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外交で検索した結果:93件
設題:「Y-G性格検査」の特徴について述べよ。に関するレポートです。 指摘:Y-G性格検査について、特性論の説明や検査内容、算出法、注意点などが丁寧に述べられている。誤字がいくつかあったので提出の際は読み直し、訂正できるとなお良いとの指摘を受けました。 評価:A評価をいただき...
台湾民主化と中台の緊張関係 台湾大学教授楊国枢が1987年に『台湾政治論』という著作を出した。この作品の最後は「民主化のドアは開かれた。しかし、どれだけ開いているのか誰も分からない」 著作が完成した前86年、党外勢力による、初めての野党民主進歩党が結成した。かつて強人政治を続...
台湾―民主化と中華民国との相剋 台湾の政治民主化は、権威主義体制による経済発展の成功を繋がった。こうした経済開発が成功すれば、民主主義を定着させるまでの準備段階と言える。この民主化モデルは韓国の「コリア・シナリオ」と同様である。 確か、台湾と韓国の民主化モデルはかなり似ていた。...
戦後の日本はどのように経済発展を果たし、外交スタンスを確立してきたのか。 それを踏まえた上で今後の日本外交のあり方を考察。 (*)本レポート執筆時期は第一次安部内閣の頃
1.はじめに 1945年8月15日に太平洋戦争は終戦を迎え、日本はGHQ(連合国軍総司令部)による天皇と日本政府を通しての間接統治をされることになる。占領下の日本は、外交権を含む主権を失ったが、その間GHQとの間で濃密な交渉が日常的に重ねられていき、戦後日本社会の基礎と骨格が決...
「日露戦争の原因とその国際情勢および日本への影響」 私は日露戦争の原因が満蒙を巡る対立にあると考える。それは義和団事件(明治三二‐三四年にかけて発生した、宗教団体義和団による反西洋、反キリスト教の排外運動。「扶清滅洋」を謳い、近代的設備や施設、教会を破壊。その教徒までも殺害した...
1.はじめに 1951年に締結された日米安全保障条約と60年の安保改定については、これまでに様々な視点から論じられてきた。当初は、主として60年の岸内閣における安保改定に焦点をあて、国会審議と抗議運動とを軸にして、議論される傾向が強かった(1)。 近年、このテーマをめぐる論じ方は...
中華民国の前近代民主化の企て 汪精衛、本名汪兆銘1883年5月4日に広東省三水県生まれ、1904年に省政府留学生試験合格し、留日している最中中国同盟会を参加し、機関紙「民報」で頭角を現した。太平洋戦争終結の前年44年に死去した。 彼の評価は中国で「漢奸」、「売国奴」など悪い評...
李登輝の大陸政策決定過程―「戒急用忍」の事例 49年以降、蒋介石政権と共産中国の間の経済貿易活動は完全に禁じられた。70年代末、こうした禁止した中台間経済活動は中国の改革開放政策による、双方の依存関係が成り立った。しかし、95、96年第3次台湾海峡危機と呼ばれた頃、中台間の経済...