日本最大のレポートサイト HAPPYCAMPUS

検索オプション
  • 私のホーム
  • 私の資料
  • 私のMEMO
  • 資料広場
  • アップロード

連関資料 :: 文化

資料:498件

  • 日本文化にとってインターネットとは何か
  • 第一章 序論 1 問題の提起  インターネットの利用は、ビジネスや教育の場面でも、個人の消費や娯楽の場面でも、すっかり日本に定着している。それはしばしば、既存の放送やコミュニケーション手段の延長線上で考えられがちである。が、インターネットのもつ同時性やそれがもたらしたコンピュータ利用の普及と簡便性は、日本の文化と社会に単なる量的拡大をもたらしただけではなく、質的な変化をももたらしているように思う。  しかし、その影響は日々、少しずつ蓄積していくものなので、そのただ中に当事者としていると気がつきにくい。そこで、あえて距離を取って、現在の文化状況にインターネット利用がもたらした影響を考察してみたい。そうすることで、日本文化をダイナミックな、かろうじて動的安定の状態にあるものとして捉えてみるのだ。そして、現在の日本文化をいわば3次元の動画として、その社会構造や人々にとっての意味まで視野に入れ、新たな視角から見直してみたいのである。 2 考察の方法  社会、文化、コミュニケーション、インターネット。こういった言葉で何を指しているのか、それらがどのように関係しあうかをまず述べるべきだ、との考えもあるかもしれない。しかし、本気でそんなことをすれば、説明が続くことになっていつまでたっても本論に入れない。そこで、ここでは必要最小限の説明を加え、本稿がどのような順序で日本文化の動的実態を捉えるかが見えるようにしておくにとどめる。  「社会」。この言葉は、近代国家が確立した18世紀の英語”society”の用法を意識した明治期の訳語だと言われる。つまり、国家と区別された市民社会、まがりなりにも公権力の直接関与しないところで人間が共同してことを行う場をいうものとして。
  • 論文 インターネット 日本文化 日本社会 ユビキタス コミュニケーション
  • 550 販売中 2005/07/29
  • 閲覧(3,818)
  • 韓国のマンガ文化と日本との比較
  • マンガが、ビジネスとして、大衆文化として、位置づけられているという点においては、日韓共通と言えるだろう。しかし、マンガが大衆文化として広く認められだしたのは、日本の方が早く、いまだに韓国においてのマンガ家という職業はそれほどメジャーなものではないという。日本のマンガ家ほど、経済的に裕福ではないというのが現状のようだ。この要因の一つとして、「漫画貸与店」と呼ばれる、いわゆるマンガのレンタル店の存在が大きいのではないかと考える。 日本文化開放を反対する学生は、全体の20%にも満たないと聞く。しかし同時に反日感情もいまだに根強く残っているという。ではなぜ文化開放に賛成なのか?それは反日感情が、特に若者の間で、以前ほど強烈なものではなくなってきたからではないかと考える。反日感情が理性を妨げるほどのものではなくなってきた。つまり、良いものは良い、それとこれとは別、という考えができるようになったからではないのだろうか。日本はあまり好きではないが、日本の大衆文化は好きだ。というものが最近の韓国の若者の考えなのではないかと思う。最も、このように日本人である私が考える事は悲しくもあるのだが。しかし、日本の大衆文化の開放を良く思っていない人も確実にいるわけで、悪いものはいつも日本から、という考えをもつ人も少なくはないそうだ。文化交流やグローバリゼーション化といったものは大事なことだとは思うが、自国の大衆文化を愛することが最も大切なのではないかと思う。
  • レポート 国際関係学 韓国マンガ 韓国大衆文化 韓国若者文化 日本文化解放政策 日韓の文化比較
  • 550 販売中 2005/07/09
  • 閲覧(5,035)
  • 文化理解(西欧)まとめ
  • 「ヨーロッパ統合の歴史的経緯」  平和に基づいたEUが形成されて久しい。そのEU統合が歴史的にどのような経緯をもっているのかを論じていく。 ヨーロッパではなかなか本当の意味でのヨーロッパ人としての意識が芽生えなかった。しかし、イスラム教の勢力の脅威におびやかされ、徐々にその意識が広まっていった。この外部からの圧力に加え、内部では国民国家を形成しよう、という考えも加わった。16世紀以降、多くの人がヨーロッパの統合について話し合った。その中でもっとも後世に影響を与えたのが「グランド・デザイン」である。その他も多くの議論がなされた。その主題はいずれをとっても「平和論」であった。ヨーロッパはナショナリズムのぶつかり合いによって、戦火にさらされることが多かったからである。  例えば、第一次世界大戦である。ヨーロッパが主戦場とされ、ヨーロッパ諸国の地位は弱体化してしまった。そこで戦後「パン・ヨーロッパ運動」というものが行われた。これは「国家連合への政治的、または経済的な結合を主としていた。  次に「ECSC」である。フランスの外相シューマンが1950年に「シューマンプラン」を唱えた。それは西ドイツ
  • 科目最終試験 学習の要点のまとめ ノート
  • 1,100 販売中 2009/03/03
  • 閲覧(2,110)
  • 文化人類学 アイヌ・沖縄
  •  この本の著者である埴原和郎は、人類進化から日本人の成り立ちについて述べている。「日本人は単独で生まれ、進化してきたのではなく、進化・移動・分岐・融合の過程で成立した。」と述べられている。その人類進化の過程は、実に数十億年に及ぶという。しかし、本書を読み通し考えてみると、わずか数十億年という過程の話だとはとても信じられなかった。  中でも興味深かったのは、「アイヌと沖縄の人々」についてである。北海道と沖縄はずいぶん遠い距離に位置するにも関わらず、人種と言語については多くの類似点が発見されたことは、とても驚く点であった。そして、本土人・アイヌ・沖縄人は、それぞれ決定的な文化の違いがあると述べられている。
  • レポート 社会学 文化人類学 アイヌ 沖縄 人種差別問題 人類進化
  • 550 販売中 2006/01/08
  • 閲覧(4,313)
  • 60年代のアメリカ社会と文化
  • 60年代のアメリカ社会と文化  はじめに、「ベトナム反戦運動」・「カウンター・カルチャー」・「アメリカン・ニューシネマ」この3つの言葉について、知らない事だらけなので、まずは、この3つの言葉について調べよう。   ベトナム反戦運動    1960年~75年の北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線とアメリカ・南ベトナム政府との戦争への反戦運動。当事国だけではなく、世界中に広がって混乱を招いた。         (広辞苑より)   カウンター・カルチャー    若者が牽引する反体制的な文化の総称。今までに形作られてきた文化のメイン・ストリームに対する反発であると同時に、その背景にある強固な モダニズム 的価値観への批判という側面を持ち、特に先鋭的なものは「アンダー・グラウンド(アングラ)」と呼ばれることもある。一般に、「カウンター・カルチャー」として真っ先に想起されるのは、1960年代後半のアメリカにおける若者文化である。                     (arts capeより)   アメリカン・ニューシネマ    1960年代後半~70年代にかけてアメリカで製作された、反体制的な人
  • レポート 海外文学 ベトナム反戦運動 カウンター・カルチャー アメリカン・ニューシネマ ゴットファーザー
  • 550 販売中 2007/07/21
  • 閲覧(6,817)
  • 広告から見る「性」に対しての文化の違い
  • 1.序論  広告は時代の窓口だとよく言われる。特殊な場合を除いて、一般的に公開された広告は、その公開した国あるいは地域の社会制度、国民に受け入られるのである。従って、広告を通じて、その時期の社会の風習、風俗、人の考え方などを推測できる。そこで、私は本稿を通して、欧米、日本、香港と中国の数多くの広告の中から、それぞれの特徴的な広告を取り出し、お互いに比較し、その4地域の「性」に対する捕らえ方の違いについて考察してみようと思う。 2.欧米、日、香港、中の広告  ?欧米の広告  下に、VERSACE(ヴェルサーチ)というイタリア名家の一つの商品広告である。画面の右側に、二人の男が思い切ってキスをしている。左側は、その商品のイメージが書いてある。はっきり見えないが、多分その商品は何かの新しい生活態度を宣言している。赤裸々な画面で、見ている人はかなり衝撃を受けたのではないか。そして、その商品に対してかなり深く印象が残るだろう。  GUCCI、世界でも有名なトレード・マークである。左側のGUCCIの新しい春夏広告が登場してから、世間をあっと言わせた。画面に立っている女の人の陰部の毛が「GUCCI」というマークの「G」の形に剃られていて、そして、男の人に見せている。  イギリスのある人は政府にこの広告を禁止させるべきだと抗議したが、イギリス政府は禁止することはできないと答えた。 ?日本の広告  LEVISの今回の日本版のシリーズ広告は、木村拓哉を起用した。画面で、木村と一人女性は、我を忘れたように愛し合っている。後のシリーズもほぼ同じで、木村と女性は愛し合っている。
  • レポート 芸術学 広告 香港 欧米 中国
  • 550 販売中 2005/12/02
  • 閲覧(2,248)
  • ハワイの文化−アロハシャツとムームーをめぐって−
  • 要旨  本論は、現代のハワイ文化をアロハシャツとムームーの形成と変遷を追って考察することを目的とする。  私は、2004年3月にハワイを訪れた。その時の見聞を取り込みながら、それを考察した。西洋文化と接触する以前のハワイは他のポリネシアの人々と同じようにカジキの樹皮から作った「タパ」と呼ばれる布地で服を作っていた。男は「マロ」という下帯を、女は「パウ」というスカートを身に付け、男女を問わず寒さ対策にケープとして用いていた。そこで、私はなぜハワイにだけアロハシャツとムームーが出来たのかに注目した。 ?アロハシャツの形成過程  アロハシャツの形成した端緒として、日系移民の存在がある。アロハシャツは、日系移民の持ち込んだ着物の和柄が多かったが、次に土着の衣装「タパ」の図板をたくみに取り入れながら、ここに移住してきた日系移民により形成され、その他の諸々の要素の影響を受けながら、完成されていった。 ?ムームーの形成過程  ムームーは、どちらかというと米国の宣教師の布教と、おおきな関わりがある。  それは、ハワイが日系移民の多い土地でありながら、米国の領土であるという、現在の複雑な位置づけを凝縮していると考えられる。日系移民と宣教師たちによって作られた文化をハワイの人が自分たちの文化にうまく取り入れ、この土地特有の衣装を成立させ、さらに、アロハシャツとムームーは、ハワイの正装にまでなったのである。  1892年にアメリカ合衆国に合併され、1959年にアメリカ合衆国の50番目の州となった。その後、ハワイは、日本だけでなく、世界各国の映画の舞台となった。特に、エルビス=プレスリー主演の映画などで、世界中に有名になった。さらに、本格的なリゾート地としての開発が始まり、たくさんの人がハワイに訪れた。それとともに、アロハシャツもムームーも世界中に知られていくことになる。
  • 論文 ハワイ アロハシャツ ムームー 日系移民 服飾文化
  • 550 販売中 2005/12/03
  • 閲覧(2,586)
  • 国際文化振興委員会
  • 私は国際文化振興会の創設のあらすじと誕生の話である。さらに、国際文化振興会の対外事業や今までの文化交流活動について、述べていた。草創時期から戦後の発展時期までの様々な様態で文化活動をし続けていることについて考察している。  まず、国際文化交流はの定義について、単なる国家間の交流のような曖昧不明の関係だけではなく、国家や国民でもできることのである。さらに、「国際」という言葉自体もう一度認識すべきである。「実践の前提」と「国際関係論」から離れることも一つ重要なポイントのである。ただ部屋や教場での話や授業ではなく、すること自体一番大事なことのである。まだ、国際関係は異なる国同士の間や異なる国民の間での交流を通じて、互いに理解し、平和の国際社会を作り、維持することのである。しかし、これは「国際関係」という自体は難しいことでもある。逆に文化批判という感想が出てくるではないだろう。日本はこれについて、積極的な行動を取らなければらないを知り、試みをしている。最後、近代の国際関係と歴史的の展開に対し、交流活動の試みなど、日本の文化交流をやり遂げるである。そのため、本書の研究対象は国家間の文化交流主に
  • 日本 文化 中国 国際 戦争 日本語 国際関係 政策 国家 大東亜共栄圏 官僚 官僚外交 軍閥外交 国民外交 日中戦争 第二次世界大戦 東洋主義 西洋主義 戦時 戦後 国民国家 日本文化 東洋 西洋 文化交流
  • 880 販売中 2009/01/30
  • 閲覧(1,900)
  • 春秋戦国時代の食文化について
  • 「中国王朝のなかで、あなたが最も関心を持つ王朝を選び、それを中国史上のほかの王朝と対比して述べなさい。」  この設題では、中華料理の文化について、古代中国人、主に、孔子が生きていた春秋戦国時代の食文化に焦点を当て、話を進めていく。  農耕技術が進歩し、学問も盛んな春秋時代(前770~前403年)は、中国文明の原型が形成された重要な歴史時期であった。漢民族文明の根幹はその頃に形作られ、文化のエッセンスは後の時代にも継承されている。  いまから2500余年前に生まれた孔子は、その時代の代表的な士大夫であった。彼の書物などから中原地域(中国文明の発祥の地)の食文化についておおよその様子を推測する事が出来る。 1、主食  『論語』の「微子第十六」には、ある日、孔子の弟子である子路が旅の途中、ひとりの隠者に出会い、隠者は子路を引き止めて泊まらせ、鶏と黍飯をご馳走した事が記されている。来客をもてなすのに使われているのだから、「黍」は上等な食料であったことが考えられる。ひとくちに「キビ」とはいっても、「黍」は「モチキビ」を指し、別名「黄米」である。粘性があるため飯にしていたのである。  当時の主食は稲、黍、粟、麦、豆など数種類があった。『論語』の「陽貨第十七」には稲に言及する箇所があり、その中で、米は高級な衣服とともに挙げられており、当時ではぜいたくな食べ物であったことが考えられる。また、孔子が住んでいた魯の国の地理や気候条件、農耕技術を考えると、稲の大量栽培には向いていなかった。従って、稲のつくれないところで米が主食になるのは難しいといえるだろう。  当時、中原地方では米がぜいたくな食べ物で、豆と麦は貧しい人々の主食であった。す
  • 中国 文化 地域 技術 比較 現代 孔子 民族 方法 東京福祉大学
  • 550 販売中 2009/03/23
  • 閲覧(10,334)
  • ハックルベリーフィンにみるアメリカ文化
  • 「ハックルベリー・フィンの冒険」について 「ハックルベリー・フィンの冒険」は、アメリカ文学史に残る傑作であるとして多くの人に認められていると同時に、白人男性中心の物語であるという批判がある。「ハックルベリー・フィンの冒険」における論争は、その物語自体が内在する人種主義的側面への検証と、児童文学としての学校教育における位置定義の困難性にある。これら2点を跡付けながら、「アメリカ近代文学の源」として賞賛をもって読み継がれてきたこの文学作品を再考したいと思う。 「ハックルベリー・フィンの冒険」における黒人差別の構造は、まず黒人の表象をめぐる問題からはじまる。これは、「ハックルベリー・フィンの冒険」は人種主義を打倒する小説なのか、強化する小説なのかという問いを生む。物語内に描かれる社会状況や、主人公らを取り巻く様々な人々たちの行為など、「ハックルベリー・フィンの冒険」の内在的人種主義は全体にわたり散在しているが、それは主人公ハックと黒人奴隷ジムの関係性に集約されている。
  • アメリカ 社会 心理 差別 文学 問題 人間 黒人 人種 自由 レポート 書評 社会学 文学部 社会学部 卒論 論文
  • 550 販売中 2010/01/26
  • 閲覧(8,566)
新しくなった
ハッピーキャンパスの特徴
写真のアップロード
一括アップロード
管理ツールで資料管理
資料の情報を統計で確認
資料を更新する
更新前の資料とは?
履歴を確認とは?