連関資料 :: 政治

資料:495件

  • 政治学について
  •  Ⅰ政治の概念 ⅰ政治 政治学は哲学とともに紀元前四、五世紀からという古い歴史をもつ学問でありながら、政治の定義についてはいまだ万人が認める一つの確定したものはないばかりか、政治学者の数だけあるとさえ言われている。辞書で「政治」とひくと、広義と狭義の二つでこうある。 ①国を治める活動。権力を使って集団を動かしたり、権力を得たり、保ったりすることに関係ある、現象。②国家以外の集団について言うこともある。  ①が狭義、②が広義をさしている。広義の意味を深く調べるために「漢字語源辞典」(藤堂明保、学灯社、一九九0年)で「政」と「治」を調べまとめてみると、政治とは人為的な手を加えることによって、社会を望ましい、あるいは秩序の保たれた状態にすることであること。さらに分かりやすくすると、私たちは家庭をはじめ友人やクラブ、職場等の日々の生活において意識するとしないとにもかかわらず、諸々の利害の対立を調整・統合し、抗争を解決して秩序を維持するといった政治活動を常に行っているということになる。  しかし、普段政治というと、家庭、職場等では使われることを予想しない。よって私たちは狭義の「政治」という単語しか使っていないのである。もっとも国家の諸活動と一口にいっても、その内容は広範囲にわたる。そしてその見解も様々なものがある。そのいくつかを見てみる。  Ⅰ 国内の治安を維持して国民の生命、自由、財産を守り、外国からの侵略を防止すること。マキアベリ、ホッブス、ロックによって十六、七世紀に確立された近代政治理論は、国家の目的としてこの点を最重視したことはよく知られている。  Ⅱ 政治の本質は「統合」にある。 統合も上からの統合と下からの統合に分かれるが、単純明快に理解すれば前者はロック、ルソーの政治理論によって代表される。両者とも諸利害の対立を調整・統合する政治制度に関心をよせる点で共通するが、前者は議会制による間接民主主義を、後者は直接民主主義を政治の核心と位置づける。  Ⅲ 政治の本質は、「権力をめぐる闘争」にある。 マルクスに代表される社会主義者、およびウェーバーやデュヴェルジェ等その立場にない政治学者においても、この見解をとる人は多く見られる。  Ⅳ 政治の本質は「国民の多様な利害の対立を民主的に調整・統合すること」にある。アメリカの政治学において発展した政治過程論や政治システム論は、この見解に立つ代表的な立場である。アメリカ政治学は伝統的に、社会的機能に重きをおいたこの目的に主たる関心をよせる。  Ⅴ 政治の本質は「福祉の増進をはかること」にある。第二次世界大戦後隆盛した福祉国家にみられるように、政治が最も目指すべき目的に福祉を掲げる。わが国では、松下圭一がこの代表的な立場に立つ。   狭義の政治は、代表的なものだけでも五つに大きく分かれて理解されている。これらことから狭義の政治を次のように定義しておく。「政治とは、国家がその有する強大な正統的物理的強制力を背景として支配の一元化をはかって秩序を維持し、また国内及び国際関係において諸利害の対立を調整・統合する活動をいう」と。 ⅱ権力  「政治は権力をめぐって展開する現象」という有名な定義があるほどに、政治と権力は密接にかかわりあっている。権力は、一般に「他人を自己の意思に従わせる能力」、「一方が他方をその意思に反して行動させる能力」、あるいはまた「人間が、他の人間に対して、自己の意のままになる方法で、その言動を支配する能力」等と定義される。  権力は社会権力、政治権力、および国家権力の三種に大きく分けることができ
  • レポート 政治 民主主義 政治学
  • 550 販売中 2007/01/19
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  • 国際政治学 哲学 国際政治の哲学について
  • 国際政治の哲学について考える。  まず、哲学とは、「世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシアでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む。 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。」という言葉の意味から、私は国際政治の哲学について、国際政治学とは何かという課題をひも解くことによって論じていきたいと考える。  国際政治学とは何か。  国際政治学は、国際関係の変化のうち、政治的な側面の研究である。ただ今日においては政治と経済は連動しており、その境界線を明確にすることは困難な場合が多い。したがって国際政治、国際経済、国際法は渾然一体をなしており、同じ研究対象を別なアプローチで切っている場合も往々にしてあり、しかも観点の違いによって結論も違う場合もありうる。  テキストによると、「国際政治とは一つの国家・国民と別の国家・国民の間になりたつ政治関係のこと
  • 歴史 アメリカ 政治 経済 国際 戦争 社会 哲学 国際政治
  • 550 販売中 2009/03/16
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  • アメリカの政治は現在
  • アメリカの二大政党制について  アメリカの政治は現在、民主党と共和党の二大政党制で構成されている。まず、この二つの歴史を述べていく。民主党は1820年半ば、モンロー大統領時代、共和党一党支配による時代は過ぎ、地域的対立が表面化してきている中、ジャクソン大統領が当選し、民主共和党が南部を地盤とする政党となって現れた。白人層が支持層の中心となっており、南部11州で支持層を拡大したため「一党南部」、「堅固な南部」と呼ばれる程、強力な基盤を形成している。一方共和党は、南北戦争後、奴隷制反対を唱える旧ホイッグ党のメンバーを中心に結成された政党である。リンカン大統領のもとで奴隷制拡大の阻止を主張し、跡を継
  • 二大政党制 民主党 共和党 奴隷制度
  • 550 販売中 2009/07/06
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  • ソクラテスの幸福と政治
  • 「いちばん大事にしなければならないのは生きることではなくて、よく生きることだ」(『クリトン』48b)これは「よく」という言葉を「幸福に」と言い換えることができるなら、恐らく多くの人の賛成を得られる意見だろう。  しかしよく生きるといっても、何をよいとするかによってその生き方は様々である。  ある人は、よく生きるとはなるべく苦痛を被らないこと、なるべく快楽を多く享受することと考えるだろう。  そう考えるとソクラテスが関心の範囲外として退けるお金や名誉を求めることはある人にとってはよき生なのかもしれない。  また、実際生物学的な人間の意義は、単なる遺伝子存続のための箱に過ぎず、なるべく多く自らの遺伝子を後世に伝えることが人間の最大の目的とも言えるかもしれない。  そのように考えればソクラテスが一般大衆の関心事として退けた子供の養育が人生の最大の目的であり、子供の幸福こそが自分の幸福なのかもしれない。  一方ソクラテスにとっての善き生は、正しく生きることであった。もちろんソクラテスは、この生き方が善き生として全ての人の賛同を得られるわけではなく、むしろ少数派であると述べている。(『クリトン』49d)  では、ソクラテスの善き生、つまり正しく(正義に従って)生きるということはソクラテスの個人的な幸福のあり方なのだろうか。  私はソクラテスの考える正義が、本当に正しいものであればそれは万人の生にとって必要なものであると考える。  ソクラテスはクリトンのなかで、不正をすることも不正に対して仕返しをすることも正義に反するから、自分も害悪を被るとしている。確かに国法に従わず脱獄などという違法な仕方で刑を免れるということは、法に対しての不正であり、我々を生かしている国の基盤を揺るがす行為である。
  • レポート 哲学 ソクラテス 幸福 クリトン
  • 550 販売中 2005/12/09
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  • キリスト教と政治
  • キリスト教と政治 ・キリスト教の普遍性 キリスト教・・・普遍性を志向する宗教。 キリスト教の教義 ?人類全体の罪からの解放(真の自由) ?神からの聖霊がすべての人々に注がれていること ?神の前にすべての人々は兄弟であること ・キリスト教の政治的親和性  キリスト教は「政治的なるもの」に対して「親和性」のある宗教である。  親和性・・・この二つのものが本来的には無関係だが、キリスト教が「政治的なるもの」を教義として拒絶することなく、自覚的に接触する性質があることを意味する。 競技的特徴 ?自然神ではなく人格神である神一人が全宇宙の創造者にして支配者であること。 ?神と人間との間の正しい関係を協調して、その正しくない関係を罪と規定した。 ?共同体(教会)を重視しその発展に心血を注いだ。 キリスト教は間接的にではあるがこの世の秩序に強い関心を抱く宗教。 ?歴史に強い関心を抱き、信仰に生きることは具体的に歴史にかかわることであることを説く。→この歴史とは神による宇宙の創造から完成の全過程を意味し、そしてまたその中の一環としての人類の歴史を意味する。 正しい信仰の生き方・・・歴史の方向が神の意思に沿ったものであるよう可能な限り努力すること。 ・キリスト教の政治思想史的意義
  • レポート 政治学 キリスト教 政治 ギリシア哲学
  • 550 販売中 2005/10/16
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  • 政治学レポート
  • 自動車が私達に与える影響と低公害車 提出日:2006年7月7日(月) 現在私たちは毎日のように自動車を使っている。買物にレジャーにと自動車を走らせ、便利な道具として使っている。日本の自動車保有台数は1960年代ごろから急速な勢いで増え続け、1997年末までに四輪車合計で約7000万台を数えている。これは、ほぼ国民2人に1台の割合で自動車を持っていることになる。さらに高速道路網の拡大により自動車での旅行が増え、また日常の買物にも自動車で出かける人が増えるなど、私たちの生活のしかたも変化している。しかし、このような自動車社会の出現は環境や社会に新たな影響を投げかけている。なかなか良くならない都市部の交通渋滞、新車に買い換えた後に捨てられる古い自動車の処理の問題ばかりでなく、大気汚染の深刻化という問題もある。  自動車は石油から作られたガソリンをエンジンで燃やすことによって走行する。その時発生するガスは排気ガスとなって車外へ出ていく。この排気ガスには二酸化炭素、一酸化炭素、窒素酸化物、硫黄酸化物などのさまざまな汚染物質が含まれており、それは人の健康に直接に害を及ぼすだけでなく、酸性雨や地球温暖化の原因にもなる。
  • レポート 環境 排気ガス 政治学
  • 550 販売中 2006/07/14
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  • 現代政治
  • 1、イデオロギーや政党の種類やその歴史の返還を踏まえ、わが国が、昨今増加傾向にある「無党派層」の政治行動についてまとめよ。  日本における最初の政党は、1874年に結成された愛国公党であるとされている。全国的な政党の登場は、1881年の自由党と1882年の立憲改進党以降となる。しかしその頃は、薩摩、長州、土佐、肥前の四藩の出身者が政府の要職を独占する藩閥政治だったので政党はあまり力を持っていなかった。その後1898年に大隈重信の進歩党(立憲改進党から改名)と板垣退助の立憲自由党(自由党から改名)が合体して憲政党を結成し、「隈板内閣」(わいはんないかく)をつくったのが、政党内閣の最初となる。しかし政権内部の対立により、わずか4ヶ月で崩壊。その後政党は分裂や合体を繰り返し。1918年に立憲政友会による本格的な政党内閣の原敬内閣が誕生した。以後、1932年の5.15事件で犬養毅の政友会内閣が倒れるまで、いくつかの政党内閣が誕生した。しかし1938年に国家総動員法が制定され、政党は解党を余儀なくされ大政翼賛会として統一し終焉を迎えた。  第二次世界大戦後、政党政治は復活した。1945年末までには、日本自由党、日本進歩党、日本協同党、日本社会党など、大小さまざまな政党が誕生した。日本自由党、日本進歩党、日本協同等の保守系政党はその後変遷をたどり、1955年11月15日に日本民主党と自由党が合体して、自由民主党が誕生した。これを「保守合同」という。  日本社会党は結成後、右派と左派に分裂。内閣を担当していたこともあったが最終的に、保守合同の直前の1955年10月13日に、右派左派両社会党が合体して日本社会党が結成された。  この自由民主党と日本社会党が、二大政党として長く対立してきた。これを55年体制と呼ぶ。その後1993年まで38年間、自民党は一貫して政権の座にあった。
  • レポート 政治学 日本 無党派 政治史
  • 550 販売中 2006/02/08
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  • 日本の政治家について
  • ● 日本政治家について ・ 吉田茂 <昭和21年5月22日第一吉田内閣発足> ☆ 憲法公布   農地改革法・労働三法・教育基本法・独占禁止法等戦前の封建制度を否定する戦後改革諸法を作る   <昭和23年10月15日第二次吉田内閣発足>   少数与党で政権は不安定で内閣不信任案が通り、国会解散   <昭和24年2月16日第三次吉田内閣発足>   佐藤栄作・池田雄人ら官僚政治家を積極的に登用
  • レポート 政治学 日本 政治家 吉田栄作 池田勇人 岸信介
  • 550 販売中 2005/07/21
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  • ウェーバーにおける学問と政治
  • はじめに  マックス・ウェーバー(Max Weber, 1864〜1920)は、社会科学の方法論として「価値自由」(Wertfreiheit)という言葉を用いた。これは、社会科学が研究対象に関わる際に、価値判断と経験的な科学が区別されることを要請したものである。このレポートでは、なぜ学問が「価値自由」でなければならなかったのか、「価値自由」な学問は研究対象である政治とどのような関係をもつのか、について検討することで、ウェーバーにおける学問と政治の関係について考察する。 一、 ウェーバーにおける学問  ウェーバーが「価値自由」という言葉を用いた当時、ドイツの学者や学生は、学問と政治の関係をどのように考えていたのだろうか。それに対してウェーバーはどのように考えていたのだろうか。  当時、政治を対象とする学問の内で主流をなしていたのは、国民経済学ないし国家学であり、さらにそれはシュモラーを中心とする「社会政策学会」のメンバーによって代表されていた。彼らは、当時の社会問題(労働者階級の社会状態の改良)の解決のため、様々な政策の提言を行っていた。このことから、彼らにとっての学問とは、ある倫理的目標を実現させるための手段であったと言える。また、第一次世界大戦後の学生の間では、「世界観としての学問」が求められた。彼らは教壇に人生の指導者や預言者を求め、人生をいかに生きるべきかという問いに対する答えを求めた。彼らが求める学問は、政治がどうあるべきか、であるとか、政治に対して自分がどう振舞うべきか、を明らかにしてくれるものだったと言える。いずれの場合も、学問によって何らかの理想的な政治を示そうとしたのである。  しかし、ウェーバーはこのような考え方を真っ向から否定する。「われわれを拘束する規範や理想をつきとめ、そこから実践に対する処方箋を導き出すようなことは、断じて、経験科学の課題ではない」。
  • レポート 政治学 ウェーバー 価値自由 心情倫理 責任倫理 究極的尺度
  • 550 販売中 2005/07/22
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