考える時間と材料を与えるということだ。大事なことを考えるというのも大事で、その時間と考えるための材料を与えれば生徒は自然と自ら学んでいき、勉強に対する気持ちも変わっていくと思う。日本はこれから「やらされる授業」で教育された人材が社会に出て行く。その人材がこれから社会でどのように適応し、行動していくかとても心配だ。したがって早急に日本の教育に手を打たなければならないと思う。  2、アメリカの教育について  これからアメリカの教育について述べていきたいと思う。アメリカの教育は初等教育(Elementary school)と中等教育(Junior high school)高等教育(Senior high school) までが日本で言う義務教育である。  小学校はアメリカも日本と同じく6歳に入学し、だいたい6年で、場所によっては4年又は5年で区切り、中等教育を組み込んでいる学校がある。次に中等教育だが、中等教育と高等教育と分けているが、ほとんどが二つ一緒になっている。日本でいうと中高一貫校のようなものである。中学のころから単位制だが、落第はない。必須科目以外は自分の受けたい科目を選ぶことができる。日本の高校との違いは先生が方針を決めいわれたとおりに動き、勉強をするという形式で生徒自身に主体性があまりないそれに対しアメリカは、学生が自ら受けたい授業を選び、これから必要になってくる授業を選ぶことができる。主体性のある授業になり、自ら選んで受ける授業なので生徒自身の授業に対する姿勢や意欲も必然的に変わってくる。  次に、アメリカの授業風景について述べたいと思う。アメリカの授業は科目ごとに移動するのだが、アメリカの学校は広い学校が多く、休み時間に教室に走って移動しなければならなければ、次の授業で遅刻してしまうほどである。アメリカは意外と遅刻に厳しく、時に授業に参加させてもらえないこともある。授業は宿題と発表と討論が大きな要素を占めている。大体の科目が教科書や参考書籍を読み、意見をまとめるものが多い。それも、30ページから50ページという膨大な量の課題である。個人やグループの発表やテーマに対してのディスカッションなど生徒自身に参加させ、先生も、生徒に発言を求める。このような活気がある授業である。  3、どのような能力を伸ばすとよいか  先ほど日本とアメリカの教育について述べてきたが、これからどのような能力を伸ばすとよい
  • 日本 アメリカ 授業 問題 生徒 能力 高校 技術 材料 行動
  • 550 販売中 2007/11/26
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  • 教育哲学』の第五章の高山先生が理想とする教育の場について
  •  私は「学校は商業的性質を取り入れるべきなのか」ということをこのレポートで論じていきたいと思う。そのためにまず、『教育哲学』の第五章の高山先生が理想とする教育の場について触れている部分をまとめてみよう。 学校とは教育を目的として用意されている場であるが、ゲゼルシャフトとして考えていいのか。 ゲゼルシャフトとは人為的契約社会のことであり、目的をもって設立され、それが解消されると解散される社会である。また、それに対して、ゲマインシャフト(自然的共同社会)というものがある。これの例として、家族があげられる。ここで一般に、学校はゲマインシャフトではないことは容易にわかるだろう。では、学校はゲゼルシャフトなのだろうか。 まず、ゲゼルシャフトについて述べておく。ゲゼルシャフトとは生まれながらに自由平等な単なる人の集まりを前提とし、利益や契約などの商工業の目的から社会が作られたとする考え方である。ここの要点は商工業からきたものであり、自由主義が一般に採用されるものである、ということだ。 ゲゼルシャフトについて述べたが、この章で高山先生は「協同社会」という概念を提唱している。そして、これを教育の場にあるべき社会だとしている。この協同社会というのは、ゲゼルシャフトのただ単なる人の集まりという考え方とは違い、ギールケが提唱したゲノッセンシャフトの「人間社会は成員の総体である」という考え方からきている。「成員は社会のために、社会は成員のために」という「one for all , all for one」の精神がある社会、公と私とが組織的に調和している社会こそが協同社会なのである。そしてこれこそが、現実で理想、理想で現実の社会であり、人間社会には必ず根底に存在している社会なのだ。 ここで自由についてだが、ゲゼルシャフトで言う自由とは少し悪い言い方をすれば、自分勝手な自由である。それに対し、協同社会での自由というものは、責任を帯びた自由であり、そこには禁欲の精神が必要となってくる。言わば、道徳的な自由なのである。このことは人間社会で生きる上で自然なことであり、人は自分のために生き、人のために生きるという、矛盾のようなものを同時に行っていくことを意味している。ここから、公私葛藤が生まれるのである。 二章を思い出してもらうとわかるが、生まれながら自由平等、本来完全とする人間観では、自己教育・自己形成は必要なくなってしまう。だが、ここで述べた協同社会の「人は私として、公として、努力して生きる。人はこのように努力する限り、過ちをおかす存在であり続ける」という人間観だと、人には生涯に渡る精進と自己教育が必要だということになるであろう。学校とは人生教育の発端であり、一生続けていくべき自己教育・自己形成の方法を身につけさせるための場であるのだ。 よって、学校は協同社会でなければならない。 上に述べたものが高山先生の「学校が協同社会であるべき理由」について要約したものである。これを受けて私は「学校に商業的性質を取り入れるべきなのか」ということを「商業的性質を取り入れるとどうなるか」という視点から論じていきたい。また、「学校はどのような場であるべきか」という観点から結論を論じようと思う。 まず、「商業的性質」とは何なのかをはっきりさせておく必要がある。商業とは、企業がお客様にサービスを与えることを通して、その見返りを要求するものである。言い換えると、企業と利用者がサービスとそれに見合う何かを交換するものである。つまり、「学校に商業的性質を取り入れる」とは、学校は教育というサービスを、授業料
  • レポート 教育学 教育哲学 高山岩男 商業的性質 教育 サービス
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