資料:321件
道徳教育は人間 にとってなぜ必要なのか。
第一説題
道徳教育は人間にとってなぜ必要なのか。
⇒道徳は、人間の生き方を示し、我々人間に対して真理を示すもので、真理を求め、より人間的な生き方を探るために、人間には道徳が必要であると考えます。では、なぜ人間にとって道徳教育が必要なのでしょうか。
まず、第一に前述のとおり、より人間的な生き方を探ることを知らしめる一面があると思います。ソクラテスの考える道徳は、もっと広い意味での「徳」全般のことですが、「自分で自分自身に打ち克ち、節制する」、つまり自分に中にあるもろもろの欲望や、それに伴う快楽を支配するというような、正義や節制の徳です。これを教育として人々に施し、よりよく理解させてこそ人間的な生き方が探れるのではないかと思います。近世の哲学者においても、カントは、人間の教育の本質は道徳を学ぶことにあると絶対的真理として求めていて、人は教育され、「道徳化」が必要であり動物性の状態から、人間性の状態をへて責任を負うものとしての存在、人格性の状態へと素質を展開していかねばならないとし、人間として自律的、理性的に行動できるようになり、さらに自分自身を自覚し、内なる良心としての道徳的法則に従うよう
レポート
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道徳
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通信教育
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からだの危機と人間 性の問題を問う
からだの危機と人間性の問題を問う
からだの危機と人間性の問題を問う
−教育領域からの緊急提言−
久保 健(宮城教育大学)
岩崎 洋子(日本女子大学)
目黒 悟(藤沢市教育文化センター)
高橋 和子(横浜国立大学:兼企画)
伴 義孝(関西大学:企画&司会)
キーワード : からだ 人間性 危機の時代 教育 生き方の原理 第三の自覚
問題の所在
2002年8月17日、「文部科学省は、確かな学力をつけさせるための総合施策をまとめた」と報道された。これは、本年度より新学習指導要領と学校週5日制の完全実施とが始まったのだが、いずれの科目も「105時間から90時間へ」と授業時間が削減されたことなどをうけて、学力低下論議が盛んに脚光を浴びていることに端を発している。だが一方で「学校体育見切り発車」(2002年4月16日・朝日新聞)という報道もあるなか、日本の子どもの「からだ*の危機」問題が叫ばれだしてから既に20数年も経つというのに、この問題は前面に浮かび上がってこない。なぜなのか。
ひらがな書きの「からだ」は「60兆個の全細胞」が心身一如で生きて働く存在を意味している。人体科学会的に言うならば、湯浅泰雄の示す東洋的身体論に根ざす「生きている身体」である。
かつて福田恆存が日本の教育論議を整理して謂う(1957)。論議がジャーナリズムにおいて噴出するのは「後進国の自覚」がそうさせるのだ、と。日本はこの「自覚」を二度もった。最初は明治の開国期に、二度目は敗戦後のアメリカ民主主義受入期にである。ここまでは誰もが指摘することだが、福田の膨らむ分析は大いに刺激となる。明治期の「自覚」は対外的統一と結びついて教育が富国強兵策の一翼を担っていたからであるのだが、敗戦後は対内的統一を促すために教育やジャーナリズムで「自覚」を強調しすぎた嫌いがあると看破する。そして、「明治以来の近代日本の歴史的な歩みを一挙に抹殺してしまったために起こった精神的混乱から(の)脱出」に向けて偏向する対内的統一が必要であったと読み解く。
…教育の世界では、そのための合言葉として「民主主義」と「平和」が採りあげられました。だがこれはおかしい。…「民主主義」も「平和」も政治の原理であります。それは生きかたの原理ではない。一歩ゆずって言っても、「民主主義」と「平和」とだけに、教育の原理を絞ってしまうわけにはいかぬはずです。(「教育・その現象」・傍点引用者) 福田のもちだす「生き方の原理」(字句変換)とは何なのか。本シンポジウムでは、現今の教育論議に「からだの危機」問題が直接的に浮かび上がってこないことに関わって、この生き方の原理問題を当然のことに追及することになる。
さて、20数年前の子どもはいまや日本社会の中堅的人材であろう。混乱を増すばかりの日本社会のすべて「からだの問題」の棚上げに起因しているのではないか。からだは「思想」である。さらにからだは「生き方の原理」のはずである。ならば「からだの危機」とは「精神」の「魂」のあるいは「いのち」の危機であろう。いまや危機の時代なのである。この問題を抜きにして人間性の問題へと迫ることはできない相談でないのか。
シンポジウムの展開
人体科学会の「会是」を要約してみた。
◆ 東洋思想と西洋思想とを融合する新しい総合的学問を日本から発信する。
◆ 未来の理想となる人間像を探求する。
◆ そのためには諸分野の研究者を組織して人間性について学際的な研究交流が必要。
◆ かかる研究では、心身に関わる東洋的技法や体育や芸術や臨床医学などの生きる身体をあつかう領域との
日本
子ども
少子化
文化
政治
問題
平和
人間
全体公開 2007/12/13
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人間 の発達と学習 第1分冊
人間の発達と学習 第一分冊
略題(自我の発達)
子供の自我(自己)の発達を踏まえた指導のあり方について考察せよ
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能動的に行動する様子で一番初めに考え付く事は、母親に対する独占意欲であると私は考える幼児期の子供にとって一番の理解者であり、一番の身近な存在として子どもは捉え、何かあると常に自分(幼児)中心の考え方が広がる事については言うまでもない。今まで、母親の存在が幼児に対して割いてきた時間の割合を考えれば必然的に割り出される状態である事に違いはない。
さて、子供の他に積極的に働きかける影響を考えたい。まずコミュニケーション能力の発達が挙げられる。子供同士、大人との関わりの中で子供は、コミュニケーションの中から社会性を学び、自分の周りで起きている事柄を認知できるようになっていく。これは積極的に働きかけ、その変化を捉え、自分に取り込んでいく場合では、自らの考え方を押し付けることなく、方向性を与え導く事によって教育は行われていく。
イメージの発達、言葉の発達が進むことになるが、イメージや
コミュニケーション
発達
社会
学校
道徳
家族
幼児
児童
子供
学習
人間の発達と学習
レポート
玉川
第1分冊
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ロックにおける人間 悟性の批判的考察について
ロックは人間の観念の由来と観念(感覚)の性質についてという問題を解明しようとした。が、その前に留意しておくべきなのは、ロックの哲学の意義は「経験主義」を明確に打ち出したということである。実体と観念を説明するに当たり、デカルトなどが神を利用しつつも合理主義的に生得観念を、またそこからの論証を用いたのに対し、あくまで経験に基づくものとした。しかし彼は経験によって形成される認識の限界を見出すのである。
ロックによると観念とは「心のうちで知られるもの“That is that I called IDEA”」意識の直接の対象である。観念はその由来により、生得観念と習得観念とに分けられる。生得観念とは人間が先天的に持っているものであり、習得観念とは人間が後天的に会得したもの、いわゆる「経験」である。経験は感覚によるもの(外的経験)と反省によるもの(内的経験)がある。外的経験は人間の意識とは独立の作用であり、内的経験は人間の意識自体の活動である。ロックは生得観念を否定し、人は生まれつき「タブラ・ラサ」であるとした。ロックは「タブラ・ラサ」とは「削られた白板」「空白の板」などといった意味で、人間の心は最初の観念が経験として刻み付けられるまでは、その上には何も記されてはおらず、その後、感覚と反省という作用によりはじめて書き込まれるものである、と主張している。
レポート
哲学
ロック
タブラ・ラサ
第二性質
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人間 の発達と学習 第2分冊
(1)人間には新奇な情報を求める行動を起こさせる知的好奇心と呼ばれる動機があると考えられている。知的好奇心には明確な探求の方向性を持たず、幅広く情報を求めるような「拡散的好奇心」と、特定の対象に対してより多くの知識を求めようとする「特殊的好奇心」の2つのタイプがあるとされる。授業で引き起こされるのは特定の学習内容が対象となる特殊的好奇心である。よって、特殊的好奇心を高めるような教授方法を採られれば、学習が内発的に動機づけられ、学習意欲を高めることになる。
特殊的好奇心が引き起こされる条件の1つとして、バーライン(1965/1970)は認知的葛藤が生じることを挙げている。認知的葛藤とは、人間の内部で起こる背反する複数の概念間の衝突とでもいえる状態である。つまり互いに矛盾するAの考え方とBの考え方の両方を意識させることによって葛藤が生じ、人はその葛藤を解消しようとする方向に関心が向く。その結果、葛藤を解消するための情報を収集しようとする内発的な学習行動が起こるというのである。波多野ら(1973)は、認知的葛藤を利用して知的好奇心を高める具体的な方法について、3つの方法を挙げている。
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知的好奇心について
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多様な人間 関係:男と女を読んで
なぜ、男がズボンをはいて女がスカートをはいているのか。なぜ、男女の社会的役割は男性が外で働き女性は家事をして子供を育てるのというのが一般的なのか。日本の教育を受けて育ってきたなかで、このようなことを考えたことなど一度もなかったし、また、これがあたり前で普通のことだと思っていた。
日本のように男が外に出て女が内にこもるという文化は、男は強くて女は弱いという考え方から生まれたのだろう。たしかに身体的に見ると女の体は男の体よりも、背が低く筋肉も少なく全体的に華奢なつくりになっている。骨も細いのかもしれない。だから、女は男より弱いのだ。きっとそんな簡単な理由でずっと昔から日本では男尊女卑が存在し続けているのだろう。だから今日のように多くの女性が外で仕事をもち、男性と変わらず仕事をこなしているのに、社会では不平等に扱われ、既婚の女性は家庭でも家事育児をこなすことを前提に夫から許可をもらい働いていることが多いのではないか。しかし、男女平等を唱えても、この問題は簡単に解決できるものではないだろう。なぜなら日本の文化の一部なのだから。
女性を否定的なものとみなしている文化は日本だけでなく多いようだ。男性は猛獣などといった目にみえる敵と戦う。女性は幽霊や妖怪など人々にとって恐ろしく不可解な存在と関連していると思われている。きっと、まだ医学や科学、生物学なんかがない時代に女性の体に起こる生理現象を理解できずに女性を神秘的なものだとみなしたのではないだろうか。神秘的でそれらと関連しているだけではなくそのものとして扱われることさえあるのだ。
見えないものからの恐怖を和らげるために、また原因不明な現実や自然現象への恐怖を紛らわすために目に見えるものを悪としたのだろう。このような文化では、男性は外に出て女性は内にいる。
まったく逆もあるようだ。
女性が積極的に漁業や交易を行っている民族がある。そこの男性は依存心が強く繊細で非実戦的なのに対し、女性は積極的能動的実践的であるようだ。
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社会学
文化人類学
男と女
人間関係
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新しくなった ハッピーキャンパスの特徴
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