連関資料 :: 教育原論2

資料:140件

  • 教育原論 第設題
  • 『ジョン・ロックにおける子どもの教育論』について  ロックの教育論は一般に紳士教育論と言われている。ロックにとって、紳士は教育によって期待されるべき人格像であった。期待される人格像として紳士という言葉を使う場合、おそらくそこには二つの意味が含まれているように思える。一つは、ロックの言ったような意味で、現実に上流の子弟を紳士にまで仕上げるという意味、もう一つは現実には上流の子弟ではないが、彼を将来上流の紳士となるにふさわしいように教育するという意味、の二つである。  ここでロックの子どもに対する紳士教育論を考えてみる。まずロックは当時の親たちが幼児期の子どもを教育するに際して子どもを可愛がるあまり、必要な訓練を行っていないことを嘆いており、逆に理性的に適した事柄にしか同意しないように、精神を正しくすることが教育において重要であるとしている。精神を鍛錬することによって子どもは自分の欲望を我慢し、理性が最善として示すものに純粋に従うことができるようになる。したがって両親は子どもが非常に小さい時から、両親の意思に従うように教育すべきである。  このようにロックは子どもを厳しく教育するよう唱えるのだが、その方法は単に強制的であってはならないと考えている。彼は子どもが親に従順に従うことを目標化するのではなく、子どもが自発的に善い行為を行なうように習慣づけられるべきとする。しかし単に多くの規則と訓戒を子ども達の記憶に詰め込むのはあまり効果がない。なぜなら、子どもは多くの規則を記憶できないし、規則を破って叱られることが頻繁になると叱られること自体に慣れて気にもとめなくなるからだ。両親は規則を作るのは少しだけにし、一度作った規則は必ず守られるよう気をつければよい。つまり、繰り返し練習することによって頭ではなく身体で記憶することで、独りでに、容易に、自然に、作用するものである。このようにして健全な身体と道徳と知識を持っている紳士へと教育していくのである。  またロックの教育論を語る上で「タブラ・ラサ説」は外せないであろう。我々が生まれたとき、私たちの心にどんな観念もないことは、明らかなことである。しかしロックはそうとは考えなかったのである。ロックの当時は生得観念の存在を肯定し、神によって心に観念が文字どおり記され、それが信仰と道徳の根底であると、確信する人々がいたのでこれを否定する場合は避けることのできない問題だった。 タブラ・ラサとは、心の中には生まれながらに刻み付けられた観念や原理などはないという考えのことである。この考えに従えば、子どもは生まれた時はまだ何の観念も持っていないということになる。(これは「子どもの本性は白紙ではなく、既に将来成長する能力を内的に有しているのである」というペスタロッチーの考えと間逆の考えである) 子どもは成長するにつれて、教育によってさまざまな観念を獲得するようになるのであり、これは経験主義的な考えと言い得る。 ロックは子どもの教育はまず感覚的訓練から始めるよう主張する。感覚によって一つ一つの対象についてわれわれの心の中に観念が起こり、さまざまな知識が得られる。すなわち感覚を通してさまざまな知識や観念が、われわれの真っ白な心に入るのである。そしてその知識と観念を記憶し、一つ一つの名前を教わる。このような過程を経て、一つ一つの知識や観念が心の中に植えつけられる。しかしもし幼児期の子どもが誤った複合観念を持つならば、その子は一生誤った観念を持つかもしれない。それゆえ正しい観念を持つように子どもを教育することが重要である。 すなわち生得的
  • 佛教大学 レポート 教育言論 ロック 紳士教育論
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  • 障害児教育原論2設題
  • 「戦後日本の知的障害教育を概観し、特に「交流・統合教育」が提唱・実践されるようになった背景について考察せよ。」  交流教育が唱えられ、実践されるようになったのは1960年代中頃以降であり、その後、多様な形態で展開されてきた。それにはヨーロッパやアメリカなど諸外国の影響が大きいが何よりも日本における障害児教育の実践的成果のひとつの課題としての交流教育へのアプローチであった。 障害児教育の中でも、戦後すぐに義務制度を始めたのは視覚・聴覚障害児の教育であり、養護学校教育においてはそれよりも遅く、昭和54年に義務制が実施された。   それまでの交流教育は比較的軽度な障害児対象だったものが、義務制度により障害児の重度重複化と多様化による実践が広がりを見せ、それは障害児教育のあり方という根本的な問題に発展し、健常児との交流の教育意義が、ごく限られた軽度の障害児のみならず、全ての障害児に対しても大きな実践的課題として拡大した。 また、小・中学校では平成5年度から「通級による指導」が制度化され現在、健常児のクラスに原則として在籍し、教育を受ける新しい指導形態による「交流(統合)教育」も制度化され現在の教育制度の中での交流教育のあり方は実に多様なものになっており、学校や学級の条件はもとより、何より障害児一人ひとりの固有の条件もあり、指導形態による分類も非常に困難な状態になっている。  交流教育を困難なものにする原因として他に、1960年代から昭和54年度の養護学校義務制に伴い、作られていった養護学校の新設・増設が物理的、地理的にも郊外へそして、地域の中心地より離れていったことが、地域における交流教育の実践を難しくさせ、地域住民との交流、相互理解の不十分な要因となったことは否めないのである。  また、小・中学校における特殊学級においても、必ずしも障害児教育担当の適任者が配置されているとは言えない状態があったり、障害への専門性と特殊性に重きを置くあまり同じ施設内にありながら、健常児との交流関係が希薄となり、そのことで教師集団全体への障害児教育についての理解・関心が深まらず、学校全体で教師、児童・生徒が一丸となって交流していこうという環境がなかなか出来辛い厳しい状況の中で、地道な交流教育の実践を積み重ねていく中で、その重要性については普通学級担任にも普及していった。  この様な実践の成果を背景にしながら、昭和44年、答申「特殊教育の基本的な施策のあり方について」の中で、重要な柱のひとつとして「普通児とともに教育を受ける機会を多くすること」をあげ、「心身障害児に対する教育はその能力、特性などに応じて特殊な教育的配慮のもとに行なわれるものであるが、普通児とともに生活し、教育を受けることによって人間形成、社会適応、学習活動などの種々の面において教育効果がさらに高められることにかんがみ、心身障害児の個々の状態に応じて可能な限り普通児とともに教育を受ける機会を多くし、普通児の教育からことさら遊離しないようにする必要がある。」と述べている。  1974年日本教職員組合の委嘱で発足した教育制度検討委員会の最終報告書「日本の教育改革を求めて」の中で「すべての障害者の発達をどう保障するか」の基本原則として4つあげているが、その中の「普通教育と共同教育の原則」については「障害者の人間的・全面的発達、その社会性の発達、いわゆる『普通者』との人間交流と連帯を育てるためには、可能な限り『普通者』とともに生活し、ともに学ぶことが重要であり、その障害を受けている機能の回復や代替機能によるコミュニケー
  • 障害児教育原論 第2設題 佛教大学 通信教育
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