連関資料 :: 心理学

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  • 心理
  • 発達の概念や理論及び発達における諸問題について 発達とは個体が受胎から熟成するまでの内的心理傾向(能力、性格特性等)の変化である。原則として発達は、常にそれ以前の過程を基礎として生じる。発達的変化はいつも同じ速度で進行するわけではなく、器官や機能によってそれぞれ特有のパターンがある。(大脳などの中枢神経系の発達は生後急速に進んで、12歳の頃には成人と同じレベルに達するが、身体的発達は20歳前後で成人のレベルに達する。) 発達の理論について  発達段階というものがある。発達段階とは、他の年齢時期とは異なる特徴を持っている年齢時期のまとわりをさす。個体の発達過程がなだらかな連続的変化だけでなく、飛躍的に進行する非連続変化をも表すと考えるとき、相互に異質で独自の構造をもつとされる一定の区分された時期である。そこでエリクソンの発達段階について述べてみる。  エリクソンの提示する発達段階では、出生から成人に至る期間だけではなく、成人期をいくつかの段階に分けているのが特色である。全体は8つの段階に分けられているが、1つの段階から次の段階へと進むごとに、人はいろいろな心理社会的危機に直面するというのである。またそれぞれの段階における危機をどのように解決していくかが、それ以後の段階における危機にどのように対処していけるのかを決定すると考えるのである。  ①口唇・感覚器(信頼対不信)(0~1歳)②筋肉・肛門期(自立対羞恥)(1~3歳)③運動・性器期(進取性対罪障感)(3~6歳)④潜在期(勤勉性対劣等感)(7~11歳)⑤思春期(同一性対同一性拡散)(12~20歳)⑥若い成人期(親密対孤独)(20~30歳)⑦成人期(生殖性対停滞)(30~65歳)⑧成熟期(自我統合対絶望)(65歳~) それぞれの段階の名前の後のかっこの中に対で示されているのは、前がその段階の発達課題がうまく達成された場合で、後ろがうまく達成さらなかった場合である。例えば、⑤(同一性対同一性拡散)とあるが、前者は「自分とはどんな存在か」「自分はどうなっていくのか」などの問いに自分が答えられる場合のことで安定し、社会的に適応した生活をすることができるが、後者はこのような問いに答えられず、「自分はいったいこれでよいのか」「自分はどうなっていくのかわからない」などと考えて苦しむわけで、それが同一性拡散なのである。  エリクソンによれば、人は内面的な欲求と外部からの要請との間の葛藤を認識し、ジレンマに陥るが、そのような危機を克服することによって次の段階へ進むわけであるから、それぞれの段階はお互いに関連したものとして考えられており、個体と環境との相互作用が重視されているといえよう。  2、発達の諸問題  最近では子供の虐待の問題になっている。そこで虐待について調べてみる。  子供の虐待は古くも新しい問題である。その歴史を辿れば、世界的に「子供の人権」が認められるようになったのは第2次世界大戦後である。大人の生存そのものが危機状態にある中で、子供は弱者であり、それゆえにまた宝でもあった。そもそも虐待というのは、一方が他方を不適切に、または不公平に取り扱うことである。ただ暴力性や残虐性のみを示すのではない。  虐待には4つのタイプがあり、それを述べてみる。  ①身体的虐待:外傷の残る暴行(あざ、骨折、刺傷、火傷など)、あるいは、生命に危険のある暴行(首を絞める、布団蒸しにする、食事を与えない、冬に屋外にしめ出す、一室に監禁するなど)、  ②ネグレクト:遺棄、衣食住や清潔さについて健康状態を損なう放置。栄養不慮、極端な
  • 発達 問題
  • 550 販売中 2007/12/20
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  • 教育心理
  • 『適応・不適応の心理的機制、またそれらからひき起こされる特徴的行動について説明せよ。』   「適応」とは本来生物学で使われる言葉であり、動物が周囲の色に合わせて色を変えたりなどの環境や状況に応じて、自らの生存に有効な習性を示し、生理的変化が出来ることをいう。 適応とは、主体としての個人が、その欲求を満足させようとして環境の諸条件と調和するために
  • 環境 心理 社会 行動 問題 目標 指導 自分 葛藤 方法 心理学 佛大
  • 550 販売中 2010/11/30
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  • 不安の心理
  • 不安についての考え方については二つの大きな流れがある。その一つ根源不安説は、元々人間は自分の存在や日常について常に不安を感じている。それを普段は何かに打ち込むことによってその不安から逃げているのだというのが一つの考えである。もう一つの不安=甘え説は、人間は生きることに必死な時は不安など感じない。不安を感じているのは単なる甘えの状態なのだという説。特に前者の根源不安説はハイデガーが『存在と時間』の中でも「不安は、日常慣れ親しんでいる非本来的な自分のあり方から、本来的なあり方に自分を連れ戻そうとする。不安によって、自分の本来的なあり方の開示が可能になる。」と強く主張しているとして有名らしい。   実はこの有力な二つの説は不安というものに対してともに大きな見落としがあるとしているのが本書の主張である。まず、根源不安説に関しては「不安を感じるのと実際に存在することは同じ」という点と「言語表現が思考の中心的な役割を担う」という点に注目して「不安になったときに、偶然そうなったと考える場合と、自分の根本的な欠陥によって不安になったと考える場合とでは、不安に与える影響は大変違う。」として「不安は、自分の思考とは別に、独立して存在する不動の対象と考えて、その本質を求めたのである。ところが、不安を現時点でどのように捉えるか、その捉え方自体が不安を大きく変化させることを見落としていたのである。」「これは、不安に駆られて書物を読みあさる時に陥りやすい落とし穴である。」そして「根源不安説は、不安を、あたかも外部の対象であるかのように、行動や思考とは独立した不動のものとして扱うが、そこには大きな誤りがある。不安のような内的な減少は、行動や思考と離れて存在するものでは決してない。また、根源的不安を前提に不安を理解しようとする思考の構え自体が、実は不安を大きく規定する結果となっているのである。」
  • レポート 不安 心理 心理学
  • 550 販売中 2005/07/30
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  • アイデンティティの心理
  • アイデンティティー、まず、この言葉の定義から始めたい。しかし、それが意外とやっかいである。広辞苑によると「人格における存在証明、または同一性。ある人の一貫性が時間的・空間的に成り立ち、それが他者や共同体からも認められていること。自己の存在証明。自己同一性。同一性。」とある。なにやらはっきりしない。人格における、とあるが、最近では「地域アイデンティティー」や「ブランドアイデンティティー」など、人を対象としていない用語も存在するではないか。「アイデンティティの心理学」(講談社現代新書)による、『若者は常に存在を模索し、将来を展望し、自分の存在を吟味していく。「アイデンティティ」とは、まさに、このような歴史と時代の中で揺れ動く自分の存在意識をさしているのである。このような歴史と社会状況との交点に存在する自己を表現する適切な言葉がなかった。アイデンティティという言葉が、この状況をとらえ、表現する言葉として現れたとき、人々はそのイメージの喚起力にとらえられたのであろう。これ以降、この用語を抜きにして、問題を語れなくなってしまったといってもよい。』 などは
  • レポート 心理学 アイデンティティ プルーラル
  • 660 販売中 2005/07/11
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  • 教育心理
  • 現代社会の教育を変える必要はあるのか。変える必要があるならばどのようにすればいいのだろうか。 配付されたプリントには学級崩壊のことが多く取り上げられていた。学級崩壊のことは以前から知っていたが、このような記事をまとめて読んでみると改めてひどい状態なのだと痛感させられる。将来が不安というよりは怖い。 記事の中で学級崩壊の主な原因は生活習慣の欠如、家庭のしつけなどが挙げられていた。年齢で言うと3歳くらいからのことが書いてあったが、自分はそれよりも前の0歳から2歳児のときの親のしつけ方にも学級崩壊の原因があるのではないかと思う。自分の母は保母をしており、つい先日も「赤ちゃんの様子を見れば親のしつけがわかる」と、まだ1歳にならない子供の話をしていた。最近は、「赤ちゃんを甘やかすことは良くない」という雑誌やテレビなどの育児法を鵜呑みにして、赤ちゃんの要求を放っておくという親が増えているらしい。このように甘えられずに育ったこどもが大きくなって事件を起こすことは大いにありうると思う。 自分が通っていた小学校では学級崩壊はなかった。それは通った学校がたまたま学級崩壊の無い学校だったのか、それとも自分の通っていた10年前には本当に学級崩壊は存在していなかったのか。学級崩壊に遭遇しなかったことは良かったと思う。しかし遭遇しなかったことによって学級崩壊を広げる生徒たちの気持がつかめないので、どうすることがいいのかわからない。
  • レポート 教育学 学級崩壊 生活習慣 フリーター
  • 550 販売中 2005/07/13
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  • 心理療法
  • 「心理療法について述べよ。」 心理療法とは、人間の心理的な問題を解決していく事だけを目的としているわけではない。その人を取り巻く環境に上手く適応していけるように手助けをするだけではなく、心理的な成長をしていけるような援助をおこなっていく事も心理療法の分野に入る。ここでいう環境とは、社会的な環境も当てはまるが、人間関係なども含まれており、どんな人でも環境に適応していく能力をもっているとされてはいるが、完全適応をしているわけではない。適応できなかった内容などは精神的な傷などになってしまい、一時的に適応力を下げたり後々まで尾をひく形になってしまう。 心理療法の技法は、それぞれの性格理論や学習理論に基づいていて、過去には学説を信じる人達が、特定の技法を症状などを選ぶ事なく行っていた時期もあったが、現代ではそれぞれの症状に合わせた技法を執行しているが、治療といった形よりも、症状に適した療法を見つける為の診断という役割が主流となってきているといえる。 支援法 クライエントに対して「保護された空間」を提供し、不適応状態にある人に力を貸し、当面の症状緩和を図るのを目的としている。催眠法や薬物を使用して緊張状態を軽減させる場合もある。 こうした手法は単独で療法を構成するのではなく、むしろ全療法の基本となる。クライエントと治療者間のコミュニケーション関係を築いていく為には不可欠であり、ラポールを得る為の方法であるのだ。 表現法 子どもに対する遊戯療法や、成人に対する作業療法などをいう。これらの療法は、活動をしていく事によって脳に刺激を与え、その刺激が良い結果を生み出しているのだが、仕組みまでははっきりと解明されていない。「遊ぶ事が浄化作用をもっている」や「治療的退行を促進する」とも言われてはいるが、古典的な分析理論から生まれたものであり、その文脈の外では意味をもたない。遊具や砂を使った作業は「感情の表現であり、言語表現の不得手なものにとって有効である」と言われるが、不得手でない人との比較研究がなされた事はない。クライエントによっては、俳句などの文芸活動や絵手紙などの芸術活動、またインターネット活動も似た効果があるのか、こうした疑問について実証的な研究ができる事が望まれている。 箱庭療法は表現法と同時に、投影法の一種と考えられて診断にも使われているが、他の投影法と同じく解釈が複雑な理論に基づいている為に難しいと考えられる。 洞察法 治療者との言語対話を通じクライエントが自己症状に関する洞察を捉えていくもので、精神分析法とクライエント中心法が主な手法である。 精神分析は、フロイトの学説に基づいている。自由連想をしながら、対象者が自分の意識下にある願望について気がつくことにより防衛機制から脱出し、健全な人格を取り戻していくという考え方だ。 クライエント中心法では、治療者はクライエントの感情解釈する事なく、本人にそのまま返していくことでクライエントが精神分析と同じような洞察をもてることを目的としている。クライエント中心の考え方は、グループ療法などにも適用され、クライエント同士がお互いの治療を助け合う手法に発展した。 訓練法 この分野にはいる手法は行動療法とも呼ばれており、不適応行動は学習されたといった考えに基づいている。どういった学習が起ったのかなど明確に知り得ないが、もしある特定学習が起ったのであれば、それに対する消去手続きによって、または相容れない反応を学習する事で不適応行動を除去できるはずとしている。 ①系統的脱感作法 恐怖神経症は特定の刺激に対する古典的条件反応と、
  • 環境 心理 学習 分析 言語 言葉 人間 クライエント 自由
  • 550 販売中 2008/05/19
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  • 臨床心理
  • 臨床心理学とはいったい何であるのか。簡単に言えば、悩みや心の病に苦しむ人々をその苦しみからどのように救えばいいかを考える学問と言っていいだろう。臨床心理学の実践には、心理療法家やカウンセラーと呼ばれる人々が携わる。カウンセラーといえば、今、人気の職種のひとつだ。現在、心理学ブームであるとも言われ、大学で心理学を専攻したいと考える高校生も多いと思う。実際、私の周りにもカウンセラーを目指すという友人が何人かいた。この臨床心理学が近年、急速に必要とされ、クローズアップされてきた背景にはさまざまな社会的問題等があるのだろう。しかし今回はその中でも特に、臨床心理学、または最近普及してきた「心の教室」のスクールカウンセラーと呼ばれる人々が、学校という教育現場において、子どもたちにいったい何ができるのかということについて考えてみたいと思う。 学校問題とスクールカウンセリングを考えたとき、真っ先に浮かぶのはやはり、いじめ、不登校、荒れなどの問題である。私自身の経験の中にも、類似の問題がまったくなかったとは言えない。中学時代には不登校の級友も一人いた。また、自分自身のことでは、「いじめ」に似た記憶を持っている。 それが「いじめ」に値するものなのかどうかは今でもわからない。小学校の頃、一番仲のよかった子から不当な仕打ちを受けていた。出来事的には暴力を受けたわけでもなし、些細なことだったのかもしれない。校庭で遊んでいるときにハメられて鬼にされる、靴を持っていかれる、罵声を浴びせられる、位のことだった。いつの間にか私の呼び名は「短足チビ」になっていた。確かにつらかったことがなかったわけではない。
  • レポート 心理学 臨床心理学 カウンセラー 心の教室
  • 550 販売中 2006/05/22
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