カラス事件について

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    資料紹介

    カラス事件は、1761年10月13日、フランスのトゥールーズで起こった冤罪事件である。事件の舞台であるトゥールーズ市は、周辺をカトリックに囲まれた頑固なカトリックの市で、人口約5万人のうち、プロテスタントは200人以下であった。また、プロテスタントに一定の自由を与えていたナント勅令が1685年に廃止にされたという背景も重要である。
     プロテスタントのジャン・カラスは、このトゥールーズに住んでいた。家族構成は、妻、長男マルク・アントワーヌ、次男ピエール、三男、四男、長女、次女であり、カトリックの女中が一人雇われていた。1761年10月13日、友人のゴベール・ラヴェスが一家の夕食に招かれた。この時、三男はカトリックに改宗したくて家をから独立しており、四男は商業の修行のため家にはいなかった。また娘二人もたまたま不在であった。従って、ジャン・カラス、母、長男マルク・アントワーヌ、次男ピエール、客のラヴェス、そして女中の六人が、この夜の食事に居合わせることになった。
    夕食の途中で、長男マルク・アントワーヌがふらりと外へ出て行ったのだが、彼は元から自由な性格だったので、特に心配する者はいなかった。ラヴェスが帰ることになり、ピエールがラヴェスと外へ出た時に、首をくくって死んでいるマルク=アントワーヌを発見したのである。捜査は、「マルク=アントワーヌはカトリックに改宗しようとしていたので、それを許すことができなかったプロテスタントの父、ジャン・カラスが殺害した」という市のカトリック信者達の偏見に押される形で進展していき、とうとうトゥールーズ高等法院は、ジャン・カラスに拷問ののち死刑という判決を下した。

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     社会思想 1.カラス事件の概要を説明し、この事件をどのように評価するか述べなさい。
    カラス事件は、1761年10月13日、フランスのトゥールーズで起こった冤罪事件である。事件の舞台であるトゥールーズ市は、周辺をカトリックに囲まれた頑固なカトリックの市で、人口約5万人のうち、プロテスタントは200人以下であった。また、プロテスタントに一定の自由を与えていたナント勅令が1685年に廃止にされたという背景も重要である。  プロテスタントのジャン・カラスは、このトゥールーズに住んでいた。家族構成は、妻、長男マルク・アントワーヌ、次男ピエール、三男、四男、長女、次女であり、カトリックの女中が一人雇われていた。1761年10月13日、友人のゴベール・ラヴェスが一家の夕食に招かれた。この時、三男はカトリックに改宗したくて家をから独立しており、四男は商業の修行のため家にはいなかった。また娘二人もたまたま不在であった。従って、ジャン・カラス、母、長男マルク・アントワーヌ、次男ピエール、客のラヴェス、そして女中の六人が、この夜の食事に居合わせることになった。
    夕食の途中で、長男マルク・アントワーヌがふら...

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